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秘めたきずあと背中に沈む  作者: 熊谷茂太


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第二章 ほのがたり、やがて遠ざかる音④

 鈍色(にびいろ)の雲を広げる空。地表には薄い(もや)が漂い、見通せる範囲は百メートルもない。


 ──この天候ならプランベータで動くか──


 ウルスラはドルムトレク軍に占拠された十七地区を低地のあちこちにある窪地の一角から見張っていた。小さな穴で這いずり、敵側に気付かれないよう高台にある敵側拠点の様子を見上げ覗く。

 視界も悪く、距離もあり、おまけに低地だ。ウルスラがそこから掴める敵方の情報は労力に見合わないほどごくわずかだ。

 だが、手に入れた情報をもとにした推測と、現状とを照合することはできた。


 ──右翼に半数以上の兵を動かした──右翼を主力にしつつ高台陣地を維持できる左翼からは銃撃を展開する──プランベータの二桁は左右12の74──左翼側の兵が十二人なら──


「敵方左翼に奇襲をかける」


 傍らで靄に目を凝らしていただけの兵が緩慢に目をやった。


「奇襲……ですか?」

「敵方は戦力重点を右翼に置いている。左翼側を討滅すれば本陣まで一気に攻め込める」

「いや……しかし左翼側に兵を注力するということですか? 右翼側はどうするので」


 ウルスラの戦略絵図を把握しきれない兵は、怪訝な表情を露わにしている。

 詳細を理解させている時間はない。ウルスラはすでに身を屈めて窪地を移動し始めていた。


「右翼は全体の半数以上を置いて迎撃の陣形を取るように。靄で向こうもこちらの動きは把握しきれていないはずだ。我々がひとかたまりになって迎撃態勢を取っていると判断すれば、敵兵右翼は疑いなく進軍する。主要火力も迎撃に回せ。左翼側への奇襲は十名以下でいい」

「は……」


 兵はウルスラの即断に追いつけず、曖昧な相槌しか打てずにいる。

 ウルスラは待機していた兵士たち総勢四十三名を前に同様の展開を命じた。


 奇しくも相手側の中隊の半数だ。失敗も織り込み済みの作戦〈曙光(しょこう)〉に寄せ集められたのは手柄を獲得することで階級を駆け上がろうと野心を燃やす平民出身の兵士たちだ。騎士団長であるウルスラの命令には従順だが、戦果のためなら勝手も辞さない危うさがある。


 ──そんな血の気の多い平民兵であっても、ウルスラの告げた展開には不安を隠せずにいた。


「左翼に奇襲……?」「敵がどの程度の戦力かも不確かなのに」「十名以下で突っ込むなんて──正気か」


 相手がプランベータなる作戦で動いている──確信はウルスラにしか見出せていない。もとよりこの作戦は不確かな情報が礎という脆さがある。

 二の足を踏む平民兵たちの反応も、ウルスラは織り込み済みだった。


「奇襲班はわたしが指揮を執る。相手は十二名。それらを討滅して直接本陣を叩く。敵方の首を誰が獲ろうと自由だ。早い者勝ちと言ったら話は早いか」


 なぜ敵方の人数をはっきり口にするのか──その疑問は直後に明言された手柄を直接獲得できるという言葉によって端に追いやられていた。

 一部、目の色を変えた平民兵がいる。


「──だったら俺は行くぞ」「俺も」「志願します」


 戦争で名を上げるべく、兵のなかでもとりわけ血の気の多い者たちが八名進み出た。

 他の兵たちにとっては命知らずの決死隊にしか見えない。そもそも倍近くいる敵兵を相手にした領地奪還作戦だ。破れかぶれとしか思えない奇襲を先頭で担うのが作戦の陣頭指揮者である騎士団長だなんて。


 だが迷いなく動くウルスラに、兵士たちは徐々に異様なものを感じ取っていた。


 勝機は無いに等しく、撤退まで生き延びれば上々だとすら考えていたこの作戦に、何かが起こるのではないかと。

 ウルスラは志願した八名を見やり、小さく頷いた。


「状況を開始する。迎撃班は銃火器を使え。初手で火薬を大量行使し敵の意識をこちらの奇襲から逸らすように」


 ──銃火器を惜しまず使えるとあれば、それだけ生存率も上がる。

 それならばやってやる、と迎撃班は色めき立った。

 わずかな士気の上昇をその場に置いて、ウルスラは奇襲班を引き連れた。

 靄の奥で、デュミナス軍の兵たちが動き出す。






 高低差を擁する狭隘(きょうあい)の地は、塹壕と爆破痕によって歪んだ棚田を形成していた。

 身を潜め、常に上昇しなければならない足運び。鎧姿ではなおさら負担は増すが、八名を引き連れた行軍は身軽でもあった。


 ほどなく、(もや)の奥に気配を感じ取れる。

 敵兵は、ほぼ頭上と言ってもいい地点に集っている。足元で気配を殺して奇襲班は様子を探っていた。


 ──足音から十二人分が一か所に固まったことを聴き取ると、ウルスラは音を立てないよう、じわじわと長剣を引き抜いた。

 追加兵力の有無など、靄の奥にある敵方の動きを探っていた奇襲班の八名がウルスラの動きに目を瞠る。


「騎士団長……? もう動くのかよ?」

「先手を取らなければ奇襲の意味がない。後に続け。銃は極力控えろ」


 ウルスラは棚田状の土を蹴り、低い姿勢のまま一気に上へと駆け上がった。

 ──靄を割り、その奥にある気配へと剣を振り薙ぐ。

 使い慣れた長剣の刃は、姿を視認できない状況でも着実に間合いにある敵を斬り伏せた。


「⁉」「──なんっ──⁉」「青馬の、」「きしゅ」


 初撃を受けながらも声を張ろうとしていた目の前の兵の喉を、ウルスラは容赦なく剣先で突いた。

 味方の喉笛から噴く鮮血を浴びて茫然する真横の者は、すかさず鎧の隙間を狙って太腿を刺して動きを封じる。

 驚愕の混じった悲鳴が上がる。

 ようやく敵兵が奇襲に反応する。

 ウルスラは血に濡れた長剣の刃を、近い者から順に振るっていく。

 先に二人斬ったから残りは十人──予め数を把握していれば、動きも概ね掴める。迷いなく動くウルスラの姿を前に、奇襲班の八名も一斉に高台に乗り上げて突進してきた。

 人数差の不利は奇襲によってあっという間に逆転した。躊躇なく斬り進むウルスラの姿を前に、手柄を取られまいと急く平民兵の動きは貪欲だった。

 残り一人が、腰を抜かしつつも地を這って敗走しようとする。その背中に奇襲兵のうち一人が反射的に銃弾を見舞っていた。


 ──乾いた銃声が、狭い地形に響き渡りこだまする。

 その音が、十七地区の開戦合図となった。


 足元の低地で雪崩のごとく攻め込む敵方と迎撃班による戦闘が展開される。

 敵方の突撃に、待ち構えた銃撃隊が一斉に射撃を見舞わせる。巨大な瀑布を思わせる轟音、直後に轟く喊声(かんせい)──その威勢が味方側からのものであると感じ取りながら、ウルスラは前に進んだ。


「敵本陣へ。十七地区を奪還する!」


 迷いない指令に、奇襲の成功に昂った八名の兵士たちが野太い声を震わせた。

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