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秘めたきずあと背中に沈む  作者: 熊谷茂太


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第四章 ただならぬ思いにふれたとき⑧

 ──何もできなくなったわけではない。

 野戦病院で、意識を取り戻した通信兵に診療を施しながら。

 フレデリクは布石を打つ。


「あなたはまだ活動できますよ。〝たとえ手足がなくとも〟」


 鎮痛剤で大人しくなっていた通信兵のルーカスは、その言葉にぎょっと覚醒し目を剥く。

 まるで死神にでも囁かれたような顔をしている。

 フレデリクは相手の動揺に構わず、穏やかな声で続けた。


「幹部の方には伝えておりません。──今のところは」


 ルーカスは言葉なく凝視してくる。

 どうやら理解したようだ。

 フレデリクはルーカスについて「知っている」

 すなわちフレデリクがルーカスの命運を握る存在となっていることを。


 ──この男を生かすことができてよかったとフレデリクは思っていた。出血多量の重傷とあわせ、神経が切れて危うく動かなくなるところだった手足の治療もできたことが何より大きい。

 この男の手足は、有効に使わせてもらう。

 混濁し、途切れようとしているルーカスの意識に刻み込むように、フレデリクは囁いた。


「あなたはまた、戦えますよ」


 捕虜である自分に代わり、この男にしてもらうことはたくさんある。







 数日経つと、状況が変わった。

 ウルスラによる領土奪還作戦の成功を機に、多くの騎士たちが手柄を求めて前線に出るようになっていた。

 大規模作戦で獲得しそこなった戦果を求めて誰もが前のめりだった。その熱は騎士から兵士にも伝播し、戦場に出て勝利するほど、敵国ドルムトレク兵を殺すほど手柄は増すのだという空気が蔓延し、熱病じみた昂揚を生み出すようになっていた。

 この状況で最も強く急き立てられるのは、デュミナス騎士軍の幹部たちだった。

 出陣の指揮官の取り合いとなることも少なくない。


「まだ足りん──明日も私が出なければ」「伯爵騎士は州領土を倍に拡大させたというのに──」「私はまだ出られる。兵士どもが足りないだけだ。補充を──」


 口々にそう言っては、幹部たちは戦場へと赴く。

 きっかけは、ある伯爵騎士の連続出兵と勝利にあった。

 勇猛果敢に前線に立ち、ドルムトレクからじわじわと領土を奪い征服地を急拡大させている「鉄騎士」と呼ばれるようになった伯爵騎士ロドニー・ガーナントの活躍だ。

 ロドニーの目覚ましい活躍と戦果に、周囲は煽られていた。臨時総統である侯爵騎士・セルデンがロドニーをコクトード州の勝利の象徴「鉄騎士」だと言祝(ことほ)ぐことで他の騎士をあえて焦らせていたし、領土奪還以降、戦勝続きという追い風もあった。


 だが、鉄のごときロドニーの進撃には、薬物による強化が施されているという噂が流れだす。

 不眠不休であろうと鮮明な意識を持続できる精神刺激薬。

 伯爵騎士が側近として登用している医師が処方しているらしい。その話を聞くや、他の騎士幹部たちは本陣にいる軍医へ相談するようになった。


「鉄騎士と同じ薬は処方できないのか。同じ効用さえ得られれば、私も──」


 騎士幹部の要求に応じた軍医によって、その処方と投薬はあっという間に騎士幹部に広まった。

 軍医もまた先の見えない戦場での安心材料として、褒賞や貴族の後ろ盾といった見返りを求めていたからだ。

 勇猛を人工的に増幅させた騎士幹部によって戦場の進撃はさらに加速し、熱量は異様すら帯びるようになった。

 その空気が、兵士にまで及ぶのにも時間はかからなかった。

 指揮する騎士たちがあれほど前のめりに戦っているのなら、兵士たちにも相応の功績が得られるのだという無根拠な話すら蔓延していた。都合のいい噂を騎士は放置し、結果、命令無視による突撃も頻発したが──戦意高揚が重視された。

 そうなると、あとは騎士幹部たちと同じような顛末(てんまつ)を辿る。

 無謀によって負傷者は増え、それでも戦果を求め戦場に舞い戻ろうとする。

 焦り、慌て荒み、医師相手にも暴れ出すようになった負傷兵たちに軍医は手を焼いていた。

 そんな軍医らに密かに提供されたのが、捕虜による精神刺激薬の処方だった。


僭越(せんえつ)ながら、該当薬剤の知識ならございます。品質は劣りますが有用かと」


 たしかにそれは幹部向けの代物には及ばないが、効能はある。

 何より、戦場に戻りたがる多くの負傷兵向けに充分な量を確保できるということが大きかった。

 軍医らは騒がしく煩わしい負傷兵たちに投薬し、とっとと病院から戦場に送り出した。

 負傷兵たちも、まだ寝ているべき重度の負傷にすら何も感じることなく戦場へ勇み出る。本能的な死の忌念すら捨てた覚醒剤漬けの兵士たちは戦場に戻ると──二度と還ってこなかった。





 兵士向けに軍医が使用するようになった覚醒剤の処方を提供したのはフレデリクだった。


 騎士幹部の薬物疑惑には無関心だったが、直後、情勢が変わったからだ。

 先の領土奪還作戦の後、ある戦場での振る舞いによりウルスラは味方兵に侮蔑され嘲笑の的になっているのだという。


 ──味方であるはずの者が、相も変わらず彼女を追い詰めている。


 そんな者は消えて然るべきだ。野戦病院まで届いたその噂を聞くや、フレデリクは行動した。

 ウルスラを脅かす者を排除する。武力以外の方法でそれを実現するために。

 おりしも鉄騎士・ロドニーに端を発するデュミナス騎士軍の進撃傾向が高まり、熱気が末端兵士にまで伝播していたころだった。

 フレデリクはそれを利用した。

 自分がドルムトレク軍に在籍していたころの事実を織り交ぜて「おそらく鉄騎士は薬物を使っている」と口にしたのだ。

 事実フレデリクの推測は的中していた。ロドニーの側近医師によるカルテを盗み見た軍医が、精神刺激薬の投与記録を確認したという。

 軍医の間で「騎士幹部への刺激薬物投与は戦勝に結び付く」という認識が共有された。ロドニー以外の騎士幹部からの薬物処方の対応も成され、薬物は淀みなく一部幹部に蔓延した。


 人を人でなくする薬物──覚醒剤は、やがて騎士幹部から兵士にも及んだ。


 戦場に戻りたがる兵士に、軍医が手っ取り早く覚醒剤を投与したがるだろうという流れすらもフレデリクは読んでいた。機を見て、密やかに提供した薬の情報に軍医はすかさず飛びついた。

 覚醒剤の存在は表向きにはなっていない。フレデリクは処方情報を軍医へ秘密裏に提供するのみで担当する負傷者相手には投与しなかったし、軍医たちもまた、この薬物の危うさと目の前の状況処理とを天秤にかけた結論として──公言しないことを暗黙の了解としたのだ。


 薬の影響はあくまで一部騎士幹部と、負傷して野戦病院に一度送られた兵士たちに限られた。

 ただ、薬物汚染者の熱は何も知らない他の健全な兵士にも伝播し、やがてデュミナスは騎士兵士問わずドルムトレクの撃破に専心していった。


 ────加熱する殺し合いに、フレデリクは安堵を覚える。


 兵士も騎士も、みなが敵を殺すことに夢中だ。

 これでウルスラを蔑み、彼女に愚かな真似をする者はいなくなるだろう。戦場から運び込まれる負傷兵は増え、戦死者はいっそう増えることになったが大したことではない。

 ウルスラを脅かす存在を排除できたからだ。

 少しでも、彼女の心が安らかなときを戦場でも送れるようにと。

 フレデリクは祈り続けていた。

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