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秘めたきずあと背中に沈む  作者: 熊谷茂太


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第一章 へだたりに、あいまみえる①

 捕虜収監所の廊下には、ウルスラの鎧と靴の音があった。

 後ろを歩く牢の衛兵が少し疲れた声で、収監した捕虜の情報を読み上げる。


「フレデリク・ベイリー。貴族階級の医師で四十一歳。もとは王族の宮廷医師だったそうですが、十五年前から軍医に転じたとか」

「では軍医の経歴の方が長いのか」

「はあ。どういうつもりなんですかね。王宮でお綺麗な患者相手にしていた方が将来安定で気楽でしょうに。なんだってこんな二十年も泥沼化してる戦場で軍医なんて」

「泥沼化しているから──ではないのか」

「……はあ」


 ウルスラの言葉に衛兵はまるでぴんとこないという相槌を打つ。

 分厚い扉の前に立つと、衛兵が前に進み出て鍵を挿した。


 監獄房を塞ぐ木造の扉が、重たい音をたてて開かれる。


 一本道の石造りの廊下。右側には採光のための格子付き窓が並ぶが、左に居並ぶ独房に届く光はごくわずか。半地下ということもあり、じめついた空気がこもっている。


「しかし騎士団長、よろしいのですか? いくら野戦病院の医師が足りないからって、よりにもよって敵国の軍医を使うなんて──」

「これ以上兵士の命を徒に失うべきではない。敵国の軍医であろうと、我が騎士軍に貢献するのなら命は保証する──相手にとっても悪い話ではないはずだ」

「しかし赤馬の……ドルムトレクの人間ですよ」


 衛兵が(にじ)ませた嫌悪の声に、ウルスラは密かに溜息を吐いた。


 ──もとは同じ民族で、同じ国の人間だったはずなのに。こんな戦争さえなければ。


「彼に敵意や不適正が判明すれば処分する。それを見極めるためにも本人と直接面談に来たのだ。

 判断はすべてわたしが、ウルスラ・リュミエールが騎士団長として担う」

「……承知しました」


 衛兵はその場で敬礼し、ウルスラが監獄房の廊下に進み出ると扉を閉めていく。


「────これだから小娘の指図は面倒なんだよ」


 騎士として鍛えられた耳が、吐き捨てるような衛兵の言葉を拾う。

 先の見えない戦争による疲弊。

 そこにきて最年少の小娘が騎士団長に着任、あれこれ指図もされれば士気低下も致し方ないか。


「兵士たちに慕われるのは、わたしの務めではない」


 ウルスラは独り言ちると、牢へと進んだ。






 青い馬を象徴とするデュミナス家が、赤い馬が象徴のドルムトレク家と王位をめぐって分断、二派が王国を名乗り、正統な玉座を巡る戦争を始めて二十年になる。

 開戦当時争っていた王らが崩御しても、その嫡子たちが遺志を継ぎ泥沼の戦争は継続している。大地を燃やし、都市を破壊しながら。人は殺され、あるいは飢えて死ぬ。

 戦争が日常という世代も増えていた。


 デュミナス王国のリュミエール侯爵家の娘ウルスラは騎士の才覚を評価されると、弱冠二十歳にして辺境の騎士団長に着任した。

 監獄の乏しい採光にも淡く輝く金髪を編み込みでまとめ、薄い唇は常に引き締められている。威厳を出そうと眦に力を入れるが、つぶらな碧い瞳の幼さをなかなか払拭できない。

 しかし鎧を纏い凛々しい足取りを保っていれば、騎士団長としての振る舞いは果たせた。全方位からの攻撃を防ぐ堅固な鎧の意匠は、少女を立派な騎士に変えている。

 今日の戦果は上々で、敵国ドルムトレクの前線を破ると野戦病院設営地まで侵攻するに至った。


 そこで捕えたのが、ドルムトレク王国の軍医だった。

 殺さず収監したのはウルスラの判断だ。消耗戦も著しい戦況でむやみに捕虜は作るべきでないというのが騎士軍全体の暗黙のルールとなってはいるが、軍医は使えると処刑を中止させた。


「──お前がフレデリク・ベイリーか」


 空の監獄が一列に並ぶ廊下を突き当りまで歩くと、ぽつりと気配を持つ牢がひとつ。ウルスラが鉄格子の向こうへ声をかけると、


「はい」


 唯一の捕虜として収監された男が進み出てきた。

 淡い採光がその姿をうっすらと照らす。

 銀髪とくすんだ青銅色の目が浮かび上がる。背は高く、野戦病院で捕縛されたままなのか作業着はぼろぼろで、羽織っている白衣には誰かのものと思しき血が凄惨に散っていた。


 ウルスラはしばしその姿を凝視した。

 返り血の姿に圧倒されたわけではない。壮年のせいか、鉄格子の向こうに佇む姿には異様なほど落ち着きがあった。捕えられた緊張や恐怖を汲み取るのが難しいほどに。


「フレデリク・ベイリーと申します。ミズガラ州で軍医として勤めておりました」


 掠れた低い声。しかし張りのある丁寧な口調はくっきりと耳に届く。

 ウルスラはまばたきして気を取り直すと、声を硬くした。


「その州は我が騎士団に占拠され、今はコクトード州となっている。以後訂正を」

(おお)せのままに」


 胸元に手を添えて一礼する──何かの冗談かと思ってしまうほどの優雅さだ。

 油断してはいけない、とウルスラは当初の目的に集中する。


「わたしが騎士団長として今回お前を捕虜としたのは、軍医としての利用価値を確かめるためだ。我が騎士軍に降りその医療技能を兵士の回復に捧げるなら、生かすつもりではある」

「ご寛大な処置、大変痛み入ります。ぜひ、軍医として貢献します」

「……随分と迷いなく(くだ)るのだな」

「傷ついた者を治療する機会を頂戴できるのであれば、迷う必要はありません」


 それに──とフレデリクは顔を上げ、


「もとは一つだった同じ国の人間。医師として命を救えるのならば本望です」


 切れ長の目と口元が、静かな笑みを象って見せた。

 命惜しさで媚びる態度では到底醸し出せない微笑。医師としての高潔な境地は、騎士であるウルスラには羨ましいほどだった。

 嘘偽りはない、と判断する。


「では明朝から野戦病院で医師としての職務についてもらう。ある程度の拘束と制限付きになる。衛兵の指示に従うように」

「仰せのままに」


 受け答えに醸される優雅さはかなり特徴的だ。ふとウルスラは思い出す。


「──軍医になる前は、宮廷医師だったと聞いたが」

「はい。二十年前、戦争の終結に貢献したいと思い身分を転じましたが──一向に状況は好転しませんね。未だ泥沼でもがいています。微力でも、人の命を救えればと」

「そうか」


 本来の地位を捨ててまで危険な戦地に身を投じるなんて。



〝泥沼化しているから──戦場でもがくことを選んだのではないか〟



「──とてもすばらしい考えだと思う」


 直前に聞いた素性から抱いた印象通りだったので、ウルスラは思わず口にしていた。

 フレデリクは素直に嬉しそうな顔を見せる。目じりにきゅっと皺が寄せられていた。


「恐縮です。私の命を救ってくださった騎士団長殿のため、尽くしてまいります」

「わたしへの忠誠は必要ない」

「ですが、あなたのご果断がなければ私は野戦病院で殺されていました。言葉では尽くせないほどに感謝をしています」

「……っ、騎士団長として、判断したまでだ。命はむやみに失われるべきではない」


 静かに見つめられながら、張りのある低い声で礼を言われてしまい面映ゆくなる。

 ウルスラはとっさに牢から顔を逸らしていた。


「軍医さえいれば助かる命を優先した結果、お前を生かしたいと思っ、て……」


 視線を感じて牢を見ると、フレデリクが優しい笑みでウルスラを見つめていた。


「──よかった」


 柔らかい声だった。


「私を捕虜として生かしたあなたが、思っていた通りの人で」

「…………」


 ウルスラは言葉を失って、その微笑を見つめ返す。

 ただの、捕虜の一言だ。けれど「黙れ」とも「違う」とも返したくなかった。

 自分を肯定してくれた。そんな気持ちになったから。

 すっと、鉄格子からフレデリクが手を差し出してきた。


「医師として、フレデリク・ベイリーは貴国への貢献を誓います」


 差し出された手は、誓約の証だった。


「騎士団長ウルスラ・リュミエールだ。貴君の誓いに感謝する」


 ──誓約での握手は両国共通なのだな、と思いながらウルスラはその手を取った。

 素手の相手に応じるべく、手袋を取ってから握り返す。

 フレデリクの手は体温が少し低く、乾いていた。長年の野戦病院での務めの過酷さを想像していると。


「騎士団長殿」


 フレデリクが不意にはっきりと告げた。


「あなたはどこかに傷を負っているのではありませんか? 放置すれば命に係わる、深刻な傷なのでは」


「……!」


 息を呑んだウルスラは、反射的に手を離していた。

 さっとその場を退き、握っていた手と彼自身とを見比べる。

 その反応を前に、フレデリクは確信を持った目になっている。


 彼の視線から逃れるように、ウルスラは監獄を足早に立ち去った。

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