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秘めたきずあと背中に沈む  作者: 熊谷茂太


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第一章 へだたりに、あいまみえる③

 翌日は「敵国の情報聴取」という名目でウルスラはフレデリクの牢を訪れていた。


 医師になったきっかけ、専門は外科で薬学にも精通していること、戦場では野草から薬を作ったこともあること、家族は弟が一人で未だ独り身であること──記録に残せるような情報なんてほとんどない。だがウルスラは鉄格子を隔てた「聴取」でフレデリクと話す時間を次の日も、その翌日以降にも作っていた。


 ただ知りたかったのだ。

 フレデリクという人の、これまでのことを。


「──どうして宮廷医師を辞めて軍医になったのだ?」

「軍人になった弟が、この戦争で亡くなったんです」


 遠い時間を思うように、フレデリクは目を細めた。


「優しい弟でした。戦争で失いたくなかった。けれど私には戦争を止める力はありません。だからせめて軍医になって戦場の命を助けたいと。ですが──いつまでたっても戦争は終わりませんね」


 戦争が終わらないことで、人が死に続ける世界は両国の日常と化した。

 ウルスラにとって、生まれたときから世界は「こういうもの」だった。家を失くし、親を亡くし、生きるために命を懸ける日々。日常(それ)は抜け出したり変えたりすることは叶わないものだ。


 戦争に勝てば、戦争が終われば「平和」になるのだと聞いたことがある。


 平和がわからない。それがどんなものなのか、淡い想像しかできないとしても──いつからか、戦争のない世界を渇望するようになっていた。


 でもフレデリクのように、かつては存在していた平和に焦がれる人もいる。

 戦争のない世界にいた者の願いは、ウルスラの望みとは違う切実さがこめられている気がした。

 寂し気な声に触れたウルスラは、ぽつりと吐露していた。


「早く、どちらが勝ってもいいから終わりにしたい。戦争で人が死ぬのは……もう充分なはずだ」


 ──騎士としてあるまじき発言に、はっと口を閉ざす。

 フレデリクは深い同意を示すように微笑んでいた。

 人の命が失われることへの哀しみと疲弊。境遇も立場も違えども、その気持ちを分かち合えてほっとする。


「……あなたがいてくれてよかった。こんな話、他の騎士とはできない」


 口元からそんな本音が零れていた。

 ──これ以上気を緩めてはいけないと、ウルスラは姿勢を正す。


「今日の聴取は以上だ。明日で一週間になるから、抜糸を頼みたい」

「仰せのままに。──そうですか、もうそんなに日が経ったのですね」


 そう言ってフレデリクは鉄格子から手を差し出す。握手はふたりの挨拶代わりになっていた。

 彼とは鉄格子を隔てていることをあらためて思い出しながら手を握る。会話の終わりに寂しさを覚えつつも、ウルスラは手が触れ合うこの短いやりとりに安らかなものを感じていた。

 握手をして、指の力を緩める。と、フレデリクの指先が不意にすっと伸ばされた。乾いた細指が、ウルスラの手首に添えられる。


「……?」

「ひどく緊張していませんか」


 フレデリクが静かに問うた。ウルスラの冷えた指先と脈拍とを確かめていたのだ。


「抜糸は心配ありませんよ。それとも他になにか──」

「──、なにも」


 ウルスラは途切れた言葉を補うこともなく、その場を去った。






 その日は第三区騎士軍総統ゴドウィンが現場総指揮を取るべく本部に現れた。

 コクトード州領土拡大に向けた大規模戦力投入作戦が高らかに宣言される。


「本作戦により、デュミナスこそが正統の王国であることが証明される!

 我らデュミナスの青い血の聖さを示せ! ドルムトレクの穢れた赤馬どもは(みなごろし)だ!」


 威厳に溢れた総統の姿に、兵士たちは大いに沸き立った。堂に入った総統の演説は兵士をさらに昂揚させ、明日から展開される作戦の準備が進められる。

 つい先日、州境の一部を制圧した戦果など些末なこととばかりに、総統は騎士団長であるウルスラには次の作戦で前線における動きと準備を命じると、本陣の視察を開始した。

 気に入りの部下を侍らせては戦場各地で己の称賛を撒き散らす様はさながら儀式だった。

 軍服幹部の行列はその日の午後、野戦病院にも現れる。


「──ずいぶんと使える軍医のようだな」


 フレデリクは治療に専念していた。後ろから衛兵に小突かれて顔を上げると、ゴドウィンの巨体に見下ろされていた。

 ゴドウィンは不躾な視線をベッドと負傷者にまみれた室内に巡らせ、鼻を(しか)める。

 身動きできない者から醸される体臭に、不快を隠そうともしない。


「早く使えるように励め。木っ端の兵士など戦場で使えなければ何の価値もない」

「仰せのままに」


 丁寧に応じると、ゴドウィンは鼻を鳴らした。フレデリクの脚の拘束に何事かと目を眇めると、すかさず背後にいた部下が耳打ちする。


「ほう──貴様が騎士団長の生かした軍医か」

「左様にございます」

「フッ、やつも数合わせの雑種の分際で小賢しい真似を」


 あからさまな侮蔑はウルスラに向けられていた。

 ──もとは孤児で、形だけの貴族だと彼女自身も語っていた。たとえ騎士団長であろうと、ウルスラは素性ゆえに自陣では嘲笑と軽視の対象だった。

 監獄の衛兵ですら、彼女への不敬を隠していなかった。


「しかし貴様は役に立っているようだな。捕虜の分際で」

「恐悦至極に存じます」


 粛々と相槌を打つフレデリクに気を良くしたのか、ゴドウィンは部下にも聞こえるよう声を張って語り出した。


「ひと月前はあの小娘のしくじりで必要な兵士の派遣が叶わず、領土拡大作戦の遅延を招いたものでな。今回こそ役に立ってもらわねば。貴様らも騎士団長が先陣切って突入すれば士気も上がるというものだろう?」

「仰る通りです!」


 ゴドウィンに部下たちが素早く同意する。

 フレデリクは考えるように視線を辺りに巡らせた。


「では明日からの先陣には、騎士団長殿が?」

「あの小娘もやっと役に立つというものだ。大いなる犠牲は兵士の士気をさらに高めるからな」

「御意に!」


 応える兵士たちは顔を見合わせて(わら)っていた。憐れみすら帯びたその表情からフレデリクは先陣がどのような役割を持つのかを悟る。


 ──どういう作戦かは知らないが、先陣は捨て駒になる。犠牲が前提とされているのだと。


 フレデリクはゴドウィンに向けて静かに頭を垂れた。


「どうかご武運を」


 祈るような声の切実さを感じ取れる者はその場にいなかった。

 敵国の軍医でありながら捕虜としてへりくだる様に、ゴドウィンは嘲笑混じりに鼻を鳴らした。


「いい心がけだな、赤馬ドルムトレクの軍医。働きによっては登用してやってもよいぞ。

 開戦当日は戦果獲得のため私も戦場に立つが、以降の指揮は本部で執るからな」

「──恐れながら、総統閣下」


 フレデリクはゆっくりと顔を上げた。


「お手元に傷が。外傷が戦場で深刻化する恐れがあります。私に治療をさせてください」

「ああ。これのことか」


 ゴドウィンは自分の右手の甲にある切り傷を見やった。充分な治療は済んでいるが、包帯は汚れてきている。


「はい。私は薬草と軟膏の知識もございます。直接お怪我に効能が出るものを扱いたく」

「フッ、ではついでに診てもらおうか」

「かしこまりました」


 傷の治療を丁寧に施すと、ゴドウィンはすっかりいい気になっていた。大したことのない手の傷に膏薬が塗られ、きれいな包帯が巻き直される。


「作戦の成功をお祈りしております」


 フレデリクの一礼を総統は見向きもせず、野戦病院をあとにした。

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