第二章 ほのがたり、やがて遠ざかる音②
何十人と診てきたフレデリクが、休憩も許されず引き連れられたのは騎士軍幹部の部屋だった。
セルデン侯爵騎士。先の作戦で戦死したゴドウィン総統に代わり臨時でコクトード州騎士軍陣営を指揮している──入室前に衛兵から耳打ちされた情報に、フレデリクは小さく頷く。
黒檀の机上に肘を立て深慮の面持ちをしているのは、整えられた口髭と胸元のきらびやかな徽章が目を引く中年男だった。
白衣を脱いだ粗末な作業着、手錠と足枷という身態ながら、侯爵を前に一礼するフレデリクの所作は洗練されていた。
その挙動をセルデンは物珍し気に眺め、立ち上がる。
「大規模作戦直後、十七区域の負傷兵の処置を担ったのは捕虜の軍医と聞いているが」
「左様にございます」
フレデリクは頭を垂れたまま答えた。
「各兵たちの詳細を記憶しているか」
「はい。大規模作戦初日に搬送された方々であれば、負傷時点の容態と処置につきましては記憶にございます」
さらりと返答され、セルデンは思わず顎を引いていた。
野戦病院でカルテといった類の記録は形骸化している。せいぜい戦死者を把握するための数字が残されるくらいで、個人の治療経過などしたためている余裕はないからだ。
先の大規模作戦撤退のような、多数の負傷者が野戦病院に殺到した状況ではなおさら。
誇大を吹いているようには見えないフレデリクの様子を、セルデンは注意深く見ながら、
「──記憶していると、断言できるのだな」
「必要とあれば各人の処置と経過まで書面に残せます。──ですが赦されるのであれば今も搬送されている負傷者の治療を優先したく」
「そんなものの書面作成は必要ない」
セルデンはフレデリクの進言を遮りながら、彼を連れた衛兵に目配せした。
反射的に衛兵は無言で頷く。
──この捕虜の言葉は信用に足ると示すように。
セルデンは頭を垂れたままのフレデリクの前に立った。
「捕虜の軍医。貴様に答えてもらうのは、十七区域から十日前に搬送されてきた一兵卒の証言だ」
「……」
十日前。ゴドウィン総統が戦死した翌日で、陣形が崩れるも無理を圧して進軍したため多数の兵が犠牲になった日だ。
大量の負傷者が運び込まれたことで、野戦病院が恐慌じみた状況を迎えていた──
無言で記憶を精査するフレデリクに、セルデンは続ける。
「殿を務め、銃弾を浴びた兵卒がいる。通信兵も兼ねていた者だ」
「──記憶にございます」
十七区域の陣営を手放し撤退する間際まで、通信兵として直前の情報を発信していたという年若い兵士だ。撃たれた手足に残った銃弾を五発取り除いている。
一兵卒の多くは騎士のもとで動く平民出身者だった。名前を確認する暇はなかったが、顔なら憶えている。
「かの通信兵は十七区域の陣営に集音器を残すことで、直後に侵攻したドルムトレク軍の作戦内容を一部耳にしたという。だが──直後銃撃を受け記憶が混濁している」
通信兵はフレデリクの治療の直後意識を取り戻し会話こそできるが、聴取のたびに耳にしたとされる作戦内容は齟齬があり、情報の整合性が疑われていた。
通信兵は頭を抱えながら思い出そうとはしているものの、確信できずにいる。だが──
「奴は搬送中、常に口走っていたらしい。耳にしたドルムトレク軍による作戦内容をそのまま」
うわごとのように繰り返し喋り続けていたのは、ドルムトレク軍が占領した十七区域を軸に展開しようとしている侵攻作戦だったという。
どの区域にどれほどの戦力を投入するか。
ある陣地を囮に仕掛けるつもりの奇襲の情報も。
地形の座標情報を基にしたその内容は、ほとんどが数字に寄るものらしい。
──それを掌握すれば、ドルムトレクが次に仕掛ける作戦を網羅したも同然だった。
さらには相手を出し抜いた攻勢と反撃すら見込める。
だが、あくまでその数字が正確であればの話だ。
通信兵は手足だけでなく右耳も撃ち貫かれており、その衝撃で記憶障害になっていた。
相手が作戦を展開するよりも早い回復は見込まれない。
「そこで貴様の記憶を確認することになった」
セルデンは傲然とした口調でフレデリクに言い放つ。
「衛兵によれば、治療中も通信兵は作戦内容を口走っていたらしいな。間近にいた貴様ならその内容を耳にしていたのではないか」
つまり、最も正確で鮮度のある情報を記憶に留めているのは治療に携わっていたフレデリクになる。セルデン侯爵は顎をしゃくって頭を垂れたままの捕虜の軍医の返答を促した。
「言っておくが、適当な数字を嘯こうとすればこの場で射殺する。我らが求めるのは正確な数字だけだ。心して答えろ」
野蛮で不条理な脅しを前に、フレデリクはゆっくりと頭を上げると静かな眼で相手を見据えた。
「──南西十七地区ポイント・キルギを軸に両翼を展開。東経108・41、南緯643・22開始プランをアルファとする」
「──!」
抑揚ない声は、無機質でありながら預言のような厳かさすら帯びていた。
フレデリクは息を呑むセルデンに、平静な眼差しのまま続けた。
「両翼均等の86を軸に・左右各13、75を軸にした場合の拠点は天候07と戦況をもとに決定──以下、座標数値を三通り口にしていました」
淀みなく数字を述べるフレデリクに、セルデンははっと我に返る。
「──待て。衛兵、記録を」
「はっ」
目の前で慌ただしく反応する侯爵と衛兵を前に、フレデリクは静かなままだった。
命じられるまま、記憶していた通信兵の言葉を答える。
発言の整合を確かめるため証言は何度も繰り返させられたが、数字を含む内容に一切の相違は存在しなかった。
作戦名は〈曙光〉とされた。
敗走を余儀なくされ、追い打ちをかけられ崩壊の危機に瀕しているデュミナスの騎士軍による起死回生の作戦は、ドルムトレク軍が仕掛けようとしている駄目押しの追撃を逆手にとり、敵拠点を撃破、ひいては十七地区奪還を果たすことを目的としていた。
作戦はドルムトレク軍陣営を盗聴した情報に基づいている。さっそく前線から敵陣営の動きが報告され、情報は限りなく正確である、という裏付けも成されている。
通信兵が決死の境地で獲得した情報を無駄にはすまい──
「リュミエール騎士団長、貴君に十七地区領土奪還の陣頭指揮を任じる」
セルデン侯爵騎士の勅命を、ウルスラは直立のまま拝命していた。
拒否する権利など彼女にはなかった。
情念で装飾された作戦名と内容が演説好きな侯爵による長広舌で語られようと、僅かな挽回の機会も逃すまいとする意気込みが垣間見える。
臨時総統であるセルデンは、現時点のコクトード州の苦境に気をもんでいるのだろう。
ゆえに通信兵が盗聴で入手した情報、などという危ういものすら武器にしようとしている。
そして──それを武器に戦場に赴くのは自分自身ではない。
損失しても惜しくない捨て駒だ。
ウルスラに動揺はなかった。
先の大規模作戦では生き延びたが、いつか再びこういった無謀な戦局に投入されるだろうと覚悟していた。
それをさも尊い決断であるかのように、騎士軍幹部が拝聴している。
幹部が集い、自分を取り囲んでいる会議室の空気に滑稽なものすら感じられるほどにウルスラは冷静だった。
胸元に手をやり、作戦〈曙光〉陣頭指揮の拝命をする。
セルデンは満足そうに口元に笑みを刻んだ。
「本作戦は文字通り、我らデュミナスの夜明けを示しうる。必ず勝利せよ」
「御意に」
淡々と命令を拝受する彼女の様子に、幹部らはひそかに目を合わせながら頬を吊り上げていた。
考えるまでもなく、この作戦は無謀だ。曖昧な情報に不確かな戦況──それらを軸に兵を動かし今の状況を打開しようというのだから。
いくら武勲を求めていても、誰も手を出さない。
この苦境で幹部が第一にしているのは保身だ。だが、幹部であるがゆえに戦場での無為は許されない。形になる「作戦」を敢行したという実績が必要だった。
そこで死にぞこないの、捨て駒も同然の現地騎士団長を利用する。
失敗したとしても、損失や痛手は最小限。戦地で作戦を執り行ったという実績だけは残すことができる。
セルデンが作戦指揮の任命を済ませ会議室からさっさと去ろうとすると、ウルスラはひとつ問いかけた。
「本作戦の要となる情報をもたらした通信兵に聴取は可能でしょうか」
「通信兵に?」
必要な命令は与えた終えたセルデンは、胡乱気にウルスラを見やった。
「何を確かめるつもりだ」
「情報の真偽を疑うつもりはありません。陣頭指揮を執るうえで、必要な情報を追加できれば」
無謀な作戦であることは自明なのに、生真面目に取り組もうとしている騎士団長の言葉にセルデンと周りのものは嗤笑を滲ませる。
一方でウルスラは幹部たちが共有している嘲笑や茶番とは境地を異にしていた。
──生き延びたこの命を、無駄にするつもりはない。
使い捨て扱いされようと、生きてこの作戦を果たすつもりだった。
セルデンは口髭を小さく歪めながら、
「通信兵は情報入手の折に耳を撃たれて記憶障害になっている。追加できる話もないだろう」
「──では、今回の情報はどのように入手されたのでしょうか」
無謀であることは承知しているが、名前までつけた作戦を敢行するには情報に相応の根拠がなければ成立しえないはず。
するとセルデンは面倒そうに答えた。
「治療にあたった軍医が、通信兵の口走っていた情報を記憶していたのだ。本作戦はその内容をもとに執り行われる。直接情報を確かめたければ、該当の軍医に聴取しろ。
ドルムトレクの捕虜となった軍医だ」




