第128話「守るための風」
地下深部。
黒煙に包まれた石室で、蒼真と獅堂が向かい合っていた。
獅堂の右腕からは血が流れ、握りしめた鉤爪にも赤い筋が伝っている。
しかし、その目から戦意は失われていなかった。
「……やってくれるじゃねぇか」
獅堂が左腕を持ち上げる。
「まさか、この俺がここまで追い込まれるとはな」
蒼真も風影刀を構えたまま、荒い呼吸を繰り返していた。
「こっちだって……余裕なんかない」
「だろうな。足が震えてるぜ」
「お前の腕もな」
獅堂が笑った。
「言うようになったじゃねぇか!」
獅堂が踏み込んだ。
左の鉤爪が蒼真の頭上へ振り下ろされる。
蒼真は風影刀を斜めに構え、刃を受け流した。
だが、獅堂はその動きを読んでいた。
「同じ手が何度も通じるか!」
右の鉤爪が蒼真の腹部へ迫る。
「……っ!」
蒼真は身体を捻った。
鉤爪の先端が衣服を裂き、脇腹に浅い傷を残す。
「蒼真!」
蓮司が駆け出した。
「来るな!」
蒼真が叫ぶ。
しかし、蓮司は止まらない。
「一人で格好つけてんじゃねぇ!」
蓮司の刀が獅堂の左腕へ向かった。
獅堂は鉤爪で受け止める。
「お前もしつこいな!」
「褒め言葉として受け取っとくぜ!」
蓮司は力任せに押し込まない。
刀の角度を変え、獅堂の腕を外側へ誘導した。
獅堂の体勢が僅かに崩れる。
「蒼真!」
「ああ!」
蒼真が風影刀を振り上げた。
だが、その瞬間。
獅堂の口元に笑みが浮かんだ。
「かかったな」
「……!」
獅堂が左腕を引き戻す。
蓮司の刀を鉤爪に引っかけたまま、身体を大きく回転させた。
「うおっ!?」
蓮司の身体が引き寄せられる。
獅堂はその勢いを利用し、蓮司を蒼真の進路へ投げ飛ばした。
「蓮司!」
蒼真は攻撃を中断した。
風影刀を引き、両腕で蓮司を受け止める。
二人は床を滑りながら倒れ込んだ。
「いってぇ……!」
「大丈夫か!?」
「ああ……悪い!」
獅堂が二人を見下ろす。
「仲間を助けるためなら、攻撃を止めるんだな」
蒼真が顔を上げる。
「当たり前だろ」
「それが甘いって言ってんだよ!」
獅堂が跳躍した。
二本の鉤爪を振り上げる。
倒れた二人には、避ける余裕がない。
「……っ!」
その時。
「水遁・水壁!」
蒼真たちの前に水の壁が立ち上がった。
獅堂の鉤爪が水壁を突き破る。
だが、その勢いは僅かに鈍った。
「蒼真! 今!」
凛の声。
蒼真は蓮司の襟を掴み、横へ転がった。
鉤爪が二人のいた場所へ突き刺さる。
石床に深い亀裂が走った。
「くそっ!」
獅堂が顔を上げる。
凛はレイの隣で片膝をついていた。
「……はぁ……はぁ……」
既に限界が近い。
レイの肩に当てていた布は、血で濡れていた。
「凛、もう術を使うな!」
蒼真が叫ぶ。
「でも……!」
「レイを頼む!」
凛は唇を噛んだ。
そして、小さく頷いた。
「……分かった」
レイが短刀を握ろうとする。
「俺も……」
「駄目!」
凛がその手を押さえた。
「今動いたら、本当に腕が使えなくなるかもしれない!」
「……」
「お願いだから、休んで」
レイはしばらく黙っていた。
やがて短刀から手を離す。
「……任せる」
凛は傷口を強く押さえ直した。
「うん」
石柱の反対側。
宗玄と玄岳の戦いも続いていた。
玄岳の黒雷が床を走る。
宗玄は風守刀を振り、足元の風を利用して雷撃の軌道から身を外した。
しかし、着地した瞬間。
右腕に激痛が走る。
「……っ!」
風守刀を握る指が震えた。
玄岳はその変化を見逃さない。
「限界が近いな、宗玄」
「お前も同じだろう」
玄岳の左肩には深い傷がある。
胸元の傷も、呼吸するたびに痛んでいた。
「俺はまだ動ける」
「なら、なぜ攻めてこない?」
玄岳が目を細める。
宗玄は風守刀を構え直した。
「お前は先ほどから、俺の右側ばかり狙っている」
「弱点を狙うのは当然だ」
「違う」
宗玄が一歩踏み出す。
「右側へ追い込むことで、俺を石柱から遠ざけようとしている」
玄岳の表情が僅かに変わった。
宗玄は続ける。
「その間に、お前自身は石板へ近づいている」
「……よく見ている」
「風守の誓いを持ち帰るつもりか」
玄岳は答えなかった。
代わりに、右手へ黒雷を集める。
「黒雷遁・雷刃」
苦無の刃を黒雷が覆った。
「知りたければ、止めてみろ」
玄岳が踏み込む。
宗玄も前へ出た。
二人の刃が交差する。
宗玄は黒雷を避けながら、玄岳の懐へ入ろうとした。
だが、玄岳は踏み込みを途中で止めた。
「……!」
宗玄の視線が動く。
玄岳の左手。
そこには、黒い札を巻きつけた苦無が握られていた。
「それは……!」
玄岳が苦無を投げる。
狙いは宗玄ではない。
石板の奥。
古い布が残された場所だった。
「させん!」
宗玄が身体を翻す。
風守刀を振り、苦無の軌道を逸らした。
苦無は壁に突き刺さる。
しかし。
玄岳はその隙を待っていた。
「背中が空いたぞ!」
宗玄が振り返るより早く、雷刃が迫る。
宗玄は咄嗟に風守刀を戻した。
刃同士が衝突する。
黒雷が宗玄の右腕を伝った。
「ぐあっ!」
宗玄が後退する。
風守刀を握ったまま、片膝をついた。
玄岳も息を荒くしている。
「……これで分かっただろ」
宗玄は顔を上げた。
「何がだ」
「お前は記録を守るためなら、自分の身体を犠牲にする」
玄岳が苦無を構える。
「そこが弱点だ」
宗玄は右腕を押さえた。
「……そうかもしれんな」
「認めるのか?」
「ああ」
宗玄がゆっくり立ち上がる。
「だが、守ることを弱さだとは思わん」
玄岳の目が細くなった。
「……随分と古い考えだ」
「古い誓いを守る者だからな」
宗玄は風守刀を構えた。
「お前には理解できんだろう」
「理解する必要もない」
玄岳が黒雷を纏う。
二人の間に、再び緊張が走った。
一方。
蒼真は獅堂の攻撃を受け続けていた。
「どうした!」
獅堂が鉤爪を振る。
蒼真が受け流す。
「さっきまでの勢いは!」
再び鉤爪。
蒼真は後退した。
「逃げてばかりじゃ勝てねぇぞ!」
「分かってる!」
蒼真が風影刀を振る。
「風遁・風刃!」
鋭い風が獅堂へ向かった。
獅堂は鉤爪を交差させて防ぐ。
「またそれか!」
蒼真は歯を食いしばった。
風刃。
風弾。
風環。
風纏。
これまで覚えてきた風遁は、どれも戦うために使ってきた。
敵を斬る。
吹き飛ばす。
動きを止める。
だが。
蒼真は背後を振り返った。
凛がレイの傷を押さえている。
蓮司も腹を押さえながら立っていた。
誰もが限界だった。
「……」
蒼真は風影刀を握り直す。
その時。
地下で聞いた宗玄の言葉が蘇った。
『風を従えるな』
『風と共に歩め』
そして、石板に刻まれていた言葉。
『風を守る者は、風を継ぐ者を見定めよ』
「……守る」
蒼真が呟いた。
獅堂が眉を寄せる。
「あ?」
「俺、ずっと勘違いしてたのかもしれない」
「何を言ってやがる」
蒼真は風影刀を下ろした。
完全に構えを解いたわけではない。
ただ、刃先を獅堂ではなく床へ向けた。
「強い風を出せば、勝てると思ってた」
獅堂が笑う。
「だったらもっと強い風を出せばいいだろ!」
「違う」
蒼真の周囲に、静かな風が流れ始めた。
「俺が今、守りたいのは……」
蓮司。
凛。
レイ。
そして、石室の奥に残された記録。
「全部だ」
獅堂の笑みが消えた。
「……欲張りな奴だ」
「そうかもな」
蒼真は小さく笑った。
「でも、誰も失いたくない」
「だったら俺を倒してみろ!」
獅堂が踏み込んだ。
右の鉤爪。
蒼真は風影刀で受ける。
だが、今度は力で押し返さなかった。
鉤爪の動きに合わせ、身体を横へ流す。
獅堂の攻撃が空を切った。
「何っ!?」
蒼真はそのまま背後へ回る。
風が足元を支え、身体の向きを変える。
「風遁・風纏!」
しかし、刃は振り下ろさない。
獅堂の背中を狙う代わりに、左手を突き出した。
「風遁・風弾!」
圧縮された風が獅堂の脇腹へ命中する。
「ぐっ!」
獅堂が数歩後退した。
だが蒼真は追撃しない。
獅堂と仲間たちの間に立った。
「……!」
獅堂が顔を上げる。
「何だ、それは」
「何が?」
「今の隙なら、俺を斬れただろうが!」
蒼真は風影刀を構え直した。
「斬った後、お前が凛たちに向かうかもしれない」
「……」
「だったら、こっちへ来させない方がいい」
獅堂が歯を食いしばる。
「……気に入らねぇ」
鉤爪を握る手に力が入る。
「俺を倒すことより、仲間を守る方が大事だってのか!」
「ああ」
蒼真は即答した。
「俺はそのために戦ってる」
獅堂の表情が険しくなった。
「……そうかよ」
次の瞬間。
獅堂が両腕を広げた。
「だったら試してやる!」
黒煙が周囲へ広がる。
「煙遁・黒煙陣!」
蒼真は動かなかった。
煙を無理に吹き飛ばさない。
風の流れを感じる。
獅堂の足運び。
鉤爪が空気を裂く動き。
そして。
背後にいる仲間たちの呼吸。
「……見える」
蒼真が小さく呟く。
正確には、目で見えているわけではない。
風が動きを伝えていた。
右。
獅堂が踏み込む。
蒼真は風影刀を振る。
二つの刃が衝突した。
獅堂が驚く。
「また読んだのか!」
「……ああ!」
蒼真は刃を押し返す。
獅堂が左の鉤爪を振り上げる。
蒼真は一歩下がった。
その背後。
蓮司が待っていた。
「今だ!」
蓮司が獅堂の左腕へ斬り込む。
「くっ!」
獅堂が鉤爪で受ける。
だが、蒼真は既に動いていた。
獅堂の足元へ風を流す。
踏み込もうとした足が僅かに浮く。
「……!」
獅堂の体勢が崩れた。
蓮司が刀を押し込む。
「おらぁっ!」
獅堂は後退した。
「くそっ!」
蒼真が蓮司の隣へ立つ。
「大丈夫か?」
「お前こそ!」
蓮司が笑う。
「何か、急に動きが変わったな」
「そうか?」
「ああ」
蒼真は風影刀を見る。
「……ちょっとだけ、分かった気がする」
「何が?」
「風の使い方」
蓮司は一瞬黙った。
そして笑った。
「なら、後で俺にも教えてくれよ」
「お前、風遁使えないだろ」
「気分だけでも!」
蒼真も笑った。
その様子を見ていた獅堂が、低く息を吐く。
「……ふざけやがって」
鉤爪を構え直す。
「まだ終わってねぇぞ!」
蒼真と蓮司が同時に前を向く。
「分かってる!」
「ああ!」
しかし。
獅堂の右腕は既に限界に近かった。
鉤爪を握る指が震える。
脇腹の傷も深い。
それでも獅堂は退かない。
「……俺にも、譲れねぇもんがあるんだよ」
蒼真が目を細める。
「何?」
獅堂は答えなかった。
代わりに、左の鉤爪を構える。
「次で決めるぞ」
蒼真も風影刀を構えた。
「……ああ」
二人の視線が交差した。
その頃。
石柱の向こう。
宗玄は玄岳の黒雷を受けながら、少しずつ後退していた。
「……っ!」
右腕が痺れる。
握力が落ちている。
玄岳がそれを見て笑った。
「もう刀も満足に握れないか」
宗玄は答えない。
「それでも記録を守るつもりか?」
「ああ」
「命を捨ててまで?」
宗玄は風守刀を握り直した。
「……玄岳」
「何だ」
「お前は、あの誓いを読んだな」
玄岳の表情が変わる。
宗玄は続けた。
「風を守る者は、風を継ぐ者を見定めよ」
「……」
「なら、俺が何を見定めているのかも分かるはずだ」
玄岳が目を細めた。
「……まさか」
宗玄の視線が、石柱の向こうへ向く。
そこには蒼真がいた。
仲間を背に、獅堂と向かい合っている。
宗玄は静かに呟いた。
「……まだ未熟だ」
風守刀が僅かに震える。
「だが、あの小僧は……」
玄岳が黒雷を纏う。
「余所見するな!」
玄岳が踏み込む。
宗玄も風守刀を振り上げた。
二人の刃が激しく衝突する。
その瞬間。
宗玄の右手から、風守刀が滑りかけた。
「……!」
玄岳が見逃さない。
「もらった!」
黒雷を纏った苦無が宗玄へ迫る。
宗玄は左手を伸ばし、風守刀の柄を握り直した。
だが、反撃するには遅い。
玄岳の刃が目前に迫っていた。
第128話 完




