第137話「奪われた古文書」
黒影衆の里。
北側第二補給所で正体不明の忍が古い巻物を持ち去った翌朝。
黒影衆本部の情報室には、夜明け前から複数の忍が集まっていた。
机の上には北側補給路の地図。
その隣には、監視記録と物資の運搬帳簿が広げられている。
如月セツナは、昨夜の報告書を読み返していた。
「……古い巻物を持ち去ったのね」
「はい」
向かいに立つ情報忍が答えた。
「第二補給所の倉庫から、頭巾を被った忍が巻物を取り出しました」
「巻物の特徴は?」
「古びた布に包まれていました。表面には、風を思わせる紋様があったように見えます」
セツナの指が止まった。
「……風の紋様?」
「はい。ただ、距離があったため、細部までは確認できていません」
「追跡は?」
「倉庫の裏口から逃走しました。旧街道へ続く山道で足跡を見失っています」
セツナは地図を見た。
「……なるほど」
別の部下が尋ねる。
「夜叉衆でしょうか?」
「可能性はあるわ」
セツナは静かに答えた。
「でも、まだ決めつけないこと」
「……はい」
「それより、巻物がどこから運ばれたのかを調べたい」
セツナは運搬帳簿を指差した。
「第二補給所へ運ばれた六箱のうち、二箱は予定外だった」
「はい」
「その二箱を最初に用意したのは?」
「本部の補給倉庫です」
「担当者は?」
「……三枝ナオトです」
セツナは目を細めた。
「本人を呼んで」
「承知しました」
部下が退出する。
セツナは椅子へ腰を下ろした。
「……さて」
机の上の帳簿を閉じる。
「何を知っているのかしら」
黒影衆・補給倉庫。
三枝ナオトは、朝から物資の確認を行っていた。
しかし、その手つきは普段よりも落ち着きがなかった。
「……」
帳簿を開く。
薬草の数を確認する。
木箱の数を数える。
それでも、何度も同じ場所へ視線が戻ってしまう。
北側第二補給所。
昨日、運ばせた二つの木箱。
「……」
ナオトは小さく息を吐いた。
その時。
「三枝さん」
背後から声がした。
ナオトが振り返る。
そこには、情報部門の忍が立っていた。
「……何でしょうか」
「如月セツナ様がお呼びです」
ナオトの表情が強張った。
「……セツナ様が?」
「はい」
「……何の用でしょう」
「詳しいことは聞いていません」
ナオトは帳簿を閉じた。
「……分かりました」
立ち上がる。
しかし、足がすぐには動かなかった。
情報忍が首を傾げる。
「どうしました?」
「……いえ」
ナオトは首を振った。
「行きましょう」
二人は補給倉庫を後にした。
黒影衆・医務室。
「……よし」
白石ユズハが蒼真の包帯を確認した。
「傷は順調に回復しているわ」
蒼真の表情が明るくなる。
「じゃあ、もう修行しても?」
「軽い動作だけよ」
「……はい」
「風遁の連続使用はまだ禁止」
蒼真は苦笑した。
「分かってます」
ユズハは笑った。
「本当に?」
「……多分」
「蒼真?」
「分かってます!」
隣で診察を受けていた蓮司が笑う。
「お前も怒られてんじゃねぇか!」
凛が腕を組んだ。
「蓮司も人のこと言えないでしょ」
「俺は今日は何もしてねぇぞ!」
「昨日、木刀を持ってたじゃない」
「構えただけだろ!」
「お腹に力が入るでしょ!」
蓮司は黙った。
レイは寝台からその様子を眺めていた。
「……学習しないな」
「レイまで言うな!」
蒼真は笑いながらレイへ顔を向けた。
「肩はどうだ?」
「……少しずつ良くなっている」
「よかった」
「ただ、まだ左腕は使えない」
レイは固定された腕を見下ろした。
蒼真は少し考えた。
「……焦らなくていいからな」
レイが顔を上げる。
「……分かっている」
蓮司が笑う。
「治ったらまた四人で任務行こうぜ!」
凛が頷いた。
「そうね」
蒼真も笑った。
「ああ」
レイは三人を見つめた。
そして、静かに頷いた。
「……そのつもりだ」
黒影衆本部・情報室。
三枝ナオトは、セツナの前に座っていた。
机の上には、北側補給路の運搬帳簿が置かれている。
「……三枝さん」
セツナが口を開いた。
「昨日の運搬について、確認したいことがあるの」
ナオトは頷いた。
「……はい」
「第二補給所へ六箱運ばせたわね」
「はい」
「本来の予定は四箱だった」
ナオトの指が僅かに動いた。
「……追加の物資がありましたので」
「誰の指示?」
「……本部からです」
「具体的には?」
ナオトは黙った。
セツナは急かさなかった。
しばらくして、ナオトが答えた。
「……書状が届きました」
「誰から?」
「……分かりません」
「書状は?」
「……処分しました」
セツナは静かに頷いた。
「どうして?」
「運搬が終われば不要だと思いまして」
「通常の運搬命令書は保管する決まりよね」
「……はい」
「なぜ今回は違ったの?」
ナオトは視線を落とした。
「……」
セツナは少し身を乗り出した。
「三枝さん」
「……はい」
「あなたが何かを隠していることは分かっているわ」
ナオトの表情が変わった。
「……!」
「でも、今すぐ犯人だと決めつけるつもりはない」
「……」
「だから、正直に話してほしいの」
ナオトは拳を握りしめた。
しばらく沈黙が続く。
そして。
「……俺は」
セツナは静かに待った。
「……中身までは知りませんでした」
セツナの目が細くなる。
「何の中身?」
ナオトは顔を上げた。
「……追加の二箱です」
「……」
「ただ、運べと言われただけなんです」
セツナは頷いた。
「誰に?」
ナオトは口を閉じた。
「……」
「三枝さん」
「……言えません」
セツナは少し考えた。
「脅されているの?」
ナオトの肩が僅かに震えた。
「……」
その反応だけで、セツナには十分だった。
「……そう」
セツナは声を和らげた。
「誰か、大切な人が関わっているのね」
ナオトは顔を伏せた。
「……お願いです」
「何?」
「……今は、聞かないでください」
セツナはしばらく黙った。
そして、静かに答えた。
「分かったわ」
ナオトが顔を上げる。
「……え?」
「ただし、これ以上の運搬には関わらないで」
「……」
「あなた自身のためにも」
ナオトは震える声で答えた。
「……はい」
セツナは立ち上がった。
「今日は帰っていいわ」
ナオトはゆっくり立ち上がった。
そして、深く頭を下げる。
「……ありがとうございます」
部屋を出ていく。
セツナはその背中を見送った。
「……」
机の上の帳簿へ目を落とす。
「やっぱり、単純な裏切りではなさそうね」
昼過ぎ。
黒影衆本部・評定の間。
黒崎玄十郎、影宗、鬼塚ジン、神楽トウマ、風間コウガ。
五人の上忍たちが集まっていた。
机の上には、風影刀に関する管理案が置かれている。
玄十郎が口を開いた。
「……では、議論を続けよう」
ジンが頷く。
「はい」
「まず、風影刀を使用する任務についてだ」
トウマが書類を見た。
「上忍の承認を必須とする案ですね」
「そうだ」
ジンは答えた。
「現状、蒼真は風影刀の力を完全に理解していません」
コウガが腕を組む。
「それは本人も認めている」
「だからこそ、慎重な運用が必要です」
影宗が口を開いた。
「任務の承認については、俺も反対しない」
ジンが顔を上げる。
「……影宗様」
「ただし、蒼真だけを特別に監視するような扱いは避けるべきだ」
トウマが頷いた。
「確かに。本人の意欲を損なう可能性があります」
玄十郎は静かに聞いていた。
ジンが続ける。
「では、刀の調査については?」
コウガが答えた。
「俺が協力しよう」
「……風間コウガが?」
「ああ」
コウガは頷いた。
「風遁の扱いについてなら、俺にも多少の知識がある」
影宗が口を開く。
「俺も立ち会う」
ジンは少し考えた。
「……分かりました」
玄十郎が頷く。
「では、刀の調査は本人の同意を得た上で進める」
ジンは頭を下げた。
「承知しました」
しかし。
玄十郎は続けた。
「一時保管については、まだ結論を出さない」
ジンの表情が僅かに変わる。
「……頭領」
「危険性が明らかになってから判断する」
「……」
「それまでは、蒼真が持つことを認める」
ジンはしばらく黙っていた。
そして、深く頭を下げた。
「……承知しました」
影宗は静かに息を吐いた。
だが、風影刀を巡る議論が完全に終わったわけではなかった。
夕方。
黒影衆本部・情報室。
セツナのもとへ、影宗が訪れていた。
「……三枝ナオトはどうだった?」
セツナは報告書を差し出した。
「運搬への関与を認めました」
影宗の表情が変わる。
「……何?」
「ただし、巻物の中身は知らなかったようです」
「誰の指示だ?」
「そこまでは話しませんでした」
影宗は眉を寄せた。
「……口を割らなかったか」
セツナは首を振った。
「恐らく、誰かに脅されています」
「……」
「無理に問い詰めれば、相手が動く可能性があります」
影宗は少し考えた。
「……なるほど」
セツナは続ける。
「それと、持ち出された巻物について調べました」
影宗が顔を上げる。
「何か分かったのか?」
「はい」
セツナは古い資料を取り出した。
「黒影衆の保管記録に、似た紋様の巻物がありました」
影宗は資料を覗き込む。
そこには、風を模した古い紋様が描かれていた。
「……これは」
影宗の表情が変わった。
セツナが尋ねる。
「ご存じですか?」
影宗はしばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。
「……昔、見たことがある」
「どこで?」
「黒影衆の古文書庫だ」
セツナの目が細くなる。
「……古文書庫?」
「ああ」
影宗は続けた。
「風影刀に関する古い記録が、そこに保管されていた」
セツナは資料を見下ろした。
「では、持ち出された巻物も……」
「可能性はある」
影宗は頷いた。
「だが、紋様が似ているだけでは断定できん」
セツナは頷いた。
「確認する必要がありますね」
「ああ」
影宗は立ち上がった。
「古文書庫へ行こう」
黒影衆本部・古文書庫。
地下にある石造りの部屋。
壁一面には、古い巻物や書物が保管されていた。
影宗とセツナは、管理担当の忍から記録帳を受け取った。
「……風影刀に関する資料は、こちらです」
管理担当者が棚を示す。
影宗は頷いた。
「ありがとう」
二人は棚へ近づいた。
古い巻物。
傷んだ書物。
そして、木箱に収められた記録。
セツナが帳簿を確認する。
「……この番号ですね」
影宗が棚を見る。
「……ああ」
しかし。
そこには、何もなかった。
「……?」
セツナが眉を寄せる。
「……空いている」
影宗は帳簿を確認した。
『風影刀関連古文書・第三巻』
保管場所は、確かにこの棚だった。
「……管理担当者!」
影宗が声をかける。
忍が駆け寄る。
「はい!」
「この巻物は、いつ持ち出された?」
管理担当者は帳簿を確認した。
「……それが」
「何だ?」
「持ち出し記録がありません」
影宗の表情が険しくなる。
「……何?」
セツナは空になった棚を見つめた。
「……やはり」
影宗が顔を向ける。
「どういうことだ?」
セツナは静かに答えた。
「第二補給所から持ち出された巻物と、関係がある可能性があります」
影宗は拳を握りしめた。
「……内部から盗まれたということか」
「まだ確定ではありません」
セツナは続けた。
「ただ、保管記録にない移動が起きていることは確かです」
影宗は空の棚を見つめた。
「……風影刀の記録を、なぜ今になって」
セツナは答えなかった。
その時。
管理担当者が口を開いた。
「……影宗様」
「何だ」
「一つ、気になることがあります」
影宗が振り返る。
「言ってみろ」
「数日前、古文書庫の整理命令が出ていました」
セツナの目が細くなる。
「整理命令?」
「はい」
「誰の指示?」
管理担当者は帳簿を開いた。
そして、一部分を指差した。
「……こちらです」
影宗とセツナが覗き込む。
そこには、正式な命令印が押されていた。
しかし。
署名の部分だけが、不自然に滲んでいた。
セツナは静かに息を吐いた。
「……また同じ偽装ね」
影宗が眉を寄せる。
「監視塔の命令書と同じか」
「はい」
セツナは帳簿を閉じた。
「同じ手口が使われています」
影宗はしばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「……誰かが、黒影衆の内部から風影刀の記録を持ち出している」
セツナが頷いた。
「その可能性が高くなりました」
二人は空の棚を見つめた。
風影刀。
風守刀。
風継ぎ。
そして、地下で発見された古い記録。
その全てに関わるかもしれない文書が、何者かの手に渡っていた。
夜。
黒影衆の里。
蒼真は自室で風影刀を見つめていた。
昼間、蓮司たちと話したことを思い出す。
怪我が治ったら、また四人で任務へ行く。
その約束が、今は何よりも大切だった。
「……」
蒼真は刀を鞘へ収めた。
「……早く治さないとな」
その時。
窓の外から、穏やかな風が吹き込んだ。
蒼真は顔を上げる。
遠くに見える黒影衆本部。
そこでは今も、灯りが消えていなかった。
「……まだ仕事してるのか」
蒼真は小さく呟いた。
自分の知らないところで、何かが動いている。
そんな感覚が、胸の奥に残っていた。
しかし、今の蒼真には、その正体が分からない。
ただ一つ。
風影刀を巡る問題が、まだ終わっていないことだけは理解していた。
黒影衆本部・古文書庫。
影宗とセツナは、最後の確認を終えていた。
「……セツナ」
影宗が口を開く。
「はい」
「この件は、蒼真にはまだ伝えるな」
セツナは少し考えた。
「……理由を聞いても?」
「今は怪我を治すことが先だ」
「……」
「それに、証拠が揃っていない」
セツナは頷いた。
「分かりました」
影宗は空の棚を見つめた。
「……だが」
セツナが顔を上げる。
「何でしょう」
影宗は静かに言った。
「風影刀の記録を狙う者がいるなら、蒼真自身も狙われる可能性がある」
セツナの表情が険しくなる。
「……はい」
影宗は続けた。
「警戒を強めろ」
「承知しました」
二人は古文書庫を後にした。
残された棚には、巻物が一つ欠けていた。
その空白が意味するものを、まだ誰も知らない。
だが、黒影衆の内部で進む何者かの計画は、確実に次の段階へ進もうとしていた。
第137話 完




