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秘めたきずあと背中に沈む  作者: 熊谷茂太


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第二章 ほのがたり、やがて遠ざかる音③

 微かな動揺を持ったまま、ウルスラはフレデリクと再会することになった。

 聴取として、捕虜が収容される監獄を訪れるのはおよそ二十日ぶりだ。

 作戦のための聴取に向かうウルスラに付き従うような部下はおらず、従順な捕虜に終始見張りを置くほど衛兵に余裕はない。

 ゆえに再会は二人きりだった。


 鉄格子にまっすぐ向き合い、直立する騎士軍制服姿の少女を前に。

 牢に佇む男は恭しく一礼をする。


「ウルスラ──ご健勝でなによりです」

「あなたも。フレデリク」


 数日ぶりに名前を口にする。どこか硬いものが混じり、一度ウルスラは唾を呑みこんだ。


「寝食の時間はとれているのか。今も野戦病院は負傷者が運び込まれていると聞く」

「戦線維持のため、今も多く兵士が前線に投入されておりますから。徒に死者が増えぬよう尽力するまでです」


 低く穏やかな声が懐かしかった。

 だが、薄暗い牢でもうかがえるほどフレデリクの顔は血色が悪かった。もともと細身ではあるがやつれた気配も強い。


「すまない──休息すべき貴重な時間を、聴取に付き合わせてしまって」


 すぐ済ませるから、とウルスラが続けようとしたら、フレデリクの声がすぐさま重ねられた。


「いいえ。とんでもないことでございます」


 静かに、一歩だけ鉄格子の方へ歩み寄りながら、


「こうしてあなたにお会いできてなによりです」


 静かな眼差しでウルスラを見つめ、フレデリクは微笑んだ。

 その眼をじっと見つめ返す。


 ──わたしも、会いたかった──


 自制していたものが壊れそうで、思わずウルスラは呼吸を止める。

 動揺と違うもので震える心を抑え、喉に力をこめた。


「通信兵の治療の折、あなたが記憶していた情報を確かめたい」

「仰せのままに」

「主な数値はほとんどが地点を示す座標情報と判断されている」

「はい。数字に混じるいくつかの記号は作戦と状況により変更・入替が見込まれるプランを示すと推測されています」

「プランの詳細についての言及はなかった」

「はい。通信兵もそこまでの情報は入手できなかったようですね」


 ──戦乱でとうに破壊されたであろう通信機から、偶然にして辛くも入手できた情報としては上々の部類に入る。

 しかしそれでも、領地奪還を(うた)って隊を率いるには無謀が拭えない。

 ウルスラはセルデン侯爵から手渡されていた「通信兵による情報」の数字を思い出しながら、


「座標情報と思われる数字以外について確認したい」


 戦地で縦横の軸を示す座標の数字は、通常三桁・ポイント・二桁で示される。

 三通りあった座標情報は、十七地区を拠点にして展開される侵攻作戦にも沿った数値だった。整合性の高さから信用度は充分だった。

 その一方で、三通りある作戦のうちドルムトレク側が何を採用するのかは不明だ。予め備えようにも三通りの作戦地点はバラバラで、いずれの作戦にも対応するには兵の数が足りない。

 限られた兵士で三通りのプランに即時応戦するためにも、現地で三分の一を迅速に選択するための判断材料が欲しい。

 ウルスラが気になったのは、座標を示していない数字だった。



『両翼均等の86を軸に・左右各13、73を軸にした場合の拠点は天候07と戦況をもとに決定──』



「座標情報以外の数字は常に二桁で言及されている。少し気になっていた」


 侯爵らにはあしらわれるだろうと口にしていなかったが、今も引っかかっていることだった。

 アルファを筆頭に記号で示されたプランとは別の情報なら、この二桁は何を示すのか──


「人数ではないでしょうか」


 ぽつりとフレデリクは告げた。


「座標情報から察するに『十七地区』とはコクトード州でも起伏の激しい地点に該当するはず。戦力を有効活用できるのは中隊規模。ドルムトレク軍が作戦で投入する兵士の数は百名弱かと」


 十七地区はあくまでデュミナスの騎士軍が共有している地点情報に過ぎないが、座標の数字をもとにすればフレデリクも地形を特定できる。


「中隊の人数が86であると」


 数字を基に描かれる仮定は、ウルスラにも得心できるものだった。軍医とはいえ兵としての経験はないはずなのに、フレデリクは瞬く間に推論を組み上げていく。


「──八十六名の兵を戦況によって三通りに振り分ける。その判断は当日の天候に準拠するのでは」

「天候を……?」

「この時季の天候は移ろいやすい。土地によっては雨が作戦に致命的な阻害を齎します」


 ゆえにプランを三通りに、判断基準を天候にした──


「天候07が文字通り天気の種類別を示す場合、晴れ・煙霧・霧・雨・にわか雨・にわか雪・雷で分類するパターンが想定されます。好天・視界不良・悪天候といった具合なら三パターンに分けることは可能です。当日の天候に応じた兵士の振り分けが『両翼均等の86を軸』にした内容と照合されれば──」


 特別な専門知識に寄らずとも、フレデリクの理論はウルスラにも筋が通って見える。


「──当日の天候をもとに、ドルムトレクが三つのうちどのプランを展開するかを予め把握できる」


 言葉の続きを継いだウルスラの言葉に、フレデリクは悠然と微笑んだ。


「三つのプランごとの二桁の数字は兵士の振り分けでしょう」

「──!」


 そこでウルスラも、二桁の数字の和が八十六になる形でプランが分けられていたことに気付く。


「そうか……相手は十七地区の地形と天候に応じて兵士を振り分けている──そこを逆手に取れれば……」


 ──ウルスラの脳内で、十七地区で敵方八十六名の兵士が状況ごとに動きを変えていく。

 高低差に富む戦地は、総じて高台を取れば優位になる。だが十七地区には繰り返される戦闘で各所に窪地が塹壕化して大量に残されている。いわゆる隠し通路でもあるのだ。地形と併せて上手く利用すれば、敵の目を躱し奇襲することも可能になる。


 相手側の動きをいち早くつかんだ上での迅速な実行が不可欠だが──

 座標以外の数字から敵方が想定している動きを正確に予測さえできれば。

 ──確実な勝機を見出せる。

 数秒ほど黙考していたウルスラは、はっと顔を上げた。


「すぐに算定してみる。ありがとう、フレデリク」

「もったいないお言葉です」


 フレデリクは嬉しそうに目を細める。


「ですが私の推論は数字と知識を基にしたものにすぎません。あまり依り過ぎることのないよう」

「いや、わたし一人では導き出せなかった。確実な戦果に繋げられると思う」


 感謝をこめて言うと、フレデリクの目元に複雑な(かげ)りが生まれた。


「確かに戦果は必要でしょう。ですが──どうかなにより生き延びてください。

 勝利したところであなたが失われては、何の意味もない」

「…………」


 唐突に真っ直ぐな言葉をもらい、ウルスラは何も返せなくなってしまう。

 この戦場で自分の命を思ってくれるような存在は、他にないから。


「もとより、失敗も想定内である作戦のはず。領地再奪還を謳いながら、手柄を求める幹部が陣頭指揮を担わないのがなによりの証拠です。あなたが命を懸ける必要はありません」


 ──それは作戦を任命された瞬間にウルスラも思っていたことだ。

 ふっと微苦笑が零れてしまう。


「あなたにかかれば、騎士軍の幹部の考えなどお見通しなのだな」

「位の高いところに居る方ほど、思考はシンプルなものです」


 妙に悟った口調だが、かつて宮廷医師として王族の権力闘争を傍観していたであろうフレデリクの経歴を考えれば説得力は充分だった。


「喉から手が出るほど手柄を欲する一方、捕虜の軍医の記憶を裏付けにした情報をもとに戦場の陣頭に立つことはできない──あなたを任命した方々の心境は概ね察せられます」

「──奇遇だな。わたしもそう思っていた」

「実に単純な方々です」

「……ふ」


 フレデリクがあっさりした口調で幹部たちの厳かぶっていた言動を一蹴してしまうので、笑い声が零れてしまう。

 頬を緩めたウルスラのことを、フレデリクは淡い微笑で見つめていた。

 いとおしそうな眼差しを感じて、じわじわと頬が赤くなる。


「……っ、あらためて、貴重な情報に感謝する」


 姿勢を正して声を整え、騎士団長としての居住まいを取り戻すとフレデリクも応じるように丁寧な一礼を返した。

 ──名残惜しさを覚えつつも、ウルスラは鉄格子の奥に腕を伸ばした。

 フレデリクの前に、手を差し出す。

 挨拶の握手──もうずいぶんと久しぶりのやりとりのように感じる。

 フレデリクも、何かを感じたように表情を緩めて手を伸ばした。


 手が触れた瞬間。


 心臓が跳ねた。震えになって、フレデリクにも伝わってしまうのではと思うほどの大きさで。

 乾いて、ざらついている肌。指先から確かめるようにゆっくりと力がこめられて、握り合う手が感じる温もりで意識が熱くなっていく。


「──っ」


 ふと握手する腕が浮き上がる。

 フレデリクが静かに(かしず)き、持ち上げたウルスラの手に(うやうや)しく顔を寄せていた。

 その唇が、そっと手の甲に口づけをする。


「──どうかご武運を」


 深い思いに目を閉じ、手に添えられた唇が祈るようにその言葉を口にする。


「…………っ」


 彼の声に触れた皮膚の震えに、ウルスラは息を呑んでしまう。

 手の甲に刻まれた唇の感触。


 ──それはあの夜、(からだ)のすべてで感じ取ったものだった。触れられて、絡まり合い、繋がった。

 死なないようにという思いだけでただ生きていただけの自分にとって、フレデリクとの時間は「生き残ってよかった」という感情をウルスラに生み出していた。

 そうやって自分の命に、生きることに向き合うことができるようになった。

 死を覚悟していた身で生き延びて、まだ生きようとする意志を持っていられるのは。

 ほかならない、この人のおかげだ。


「あなたも、」


 軍医として誠実に身を尽くすフレデリクのここでの立場は、捕虜に過ぎない。彼を守ることはできない自分にもどかしさを覚えるうち、ウルスラの声は願うようなものになっていた。


「無理のないよう務めてほしい」

「仰せのままに」


 自分の言葉をなによりも尊そうに受け取る──フレデリクの声音がウルスラの耳朶(じだ)を熱くした。

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