第124話「消された名」
地下深部。
『風継ぎの記』を挟み、二つの勢力が向かい合う。
蒼真、蓮司、凛、レイ。
そして神谷宗玄。
その正面には――
黒雷の玄岳。
鉤爪の獅堂。
バチッ。
玄岳の腕を黒雷が走った。
獅堂も二本の鉤爪を広げる。
だが蒼真は、二人の構えよりも玄岳の視線を見ていた。
先ほど。
削り取られた名前を見た瞬間――
確かに玄岳の表情が変わった。
「玄岳」
「……」
「あの名前を知ってるな?」
玄岳は答えない。
「何で消されてる?」
「……」
「誰が消した?」
蓮司が刀を構えながら横を見る。
「随分質問攻めだな」
「だってこいつ、絶対何か知ってる」
獅堂が鼻で笑う。
「戦う前に敵から答えを聞けると思ってんのか?」
蒼真は獅堂を見ない。
「お前には聞いてない」
「……いい度胸してんな」
獅堂の鉤爪が石床を擦る。
ガリッ。
宗玄が一歩前へ出た。
「玄岳」
玄岳の視線が宗玄へ移る。
「お前たち夜叉衆は、何を知っている」
「それを聞いてどうする」
「ここは、お前たちが触れていい場所ではない」
「今更だな」
玄岳が周囲を見る。
「俺たちは既に、この地下施設の術式を利用していた」
宗玄の表情が険しくなる。
「表層部分だけだ」
「ああ」
玄岳はあっさり認めた。
「だから調べていた」
「何を?」
「この地下が何のために作られたのか」
蒼真が風影刀を握る。
玄岳の視線が再び石柱へ。
「そして――」
削られた部分。
「なぜ一人だけ、記録から消されたのか」
凛が驚く。
「夜叉衆が消したんじゃないの?」
「違う」
即答だった。
蒼真が眉をひそめる。
「じゃあ誰が?」
「知らん」
「本当に?」
「少なくとも、今の夜叉衆ではない」
宗玄が静かに聞く。
「今の?」
玄岳は口を閉じた。
蒼真は聞き逃さない。
「昔の夜叉衆なら知ってるってことか?」
「……」
バチッ!
玄岳の黒雷が強くなる。
「喋りすぎた」
蓮司が刀を前へ出す。
「都合悪くなったら戦闘かよ」
獅堂が笑う。
「忍らしくていいだろ」
「俺は嫌いだけどな」
「知るか!」
獅堂が飛び出した。
「来るぞ!」
蒼真たちが構える。
だが――
宗玄が風守刀を横へ振った。
ゴォッ!
風が獅堂の進路を遮る。
「ちっ!」
獅堂が鉤爪を床へ突き刺して止まる。
宗玄は玄岳を睨む。
「まだ話は終わっていない」
「俺は終わった」
「なら俺が聞き出す」
「やってみろ」
黒雷と風。
二人の間で空気が張り詰める。
その時――
レイが低い声を出した。
「待て」
全員の視線が一瞬だけ動く。
レイは戦闘ではなく、石柱を見ていた。
「削られた部分」
凛が尋ねる。
「どうしたの?」
「文字が残っている」
「え?」
蒼真が振り返る。
削られた名前。
ほとんど何も読めない。
だがレイは近づかず、少し離れた位置から見ている。
「正面からだと見えない」
「どういうこと?」
「傷の深さが違う」
宗玄の表情が変わる。
「……まさか」
凛が水を薄く広げた。
「これなら?」
石柱の表面が濡れる。
削られた無数の傷。
光の反射が変わった。
蓮司が目を細める。
「なんか……あるな」
完全な文字ではない。
削られた痕跡のさらに奥。
僅かに残った線。
宗玄が近づく。
「古い字体だ」
「読める?」
蒼真が尋ねる。
宗玄は目を凝らした。
一文字。
そしてもう一文字。
「……風……」
蒼真たちが黙る。
宗玄が続ける。
「次は……真……?」
「風真?」
蓮司が呟く。
宗玄は首を振る。
「分からない。名前の一部か、それとも別の言葉か」
玄岳の黒雷が――
一瞬だけ止まった。
蒼真が振り向く。
「やっぱり知ってるな」
玄岳は答えない。
獅堂が玄岳を見る。
「おい」
「何だ」
「俺も聞いてねぇぞ」
玄岳の目が僅かに動く。
「必要がないからだ」
獅堂の笑みが消える。
「……俺にも隠してたってことか?」
「任務に関係ない」
「そうかよ」
夜叉衆側にも微かな空気の変化。
蒼真はそれを見る。
玄岳が知っている。
だが獅堂は知らない。
夜叉衆全体が共有している情報ではない。
「上の連中だけが知ってるのか?」
玄岳が蒼真を見る。
「お前は知りすぎる」
「まだ何も知らない」
「なら、そのままでいろ」
「嫌だね」
蒼真が風影刀を構える。
「自分の持ってる刀のことだ」
風が足元を流れる。
「知らないまま使うつもりはない」
玄岳も黒雷を纏う。
「ならば――」
一歩。
「知る覚悟も持て」
その瞬間。
バチィッ!
玄岳が消えた。
「蒼真!」
凛の声。
だが狙いは蒼真ではない。
玄岳は――
『風継ぎの記』へ向かっていた。
「何っ!?」
宗玄が動く。
「させん!」
ガキィン!
風守刀が玄岳の黒雷を受ける。
「ぐっ!」
「どけ!」
「ここは壊させん!」
「壊す?」
玄岳が笑った。
「違う」
宗玄の目が変わる。
玄岳が左手を伸ばす。
狙いは削られた名前。
「確認するだけだ!」
黒雷が石柱へ伸びる。
「やめろ!」
蒼真が風影刀を振る。
「風遁・風刃!」
ザァッ!
玄岳が腕を引く。
風刃が石柱の手前を通過。
宗玄が玄岳を押し返した。
「何を確認するつもりだった!」
玄岳が着地する。
「……」
蒼真は石柱を見る。
玄岳は名前を破壊しようとしたわけではない。
何かを確かめようとした。
「触ったら何か起きるのか?」
玄岳の目が鋭くなる。
「お前には既に起きただろう」
蒼真が止まる。
燃える建物。
忍たち。
風影刀を持つ人物。
――守るべきものを、間違えるな。
「あの光景……」
玄岳が続ける。
「風影刀に選ばれた者だけが見られるのか」
「お前……」
蒼真の表情が変わる。
「それを確かめたかったのか?」
「答える必要はない」
獅堂が玄岳を見る。
「俺にも分かるように説明しろ」
「後だ」
「さっきからそればっかだな」
獅堂は明らかに苛立っている。
しかし玄岳は無視した。
宗玄が蒼真を見る。
「何かおかしい」
「何が?」
「玄岳はこの場所を知らなかったはずだ」
「でも名前のことは知ってる」
「ああ」
宗玄は玄岳を睨む。
「誰かから聞いている」
玄岳は沈黙する。
その時。
凛が「あっ」と声を上げた。
「水が……」
先ほど石柱へ流した水。
それが削られた溝を通り、床を進んでいる。
反応した細い溝。
水は奥へ流れ――
壁際で止まっていた。
いや。
消えている。
「壁の下に入ってる」
凛が近づく。
宗玄が警戒する。
「待て」
だが――
カチッ。
再び音。
今度は大きい。
ゴゴゴゴ……。
壁の一部が動き始めた。
蓮司が刀を構える。
「また扉か!?」
少しずつ石壁が開く。
だがその先は通路ではなかった。
小さな空間。
そして――
中央に一枚の石板。
蒼真たちは動かない。
玄岳の表情が変わった。
宗玄も驚いている。
「これは……」
蒼真が聞く。
「知ってる?」
「いや」
宗玄が首を振る。
「俺も初めて見る」
石板には文字が刻まれていた。
石柱より保存状態がいい。
凛が近づく。
「読める?」
宗玄が文字を追う。
そして――
動きが止まった。
「宗玄?」
蒼真が呼ぶ。
宗玄は答えない。
「何て書いてある?」
宗玄の声が低くなる。
「……名を消された者」
全員が静かになる。
玄岳さえ動かない。
宗玄が続きを読む。
「風を裏切りし者にあらず」
蒼真の目が見開かれる。
「……!」
蓮司も驚く。
「じゃあ悪人じゃなかったってことか?」
宗玄は続きを見る。
「その名は――」
そこで。
文字が途切れていた。
「何だよ!」
蓮司が思わず声を上げる。
レイが石板を見る。
「壊れている」
下半分が欠けている。
蒼真は石板へ近づく。
残されている最後の一文。
宗玄が読み上げる。
「――真実を知り、風より消された者」
凛が小さく呟く。
「風より……消された?」
蒼真の頭に、あの声が蘇る。
――守るべきものを、間違えるな。
玄岳が後ろへ一歩下がった。
蒼真が気づく。
「玄岳」
「……」
「これも知ってたのか?」
玄岳はしばらく黙っていた。
そして――
「そこまで残っていたとはな」
宗玄が風守刀を向ける。
「誰から聞いた」
黒雷が玄岳の腕を走る。
「答えるつもりはない」
獅堂が鉤爪を構える。
「話は終わりみてぇだな」
蒼真も風影刀を構えた。
だが今度は――
玄岳が真っ先に攻撃しなかった。
その視線は石板。
そして蒼真。
「風影刀の持ち主」
「何だ」
「お前がその真実を追うなら――」
黒雷が強くなる。
「いずれ夜叉衆の奥を見ることになる」
蒼真は真っ直ぐ玄岳を見る。
「だったら見る」
「後悔するぞ」
「それでもだ」
短い沈黙。
玄岳が構えた。
「なら生き残れ」
宗玄も風守刀を握る。
獅堂が鉤爪を広げる。
蓮司、凛、レイも構える。
今度こそ――
戦いを避ける理由はなかった。
第124話 完




