第129話「地下深部決着」
玄岳の苦無が宗玄の胸元へ迫る。
右腕の痺れによって、風守刀を握る力が弱まっていた。
宗玄は左手で柄を掴み直す。
だが、間に合わない。
「終わりだ、宗玄!」
玄岳が踏み込んだ。
その瞬間。
宗玄は後ろへ逃げなかった。
むしろ、自ら玄岳の懐へ踏み込んだ。
「何っ!?」
苦無の刃が宗玄の左肩を斬り裂く。
鮮血が衣服を染めた。
しかし宗玄は止まらない。
「風守・流転!」
玄岳の踏み込みによって生まれた風。
その僅かな流れに身体を合わせ、宗玄は玄岳の右側へ回り込んだ。
「……!」
風守刀の柄頭が玄岳の胸へ突き込まれる。
「ぐはっ!」
玄岳の身体が後退した。
宗玄はさらに一歩踏み込む。
左手で握った風守刀を横へ振るった。
玄岳は苦無で受け止める。
だが、先ほどまでとは違う。
宗玄の右腕はほとんど動いていない。
「左手だけで戦うつもりか!」
玄岳が叫ぶ。
「必要ならな」
「その傷で、いつまで持つ!」
玄岳が黒雷を放った。
「黒雷遁・黒雷走!」
雷撃が床の溝を走る。
宗玄は風守刀を引き、石柱の陰へ身体を滑らせた。
黒雷が石床を焦がしながら通過する。
「逃げるか!」
玄岳が追う。
しかし、石柱の陰へ踏み込んだ瞬間。
玄岳は違和感を覚えた。
風がない。
先ほどまで宗玄の周囲を流れていた風が、完全に静まっていた。
「……?」
次の瞬間。
背後から声がした。
「風は、常に吹いているとは限らん」
玄岳が振り返る。
宗玄が立っていた。
「静まる時もある」
宗玄は風守刀を構える。
「だが、消えたわけではない」
玄岳が苦無を振り上げた。
「小細工を!」
「風守・流転!」
宗玄が踏み込む。
玄岳の斬撃を僅かな動きで避け、風守刀を下から斬り上げた。
玄岳の苦無が弾かれる。
「しまっ……!」
宗玄は身体を回転させた。
風守刀の峰が玄岳の脇腹へ打ち込まれる。
「ぐああっ!」
玄岳が床へ倒れ込んだ。
宗玄は追撃せず、距離を取った。
「……はぁ……はぁ……」
左肩から血が流れている。
右腕は痺れたままだ。
それでも風守刀を構え続けた。
玄岳は片膝をつき、ゆっくり顔を上げる。
「……やるじゃないか」
「お前もな」
「だが……」
玄岳が口元の血を拭う。
「俺はまだ、目的を果たしていない」
宗玄の視線が石板へ向く。
『風守の誓い』
古い布。
そして、消された風継ぎの記録。
「……渡さん」
玄岳は小さく笑った。
「もう遅い」
「何?」
玄岳が左手を開いた。
そこには、黒い札が握られていた。
先ほど石板へ投げつけた苦無に巻かれていたものと同じ札だった。
「お前が苦無を弾いた時、札だけは壁に残った」
宗玄が振り返る。
石板の近く。
壁に貼りついた黒い札。
その表面には、細い文字が浮かび上がっていた。
「……!」
「記録を持ち出す必要はない」
玄岳が言う。
「必要な部分を写せれば十分だ」
札に刻まれた術式が淡く光る。
石板に残された文字の輪郭が、札へ転写されていた。
ただし、全てではない。
宗玄が苦無を弾いた衝撃で札の端が裂け、記録の一部しか写し取れていなかった。
玄岳はそれでも笑った。
「……これだけあればいい」
宗玄が踏み込もうとする。
だが右腕に激痛が走った。
「くっ……!」
玄岳が印を結ぶ。
「黒雷遁・黒雷壁!」
宗玄の前に黒雷の壁が立ち上がる。
「玄岳!」
「勝負は預ける」
玄岳は札へ手を伸ばした。
一方。
石柱の反対側。
蒼真と獅堂が向かい合っていた。
黒煙は薄くなり始めている。
獅堂の右腕は血に染まり、左手の鉤爪だけが鋭く構えられていた。
「……来いよ」
獅堂が言う。
蒼真は風影刀を握り直した。
「お前こそ」
蓮司が隣へ並ぶ。
「蒼真、一人でやるつもりじゃねぇだろうな」
「そんなこと言ってないだろ」
「ならいい」
蓮司が笑う。
「最後まで付き合うぜ」
獅堂が二人を睨む。
「二人がかりか」
「今更だろ」
蓮司が答える。
「こっちは最初から四人だ」
獅堂が笑った。
「……そうだったな」
その瞬間。
獅堂が踏み込んだ。
左の鉤爪が蓮司へ迫る。
蓮司は刀を斜めに構え、攻撃を受け流す。
「蒼真!」
「ああ!」
蒼真が右側へ回り込む。
だが獅堂は振り返らない。
「読んでんだよ!」
右腕を無理やり持ち上げ、鉤爪を振るった。
蒼真は風影刀で受け止める。
「……っ!」
獅堂の腕から血が滴る。
「その腕で……!」
「うるせぇ!」
獅堂が力を込める。
「まだ動くんだよ!」
蒼真は刃を押し返した。
しかし、獅堂は退かない。
むしろ身体を低く沈めた。
「煙遁・黒煙爆!」
黒煙が足元から一気に噴き上がる。
蒼真と蓮司の視界が塞がれた。
「くそっ!」
蓮司が叫ぶ。
「また煙か!」
「蒼真、右だ!」
離れた場所から凛の声が響いた。
蒼真は風の流れを感じ取る。
右側。
獅堂の気配。
「……!」
風影刀を構えた。
だが、獅堂は攻撃してこない。
「……?」
蒼真は気づいた。
獅堂の足音が遠ざかっている。
向かっている先は――
凛とレイ。
「しまった!」
蒼真が駆け出す。
「凛!」
黒煙の中から獅堂が飛び出した。
「お前らを倒す必要はねぇ!」
獅堂が叫ぶ。
「守ってる奴らを狙えばいい!」
凛がレイの前へ立つ。
「……っ!」
水遁を使おうとする。
だが、印を結ぶ指が震えた。
既に限界だった。
獅堂の鉤爪が振り下ろされる。
「どけぇ!」
その瞬間。
凛の前に風が流れた。
「……!」
蒼真だった。
風影刀で鉤爪を受け止める。
「蒼真!」
「下がってろ!」
獅堂が笑う。
「また守るのか!」
「当たり前だ!」
「だったら、そのまま潰れてろ!」
獅堂が鉤爪を押し込む。
蒼真の足が滑る。
背後には凛とレイ。
これ以上、下がれない。
「……っ!」
蒼真は歯を食いしばった。
強い風を放てば、獅堂を吹き飛ばせるかもしれない。
だが、その衝撃は背後の二人にも及ぶ。
ならば。
「……風は」
蒼真が呟く。
獅堂が眉を寄せる。
「あ?」
「風は、敵を倒すためだけにあるんじゃない」
風影刀の周囲を、細い風が流れ始めた。
「何を……!」
蒼真は風を外側へ広げなかった。
刃に沿わせる。
獅堂の鉤爪を受け止めている場所。
そこへ風を集中させた。
「風遁・風纏!」
風影刀の周囲を流れる風が、鉤爪の向きを僅かに変える。
「……!」
獅堂の力が横へ逃げた。
蒼真は身体を捻る。
鉤爪が床へ向かう。
「しまっ……!」
「蓮司!」
「待ってたぜ!」
黒煙の中から蓮司が現れた。
刀を振り下ろす。
獅堂は左の鉤爪で受け止める。
だが蓮司は力で押し込まない。
刃を滑らせ、鉤爪を外側へ誘導した。
「何っ!?」
獅堂の両腕が開く。
蒼真が踏み込んだ。
「はああっ!」
風影刀が獅堂の胸元へ迫る。
獅堂は咄嗟に後退する。
だが間に合わない。
刃が胸元を斜めに斬り裂いた。
「ぐあああっ!」
獅堂が大きく後退した。
血が石床へ落ちる。
「……っ!」
獅堂は片膝をついた。
蒼真も膝に手をつく。
「はぁ……はぁ……」
蓮司が隣へ立った。
「……やったか?」
蒼真は首を振る。
「まだだ」
獅堂はゆっくり顔を上げた。
「……てめぇら」
左の鉤爪を握り直す。
しかし。
立ち上がろうとした瞬間、膝が崩れた。
「くそっ……!」
右腕。
脇腹。
胸元。
これまでの戦いで負った傷が、獅堂の身体を蝕んでいた。
蓮司が刀を構える。
「もうやめとけ」
獅堂が睨む。
「……何だと?」
「その身体じゃ、もうまともに戦えねぇだろ」
「黙れ……!」
獅堂は立ち上がろうとする。
だが、身体が言うことを聞かない。
蒼真は風影刀を構えたまま、静かに言った。
「もう終わりだ」
獅堂の目が見開かれる。
「……ふざけんな」
「これ以上、戦う必要はない」
「俺に情けをかけるつもりか!」
獅堂が怒鳴る。
蒼真は首を振った。
「違う」
「……!」
「俺たちは、ここから生きて帰る」
蒼真が続ける。
「そのために戦ってる」
獅堂は何も言わなかった。
やがて、悔しそうに歯を食いしばる。
「……覚えてろよ」
その時。
石柱の向こうから黒雷の光が漏れた。
「……!」
蒼真が振り返る。
「宗玄!」
宗玄は黒雷の壁を前に立っていた。
玄岳は石板の近くへ移動している。
その手には、記録を写し取った黒い札。
「……目的は果たした」
玄岳が言う。
宗玄は風守刀を構えた。
「その札を置いていけ」
「断る」
玄岳が笑う。
「お前たちが見つけた記録だ。ありがたく使わせてもらう」
宗玄が踏み込む。
しかし、右腕が痺れ、動きが鈍った。
玄岳はその隙を逃さない。
「黒雷遁・雷鳴煙!」
黒い煙が広がり、雷撃が周囲を走る。
宗玄は風守刀で身を守った。
だが、その間に玄岳は石柱の反対側へ移動していた。
「獅堂!」
玄岳の声が響く。
「撤退するぞ!」
獅堂が顔を上げた。
「……玄岳?」
「目的は果たした。これ以上戦う必要はない」
獅堂が歯を食いしばる。
「俺はまだ……!」
「その身体で何ができる」
玄岳が冷たく言い放つ。
「ここで死にたいなら勝手にしろ」
獅堂は黙った。
蒼真が風影刀を構える。
「逃がすか!」
玄岳が黒雷を纏う。
「追ってくるか?」
その視線が、凛とレイへ向いた。
「お前の仲間は、もう限界だろう」
蒼真の動きが止まる。
玄岳が続ける。
「俺たちを追えば、あの二人を置いていくことになる」
「……っ!」
蓮司が刀を構える。
「蒼真、俺が追う!」
「待て!」
宗玄の声が響いた。
「追うな!」
蓮司が振り返る。
「でも!」
「今のお前たちでは危険だ!」
宗玄は風守刀を支えに立っていた。
「それに……」
宗玄の視線がレイへ向く。
「先に助けるべき者がいる」
蒼真は唇を噛んだ。
玄岳は獅堂へ肩を貸した。
「立てるか」
「……誰に言ってやがる」
獅堂は苦しそうに立ち上がる。
玄岳が支えなければ、歩くことも難しい状態だった。
二人は別路へ続く通路へ向かう。
蒼真が叫んだ。
「玄岳!」
玄岳が足を止める。
「何だ」
「お前は、何を知ってる!」
玄岳は振り返らない。
「……風継ぎの歴史を知りたいなら」
一瞬、言葉を切る。
「夜叉衆だけを見ていても、答えには辿り着けんぞ」
「どういう意味だ!」
玄岳は答えなかった。
獅堂を支えながら、暗い通路へ姿を消した。
蒼真は追わなかった。
追えなかった。
背後では凛がレイの傷を押さえ続けている。
蓮司も腹部を庇っていた。
そして宗玄は、立っているだけで精一杯だった。
「……くそっ」
蒼真が呟く。
風影刀を握る手に力が入る。
「また……逃がした」
宗玄が近づいてきた。
「蒼真」
「……」
「お前たちは負けていない」
蒼真が顔を上げる。
「でも、記録を奪われた」
「全てではない」
宗玄が石板を見る。
『風守の誓い』
その文字は、まだ残っている。
「奴が持ち帰ったのは一部だけだ」
「……」
「そして、お前たちは仲間を守った」
宗玄は風守刀を見下ろした。
「それを忘れるな」
蒼真は黙っていた。
やがて、ゆっくり頷く。
「……ああ」
その時。
宗玄の身体が傾いた。
「……っ!」
蒼真が咄嗟に支える。
「宗玄!」
宗玄の右腕は、指先まで黒く変色していた。
火傷だけではない。
黒雷の影響で、腕の感覚が失われ始めていた。
「……少し、無理をした」
宗玄が苦笑する。
「少しって……!」
凛が駆け寄ろうとする。
しかし、レイの傷を押さえる手を離せない。
「蒼真! 宗玄さんを座らせて!」
「ああ!」
蒼真が宗玄を壁際へ運ぶ。
蓮司も手を貸した。
「しっかりしろよ!」
「……騒がしい小僧だ」
「こんな時に何言ってんだ!」
宗玄は小さく笑った。
だが、その表情はすぐに険しくなる。
右腕が動かない。
風守刀を握ろうとしても、指が反応しなかった。
「……」
蒼真はその様子を見ていた。
「宗玄……」
「心配するな」
宗玄は左手で風守刀を持ち上げた。
「まだ、死にはせん」
蒼真は何も言えなかった。
宗玄は石柱へ視線を向ける。
消された風継ぎの名前。
隠されていた石板。
そして、風守の誓い。
「……まだ終わっておらん」
宗玄が静かに言った。
蒼真が顔を上げる。
「何が?」
「この場所に残された記録だ」
「……」
「玄岳が持ち帰った情報も、いずれ何かを動かすだろう」
宗玄は風守刀を見つめた。
「だが、それより先に……」
蒼真を見る。
「お前たちは、生きて地上へ戻れ」
蒼真は頷いた。
「……分かった」
蓮司がレイへ近づく。
「歩けるか?」
レイは壁に手をついて立ち上がろうとした。
だが、左肩の痛みで顔を歪める。
「……少し、厳しい」
蓮司が背中を向けた。
「乗れ」
「……何?」
「背負ってやるって言ってんだよ」
レイが眉を寄せる。
「お前も負傷している」
「歩けねぇ奴よりマシだ」
「……」
「いいから乗れ!」
レイは小さく息を吐いた。
「……借りにしておく」
蓮司が笑う。
「高くつくぞ」
凛もようやく少しだけ笑った。
蒼真は宗玄へ手を差し出す。
「行こう」
宗玄はその手を見た。
「……俺は、ここに残る」
蒼真の表情が変わる。
「何言ってんだよ!」
「この場所には、まだ守るべきものがある」
「でも、その腕じゃ……!」
宗玄は静かに首を振った。
「心配するな。戦うつもりはない」
「……」
「それに、ここには俺しか知らぬ通路がある。休む場所もな」
蒼真は納得できなかった。
しかし、宗玄の目は真剣だった。
「……本当に大丈夫なんだな」
「ああ」
宗玄は左手で風守刀を握る。
「まだ、お前に教えねばならんこともある」
蒼真が顔を上げた。
「……何を?」
宗玄は答えなかった。
ただ、僅かに笑った。
「それは、次に会った時だ」
蒼真はしばらく黙っていた。
そして、ゆっくり頷いた。
「……絶対、また来るからな」
「ああ」
宗玄は石柱の前に立つ。
「待っている」
蒼真たちは地上へ続く通路へ向かった。
その背中を、宗玄は静かに見送った。
やがて四人の姿が見えなくなる。
石室に静寂が戻った。
宗玄は風守刀を見下ろす。
右腕は動かない。
左肩からも血が流れている。
それでも、刀を手放さなかった。
「……風を守る者は、風を継ぐ者を見定めよ」
宗玄は古い誓いを口にした。
そして、蒼真が去った通路へ視線を向ける。
「……まだ、お前は風継ぎではない」
静かな声が石室に響く。
「だが……」
宗玄は目を閉じた。
「その資格を、少しだけ見せたな」
風守刀の周囲を、穏やかな風が流れた。
地下深部での戦いは、こうして終わった。
しかし――
玄岳が持ち帰った記録。
消された風継ぎの名。
そして、風守の誓い。
それらが忍界にもたらす変化を、蒼真たちはまだ知らなかった。
第129話 完




