第133話「消された監視記録」
黒影衆の里。
朝日が山々の稜線から昇り、里の建物を照らし始めていた。
本部の北側にある監視塔では、二人の忍が交代の準備を進めていた。
「昨日の夜はどうだった?」
「異常なしだ」
「最近、夜叉衆の噂が多いからな」
「だからって、毎晩襲ってくるわけじゃないだろ」
若い忍は苦笑しながら、監視記録の巻物を受け取った。
「……ん?」
「どうした?」
「ここ、記録が抜けてるぞ」
「何?」
二人は巻物を覗き込んだ。
記録には、夜間の巡回時間や監視担当者の名前が書かれている。
しかし、一部分だけ不自然な空白があった。
「……昨日までは書いてあったはずなんだけどな」
「見間違いじゃないのか?」
「いや、確かに……」
その時。
背後から声がした。
「その巻物、少し見せてもらえる?」
二人が振り返る。
そこには、黒影衆の情報部門を統括する如月セツナが立っていた。
「セツナ様!」
二人が姿勢を正す。
セツナは軽く手を上げた。
「そのままでいいわ」
巻物を受け取る。
「……」
空白になっている部分を確認した。
「この記録、最後に見たのは誰?」
若い忍が答える。
「昨夜の監視担当です」
「名前は?」
「北条ユウキです」
セツナは頷いた。
「分かった。ありがとう」
巻物を閉じる。
「この件は、まだ他の者には話さないで」
「……はい」
セツナは監視塔を後にした。
黒影衆本部・情報室。
セツナは机の上に三つの巻物を並べていた。
一つ目は、北側監視塔の記録。
二つ目は、監視担当者の交代命令書。
三つ目は、巡回経路の変更記録。
「……」
三つの書類を見比べる。
「交代命令が出された時間は、夜叉衆の移動が確認された前日」
セツナは小さく呟いた。
「巡回経路の変更も、同じ日……」
そして、監視記録の空白部分へ目を向ける。
「……偶然にしては、出来すぎている」
その時。
扉が開いた。
「失礼します」
入ってきたのは、情報部門の若い忍だった。
「調査結果をお持ちしました」
セツナが顔を上げる。
「ありがとう。どうだった?」
「北条ユウキについてですが、現在は通常任務に就いています」
「勤務態度は?」
「問題ありません」
「過去に処分歴は?」
「ありません」
セツナは頷いた。
「……他には?」
部下は一枚の書類を差し出した。
「ただ、気になることが一つ」
「何?」
「監視記録が消された日の夜、北条ユウキは本来の担当時間より早く持ち場を離れています」
セツナの目が細くなった。
「理由は?」
「本部から呼び出されたと説明しています」
「誰に?」
「……分かりません」
セツナは書類を受け取った。
「本人には確認した?」
「まだです」
「なら、私が話すわ」
セツナは立ち上がった。
同じ頃。
黒影衆・医務室。
蓮司が大きな包みを抱えて入ってきた。
「レイー!」
寝台に座っていたレイが顔を上げる。
「……何だ」
「飯持ってきたぞ!」
蓮司が包みを机に置く。
その後ろから、蒼真と凛も入ってきた。
「おはよう、レイ」
「具合はどう?」
レイは左腕を見下ろした。
「……昨日よりはいい」
凛が笑う。
「よかった」
蓮司は包みを開いた。
中には握り飯と焼き魚、野菜の煮物が入っていた。
「ほら、食おうぜ!」
レイが眉を寄せる。
「……ここは医務室だ」
「知ってるよ」
「食堂ではない」
「でも、お前が食堂に来られねぇだろ?」
レイは黙った。
蒼真が笑う。
「ユズハさんには許可をもらってるから大丈夫だ」
「……そうか」
凛が小さな皿を並べる。
「今日はみんなでゆっくり食べましょう」
蓮司が早速握り飯を手に取った。
「いただきます!」
「蓮司、まだ全員座ってない!」
「……はい」
蒼真が笑った。
「本当に変わらないな」
レイも僅かに口元を緩めた。
「……騒がしい」
蓮司が顔を向ける。
「何か言ったか?」
「……何でもない」
四人は久しぶりに、任務とは関係のない時間を過ごした。
地下での戦い。
夜叉衆。
風影刀。
そのどれについても、今は話さなかった。
ただ、食事をしながら他愛のない会話を続けていた。
黒影衆・北側詰所。
セツナは一人の若い忍と向かい合っていた。
北条ユウキ。
北側監視塔に所属する中忍だった。
「……セツナ様」
ユウキが頭を下げる。
「突然呼び出してごめんなさい」
「いえ」
セツナは椅子を勧めた。
「座って」
「失礼します」
ユウキが腰を下ろす。
セツナは机の上に監視記録を置いた。
「この日の勤務について聞きたいの」
ユウキが巻物を見る。
「……はい」
「本来の担当時間より早く持ち場を離れているわね」
「……」
「理由は?」
ユウキは少し考えた。
「本部から呼び出しがありました」
「誰から?」
「……使いの忍です」
「名前は?」
「分かりません」
セツナは表情を変えなかった。
「顔は覚えている?」
「……いえ」
「なぜ?」
ユウキは視線を落とした。
「夜でしたし、頭巾を被っていたので……」
「その使いは、何と言ったの?」
「本部で確認したいことがある、と」
「確認したいこと?」
「はい」
セツナは少し身を乗り出した。
「本部へ行ったの?」
「……行きました」
「誰に会った?」
ユウキは黙った。
セツナは静かに待った。
やがて、ユウキが口を開く。
「……誰にも」
「……」
「指定された部屋へ行ったんですが、誰もいなかったんです」
セツナの目が細くなる。
「どの部屋?」
「本部の東棟にある、小会議室です」
「そこで何をしたの?」
「しばらく待ちました」
「どれくらい?」
「……半刻ほどです」
セツナは頷いた。
「その後は?」
「誰も来なかったので、監視塔へ戻りました」
「戻った時、何か変わったことは?」
ユウキは首を振った。
「……特には」
セツナは監視記録を開いた。
「では、この空白は?」
ユウキが顔を上げる。
「……え?」
「あなたが勤務していた時間帯の記録が消えているの」
ユウキは巻物を覗き込んだ。
そして、表情を変えた。
「……そんな」
「心当たりは?」
「ありません!」
ユウキが声を上げる。
「確かに記録は書きました!」
セツナは静かに尋ねる。
「何を書いたか覚えている?」
「……」
ユウキは考え込んだ。
「北側の山道に異常なし、と……」
「他には?」
「……確か」
ユウキが眉を寄せる。
「一度、巡回の忍が通ったはずです」
セツナが顔を上げた。
「巡回の忍?」
「はい」
「何人?」
「……二人です」
「名前は?」
「暗くて分かりませんでした」
セツナは頷いた。
「装備は?」
「黒影衆の通常装束でした」
「顔は?」
「覆っていました」
セツナは少し考えた。
「その二人は、どちらへ向かったの?」
ユウキは答えた。
「……北側の旧街道です」
セツナの表情が僅かに変わった。
「……そう」
ユウキは不安そうに尋ねる。
「セツナ様……俺、何か疑われているんですか?」
セツナは首を振った。
「今は事実を確認しているだけよ」
「……」
「協力してくれてありがとう」
ユウキは頭を下げた。
「はい……」
セツナは立ち上がる。
「もう一つだけ」
「……何でしょうか」
「本部へ呼び出された時、使いの忍は何か持っていた?」
ユウキは少し考えた。
「……あ」
「何?」
「小さな札を持っていました」
セツナの目が細くなる。
「札?」
「はい。呼び出しの証明だと言って……」
「どんな札?」
「黒い札でした」
セツナは黙った。
「……黒い札」
ユウキが頷く。
「表面に、細い文字が書いてあったと思います」
セツナは静かに息を吐いた。
「……分かった」
そして、ユウキを見た。
「この話は、まだ誰にも言わないで」
「……はい」
午後。
黒影衆本部・評定の間。
鬼塚ジンは、数名の上忍たちと向かい合っていた。
机の上には、風影刀に関する報告書が置かれている。
「……以上が、私の提案です」
ジンが言った。
上忍の一人が眉を寄せる。
「風影刀の管理体制を強化する、と?」
「そうです」
ジンは頷いた。
「蒼真個人に全てを任せるのではなく、黒影衆として管理する必要があります」
別の上忍が尋ねる。
「具体的には?」
「まず、風影刀を使用する任務については、上忍の承認を必須とする」
「……」
「さらに、刀の能力を調査するため、専門の忍を配置する」
上忍たちは顔を見合わせた。
「それは、蒼真から刀を取り上げるということか?」
ジンは首を振った。
「現段階では、そこまで考えていません」
「現段階では?」
「はい」
ジンは続ける。
「しかし、危険性が高いと判断されれば、一時的な保管も検討するべきです」
その時。
扉が開いた。
「随分と話が進んでいるようだな」
影宗だった。
ジンが振り返る。
「影宗様」
影宗は机の上の書類を見る。
「……風影刀の管理案か」
「はい」
ジンは姿勢を正した。
「里の安全を考えた提案です」
影宗は書類を手に取った。
「……なるほど」
しばらく読み進める。
そして、顔を上げた。
「蒼真本人の意見は聞いたのか?」
ジンは答える。
「まだです」
「なぜだ」
「まずは上忍たちの間で方針をまとめる必要があると考えました」
影宗は書類を机へ戻した。
「……それでは順番が違う」
ジンの表情が険しくなる。
「順番、ですか」
「ああ」
影宗は静かに続ける。
「刀を持つ本人を抜きにして、管理方法だけを決めるべきではない」
「しかし、組織の判断が優先される場合もあります」
「それは分かっている」
影宗はジンを見た。
「だが、蒼真は道具ではない」
部屋が静まり返った。
ジンはしばらく黙っていた。
そして、ゆっくり答えた。
「……私も、蒼真を道具だとは考えていません」
「ならば、本人と話せ」
「……」
「その上で、必要な対策を考えればいい」
ジンは視線を落とした。
「……承知しました」
しかし、納得した様子ではなかった。
夕方。
黒影衆本部・情報室。
セツナは机の上に黒い札の絵を描いていた。
北条ユウキが見たという札。
そして、監視記録の改ざん。
「……」
セツナは別の資料を取り出す。
黒影衆で使用される命令札の一覧。
通常の呼び出し札。
緊急任務用の札。
上忍専用の命令札。
しかし。
「……ない」
セツナは小さく呟いた。
黒い札は、どの一覧にも存在しなかった。
「……黒影衆の正式な命令札ではない」
その時。
部下が部屋へ入ってきた。
「セツナ様」
「どうしたの?」
「北側旧街道の調査結果です」
セツナが顔を上げる。
「何か見つかった?」
部下は一枚の紙を差し出した。
「旧街道の途中で、忍具の破片が見つかりました」
「忍具?」
「はい」
セツナは紙を受け取る。
そこには、破片の形が描かれていた。
細い金属片。
表面には、黒い塗料のようなものが付着している。
「……これは」
セツナが目を細める。
「黒影衆の標準装備ではないわね」
「はい」
「夜叉衆のもの?」
「可能性はありますが、断定できません」
セツナは頷いた。
「現物は?」
「保管しています」
「後で確認するわ」
部下は頭を下げた。
「承知しました」
セツナは机の上の資料を見つめた。
監視記録の空白。
偽装された交代命令。
正体不明の巡回忍。
黒い札。
そして、旧街道に残された忍具の破片。
「……」
全てが繋がっているとは限らない。
しかし、何者かが監視体制を意図的に乱した可能性は高かった。
セツナは静かに立ち上がった。
「……調査範囲を広げる必要があるわね」
夜。
黒影衆の里。
蒼真は自室へ戻る途中、廊下の向こうに影宗の姿を見つけた。
「……影宗様!」
影宗が振り返る。
「蒼真か」
蒼真が駆け寄る。
「少し、お話してもいいですか?」
「構わん」
二人は中庭へ出た。
夜風が木々を揺らしている。
蒼真はしばらく黙っていた。
そして、口を開く。
「……風影刀のことなんですけど」
影宗が頷く。
「ジンの話か」
「……はい」
蒼真は腰の刀を見下ろした。
「俺、この刀を持ってていいんでしょうか」
影宗はすぐには答えなかった。
「……なぜ、そう思う?」
「俺、まだ風影刀のことを全部分かってないです」
「……」
「地下でも、宗玄に助けられてばかりでした」
蒼真は拳を握る。
「仲間も怪我をしたし……」
影宗は静かに聞いていた。
蒼真が続ける。
「もし俺がもっと強かったら、誰も傷つかなかったかもしれない」
影宗は小さく息を吐いた。
「……蒼真」
「はい」
「強くなれば、全てを守れると思うか?」
蒼真は答えられなかった。
影宗は続ける。
「どれほど強い忍でも、守れぬものはある」
「……」
「大切なのは、その時に何を選ぶかだ」
蒼真は顔を上げた。
影宗は風影刀を見る。
「お前は地下で、仲間を守ることを選んだのだろう」
「……はい」
「ならば、その選択を忘れるな」
蒼真は静かに頷いた。
「……分かりました」
影宗は少し笑った。
「それに、ジンの言葉にも一理ある」
蒼真が驚く。
「……え?」
「未知の力を持つ刀だ。里として警戒するのは当然だろう」
「……」
「だが、それとお前から刀を奪うことは別の話だ」
影宗は蒼真の肩に手を置いた。
「まずは、自分の考えを持て」
蒼真は頷いた。
「……はい」
その時。
廊下の向こうから、急ぎ足の忍が現れた。
「影宗様!」
影宗が振り返る。
「何だ」
「如月セツナ様から、至急お話があるとのことです」
影宗の表情が変わった。
「……セツナが?」
「はい」
影宗は蒼真へ向き直る。
「話はまた今度だ」
「分かりました」
影宗は忍と共に本部へ向かった。
蒼真はその背中を見送った。
「……何かあったのかな」
夜風が中庭を吹き抜ける。
蒼真は風影刀に手を添えた。
里へ戻ってから、まだ数日。
しかし、何かが少しずつ変わり始めている。
そんな気がしていた。
黒影衆本部・情報室。
影宗が部屋へ入ると、セツナが机の前に立っていた。
「……何があった」
セツナは一枚の報告書を差し出した。
「北側監視塔の記録が改ざんされていました」
影宗の表情が険しくなる。
「……改ざん?」
「はい」
セツナは続けた。
「さらに、偽の命令書によって監視担当者が持ち場を離れています」
影宗は報告書を受け取った。
「誰の仕業だ」
「まだ分かりません」
セツナは机の上の地図を指差した。
「ただし、その時間帯に正体不明の忍が旧街道へ向かったことが確認されています」
影宗は地図を見た。
「……夜叉衆か」
「可能性はあります」
セツナは静かに続けた。
「しかし、問題はそこではありません」
影宗が顔を上げる。
「何?」
セツナは真剣な表情で言った。
「監視記録の改ざんには、黒影衆内部の命令系統に関する知識が必要です」
部屋が静まり返った。
影宗は報告書を見下ろした。
「……つまり」
セツナが頷く。
「内部に協力者がいる可能性があります」
影宗は黙った。
セツナは続ける。
「まだ誰かを疑う段階ではありません」
「……」
「ですが、このまま放置するわけにはいきません」
影宗はゆっくり頷いた。
「……分かった」
そして、報告書を閉じた。
「この件は、慎重に進めろ」
「承知しています」
影宗は窓の外を見た。
黒影衆の里には、穏やかな夜が広がっている。
だが、その静けさの裏側で。
誰かが、里の情報を動かしていた。
そして、その正体はまだ分からない。
第133話 完




