第136話「北側補給路の影」
黒影衆の里。
夜明け前。
北側の山道には、薄い霧が漂っていた。
木々の間を縫うように続く道。
そこは、黒影衆が食料や薬草、忍具を運搬するために使用している補給路だった。
普段なら、夜明けとともに荷車が行き交う。
しかし、この日は違っていた。
まだ空が明るくなる前から、三人の忍が補給倉庫の前に集まっていた。
「……準備は?」
一人の男が尋ねる。
「終わっています」
若い忍が答えた。
荷車には、布で覆われた木箱が積まれている。
その数は六つ。
「運搬先は?」
「北側の第二補給所です」
男は頷いた。
「では、出発する」
三人が荷車を動かし始めた。
しかし。
少し離れた屋根の上。
その様子を見つめる者がいた。
黒影衆の情報部門に所属する忍だった。
「……予定より早い」
監視役は小さな巻物を取り出す。
『北側補給路、夜明け前に荷車出発』
短く記録する。
そして、仲間へ合図を送った。
黒影衆本部・情報室。
如月セツナは、夜間監視の報告を受けていた。
「……三枝ナオトと接触した忍の正体は?」
「確認できませんでした」
部下が答える。
「顔を覆っており、接触時間も短かったためです」
セツナは頷いた。
「会話は?」
「一部だけ聞き取れました」
「内容は?」
部下は巻物を開いた。
「『次の荷物は、予定通りに』という言葉です」
セツナの目が細くなる。
「……荷物」
「はい」
「ナオトの反応は?」
「何かを拒もうとしているようでした」
セツナはしばらく考えた。
「……今朝の運搬記録は?」
別の部下が答えた。
「北側第二補給所へ、物資を運ぶ予定があります」
「何時?」
「通常は日の出後です」
「実際には?」
「……先ほど、夜明け前に出発しました」
セツナが顔を上げる。
「運搬責任者は?」
「三枝ナオトです」
「本人が同行しているの?」
「いえ。ナオトは倉庫に残っています」
セツナは地図を広げた。
「……なるほど」
部下が尋ねる。
「荷車を止めますか?」
セツナは首を振った。
「まだよ」
「……?」
「何を運んでいるのか確認したい」
セツナは北側補給路を指差した。
「ただし、監視をつけて」
「承知しました」
「荷車に異常があれば、すぐに知らせて」
「はい」
部下が退出する。
セツナは机の上の報告書を見つめた。
「……三枝ナオト」
小さく呟く。
「あなたは、何を運ばされているの?」
朝。
黒影衆・医務室。
「……蒼真、そこに座って」
白石ユズハが指示した。
蒼真は寝台に腰掛ける。
「はい」
ユズハは脇腹の傷を確認した。
「……うん」
「どうですか?」
「かなり良くなっているわ」
蒼真の表情が明るくなる。
「じゃあ、修行も?」
「軽い動作だけならね」
「本当ですか!」
「ただし、風遁の連続使用は禁止」
「……はい」
ユズハは笑った。
「そんなに修行したいの?」
蒼真は頷く。
「はい」
「どうして?」
蒼真は少し考えた。
「……もっと強くなりたいんです」
ユズハは静かに聞いていた。
「地下で、仲間を守りきれなかったから」
「……」
「次は、もっとちゃんと守れるようになりたい」
ユズハは包帯を巻き直した。
「……蒼真」
「はい」
「強くなることは大切よ」
「……」
「でも、怪我を治すことも、仲間を守るために必要なことなの」
蒼真は顔を上げた。
「……はい」
「あなたが無理をして倒れたら、仲間が心配するでしょう?」
蒼真は少し笑った。
「……そうですね」
ユズハも笑った。
「だから、焦らないこと」
「分かりました」
同じ頃。
黒影衆・第二修行場。
蓮司は木刀を手にしていた。
しかし、振り下ろすことはせず、構えを確認しているだけだった。
「……」
その様子を、凛が少し離れた場所から見ていた。
「蓮司」
「ん?」
「何してるの?」
「見りゃ分かるだろ。修行」
凛が眉を寄せる。
「まだ禁止されてるでしょ」
「振ってねぇよ!」
「構えるだけでも、お腹に力が入るじゃない」
「……」
蓮司は木刀を下ろした。
「お前、最近ユズハさんみたいになってきたな」
凛が笑顔になる。
「何か言った?」
「何でもありません!」
その時。
蒼真が修行場へやってきた。
「おーい!」
蓮司が振り返る。
「蒼真!」
「何してるんだ?」
「修行しようとして怒られた」
蒼真が笑った。
「またかよ」
凛が腕を組む。
「蒼真は?」
「軽い動作なら許可が出た」
蓮司が目を見開く。
「ずるい!」
「ずるくないだろ!」
「俺も修行したい!」
凛が即座に言った。
「蓮司はまだ駄目」
「……はい」
蒼真は笑いながら、木刀を手に取った。
「じゃあ、少しだけ動いてみるかな」
凛が心配そうに見る。
「無理しないでね」
「ああ」
蒼真は木刀を構えた。
足を開く。
呼吸を整える。
そして、ゆっくりと刀を振る。
以前よりも、動きは静かだった。
力任せに振り下ろすのではなく、身体の流れに合わせる。
蓮司が首を傾げる。
「……何か変わったな」
蒼真が振り返る。
「そうか?」
「ああ」
凛も頷いた。
「前より、無駄な動きが少ない気がする」
蒼真は木刀を見下ろした。
「……宗玄に教わったことを思い出してた」
蓮司が笑う。
「あの爺さん、厳しかったもんな!」
蒼真も笑った。
「でも、すごい人だった」
凛が静かに頷く。
「……また会いに行きたいわね」
「ああ」
蒼真は空を見上げた。
地下の奥に残った宗玄。
右腕の傷は深く、今も苦しんでいるかもしれない。
「……必ず、また行こう」
三人は静かに頷き合った。
北側補給路。
山道を進む荷車。
三人の忍は、周囲を警戒しながら歩いていた。
「……今日は霧が濃いな」
若い忍が呟く。
「山道だからな」
先頭の男が答える。
「第二補給所まで、あとどれくらいですか?」
「半刻ほどだ」
その時。
荷車の後方にいた忍が足を止めた。
「……ん?」
「どうした?」
「いや……」
忍は木箱を見た。
「何か、変な匂いがしませんか?」
先頭の男が振り返る。
「匂い?」
「はい」
木箱へ近づく。
布の隙間から、僅かに薬草の匂いが漂っていた。
「……普通の薬草だろ」
「でも、少し違うような……」
先頭の男は首を振った。
「余計なことは考えるな」
「……はい」
荷車は再び動き始めた。
しかし。
その後方。
木々の上を、二人の忍が静かに移動していた。
情報部門の監視役だった。
「……荷車に異常は?」
一人が尋ねる。
「今のところ、なし」
「運搬先は?」
「第二補給所」
「……」
「ただ、予定より早い」
二人は距離を保ちながら追跡を続けた。
黒影衆本部・頭領室。
黒崎玄十郎は、影宗から報告を受けていた。
「……北側の補給路か」
影宗が頷く。
「ああ。セツナが調べている」
玄十郎は机の上の地図を見た。
「監視記録の改ざんと関係があるのか?」
「まだ分からん」
「……」
「だが、三枝ナオトという補給担当者が関わっている可能性がある」
玄十郎は眉を寄せた。
「三枝ナオト……」
影宗が尋ねる。
「知っているのか?」
「名前は聞いたことがある」
玄十郎は少し考えた。
「真面目な中忍だと報告を受けている」
「……そうか」
「だからこそ、慎重に調べる必要があるな」
影宗は頷いた。
「セツナも同じ考えだ」
玄十郎は静かに言った。
「……内部に協力者がいるとしても」
影宗が顔を上げる。
「何だ?」
「全員が自分の意思で動いているとは限らん」
影宗は黙った。
玄十郎は続ける。
「脅されている者もいるかもしれん」
「……ああ」
「その可能性も考えておけ」
影宗は頷いた。
「分かった」
昼過ぎ。
北側第二補給所。
荷車が到着した。
「……到着しました」
若い忍が言った。
先頭の男は頷く。
「荷物を下ろせ」
三人は木箱を運び始めた。
その時。
補給所の管理人が姿を現した。
「お疲れさん」
「物資を届けに来ました」
「聞いている」
管理人は荷車を見た。
「……六箱か」
「はい」
「帳簿を確認する」
若い忍が書類を差し出した。
管理人は内容を確認した。
しかし、途中で眉を寄せた。
「……ん?」
「どうしました?」
「薬草は四箱の予定だったはずだが」
先頭の男が答える。
「変更になりました」
「変更?」
「はい」
「誰の指示だ?」
男は一枚の書状を取り出した。
「本部からの命令です」
管理人は書状を受け取った。
そこには、黒影衆本部の印が押されていた。
「……」
管理人は少し考えた。
「分かった」
書状を返す。
「残り二箱は?」
「特別保管品です」
「中身は?」
「確認不要との指示です」
管理人は眉を寄せた。
「……確認不要?」
男は頷いた。
「はい」
管理人はしばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「……分かった。奥の倉庫へ運んでくれ」
三人は木箱を運び始めた。
しかし。
その様子を、補給所の外から見つめる者がいた。
情報部門の監視役だった。
「……特別保管品?」
一人が呟く。
もう一人が頷いた。
「予定にない荷物だな」
「セツナ様へ報告する」
「頼む」
一人がその場を離れた。
残った忍は、補給所の様子を監視し続けた。
夕方。
黒影衆本部・情報室。
セツナのもとへ、新たな報告が届いた。
「……予定にない木箱が二つ?」
部下が頷く。
「はい」
「中身は?」
「確認できていません」
「運搬先は?」
「第二補給所の奥にある倉庫です」
セツナは地図を広げた。
「……」
第二補給所。
そこから先には、北側の旧街道が続いている。
「……なるほど」
セツナは静かに呟いた。
部下が尋ねる。
「荷物を押収しますか?」
セツナは少し考えた。
「まだよ」
「……?」
「中身を確認する前に動けば、関係者が証拠を消す可能性がある」
「では?」
セツナは指示を出した。
「第二補給所の監視を続けて」
「はい」
「それと、三枝ナオトの行動も確認すること」
「承知しました」
部下が退出する。
セツナは机の上の書類を見つめた。
「……次の荷物は、予定通りに」
昨夜、正体不明の忍が言った言葉。
それが、今朝の運搬を指していた可能性は高い。
しかし、まだ分からない。
二つの木箱に何が入っているのか。
そして、誰がそれを運ばせたのか。
「……」
セツナは小さく息を吐いた。
「少しずつ、見えてきたわね」
夜。
北側第二補給所。
倉庫の中には、昼間運ばれてきた木箱が並んでいた。
その奥。
予定にない二つの木箱。
一人の忍が、静かに近づいていた。
顔は頭巾で覆われている。
忍は懐から黒い札を取り出した。
そして、木箱の表面へ貼り付ける。
札に刻まれた文字が、僅かに浮かび上がった。
「……」
忍は木箱の蓋を開けた。
中には、薬草が詰められていた。
しかし、その下。
布に包まれた細長い物が隠されていた。
忍は布を持ち上げる。
中から現れたのは、古い巻物だった。
表面には、風を思わせる紋様が描かれている。
忍は巻物を見つめた。
「……これか」
小さく呟く。
そして、再び布で包んだ。
その時。
倉庫の外で、何かが動いた。
忍は顔を上げた。
「……誰だ」
返事はない。
忍は巻物を懐へしまった。
そして、倉庫の裏口へ向かう。
しかし。
その背後。
屋根の上から、一人の忍が静かに見下ろしていた。
黒影衆の情報部門。
監視役だった。
「……確認した」
忍は小さな巻物を取り出す。
『予定外の木箱から、古い巻物を回収する者あり』
記録を終える。
そして、視線を戻した。
だが。
倉庫の裏口は、既に開いていた。
「……!」
監視役は屋根から降りた。
しかし、そこには誰もいない。
霧の濃い山道。
足跡は途中で途切れていた。
「……逃げられたか」
忍は周囲を見渡した。
そして、静かに呟く。
「……セツナ様に報告しなければ」
北側補給路。
そこで動いていたのは、単なる物資の運搬ではなかった。
黒影衆の内部で、何者かが古い巻物を移動させていた。
その巻物が何を記しているのか。
誰が必要としているのか。
まだ、誰にも分からなかった。
第136話 完




