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秘めたきずあと背中に沈む  作者: 熊谷茂太


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第六章 きみがための血と死⑨

「実に清廉な話だ」


 フレデリクの言葉を聞き尽くしたルーカスの上司は、得心したように頷いていた。


「貴君の情報は精査の上有効に使わせてもらおう。医師として、医療にまつわる個人情報を提供するのは問題とは思うが──まあ相手は敵国だ。今さら倫理を(おもんぱか)る必要もないか」


 その声は疑惑を薄め、共犯者を見るような目でフレデリクを見ている。


「ご寛恕(かんじょ)痛み入ります。貴国では謹んで医師の倫理を遵守する所存です」


 ──清廉。ルーカスの上司が言った通りの反応がそこにあった。


「貴君はさておくとして、問題は共に連れていたデュミナス王国の負傷者だ。

 貴君は恩義に報いるつもりのようだが──率直な話、彼女に共和国への敵意はないのか。デュミナスの間者である疑惑も捨てきれない。あの娘は何者だ」

「デュミナスの騎士団を率いていた方です。形式上貴族ではありますが、戦場に徴用される人員として貴族として登録されたに過ぎない──孤児であったと、彼女は仰っていました」


「ほう……」ルーカスの上司は意外そうに目を細めた。「騎士団長ならそれなりの役職だ。亡命申請も難しくなる可能性がある。やけにあっさりと明かすじゃないか」


「偽りを述べるつもりはありません」


 フレデリクは淡々と続けた。


「いずれ明らかになる。彼女のためにもならないことは明白です」


 安易な偽証はかえってウルスラを追い詰める──フレデリクはそう信じて疑わなかった。

 完璧なまでに理知的な回答だった。

 ただ、フレデリクという人物を知ったルーカスは、その姿勢をそのまま受け入れることに躊躇していた。


 この男が偽りを排してさも誠実に徹しているように見えるのは。

 その根幹にウルスラという女性がいるからだ。

 彼が果てしなく誠意を尽くして身を捧げようとしているのは、倫理や真実ではない。

 ウルスラという、たったひとりの女性だけ──


「…………っ!」


 あらためてルーカスは肌を粟立てた。


 この男は、フレデリクはとてつもなく狂っている。

 目的のためなら悪魔の所業であろうと思考し実行できる。


 それがいかに恐ろしいことかは、すでに証明された。


 彼はウルスラを守るという目的のため、二つの王国を破滅に追い込んだのだから。


 むしろ王国が共和国の介入によって北上した、という状況すら生ぬるいものだったのかもしれない。この男なら、もっと二王国を破滅に追いやることができた。それをしなかったのは──あの瞬間は負傷した騎士団長を助け出すことが優先されていたからだ。

 もしもあのとき、騎士団長が凶弾によって死んでいたら────


「……っ」


 考えたくもない。

 今、自分に背中を見せている男に、魔物の角か翼でも見つけてしまったような気分になる。


 内心で動揺を隠そうとしていると、上司が目聡く気付いた。


「──ルーカス。どうだ。なにか異論や疑問などあれば意見を聞くが」


 その声に、フレデリクへの疑念はなかった。彼がただ者でないことは正確に把握しただろうが、直ちに共和国の脅威となり得る存在ではない、という判断なのか。

 むしろフレデリクという男の危うさを面白がっているように見えるのは──気のせいだろうか?


「……いえ」


 呼吸を整え、動揺を押し殺してルーカスは答えた。


「予定にはありませんが、有用な手土産となったならと思います」

「言うねえ」


 上司は愉快そうに笑う。

 フレデリクは自分を挟んでやりとりする共和国の者たちを、静かな微笑で見届けていた。






 亡命申請者の聴取とは思えない和やかさすら残し、フレデリクへの面談は終了した。

 ルーカスに連れられて部屋を立ち去るフレデリクに、最後ルーカスの上司が声をかける。


「ときに、フレデリク・ベイリー。亡命が承認された暁には、我が国の軍事機関に貢献してみないか」

「軍事機関に? 先ほどの情報に基づいた助言程度でしたら可能ですが」

「提供してもらった情報はあくまで我が国の者が有効活用していくが──その先々についてだ。貴君は軍事情勢にも通用する智略を持っていると見受ける。ぜひ共和国の繁栄に貢献してくれないだろうか」


 にこやかな目には、フレデリクを高く買う色があった。

 フレデリクはあらためて向き直り、丁寧に頭を垂れる。


「わが身に余るお話ですが──申し訳ございません。かような貢献は出来かねます」

「……貴君の力を見誤っているとは思わないが」

「大変恐縮です」


 フレデリクは感謝を滲ませるように優雅な受け答えを返した。


「ですが私は人の命を救うことを生業とする医師に過ぎません。共和国への貢献は医術で尽くしたく思います」

「そうかね。では、そういうことにしよう」

「失礼いたします」


 ルーカスはヒヤヒヤしながら二人のやりとりを黙って見ていた。


 ──自分が見えていないだけで、実は二人がとんでもない心理戦を繰り広げていたのではないかと錯覚してしまう。それほどに、異様な緊張感があった。

 フレデリクを収容所に連行しながら、ルーカスは考える。


 おそらく彼は望み通り、騎士団長だったウルスラとともに亡命を承認されるだろう。

 軍事機関から距離を取り、戦争にも関わりない立場を確保されるはずだ。

 それで万事丸く収まるのなら、ルーカスも文句はない。


 共和国は一人の狂気を内包することになるが──

 この狂人は有能で賢い。彼を脅かすような真似さえしなければ問題はないはずだ。


 ──そうルーカスは自分に言い聞かせることで、納得する。

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