第130話「風の道、その先へ」
地下深部から地上へ続く通路。
蒼真たちは、薄暗い石段をゆっくりと上っていた。
「……あと、どれくらいだ?」
蓮司が息を切らしながら尋ねる。
その背中にはレイがいた。
「さあな。宗玄が言ってた通りなら、もう少しだと思う」
蒼真は風影刀を腰に戻した。
「それより蓮司、大丈夫か?」
「何が?」
「腹、痛むんだろ」
「……まあな」
蓮司は苦笑する。
「でも、こいつを置いてくわけにもいかねぇだろ」
背中のレイが静かに答えた。
「……自分で歩ける」
「さっき歩こうとして倒れかけただろ」
「……一度だけだ」
「一度で十分だろ!」
凛が二人を見て、小さく笑った。
「喧嘩できるなら、まだ元気そうね」
「元気じゃねぇよ!」
「……同感だ」
珍しく意見が一致した二人に、蒼真も笑った。
だが、笑った瞬間、脇腹の傷が痛んだ。
「……っ!」
凛が振り返る。
「蒼真?」
「いや、何でもない」
「何でもなくないでしょ」
「……ちょっと痛んだだけだ」
凛は呆れたように息を吐いた。
「本当に、みんな無茶ばっかり」
蓮司が笑う。
「お前も人のこと言えねぇだろ」
「私は必要な時に術を使っただけ!」
「それを無茶って言うんだよ!」
そんなやり取りを続けながら、四人は石段を上っていった。
やがて。
通路の先に、僅かな光が見えた。
蒼真が足を止める。
「……見えた」
蓮司が顔を上げる。
「おっ!」
凛も前を見る。
「出口……?」
蒼真は頷いた。
「ああ。地上だ」
四人は最後の石段を上った。
山の斜面。
崩れた岩壁の隙間から、夕暮れの光が差し込んでいた。
蒼真が外へ出る。
冷たい風が頬を撫でた。
「……」
思わず空を見上げる。
茜色に染まった雲。
遠くの山々。
そして、木々の間を流れる穏やかな風。
地下では感じられなかった、広い空の下の風だった。
「……帰ってきた」
蒼真が呟く。
蓮司も外へ出た。
「やっとかよ……!」
近くの岩に腰を下ろす。
「もう地下はしばらく勘弁してくれ」
レイが背中から降ろされる。
「……同感だ」
凛は周囲を見渡した。
「ここ、宿場町の裏山ね」
蒼真も見覚えのある山道に気づいた。
「なら、町まではそんなに遠くないな」
蓮司が立ち上がろうとする。
しかし、腹部の痛みで顔を歪めた。
「……っ!」
「蓮司!」
凛が駆け寄る。
「もう! 無理しないで!」
「分かってるって!」
蒼真が肩を貸した。
「今度は俺が支える」
蓮司が笑う。
「悪いな」
「さっきまでレイを背負ってたんだ。少しくらい休め」
「……そうする」
蒼真は仲間たちを見た。
誰もが傷だらけだった。
それでも、全員が生きて地上へ戻ってきた。
その事実に、ようやく胸の奥が軽くなった。
宿場町。
町の入り口には、数人の見張りが立っていた。
蒼真たちの姿を見つけると、一人が駆け寄ってきた。
「お前たち!」
蒼真が顔を上げる。
「……あ!」
以前、宿場町で協力してくれた男だった。
「無事だったのか!」
男は四人の姿を見て、表情を変えた。
「ひどい傷じゃないか!」
「ちょっと、色々あって……」
蒼真が苦笑する。
男はすぐに町の方へ振り返った。
「誰か! 手当ての準備を!」
凛が尋ねる。
「それより、地下から助け出した人たちは?」
男は頷いた。
「ああ、全員無事だ」
四人の表情が変わった。
「……本当か?」
蓮司が尋ねる。
「もちろんだ。怪我人はいるが、命に別状はない。町の者たちで世話をしている」
凛は胸に手を当てた。
「……よかった」
レイも静かに目を閉じた。
「……任務は、果たせたな」
蒼真は小さく頷いた。
「ああ」
その時。
町の奥から、一人の少年が走ってきた。
「お兄ちゃんたち!」
蒼真が振り返る。
地下施設から救出した人質の一人だった。
少年は蒼真の前で立ち止まった。
「……帰ってきたんだ!」
「ああ」
蒼真が笑う。
「元気そうだな」
少年は何度も頷いた。
「うん! お母さんも元気になった!」
「そっか」
「みんな、お兄ちゃんたちのこと心配してたんだよ!」
蒼真は少し驚いた。
「俺たちを?」
「うん!」
少年は笑った。
「だって、助けてくれたのに帰ってこなかったから!」
蒼真は言葉に詰まった。
少年が続ける。
「ありがとう!」
「……」
「助けてくれて、本当にありがとう!」
蒼真はゆっくり膝をついた。
少年と目線を合わせる。
「……どういたしまして」
そして、優しく頭を撫でた。
「もう、怖い思いしなくていいからな」
少年は大きく頷いた。
「うん!」
少し離れた場所で、蓮司がその様子を見ていた。
「……なあ、レイ」
「……何だ」
「俺たち、結構いいことしたよな」
レイは少年と蒼真を見つめた。
「……ああ」
凛も笑う。
「そうね」
蓮司が大きく息を吐いた。
「……なら、頑張った甲斐があったな」
その夜。
宿場町の一室。
蒼真たちは手当てを受けていた。
レイの左肩には厚い包帯が巻かれ、腕を固定されている。
凛は術の使いすぎによる疲労で、横になっていた。
蓮司も腹部に包帯を巻かれ、寝台へ腰掛けている。
蒼真は窓際に座っていた。
「……」
腰に置いた風影刀を見る。
地下で見た石柱。
消された名前。
風守の誓い。
そして、宗玄。
「……蒼真」
凛が声をかけた。
「何考えてるの?」
「……宗玄のこと」
凛は静かに頷いた。
「心配?」
「ああ」
蒼真は風影刀へ視線を落とす。
「右腕、かなりひどかった」
「……そうね」
「俺たちを助けるために、あそこまで戦ってくれた」
蓮司が口を開く。
「でも、あの爺さんなら大丈夫だろ」
蒼真が振り返る。
「何でそう思う?」
「だって、あれだけ強いんだぜ?」
蓮司は笑った。
「簡単にくたばるような人じゃねぇよ」
レイも静かに言った。
「……それに、戻ってくるなとは言われていない」
蒼真が目を見開く。
「……そうだな」
凛が微笑む。
「また会いに行けばいいのよ」
蒼真は窓の外を見た。
夜風が木々を揺らしている。
「……ああ」
そして、小さく笑った。
「絶対、また会いに行こう」
同じ頃。
山中の別の場所。
玄岳と獅堂は、夜叉衆の隠れ家へ戻っていた。
獅堂は寝台に横たわり、傷の手当てを受けている。
「……くそっ」
獅堂が天井を睨む。
「何が風影刀の使い手だ……」
玄岳は机の前に座っていた。
手には、地下で入手した黒い札。
「……まだ根に持っているのか」
「当たり前だろ!」
獅堂が身体を起こそうとする。
しかし、胸元の傷が痛み、再び横になった。
「……っ!」
玄岳は振り返らない。
「しばらく休んでいろ」
「てめぇはどうする」
「報告だ」
玄岳が札を広げる。
そこには、古い文字の一部が写し取られていた。
『風を守る者は――』
その先は欠けている。
さらに下には、風影刀と風守刀を示す紋様の一部。
そして、読み取れない古い文字。
玄岳は目を細めた。
「……やはり、二本の刀には関係がある」
獅堂が顔を向ける。
「何が分かった?」
「まだ断定はできん」
「だったら何で、あんなに必死だったんだよ」
玄岳は札を見つめた。
「確かめたいことがある」
「……何だよ」
「風継ぎは、風影刀を持つ者だけで決まるのか」
獅堂が眉を寄せる。
「……は?」
玄岳は札を折り畳んだ。
「それとも、別の条件があるのか」
獅堂はしばらく黙っていた。
やがて、鼻で笑う。
「難しいことは分かんねぇ」
「だろうな」
「だが、一つだけ分かる」
玄岳が振り返る。
「何だ」
獅堂は左手を握りしめた。
「……あの蒼真って小僧」
その目に、悔しさが宿る。
「次に会う時は、今より強くなってるぞ」
玄岳は何も言わなかった。
やがて、小さく笑う。
「……だろうな」
翌朝。
蒼真たちは宿場町を出発した。
町の人々に見送られながら、黒影衆の里へ向かう。
蓮司はまだ腹部を庇っていたが、自分の足で歩いていた。
レイの左腕は固定されたままだ。
凛も完全には回復していない。
それでも四人の足取りは、昨日より軽かった。
「なあ、蒼真」
蓮司が声をかける。
「何だ?」
「里に帰ったら、まず何する?」
蒼真は少し考えた。
「……寝る」
蓮司が笑った。
「俺も!」
凛が呆れる。
「まず報告でしょ!」
「分かってるよ!」
レイが静かに口を開く。
「……俺は医務室だな」
三人が振り返る。
レイは左腕を見下ろした。
「……このままでは任務に出られない」
凛が頷く。
「ちゃんと治そうね」
「……ああ」
蒼真は前を向いた。
遠くに黒影衆の里を囲む山々が見え始めている。
「……帰ろう」
三人が頷いた。
「おう!」
「うん!」
「……ああ」
四人は山道を進んでいった。
黒影衆の里。
本部の奥にある会議室。
一人の男が、机の上に置かれた報告書を読んでいた。
黒影衆の頭領。
黒崎玄十郎。
その前には、影宗が立っていた。
「……蒼真たちが戻るそうだな」
玄十郎が言う。
影宗は頷いた。
「ああ。宿場町から連絡があった」
「人質は?」
「全員救出した」
玄十郎は報告書を閉じた。
「……それはよかった」
しかし、その表情は険しいままだった。
影宗が尋ねる。
「何か気になることでも?」
玄十郎は机の上に置かれた別の書状を見た。
「夜叉衆の動きが活発になっている」
「……」
「それだけではない」
玄十郎は書状を影宗へ差し出した。
「里の内部でも、風影刀について意見が割れ始めている」
影宗が書状を受け取る。
そこには、ある上忍の名が記されていた。
鬼塚ジン。
影宗の表情が変わった。
「……ジンか」
玄十郎は静かに頷いた。
「蒼真が戻れば、いずれ本人にも話が及ぶだろう」
影宗は書状を閉じた。
「……あの小僧は、まだ何も知らん」
「だからこそ、問題なのだ」
玄十郎は窓の外を見た。
「風影刀を持つ者を、黒影衆がどう扱うべきか」
影宗は答えなかった。
「守るべきか」
玄十郎が続ける。
「それとも、管理すべきか」
会議室に沈黙が落ちた。
その頃。
里へ続く山道では、蒼真たちが歩いていた。
「見えてきたぞ!」
蓮司が叫ぶ。
蒼真が顔を上げる。
木々の向こうに、見慣れた門があった。
黒影衆の里。
長い任務を終え、ようやく帰る場所。
蒼真は笑った。
「……ただいま」
その声は、まだ誰にも届かない。
しかし、里を吹き抜ける風は、静かに四人を迎えていた。
蒼真たちは知らない。
自分たちが地下で見つけたものが、黒影衆の内部に新たな対立を生み始めていることを。
そして、風影刀を巡る戦いが、これから別の形で始まることを。
第130話 完




