第123話「風継ぎの記」
地下深部。
「風の道」を抜けた先に、その石柱は立っていた。
壁にも、床にも、古い文字が刻まれている。
その中心にある巨大な石柱。
最上部には――
『風継ぎの記』
蒼真は静かに見上げた。
「歴代の風継ぎ……」
宗玄が隣へ立つ。
「ああ」
「全員の名前がここに?」
「俺が知る限りではな」
蓮司が石柱を見上げる。
「多すぎて全然読めねぇ」
「俺もだ」
「お前もかよ」
凛が少し笑った。
「古い文字だから仕方ないよ」
レイは壁に背を預けたまま、石柱を観察している。
肩と脇腹の傷。
出血は止まっているが、決して軽くはない。
蒼真が振り返る。
「レイ、本当に大丈夫か?」
「何度聞く」
「倒れられたら困る」
「なら早く調べろ」
蓮司が笑う。
「いつものレイだな」
「うるさい」
蒼真は石柱へ向き直った。
「宗玄」
「何だ」
「教えてくれ」
石柱へ手を伸ばす。
「風継ぎって、本当は何なんだ?」
宗玄はすぐには答えなかった。
「全部を俺から聞いて、それで納得するのか?」
「……どういう意味だ?」
「ここは歴代の風継ぎが自ら残した場所だ」
宗玄が石柱を指す。
「俺の言葉より、彼らが何を残したのかを見ろ」
蒼真は文字を見る。
読めない部分が多い。
だが――
風影刀が微かに震えた。
カタッ。
「また……」
蒼真が柄へ触れる。
その瞬間。
ヒュウ……。
石柱の周囲を風が流れ始めた。
凛が顔を上げる。
「風……」
宗玄は黙って見ている。
蒼真が石柱へ近づくほど、風は強くなる。
そして――
石柱の一部。
古い文字の上に風が集まった。
砂埃が吹き飛ぶ。
隠れていた文字が現れる。
蒼真が読む。
「……『風を従えるな』」
次の文字。
「『風と共に歩め』」
宗玄が静かに続ける。
「初代風継ぎが残した言葉とされている」
「初代……」
「風遁を極めた者が風継ぎなのではない」
宗玄が蒼真を見る。
「強い忍が選ばれるわけでもない」
蓮司が腕を組む。
「じゃあ何で決まるんだ?」
「それを歴代の風継ぎも探し続けた」
「決まってねぇのかよ」
「風は形を持たない」
宗玄は淡々と答える。
「時代によって、守るべきものも変わる」
蒼真は黙って聞く。
「里を守った者」
「家族を守った者」
「争いを止めるために戦った者」
「戦うことそのものを拒んだ者もいた」
凛が驚く。
「戦わない風継ぎも?」
「ああ」
「忍なのに?」
「刀を抜くことだけが、守ることではない」
蒼真が風影刀を見る。
北東村。
人質。
仲間。
これまで何度も戦ってきた。
だが確かに――
倒すことだけを考えていたわけではない。
宗玄が続ける。
「だから風影刀は、技を教える刀ではない」
「じゃあ何のためにある?」
「選択を映すためだ」
「選択……」
「何を守り、何を捨てるのか」
宗玄はそれ以上説明しなかった。
蒼真も聞かなかった。
今すぐ答えが出るものではない。
その時。
レイが石柱の裏側へ目を向けた。
「……蒼真」
「どうした?」
「ここ」
レイが壁から離れる。
傷を庇いながら石柱の反対側へ歩いた。
「無理するなって」
蓮司が続く。
「文字が変だ」
「変?」
四人が集まる。
石柱には歴代の名前が縦に並んでいた。
その一角。
凛が気づく。
「ここだけ……空いてる」
名前。
名前。
名前。
一定の間隔で刻まれている。
しかし一ヶ所だけ――
不自然な空白。
蓮司が触れようとする。
「削れたとか?」
「触るな」
宗玄が止めた。
「なんで?」
宗玄自身も空白を見ている。
「……これは」
表情が変わった。
蒼真が気づく。
「知ってるのか?」
「いや」
「でも今――」
「俺が最後にここを見た時、こんな空白はなかった」
静寂。
凛が聞き返す。
「どういうこと?」
宗玄が近づく。
指先で周囲の文字を確認する。
「削られている」
蒼真も見る。
確かに自然に欠けたものではない。
刃物か何かで何度も削った跡。
名前だけが意図的に消されている。
レイが言う。
「誰かが消した」
「ああ」
「夜叉衆?」
蓮司が尋ねる。
宗玄は首を振った。
「分からん」
「ここまで来られる奴なんて限られてるだろ」
「だから問題なんだ」
宗玄の声が低くなる。
蒼真が空白へ近づく。
その瞬間――
カタカタッ!
風影刀が激しく震えた。
「!」
宗玄も風守刀を見る。
こちらも反応している。
カタッ……。
カタカタ……。
凛が二本の刀を見る。
「両方……?」
蒼真は削られた部分を見る。
「ここに何が書いてあったんだ?」
宗玄は答えない。
いや――
答えられない。
蒼真が手を伸ばす。
「待て」
宗玄が止める。
だが遅かった。
蒼真の指先が削られた石へ触れた。
ゴォッ!
「蒼真!」
風が爆発するように広がった。
蓮司たちが腕で顔を覆う。
「何だ!?」
蒼真だけは動かなかった。
いや。
動けなかった。
風が指先から腕へ。
そして風影刀へ流れていく。
頭の中に――
一瞬。
何かが浮かんだ。
雨。
燃える建物。
大勢の忍。
そして――
風影刀を持つ誰かの背中。
顔は見えない。
『――守るべきものを、間違えるな』
「……!」
蒼真が目を開いた。
風が消える。
「蒼真!」
凛が駆け寄る。
「大丈夫!?」
「あ……ああ」
「何があった?」
蓮司も近づく。
蒼真は額を押さえる。
「分からない」
「何か見えたのか?」
レイの問い。
「……少しだけ」
宗玄の表情が険しくなる。
「何を見た」
「燃えてる場所」
蒼真は記憶を辿る。
「忍がたくさんいた」
「他には?」
「風影刀を持ってる人がいた」
宗玄の目が見開かれる。
「顔は?」
「見えなかった」
「名前は?」
「分からない」
蒼真は空白を見る。
「でも声が聞こえた」
「何と言った」
蒼真は答える。
「守るべきものを、間違えるな」
宗玄が黙った。
長い沈黙。
蓮司が宗玄を見る。
「何か心当たりあるだろ」
「……」
「宗玄」
蒼真も見る。
だが宗玄は首を振った。
「確証がない」
「だったら――」
「分からないことを、分かったように話すつもりはない」
蒼真はそれ以上聞かなかった。
宗玄の言うことも分かる。
凛は削られた場所を見る。
「でも変だよね」
「何が?」
「この人だけ消されてる」
歴代の風継ぎ。
その中の一人。
存在そのものを消すように名前が削られている。
「悪い人だったのかな」
蓮司が呟く。
宗玄が答える。
「決めつけるな」
「え?」
「歴史から名を消されたから悪人とは限らない」
宗玄は削られた石を見つめる。
「名を消した側にとって、都合が悪かった可能性もある」
蒼真の表情が変わる。
「誰かが歴史を書き換えた……?」
「可能性の話だ」
レイが石柱の下を見る。
「他にもある」
「何?」
全員が見る。
石柱の下部。
削られた名前から伸びるように、一筋の細い溝があった。
蒼真がしゃがむ。
「これは……」
溝は床へ続いている。
さらに――
石室の奥へ。
蓮司が目で追う。
「何かに繋がってんぞ」
宗玄が険しい表情になる。
「こんなものは知らない」
「またか?」
「少なくとも、俺が知る風継ぎの記にはなかった」
凛が水を少し流す。
水が溝を進む。
石室の奥へ。
やがて――
カチッ。
小さな音。
全員が構えた。
だが何も起きない。
レイが呟く。
「仕掛け?」
宗玄が奥へ向かおうとする。
その瞬間――
蒼真が振り返った。
「待って」
「どうした?」
風。
風の道とは違う。
誰かが動いたことで生まれる空気の揺れ。
「……来る」
蓮司が刀を抜く。
「何人だ?」
蒼真は目を閉じる。
一つ。
そして――
もう一つ。
「二人」
凛が水を集める。
レイも短刀へ手を伸ばす。
宗玄は風守刀を抜いた。
遠く。
石室へ続く別の通路。
バチッ。
黒い雷が暗闇を照らす。
蒼真の目が鋭くなる。
「玄岳……」
続いて。
ガリッ。
石壁を巨大な鉤爪が引っ掻く。
獅堂。
蓮司が刀を構える。
「別の道から来やがったか」
宗玄が一歩前へ出る。
「お前たちは下がれ」
蒼真が隣へ並ぶ。
「断る」
「今のお前たちは消耗している」
「宗玄もだろ」
「……」
玄岳の姿が暗闇から現れる。
「見つけたぞ」
獅堂も続く。
「随分面白そうな場所じゃねぇか」
玄岳の視線が――
『風継ぎの記』へ向いた。
そして。
削られた名前の部分で止まった。
「……」
蒼真は見逃さなかった。
玄岳の表情が、一瞬だけ変わった。
「玄岳」
「何だ」
「そこを知ってるのか?」
削られた名前。
玄岳は答えない。
代わりに黒雷を纏う。
バチバチッ!
「知りたければ――」
黒雷が強くなる。
「俺たちを退けてからにしろ」
獅堂も二本の鉤爪を構えた。
宗玄の風守刀へ風が集まる。
蒼真も風影刀を抜く。
地下深部。
歴代の風継ぎが眠る場所で――
再び二つの勢力が向かい合った。
だが蒼真の頭から離れない。
削られた名前。
燃える場所。
そして、あの言葉。
――守るべきものを、間違えるな。
その言葉を残した人物は――
一体、何者なのか。
第123話 完




