第134話「上忍たちの思惑」
黒影衆の里。
朝の光が本部の屋根を照らし、修行場からは若い忍たちの声が聞こえていた。
蒼真たちが帰還してから、数日が経過している。
表向き、里に大きな変化はなかった。
しかし、本部では連日のように上忍たちが集まり、ある問題について議論を重ねていた。
風影刀。
その扱いを巡る意見は、少しずつ分かれ始めていた。
黒影衆本部・評定の間。
「私は、これ以上判断を先延ばしにするべきではないと考えます」
鬼塚ジンが机の前に立っていた。
向かいには黒影衆の頭領・黒崎玄十郎。
そして、影宗、神楽トウマ、風間コウガの姿があった。
ジンは一枚の書状を広げた。
「今回の任務で、風影刀が古い地下通路を開いたことは確認されています」
玄十郎が頷く。
「報告は受けている」
「さらに、夜叉衆はその刀を狙っていた」
「……ああ」
「つまり、蒼真が風影刀を持つ限り、里が標的となる可能性もある」
トウマが腕を組んだ。
「だから、刀を管理するべきだと?」
「そうです」
ジンは即答した。
「少なくとも、任務への持ち出しには上忍の許可が必要でしょう」
コウガが口を開く。
「それでは、蒼真の戦い方に制限がかかる」
「制限は必要です」
「必要以上の制限は、成長を妨げる」
ジンがコウガへ顔を向けた。
「成長を待っている間に、里が襲われたらどうする」
コウガは黙った。
ジンは続ける。
「俺は蒼真の才能を否定しているわけではない」
「……」
「だが、才能と責任は別だ」
影宗が静かに言った。
「それなら、蒼真本人に責任を理解させればいい」
ジンが振り返る。
「理解するだけで済む問題ではありません」
「では、何をさせるつもりだ」
ジンは書状を机へ置いた。
「風影刀の管理について、三つの条件を提案します」
玄十郎が顔を上げた。
「聞こう」
ジンは指を一本立てた。
「第一に、風影刀を使用する任務は上忍の承認を必須とする」
続いて二本目。
「第二に、刀の能力を調査するため、専門の忍を配置する」
そして三本目。
「第三に、危険性が高いと判断された場合、一時的に本部で保管する」
評定の間に沈黙が落ちた。
トウマが口を開いた。
「最初の二つは検討できる」
ジンが頷く。
「では――」
「だが、三つ目は慎重に考えるべきだ」
「なぜです?」
「風影刀を取り上げれば、蒼真との信頼関係が崩れる可能性がある」
ジンは表情を変えなかった。
「信頼関係より、里の安全を優先するべき場面もあります」
コウガが眉を寄せる。
「お前は、蒼真が危険だと言いたいのか?」
「違う」
ジンは首を振った。
「危険なのは、あの刀の未知の力だ」
影宗が静かに口を開く。
「……ならば、まずは本人と話せ」
ジンは影宗を見る。
「そのつもりです」
玄十郎が書状を手に取った。
「結論は、蒼真の意見を聞いてからにする」
ジンは深く頭を下げた。
「承知しました」
しかし、その目には強い決意が宿っていた。
黒影衆・医務室。
「……痛みは?」
白石ユズハがレイの左肩を診察していた。
レイは寝台に腰掛けている。
「昨日よりは軽いです」
「腕は?」
「……まだ上げられません」
ユズハは頷いた。
「無理に動かさないで。傷は塞がり始めているけど、深い部分はまだ回復していないわ」
「……はい」
「それに、しばらくは刀を握る練習も禁止」
レイが僅かに眉を寄せた。
「……右手だけでも?」
「駄目」
「……」
「身体を動かせば、左肩にも負担がかかるの」
レイは小さく息を吐いた。
「……分かりました」
ユズハは包帯を巻き直した。
「素直で助かるわ」
その時、扉が開いた。
「レイー!」
蓮司だった。
後ろには蒼真と凛もいる。
レイは顔を上げた。
「……また来たのか」
蓮司が笑う。
「何だよ、嫌なのか?」
「……そうは言っていない」
「じゃあいいだろ!」
凛がユズハへ頭を下げる。
「お邪魔しても大丈夫ですか?」
「ええ。ただし、長居はしないこと」
「ありがとうございます」
蒼真はレイの隣に座った。
「具合はどうだ?」
「……順調らしい」
「よかった」
蓮司が椅子を引き寄せる。
「なあ、退院したら何する?」
レイは少し考えた。
「……まずは身体を戻す」
「修行か?」
「……ああ」
蓮司が笑った。
「なら、俺が相手してやるよ!」
凛が即座に口を開く。
「蓮司もまだ修行禁止でしょ」
「……そうだった」
蒼真が笑う。
「お前、何回忘れるんだよ」
「早く治したいんだって!」
レイは三人を見つめた。
そして、僅かに笑った。
「……焦るな」
蓮司が顔を向ける。
「お前に言われたくねぇ!」
四人の笑い声が医務室に広がった。
昼過ぎ。
黒影衆本部・情報室。
如月セツナは、北側監視塔の記録を再び確認していた。
机の上には、改ざんされた巻物と偽の命令書。
そして、旧街道で発見された忍具の破片が置かれていた。
「……」
セツナは破片を手に取った。
細い金属片。
表面には黒い塗料が残っている。
「黒影衆の標準装備ではない……」
その時、部下が部屋へ入ってきた。
「セツナ様」
「何か分かった?」
「はい。東棟の小会議室について調べました」
セツナが顔を上げる。
「北条ユウキが呼び出された部屋ね」
「その通りです」
部下は書類を差し出した。
「当日の使用記録には、予約がありませんでした」
「……」
「ただし、扉の鍵は開けられていたようです」
セツナの目が細くなる。
「誰が?」
「管理記録では、鍵の貸し出しはありません」
「つまり、正式な手続きを踏まずに開けられた」
「はい」
セツナは少し考えた。
「鍵を扱える者は?」
「本部の管理担当者と、一部の上忍です」
「……そう」
セツナは書類を閉じた。
「その部屋を調べた?」
「はい。しかし、目立った痕跡はありませんでした」
「床や壁は?」
「異常なしです」
セツナは頷いた。
「分かった。ありがとう」
部下が退出する。
セツナは一人、考え込んだ。
「……監視塔から人を離れさせた」
そして、机の上の地図を見る。
「その間に、何者かが旧街道を通過した」
しかし、疑問が残る。
なぜ、そこまでして監視を避ける必要があったのか。
夜叉衆が里へ近づくためなのか。
それとも、里から何かを運び出すためなのか。
「……」
セツナは小さく息を吐いた。
「まだ、情報が足りないわね」
午後。
黒影衆・第二修行場。
蒼真は木陰に腰を下ろしていた。
手には風影刀。
だが、抜いてはいない。
鞘に刻まれた模様を見つめている。
「……」
地下で見た古い紋様。
風守刀。
そして、消された風継ぎの名前。
考えれば考えるほど、分からないことが増えていく。
その時。
「蒼真」
背後から声がした。
振り返ると、鬼塚ジンが立っていた。
「……ジン様」
蒼真は立ち上がった。
ジンは軽く手を上げる。
「座っていていい」
「……はい」
ジンは蒼真の隣へ立った。
しばらく、二人の間に沈黙が流れる。
やがて、ジンが口を開いた。
「怪我はどうだ」
「だいぶ良くなりました」
「そうか」
ジンは蒼真の腰にある風影刀を見る。
「……少し、話をしたい」
蒼真は頷いた。
「はい」
ジンは修行場の中央へ視線を向けた。
「お前は、その刀をどう考えている?」
蒼真は少し戸惑った。
「……どう、ですか?」
「ああ」
ジンは続ける。
「武器か。それとも、何か特別なものか」
蒼真は風影刀を見下ろした。
「……最初は、ただの刀だと思っていました」
「今は?」
「……分かりません」
ジンは黙って聞いていた。
蒼真が続ける。
「でも、地下で色々なことを知りました」
「風継ぎのことか」
「はい」
「それで?」
蒼真は少し考えた。
「……この刀には、まだ俺の知らない役目があるんだと思います」
ジンは頷いた。
「その通りだろうな」
蒼真が顔を上げる。
「……ジン様も、何か知っているんですか?」
「詳しいことは知らん」
ジンは正直に答えた。
「だが、未知の力を持つ武器が危険であることは知っている」
「……」
「俺は以前、強力な忍具を扱う任務に参加したことがある」
蒼真は黙って聞いた。
「その忍具は、使い手の想像を超える力を持っていた」
ジンの表情が僅かに険しくなる。
「結果として、仲間が負傷した」
「……」
「使い手が悪かったわけではない」
ジンは続ける。
「ただ、誰も危険性を理解していなかった」
蒼真は風影刀を見つめた。
「……だから、管理が必要だと?」
ジンは頷いた。
「ああ」
「……」
「蒼真。俺はお前を敵だと思っているわけではない」
蒼真が顔を上げる。
「……はい」
「むしろ、お前を守るためにも必要だと考えている」
蒼真は少し黙った。
そして、尋ねた。
「……もし、管理することになったら」
「何だ」
「俺は、この刀を使えなくなるんですか?」
ジンはすぐには答えなかった。
「……場合による」
蒼真の表情が変わった。
「……」
ジンは続ける。
「危険性が高いと判断されれば、一時的に保管する可能性もある」
蒼真は風影刀を握りしめた。
「……俺は」
ジンが静かに待つ。
蒼真は顔を上げた。
「この刀を、手放したくありません」
ジンの目が細くなる。
「なぜだ」
「……まだ、全部分かってないからです」
「……」
「分からないからこそ、もっと知りたい」
蒼真は続ける。
「それに、この刀で仲間を守ってきました」
ジンは黙っていた。
「これからも、そうしたいんです」
しばらく沈黙が流れた。
やがて、ジンが口を開く。
「……その気持ちは理解した」
蒼真の表情が少し和らぐ。
しかし。
ジンは続けた。
「だが、気持ちだけでは足りん」
「……」
「お前が風影刀を持つにふさわしいと、里の者たちに示す必要がある」
蒼真は顔を上げた。
「……どうすれば?」
ジンは少し考えた。
「今すぐ答えを出す必要はない」
「……」
「まずは怪我を治せ」
蒼真は頷いた。
「……はい」
ジンは背を向けた。
「話はそれからだ」
蒼真はその背中を見送った。
「……ジン様」
ジンが足を止める。
「何だ」
「俺、ちゃんと考えます」
ジンは振り返らなかった。
「……そうしろ」
そして、修行場を後にした。
夕方。
黒影衆本部・頭領室。
黒崎玄十郎は、影宗から報告を受けていた。
「……内部の監視記録が改ざんされた?」
影宗が頷く。
「ああ。セツナが調べている」
玄十郎は眉を寄せた。
「誰の仕業だ」
「まだ分からん」
「……」
「ただ、内部の命令系統を知る者が関わっている可能性がある」
玄十郎は机に肘をついた。
「……厄介だな」
影宗は頷いた。
「風影刀の問題で上忍たちの意見が分かれている時期だ」
「……ああ」
「下手に広めれば、互いに疑い始める」
玄十郎はしばらく考えた。
そして、静かに言った。
「セツナには、調査を続けさせろ」
「分かった」
「ただし、証拠が出るまでは誰も処分するな」
影宗が頷く。
「当然だ」
玄十郎は窓の外を見た。
「……黒影衆は、一枚岩ではない」
影宗は黙っていた。
玄十郎が続ける。
「だが、意見が違うことと、裏切ることは別だ」
「……ああ」
「その違いを見誤れば、里は内側から崩れる」
影宗は静かに頷いた。
夜。
黒影衆の里。
蒼真は自室で風影刀を見つめていた。
ジンの言葉が頭から離れない。
『お前が風影刀を持つにふさわしいと、里の者たちに示す必要がある』
「……ふさわしい、か」
蒼真は小さく呟いた。
風影刀を抜く。
月明かりが刀身を照らした。
「……俺にできること」
地下での戦いを思い出す。
仲間を守るために使った風。
宗玄の言葉。
そして、ジンの問い。
「……」
蒼真は刀を鞘へ戻した。
「まずは、ちゃんと治さないとな」
そう呟いて、寝台へ腰を下ろした。
同じ頃。
黒影衆本部の東棟。
薄暗い廊下を、一人の忍が歩いていた。
顔は頭巾で覆われている。
その忍は、誰もいない小会議室の前で足を止めた。
周囲を確認する。
そして、懐から小さな札を取り出した。
黒い札。
表面には、細い文字が刻まれていた。
忍は扉の隙間へ札を差し込む。
しばらくして、鍵が外れた。
扉が静かに開く。
忍は中へ入った。
机の下。
床板の一枚を持ち上げる。
そこには、小さな包みが隠されていた。
忍は包みを手に取った。
中には、一枚の紙。
その紙には、短い文章が書かれていた。
『北側の道、次の交代は三日後』
忍は紙を読み終えると、静かに折り畳んだ。
そして、懐へしまう。
「……」
誰にも気づかれることなく、部屋を後にした。
その頃。
情報室では、セツナが一人、監視記録を読み返していた。
まだ、黒い札を持つ忍の正体は分からない。
しかし、調査は確実に進み始めていた。
そして、里の内部で動く者もまた、次の行動を始めていた。
第134話 完




