第131話「帰還の里」
黒影衆の里。
山々に囲まれた忍びの里には、朝から穏やかな風が吹いていた。
修行場では若い忍たちが刀を交え、通りでは商人たちが店を開き始めている。
そんな見慣れた景色の中を、四人の忍が歩いていた。
「……やっと帰ってきたなぁ」
蓮司が大きく背伸びをする。
その直後、腹部に痛みが走った。
「いってぇ……!」
凛が振り返る。
「だから無理しないでって言ってるでしょ!」
「いや、ちょっと伸びしただけだろ!」
「そのちょっとが駄目なの!」
「分かった、分かった!」
蒼真は二人のやり取りを聞きながら笑った。
「相変わらずだな」
「蒼真も人のこと言えないからね?」
「え?」
「脇腹の傷、まだ治ってないでしょ」
「……まあ」
「帰ったらちゃんと診てもらうこと!」
「はいはい」
「返事は一回!」
「はい!」
蓮司が吹き出した。
「お前、完全に怒られてんじゃねぇか!」
「蓮司もだからね!」
「……はい」
その様子を、レイが静かに眺めていた。
左腕は包帯で固定され、肩から胸にかけて布が巻かれている。
蒼真が声をかけた。
「レイ、大丈夫か?」
「……歩く分には問題ない」
「肩は?」
「痛む」
「正直だな」
「……嘘をつく理由がない」
蓮司が笑った。
「お前、そういうとこ変わんねぇよな」
「……お前も騒がしいままだ」
「何だと!?」
四人の笑い声が、里の通りに広がった。
その時だった。
「おーい!」
前方から声が聞こえた。
振り返ると、黒影衆の若い忍が走ってくる。
蒼真たちと顔見知りの、小野寺タクミだった。
「お前ら! 本当に帰ってきたのか!」
蒼真が手を上げる。
「タクミ!」
「久しぶりだな!」
タクミは四人の前で立ち止まった。
しかし、傷だらけの姿を見て目を丸くする。
「……おいおい、何があったんだよ」
蓮司が笑う。
「ちょっと地下で暴れてきた」
「ちょっとって傷じゃねぇだろ!」
「まあ、色々あってな」
タクミは呆れたように息を吐いた。
「相変わらず無茶する連中だな……」
蒼真が尋ねる。
「里は変わりないか?」
「ん?」
タクミは一瞬、言葉を止めた。
「……まあ、表向きはな」
蒼真が眉を寄せる。
「表向き?」
「ああ……」
タクミは周囲を見た。
そして、少し声を落とす。
「最近、本部の上忍たちがやたら集まってるんだ」
「上忍たちが?」
凛が尋ねる。
タクミは頷いた。
「何でも、風影刀のことらしい」
蒼真の表情が変わった。
「……俺の刀?」
「ああ」
タクミは蒼真の腰にある風影刀を見る。
「詳しいことは知らねぇけど、鬼塚ジン様が何か言ってるって噂だ」
蓮司が首を傾げる。
「鬼塚ジン?」
レイが静かに口を開く。
「……黒影衆の上忍だ」
凛も頷いた。
「雷遁と体術を使う人よね」
「そうそう」
タクミが続ける。
「強い人なんだけど、結構厳しいんだよ」
蒼真は風影刀に手を添えた。
「……何で俺の刀の話になってるんだ?」
「さあな」
タクミは肩をすくめる。
「ただ、あんまりいい雰囲気じゃねぇみたいだぞ」
その時。
「蒼真!」
別の声が響いた。
振り返ると、里の本部から一人の女性が歩いてきた。
白い医療服の上に、黒影衆の羽織を纏っている。
白石ユズハ。
黒影衆の医療部門を任される上忍だった。
「……ユズハさん!」
凛が声を上げる。
ユズハは四人の姿を見るなり、表情を険しくした。
「……あなたたち」
蒼真が苦笑する。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
ユズハは一度だけ微笑んだ。
しかし、すぐに真顔へ戻る。
「それで?」
「……え?」
「その怪我は何?」
蓮司が視線を逸らす。
「いやぁ……」
「蓮司」
「はい」
「説明して」
「……地下で戦闘がありまして」
「見れば分かるわ」
ユズハの視線がレイへ向いた。
「レイ、その左肩」
「……負傷しました」
「それも見れば分かる」
ユズハは深く息を吐いた。
「全員、今すぐ医務室へ」
蒼真が口を開く。
「あの、先に任務報告を……」
「報告は治療の後」
「でも……」
「蒼真」
ユズハが静かに名前を呼んだ。
「あなたたちが無事に帰ってきたことは嬉しいわ」
「……」
「だからこそ、これ以上無茶をしないで」
蒼真は少し黙った。
そして頷く。
「……分かりました」
ユズハは表情を和らげた。
「よろしい」
蓮司が小声で呟く。
「……怖ぇ」
凛が肘で蓮司をつついた。
「聞こえるわよ」
「……っ!」
ユズハが振り返る。
「蓮司?」
「何でもありません!」
蒼真と凛は思わず笑った。
黒影衆・医務室。
レイは寝台に腰掛け、ユズハの診察を受けていた。
ユズハは肩の包帯を慎重に外す。
傷口を確認した瞬間、表情が険しくなった。
「……かなり深いわね」
レイは黙っていた。
「いつ負傷したの?」
「……地下での戦闘中です」
「その後も戦った?」
「……少し」
ユズハの手が止まる。
「少し?」
レイは視線を逸らした。
「……」
「レイ」
「……はい」
「しばらく任務は禁止」
レイが顔を上げる。
「……どれくらいですか」
「傷の回復次第ね。少なくとも数週間は安静にしてもらうわ」
「……」
「それに、肩の動きが戻るか確認する必要もある」
レイは左手を見つめた。
指は動く。
だが、腕を持ち上げようとすると強い痛みが走る。
「……分かりました」
ユズハは頷いた。
「無理をしなければ回復は見込めるわ。焦らないこと」
その隣では、蓮司が腹部の診察を受けていた。
「……いてっ!」
「動かないで」
「いや、そこ痛いんですって!」
「だから確認してるの」
蓮司は顔を歪めた。
ユズハは診察を終えると、包帯を巻き直した。
「骨に大きな異常はなさそうだけど、打撲がひどいわね」
「じゃあ、明日から修行できます?」
「できません」
「……ですよね」
「最低でも数日は安静」
「はい……」
蒼真はその様子を見て笑った。
「お前、さっきから怒られてばっかりだな」
蓮司が睨む。
「お前もこれからだぞ」
「え?」
ユズハが蒼真へ向き直った。
「そうね。次は蒼真」
「……はい」
凛が笑う。
「頑張って」
「何を!?」
昼過ぎ。
治療を終えた四人は、本部の中庭に集まっていた。
蓮司は腹部に新しい包帯を巻かれ、レイの左腕は固定し直されている。
凛も医療忍から休養を命じられた。
蒼真は木陰に腰を下ろした。
「……やっと終わった」
蓮司が隣に座る。
「俺、戦闘より疲れたかもしれねぇ」
「それはないだろ」
「いや、あの人に怒られるのは別の怖さがある」
凛が呆れる。
「怒られるようなことするからでしょ」
レイは静かに木にもたれた。
「……正論だな」
蓮司が顔を向ける。
「お前まで!」
蒼真は笑いながら空を見上げた。
久しぶりの里。
見慣れた景色。
仲間たちとの何気ない会話。
地下での戦いが、遠い出来事のように感じられた。
「……やっぱり、ここは落ち着くな」
凛が頷く。
「そうね」
蓮司が大きく息を吐く。
「しばらく任務は勘弁だな」
レイが静かに答える。
「……同感だ」
その時。
中庭の入り口から、一人の男が現れた。
黒影衆の羽織。
鋭い目つき。
背には長い槍を携えている。
神楽トウマ。
黒影衆の戦闘部門を指揮する上忍だった。
「お前たち、戻っていたか」
蒼真たちが立ち上がろうとする。
トウマは片手を上げた。
「そのままでいい。負傷しているんだろう」
蒼真が頭を下げる。
「ただいま戻りました」
「ああ。よく帰ってきた」
トウマは四人を見渡した。
「人質を全員救出したそうだな」
「はい」
「見事な働きだ」
蓮司が笑う。
「ありがとうございます!」
しかし、トウマは続けた。
「だが、任務の詳細を確認する必要がある」
蒼真が頷く。
「分かっています」
「特に、地下で発見したものについてだ」
蒼真の表情が変わった。
「……風の道のことですか?」
トウマは頷いた。
「それも含めてだ」
そして、蒼真の腰にある風影刀へ視線を向ける。
「頭領がお呼びだ」
「……俺を?」
「ああ」
トウマは少し間を置いた。
「影宗様も待っている」
蒼真は立ち上がった。
「分かりました」
蓮司も立ち上がろうとする。
「俺たちも――」
「いや」
トウマが首を振る。
「今回は蒼真だけだ」
「……え?」
凛が眉を寄せる。
「どうしてですか?」
トウマは答えを急がなかった。
「詳しくは頭領から聞け」
蒼真は仲間たちを見た。
蓮司が小さく頷く。
「行ってこいよ」
凛も頷いた。
「何かあったら教えてね」
レイは静かに言った。
「……気をつけろ」
蒼真は笑った。
「大丈夫だって」
そして、トウマの後を追った。
黒影衆本部。
長い廊下を歩きながら、蒼真はトウマへ尋ねた。
「あの……」
「何だ?」
「俺、何か問題を起こしましたか?」
トウマは足を止めた。
「どうしてそう思う?」
「いや、帰ってきたばかりなのに、いきなり呼び出されたので……」
トウマは少し笑った。
「少なくとも、今回の任務についてお前を責めるつもりはない」
「……よかった」
「だが」
トウマの表情が真剣になる。
「お前の持つ風影刀について、里の中で意見が分かれているのは事実だ」
蒼真は腰の刀へ目を向けた。
「……どうしてですか?」
「風影刀は、普通の忍刀ではない」
「それは……分かっています」
「お前が思っている以上にな」
蒼真は黙った。
トウマは再び歩き始めた。
「俺から言えるのは、ここまでだ」
「……はい」
二人は本部の奥へ進んでいった。
黒影衆・評定の間。
広い部屋の中央には、長い机が置かれていた。
奥の席には、頭領・黒崎玄十郎。
その隣には影宗が座っている。
さらに数名の上忍たちが集まっていた。
蒼真が部屋へ入ると、全員の視線が向けられた。
「……失礼します」
玄十郎が頷く。
「蒼真。よく戻った」
「はい」
「まずは任務の成功を称えよう」
蒼真は頭を下げた。
「ありがとうございます」
玄十郎は続けた。
「人質の救出。そして、夜叉衆の地下施設の破壊。どちらも大きな成果だ」
「……はい」
「しかし、報告には気になる点がある」
蒼真が顔を上げる。
「気になる点?」
玄十郎は机の上の書状を手に取った。
「地下深部で、風影刀によって古い道が開かれたそうだな」
「……はい」
「その先で、風継ぎに関する記録を発見した」
「はい」
「そして、神谷宗玄という男と出会った」
蒼真は頷いた。
「宗玄は、風守刀を持っていました」
部屋の空気が僅かに変わった。
上忍の一人が顔を上げる。
「……風守刀?」
別の上忍も呟く。
「まさか、実在していたとは……」
蒼真は周囲を見た。
「……?」
その時。
低い声が響いた。
「つまり、その刀は古代の封印に関わっている可能性があるわけだな」
蒼真が振り返る。
机の右側。
腕を組んだ男が座っていた。
短く刈り込まれた髪。
鍛え上げられた身体。
鋭い眼差し。
鬼塚ジン。
黒影衆の上忍。
雷遁と体術を得意とする実力者だった。
玄十郎が口を開く。
「ジン、まだ話の途中だ」
「承知しています」
ジンはそう答えながらも、蒼真から視線を外さなかった。
「だが、確認しておきたい」
蒼真が背筋を伸ばす。
「……何でしょうか」
ジンは静かに尋ねた。
「お前は、その風影刀を完全に扱えているのか?」
蒼真は一瞬、言葉に詰まった。
「……いえ」
「では、刀の力を全て理解しているのか?」
「それも……まだです」
ジンが頷く。
「そうだろうな」
そして、机に肘をついた。
「ならば、黒影衆として考えなければならん」
蒼真が眉を寄せる。
「……何をですか?」
ジンは言った。
「風影刀を、このままお前一人に預けておいてよいのかをな」
部屋が静まり返った。
蒼真の手が、無意識に刀の柄へ伸びる。
「……どういう意味ですか?」
ジンは表情を変えない。
「その刀は、里全体に影響を及ぼす可能性がある」
「……」
「お前の判断一つで、何が起きるか分からん」
蒼真はジンを見つめた。
「でも、この刀は……」
「お前だけのものだと言いたいのか?」
「……!」
ジンの声が低くなる。
「忍の力は、組織のためにある」
蒼真は何も言えなかった。
その時。
「ジン」
影宗が口を開いた。
「言い過ぎだ」
ジンが顔を向ける。
「影宗様」
「蒼真は任務から戻ったばかりだ。しかも負傷している」
「だからこそ、早急に判断する必要があります」
「判断を急ぐことと、正しい判断をすることは違う」
ジンの表情が僅かに険しくなった。
「……では、影宗様はどうお考えですか」
影宗は蒼真を見た。
「風影刀は、蒼真が使いながら学ぶべきものだ」
ジンが即座に答える。
「危険です」
「危険だからこそ、学ばねばならん」
「その過程で里に被害が出たら?」
影宗は黙った。
ジンは続ける。
「私は蒼真を責めているのではありません」
そして、蒼真へ視線を戻した。
「未熟な者に、未知の力を持たせ続けることが正しいのか。それを問うているのです」
蒼真は拳を握りしめた。
反論したかった。
だが、ジンの言葉を全て否定することもできなかった。
地下では、風影刀の力を完全に理解できず、何度も危険な目に遭った。
仲間たちも傷ついた。
「……」
玄十郎が静かに口を開く。
「そこまでだ」
ジンと影宗が顔を向ける。
「この件について、今日結論を出すつもりはない」
玄十郎は蒼真を見た。
「蒼真」
「……はい」
「お前はしばらく休養しろ」
「……え?」
「任務報告は後日、改めて聞く」
玄十郎は続けた。
「風影刀についても、すぐに取り上げるつもりはない」
蒼真の表情が僅かに和らぐ。
「……ありがとうございます」
しかし。
玄十郎は真剣な表情で言った。
「ただし、今後は刀の扱いについて、里として一定の方針を決める必要がある」
蒼真は頷いた。
「……分かりました」
「今日は下がってよい」
「失礼します」
蒼真は頭を下げ、評定の間を後にした。
蒼真が去った後。
評定の間には、重い沈黙が残っていた。
ジンが口を開く。
「……頭領」
玄十郎が顔を向ける。
「何だ」
「私は、風影刀の管理を提案します」
影宗が眉を寄せる。
「ジン」
「蒼真個人を信用していないわけではありません」
ジンは続けた。
「しかし、夜叉衆が狙うほどの刀です」
「……」
「敵が再び襲ってきた時、蒼真一人に守らせるつもりですか?」
玄十郎は答えなかった。
ジンは立ち上がった。
「私は、黒影衆を守るために言っています」
その言葉に、影宗が静かに答える。
「……それは分かっている」
ジンが振り返る。
「ならば――」
「だが、守るという言葉を理由に、何でも許されるわけではない」
ジンの表情が変わった。
影宗は続けた。
「蒼真も、黒影衆の忍だ」
「……」
「守るべき仲間の一人だということを忘れるな」
ジンはしばらく黙っていた。
そして、深く頭を下げる。
「……承知しました」
しかし、その目から迷いは消えていなかった。
夕方。
黒影衆の里。
蒼真は一人、修行場の近くを歩いていた。
評定の間で聞いた言葉が、頭から離れない。
『風影刀を、このままお前一人に預けておいてよいのか』
蒼真は腰の刀を見下ろした。
「……俺は」
刀の柄に触れる。
「ちゃんと使えてるのかな」
その時。
「何難しい顔してんだよ」
背後から声がした。
蓮司だった。
蒼真が振り返る。
「……蓮司」
「話、終わったのか?」
「ああ」
蓮司は隣へ並んだ。
「何か言われた?」
蒼真は少し迷った。
そして、評定の間での出来事を話した。
蓮司は黙って聞いていた。
やがて。
「……なるほどな」
「どう思う?」
蒼真が尋ねる。
蓮司は腕を組んだ。
「難しいことは分かんねぇけどさ」
「うん」
「俺は、お前がその刀を持ってていいと思うぜ」
蒼真が顔を上げる。
「……何で?」
蓮司は笑った。
「だって、お前が使ってたから俺たちは助かったんだろ?」
「……」
「地下でも、俺たちを守ってくれたじゃねぇか」
蒼真は黙った。
蓮司が続ける。
「刀が強いのかもしれねぇけど」
そして、蒼真の肩を軽く叩いた。
「俺は、使ってるお前の方を信用してる」
蒼真は目を見開いた。
「……蓮司」
「ま、だからって調子に乗んなよ!」
蓮司が笑う。
「次の修行じゃ俺が勝つからな!」
蒼真も笑った。
「……負けないからな」
「言ったな!」
二人は並んで歩き始めた。
夕暮れの修行場には、まだ若い忍たちの声が響いている。
蒼真は風影刀を見下ろした。
答えは、まだ分からない。
自分が風影刀を持つ意味も。
風継ぎとは何なのかも。
それでも。
「……俺は」
蒼真は小さく呟いた。
「この刀で、みんなを守りたい」
蓮司が顔を向ける。
「何か言ったか?」
蒼真は笑った。
「いや、何でもない」
二人は里の通りへ戻っていった。
その背中を、遠くから一人の忍が見つめていた。
黒影衆の上忍。
鬼塚ジン。
「……守りたい、か」
ジンは静かに呟いた。
「その覚悟だけで、守れるものならいいがな」
そして、背を向けた。
黒影衆の里には、まだ穏やかな夕暮れが広がっていた。
しかし、その内側では、少しずつ異なる考えがぶつかり始めていた。
第131話 完




