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影狼ノ忍  作者: 次男坊
第5章「黒影衆内部抗争編」
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135/183

第135話「黒札の行方」

黒影衆本部・東棟。

早朝の廊下には、まだ人の姿が少なかった。

如月セツナは、一人の部下を連れて小会議室の前に立っていた。

数日前、北側監視塔の中忍・北条ユウキが、偽の命令によって呼び出された部屋。

そして昨夜、何者かが再び侵入した場所だった。

「……ここね」

セツナが扉に手をかける。

鍵は閉まっていた。

隣にいた情報部門の忍が尋ねる。

「管理担当者を呼びますか?」

「その必要はないわ」

セツナは懐から正式な鍵を取り出した。

「頭領から調査許可を得ている」

扉を開く。

室内には長机と数脚の椅子が置かれていた。

窓は閉まり、書類も残されていない。

一見すると、何の変哲もない会議室だった。

「昨日の夜間巡回では異常なしと報告されています」

部下が言った。

セツナは室内を見渡す。

「異常がなかったことと、誰も入っていないことは別よ」

「……はい」

「まずは扉を調べて」

部下が膝をつく。

セツナは机の周囲を歩き始めた。

床板。

壁。

窓枠。

どこにも目立った痕跡はない。

しかし、机の下へ視線を向けた時だった。

「……?」

一枚の床板。

その縁に、僅かな傷がついていた。

セツナはしゃがみ込む。

指先で傷をなぞった。

「……新しい」

「セツナ様?」

「灯りを持ってきて」

部下が小さな灯火を差し出した。

セツナは床板を照らす。

木目に沿って、細い黒色の粉が付着していた。

「……これは」

懐から白い布を取り出し、粉を拭い取る。

布の上に、黒い粒が残った。

「墨……?」

部下が覗き込む。

セツナは首を振った。

「普通の墨とは少し違うわね」

そして、床板の端に細い忍具を差し込んだ。

慎重に持ち上げる。

床下には、小さな空間があった。

「……隠し場所ですか」

「ええ」

しかし、中は空だった。

セツナは床板の裏側を確認する。

そこには、細い線で描かれた術式の一部が残っていた。

「……封印術?」

部下が尋ねる。

「いえ、違う」

セツナは目を細めた。

「何かを隠すための簡易的な術式ね」

「では、ここに何かが?」

「恐らく」

セツナは立ち上がった。

「誰かが隠し、別の誰かが持ち去った可能性がある」

「……」

「ただし、同一人物が使っていた可能性もあるわ。まだ決めつけないこと」

部下が頷いた。

「承知しました」

セツナは白い布を折り畳んだ。

「この粉を調べましょう」

黒影衆・医務室。

「……もう一度、指を開いて」

白石ユズハの指示に従い、レイは左手をゆっくり開いた。

肩から腕にかけて、鈍い痛みが走る。

「……っ」

「痛む?」

「……少し」

「無理しなくていいわ」

ユズハは腕の状態を確認した。

「昨日より指の動きは良くなっているけど、肩はまだ安静が必要ね」

レイは頷いた。

「……分かりました」

「本当に?」

「……はい」

ユズハが少し笑う。

「あなた、昨日こっそり右手で短刀を握ろうとしていたでしょう」

レイの表情が止まった。

「……」

「見ていた子がいるの」

「……握っただけです」

「それも禁止」

「……承知しました」

ユズハは包帯を巻き直した。

その時、扉が開いた。

「おはようございます!」

蒼真だった。

後ろから凛と蓮司も入ってくる。

「レイ、調子どうだ?」

蓮司が尋ねる。

「……順調だ」

「そりゃよかった!」

ユズハが三人を見た。

「あなたたち、今日は診察の日だったわね」

蒼真が頷く。

「はい」

「じゃあ、まず蓮司から」

蓮司が顔をしかめる。

「……俺からですか?」

「何か問題?」

「ありません!」

凛が笑った。

「本当にユズハさんには弱いわね」

「うるせぇ!」

ユズハは蓮司の腹部を診察した。

「痛みはどう?」

「普通に歩く分には、ほとんど」

「走ったら?」

「……まだ痛いです」

「じゃあ走らないこと」

「はい……」

続いて蒼真。

脇腹の傷を確認したユズハは、少し表情を和らげた。

「傷は塞がり始めているわね」

「本当ですか?」

「ええ。でも、風遁を使った激しい修行はまだ駄目」

「……はい」

「返事だけはいいのよね、あなたたち」

蓮司が小声で呟く。

「……信用されてねぇ」

凛が笑った。

「今までの行動を考えたら当然でしょ」

蒼真も苦笑する。

そんな三人を、レイは静かに眺めていた。

昼前。

黒影衆本部・情報室。

セツナは、床板から採取した黒い粉を調べていた。

机の上には、複数の資料が並んでいる。

「……」

粉を水に溶かす。

しかし、普通の墨のようには広がらない。

細かい粒が沈み、僅かに紫色を帯びた。

セツナは眉を寄せた。

「……幻術を定着させるための顔料?」

その時、扉が開いた。

「セツナ様」

部下が入ってくる。

「過去の記録を確認しました」

「何か分かった?」

「はい。この顔料に似たものが、以前の調査報告に記載されています」

セツナが顔を上げる。

「いつの報告?」

「三年前です」

部下は一枚の巻物を差し出した。

セツナが開く。

そこには、黒い札の簡単な図が描かれていた。

「……!」

札の表面には、細い文字。

縁には独特の紋様。

北条ユウキが証言した札と、特徴が似ていた。

「どこで発見されたもの?」

セツナが尋ねる。

「西国方面の任務です」

「使用者は?」

「不明です。ただし、報告書には……」

部下が一部分を指差す。

『命令偽装に使用された可能性あり』

セツナは静かに読み進めた。

さらに下には、別の記述があった。

『札を提示された者は、短時間、命令の出所を疑わなくなる傾向を示した』

「……なるほど」

セツナが呟く。

部下が尋ねる。

「幻術でしょうか?」

「可能性は高いわ」

セツナは巻物を閉じた。

「ただ、強制的に操るほどのものではないでしょうね」

「……?」

「本来なら不審に思う命令でも、一時的に自然なものだと受け取らせる」

セツナは続ける。

「そういう術なら、北条ユウキの証言とも一致する」

部下が頷いた。

「では、夜叉衆の術ですか?」

「まだ分からない」

セツナは首を振った。

「三年前の記録にも、使用者は不明とある」

「……」

「札が同じでも、作った者と使った者が同じとは限らないわ」

セツナは地図へ目を向けた。

「問題は、どうやって黒影衆の本部に持ち込まれたかね」

黒影衆本部・管理棟。

「東棟の鍵の管理記録?」

管理担当の忍が、セツナを見た。

「ええ。直近十日分を確認したいの」

「承知しました」

管理担当者は棚から巻物を取り出した。

「こちらです」

セツナは記録を開く。

鍵の貸し出し日時。

使用目的。

返却時刻。

そして、使用者の名前。

「……」

一つずつ確認していく。

すると、ある記録で指が止まった。

『東棟小会議室・備品確認』

使用者――三枝ナオト。

「……この人は?」

セツナが尋ねる。

管理担当者が答える。

「本部の補給管理を担当している中忍です」

「普段から東棟へ?」

「はい。備品の点検などで出入りしています」

「最近、何か変わった様子は?」

「……特には」

セツナは記録を見つめた。

「この日の貸し出しは、何時?」

「午前中です」

「返却は?」

「昼過ぎですね」

セツナは頷いた。

北条ユウキが呼び出されたのは夜。

時間が一致しない。

だが、部屋の構造や鍵の扱いを知る機会はあった。

「三枝ナオトは、今どこに?」

「補給倉庫にいると思います」

「分かったわ」

セツナは巻物を閉じた。

「ありがとう」

黒影衆・補給倉庫。

広い建物には、忍具や食料、薬草などが保管されていた。

その奥で、一人の男が荷物の確認を行っていた。

三枝ナオト。

黒影衆の補給管理を担当する中忍。

年齢は三十歳前後。

目立った戦闘実績はないが、几帳面な仕事ぶりで知られていた。

「……三枝ナオトさん?」

セツナが声をかける。

男が振り返った。

「はい……あっ、セツナ様!」

慌てて姿勢を正す。

「何か御用でしょうか?」

「少し確認したいことがあるの」

「……はい」

セツナは倉庫の棚を見渡した。

「最近、東棟の小会議室へ入ったわね」

ナオトは頷いた。

「はい。備品の点検で」

「何を確認したの?」

「机と椅子、それから灯具です」

「異常は?」

「ありませんでした」

セツナは静かに尋ねる。

「床板は調べた?」

ナオトの表情が僅かに変わった。

「……床板、ですか?」

「ええ」

「いえ、そこまでは……」

セツナは男を見つめた。

「そう」

ナオトは少し困惑した様子だった。

「何か問題でもありましたか?」

「まだ調査中なの」

「……そうですか」

セツナは続ける。

「東棟の鍵について、詳しい?」

「仕事で使うことがありますので、ある程度は」

「管理担当者を通さずに開ける方法は?」

ナオトは眉を寄せた。

「……ありませんよ」

「本当に?」

「はい。少なくとも、私は知りません」

セツナは頷いた。

「分かった。ありがとう」

ナオトが頭を下げる。

「いえ……」

セツナは倉庫を出ようとした。

しかし、扉の前で足を止めた。

「……そうだ」

ナオトが顔を上げる。

「はい?」

「最近、黒い札を見なかった?」

その瞬間。

ナオトの手が止まった。

ほんの僅かな変化だった。

しかし、セツナは見逃さなかった。

「……黒い札?」

ナオトが聞き返す。

「ええ」

「……いえ、見ていません」

「そう」

セツナは表情を変えなかった。

「ありがとう」

そして、倉庫を後にした。

ナオトはしばらく扉を見つめていた。

「……」

手に持っていた帳簿を、ゆっくり閉じる。

「……何で、今になって」

小さな呟きが、誰もいない倉庫に消えた。

午後。

黒影衆・中庭。

蒼真は木陰に座り、風影刀を見つめていた。

そこへ風間コウガがやってきた。

「……また刀を眺めているのか」

蒼真が顔を上げる。

「コウガさん」

コウガは隣に腰を下ろした。

「怪我はどうだ?」

「だいぶ良くなりました」

「そうか」

コウガは風影刀へ目を向ける。

「……ジンと話したそうだな」

蒼真が頷く。

「はい」

「何を言われた?」

「風影刀を持つにふさわしいことを、里の人たちに示す必要があるって」

コウガは静かに頷いた。

「……あいつらしいな」

蒼真が尋ねる。

「コウガさんは、どう思いますか?」

「何についてだ?」

「俺が風影刀を持っていることです」

コウガは少し考えた。

そして、答えた。

「俺は、お前が持ち続けるべきだと思う」

蒼真の表情が和らぐ。

「……ありがとうございます」

「だが」

コウガは続けた。

「ジンの心配も理解できる」

蒼真は黙った。

「風影刀が夜叉衆に狙われている以上、お前だけの問題ではない」

「……はい」

「だからこそ、必要なのは対立ではなく、理解だ」

蒼真は顔を上げた。

「……理解?」

「ああ」

コウガは笑った。

「ジンがお前を知り、お前もジンの考えを知る」

「……」

「その上で、どうするか決めればいい」

蒼真は頷いた。

「……分かりました」

コウガは立ち上がる。

「それと、怪我が治ったら俺のところへ来い」

「え?」

「風遁の修行だ」

蒼真の目が輝いた。

「本当ですか!」

「ああ」

コウガは笑う。

「地下で学んだことを、俺にも見せてくれ」

蒼真は大きく頷いた。

「はい!」

夕方。

黒影衆本部・情報室。

セツナは三枝ナオトの記録を調べていた。

任務履歴。

所属。

補給管理の担当区域。

そして、最近の行動。

「……」

ナオトはここ数年、問題を起こしていない。

むしろ、仕事ぶりは高く評価されていた。

しかし。

「……北側の補給路も担当している」

セツナは地図を広げた。

北側監視塔。

旧街道。

補給倉庫。

東棟小会議室。

それぞれの位置を確認する。

「……全てに出入りできる立場」

その時、部下が入ってきた。

「セツナ様」

「どうしたの?」

「三枝ナオトについて、追加の記録が見つかりました」

「……何?」

部下は書類を差し出した。

「監視記録が改ざんされた日の前日、ナオトは北側の補給路を確認しています」

セツナが顔を上げる。

「理由は?」

「物資の運搬経路を調べるため、と記載されています」

「同行者は?」

「……いません」

セツナは黙った。

部下が続ける。

「さらに、旧街道付近の倉庫にも立ち寄っていました」

「……」

「その倉庫から、黒い札に使われる顔料と似た物質が見つかっています」

セツナの目が細くなった。

「……なるほど」

「三枝ナオトが関与しているのでしょうか?」

セツナは首を振った。

「まだ断定できないわ」

「……」

「補給担当なら、北側へ行く理由はある」

セツナは書類を閉じた。

「それに、顔料を持ち込んだのが本人とは限らない」

部下が頷いた。

「では、どうされますか?」

セツナは少し考えた。

そして、静かに言った。

「監視をつけて」

「……三枝ナオトに?」

「ええ。ただし、気づかれないように」

「承知しました」

セツナは続ける。

「それと、他の補給担当者の行動も調べて」

「……他の者も?」

「一人だけを疑えば、本当の相手を見失うかもしれない」

部下は深く頭を下げた。

「分かりました」

夜。

黒影衆・補給倉庫。

三枝ナオトは一人、帳簿を整理していた。

「……」

机の上には、物資の一覧が並んでいる。

薬草。

食料。

忍具。

そして、北側補給路の運搬予定。

ナオトは一枚の書類を取り出した。

『北側の道、次の交代は三日後』

その文字を見つめる。

「……」

やがて、深く息を吐いた。

「……もう、やめるべきなのか」

誰に向けた言葉なのか。

その場には、答える者はいなかった。

ナオトは書類を折り畳んだ。

そして、懐へしまおうとする。

その時。

倉庫の外から声がした。

「三枝さん」

ナオトの動きが止まった。

「……!」

扉の向こうに、一人の忍が立っていた。

顔は暗く、よく見えない。

「……誰だ」

ナオトが尋ねる。

相手は答えなかった。

ただ、静かに言った。

「次の荷物は、予定通りに」

ナオトの表情が強張る。

「……もう、これ以上は」

「予定通りに」

同じ言葉が繰り返された。

ナオトは拳を握りしめた。

「……分かった」

扉の向こうの忍は、それ以上何も言わなかった。

足音が遠ざかっていく。

ナオトは一人、倉庫に残された。

懐に入れた書類を握りしめる。

「……」

その表情には、恐怖とも後悔ともつかないものが浮かんでいた。

一方。

少し離れた建物の屋根。

黒影衆の情報部門に所属する忍が、倉庫を監視していた。

「……」

屋根の陰から、倉庫の出入り口を見る。

しかし、訪ねてきた忍の顔までは確認できなかった。

監視役は小さな巻物を取り出す。

そして、短く記録した。

『夜間、正体不明の忍が三枝ナオトと接触』

巻物を閉じる。

「……セツナ様に報告しなければ」

黒影衆の里では、また一つ、隠されていた動きが明らかになろうとしていた。

しかし、その全容はまだ見えない。

黒い札。

偽装された命令。

消された監視記録。

そして、何者かの指示に従う補給担当の忍。

その背後に何があるのか。

まだ、誰も知らなかった。

第135話 完

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