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秘めたきずあと背中に沈む  作者: 熊谷茂太


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第一章 へだたりに、あいまみえる②

 翌日からフレデリクは軍医として野戦病院にいた。

 足首には歩行が制限される鎖付きの拘束が施され、衛兵による不定期の監視もある。

 だが特に問題もなく、フレデリクは適切で迅速な医療行為に身を尽くしていた。

 物資の少ない状況にも慣れた様子で、現場にある薬剤の調合だけでなく抗生物質による有効な処置も進言していたという。


 ──報告を衛兵から聞くと、ウルスラは少し考えて口を開く。


「一度本人を聴取する」

「は? 今からですか」

「鍵をもらえればわたし一人で向かう。貴君は下がっていい」

「あ、はあ。そういうことでしたら」


 衛兵はそそくさと監獄の鍵束を渡すと、形だけの敬礼をしてその場をあとにする。

 ウルスラはひとり、監獄房へと向かった。


 この日は鎧でなく騎士団の制服姿だった。作戦本部で各地の戦況確認と、今後取るべき作戦、戦術効果の算定をしていたら、こんな連絡が入って来た。


『一週間後、第三区騎士軍総統がお見えになる! ひと月ぶりに現場総指揮を取られるそうだ』


 総統とはデュミナス王国十一区ごとに存在する騎士たちの長だ。その区域に編成されている騎士団の総合体である騎士軍を統括する者、つまりは騎士団長であるウルスラの上官になる。


『ゴドウィン総統が総指揮とは!』『かなりの大隊を集めてきたらしいぞ!』


『………………』


 現場兵士たちの昂揚とは裏腹に、ウルスラは心臓を凍らせていた。

 ──時間がない。隠し続けていくのにも、限界を覚えていた。


「…………ふ、ぅ……」


 動揺を抑えるようにぎこちない深呼吸をすると、ウルスラは監獄房を突き進み、フレデリクの収監されている牢の前に立った。


「騎士団長殿」


 備え付けのベッドに腰掛けていたフレデリクが立ち上がり、鉄格子へと歩み寄る。

 昨日と同じ、落ち着きある淡い笑み。


「フレデリク、ひとつだけ口外禁止で頼みたいことがある」


 ウルスラはなるべく平静を保とうとするが、出だしの言葉は早口になってしまった。

 鉄格子の向こうにある相手を見据え、告げる。


「わたしの傷を、()てくれないか」

「仰せのままに」


 勇気を奮って発した言葉に、フレデリクは粛然と頷く。






「どうしてわたしに傷があると判ったんだ」

「誓約の握手の時、尋常ではない体温でした。立っているのもお辛かったのでは」

「…………騎士団長の務めには、差し支えない」

「並大抵の精神力ではありませんね。ですが、無理にも限度があります」


 ウルスラはフレデリクの牢にあるベッドの縁に腰掛けていた。衛兵から借り受けていた鍵で牢を開けると、その場で傷の様子を診てもらうことになったのだ。

 ──こんな所を誰かに見られたら大事になる。だが、捕虜であるフレデリクの立場を利用してでも、傷の問題は解決しなければならなかった。


 恥ずかしがっている時間もない。制服のボタンをいそいそと外し上半身を露わにすると、ウルスラは脱いだ服を前に抱えるようにして身体を隠す。

 背中だけを、後ろに腰掛けるフレデリクに見せるような形になった。


「……これは…………」


 絶句に深刻なものが混じる。

 そこにあるのは、背中を斜めに裂く大きな切り傷だった。止血してからは膏薬で傷の悪化を押さえていた痕跡がある。破傷風手前の、熱が高い状態だった。


「こんな状態でずっといたのですか──この傷はいつ、どこで」

「ひと月前の、戦場で。不覚をとった」


 ウルスラはぼそりと答える。


「騎士団長が背中に傷を負ったなんて、現場の士気に影響するから」

「それで軍医にもかからず今日まで?」

「どうにかなる。それで、どうなんだ。このままでもいいのなら」

「縫合しましょう」

「ほ────、えっ?」


 驚いて振り返り、背中を捩ってしまう。「う」と傷の痛みで呻くと、フレデリクが肩に手を置ききゅっと身体を前に戻す。


「あなたに負傷がある可能性は高いとみて、野戦病院から最低限の治療用品をくすねてきたんです」

「ええっ?」


 また驚いて振り返ろうとして、フレデリクに肩を掴まれてしまう。


「どうして。病院のものを捕虜が盗んだなんて知られたら──」

「あなたに傷があることは確かでしたから。無駄にはならずによかったです」

「……医師というのは、人を見ただけで傷の有無が判るのか?」


 背中の向こうで、くすりと笑う気配があった。


「初めてお会いしたとき、暗がりでもあなたの顔色はひどかったですよ。野戦病院でしばしば目にする重傷者と同じ青白さが気になっていました。握手で発熱を確認して、騎士として戦場に立っておられるから病気より負傷の可能性が高いと考え、お尋ねしたのです」

「そう、だとしても……」


 その推測をもとに医療品を盗み出すなんて。洞察力もさることながら、とんでもない行動力だ。

 だが、今はフレデリクの判断に助けられている。


 ──縫合の間、ウルスラは脱いだ服を握りしめて痛みに耐えた。

 皮膚に伝う針の痛みと糸の通過。覚悟していたよりも早くに縫合は完了した。


「一週間後には抜糸できます。またいらしてください」

「一週間後……」


 ぽつりと呟くと、ウルスラは服を着て立ち上がった。


「ありがとう、フレデリク。誰にも言えない傷だったから──助かった」

「もったいないお言葉です」

「あの、あんまり丁寧な言葉遣いをされると、こそばゆいんだが」

「おや。騎士団長殿は貴族の出と漏れ聞いていますが」


 不思議そうに小首をかしげるフレデリクに、ウルスラは自嘲気味に笑った。


「わたしは──ただの孤児なんだよ。騎士として使える腕を買われて、数合わせのためリュミエール家にいる形だけの貴族だ。わたし自身には、なにもない」


 騎士軍でのぞんざいな扱いは、彼女が女性だからというだけではなかった。貴族なので他の兵士の慰みものにされることはない。だが、正統な血筋ではないので丁重に扱われることなどない。

 だから取り入っても利用できるような存在じゃない、と事前に白状してしまう。

 この男から妙な期待を自分にかけられたくなかったのだ。

 失望されるのが──怖くて。


「そうだったのですね」


 フレデリクの相槌は至って穏やかだった。


「では、騎士団長殿の騎士としての実力は本物であるということですね」

「……え」


 ウルスラは驚きに目を瞠る。


「そんな風に言われたことはない」

「ですが疑いようのない事実ですよ、騎士団長殿」


 フレデリクはにこにこと答える。皺を刻んだ屈託のない笑顔が思いがけず温かくて、ウルスラはじわりと耳が熱くなるのを感じた。


「あ……えと…………、あっ、あまりわたしを騎士団長と呼ぶなっ」

「ではなんと」

「う、ウルスラでいい。あなたはただの捕虜で、騎士ではないのだから」

「わかりました。ウルスラ」

「……うん。それでいい」


 えへん、とそれらしく咳払いをして場を納めると、フレデリクが「ふっ」と噴き出した。


「ふふ……失礼、くく、ははは……」

「な、なんだ」

「失礼をお許しください。あなたが、かわいくて」

「…………!」


 フレデリクが笑い崩れた上にとんでもないことを言ってきた。

 今度は耳だけでは済まなかった。全身が急激に熱くなっていくのを感じる。


「ば、ばかもの……っ、こ、こらっ」

「その叱り方は、むしろかわいいですよ」

「だって部下を叱るとか、あんまりしないっ」

「あっはっはっは」


 とうとうフレデリクはお腹を抱えだした。その姿にどきりとして、ウルスラはじっと見つめてしまった。昨日の優雅な微笑とは違う、無邪気な笑顔を。

 気付いたら、胸元をぎゅっとおさえていた。


「────きょ、今日は、わたしのことをあなたに知られてしまったから、明日はあなたのことを聞かせてもらう」

「……私のですか?」


 笑いが落ち着いたフレデリクに、ウルスラは頷く。


「そうだ。わたしのことばかり知られているから。フレデリクのこと、聞かれた質問には答えるように。その、嫌でなければ」


 妙なことを勢いで言ってしまうと、意外にもフレデリクは頷きを返した。


「仰せのままに」

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