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秘めたきずあと背中に沈む  作者: 熊谷茂太


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第四章 ただならぬ思いにふれたとき⑥

「──勝利は我らが手に! デュミナスに! 青く清き馬に栄光を!」


 ──デュミナス王国第三区騎士軍総統ケレイブ・ゴドウィンは、自らが陣頭指揮を執る大規模作戦の開始を高らかに宣告した。


 隊列を成す騎士たちがゴドウィンの威風に煽られ(とき)の声を上げる。


 すでに騎士によって各所に配置された兵士たちは臨戦の構えだ。最前線の先陣には敵側の銃弾・砲撃に構わず合図とともに前進することになっている。

 勇ましい騎士たちの声に包まれながら、ゴドウィンは大きく息を吐き、全身を震わせた。


 最初に異変に気付いたのは、総統の側近だった。

 演説と号令のために鎧兜を外して顔を晒している総統の首筋に。

 尋常ではない量の汗が流れ落ちている。


 作戦敢行を直前にした緊張──? いや、ゴドウィン総統は予め大量の兵士と火力を備え、確実に勝てると見込める作戦を幾人もの参謀に算定させたうえで実行させる。陣頭指揮を執るのも安全圏から。戦場にも初日に立てばいい方で、あとは本陣に留まり指揮をする。緊張感とは無縁のはず。


「この作戦は、我ら誇り高きデュミナスの騎士による強襲にかかっている!」


 勇ましい声は怒鳴り声に近かった。呼応する声を上げていた騎士たちが一瞬たじろぐほどの。


「武器を取れ! 戦え! 殺せ! 目の前にあるものは敵だ! すべてが!」


 開戦前に飛ばす(げき)とは異なる、憎悪すら喚起するゴドウィンの喝破にさすがの騎士たちも顔を見合わせる。(さざなみ)のように、戸惑いが広がった。


 ゴドウィンの様子は目に見えておかしくなっていく。肩を上下させて乱れる呼吸。何かを払うように手を強く振り回し、近付こうとしていた側近を肘で吹っ飛ばしていた。


「貴様らは騎士であり、敵を殺す存在だ! 敵、敵を、的に、てき、てきてき、テキ──テキ、敵だ、そうすべてを敵とおもえ! おいこんなところでいつまでもなにをしているキサマら! 敵を殺せ! 殺さんか! 殺しもしないで殺せると思っているのか腰抜けどもが殺せ!」


 言語が壊れだす。攪拌(かくはん)された思考は理路を失い混沌の渦を成す。ゴドウィンの神経を侵蝕し始めた向精神薬は、着実に彼の脳を崩壊させていく。

 ──自分自身がどうなっているのか、ゴドウィン自身にも解らないのだろう。不安は苛立ちと化すや怒りに転じ、目の前の騎士たちへとぶつけられた。


「グズどもが! 騎士ども! 何をしている! 敵を殺せ! 虫けらのように叩き潰さんか!」


 総統の有様を騎士たちは理解できない。戸惑う者たちの無理解にゴドウィンだけがさらに激しく怒りを滾らせる。


「何度も言わせるな、敵を殺すのだ、かんたんなことだ、武力で火力で押し進むのだ、まさに強襲! そうキサマらに足りないのは強襲の精神だ! 強襲しろ! 強襲だ!」

「総統閣下──」

「貴様強襲をせんというのかァアアアア!」


 肘で突かれ、吹っ飛ばされていた側近が慌てて駆け寄ろうとすると、ゴドウィンが奇声じみた声をあげて剣を抜く。

 力任せに振り下ろされた剣は側近を真っ二つにした。側近だった肉体は冗談のように縦に割れて血みどろになる。


「これが強襲だアア!」


 返り血を浴びたまま、ゴドウィンは顔面に満足そうな笑みを浮かべて吼えた。

 壮絶な有様に、騎士たちは戦慄することすら一瞬忘れてしまう。


「強襲しろ騎士どもよ! 強襲だ! 強襲強襲強襲──キョーシューキョーシューキョーシュー──」


 ゴドウィンは血に濡れた剣を振り回して何度も唱える。間近に立っていた騎士は茫然と飛び血を浴びることしかできない。

 ゴドウィンは抜き身の剣を掲げながら、整列する騎士たちを押し退けるように前に進みだした。


「我に続け騎士ども! 強襲しろ! 勝利をこの手にするために! 貴様らの命など強襲に捧げてこそ意味を成す! 強襲だ! 強襲を──」


 ()き出しにされたのは、ゴドウィンの戦場における境地だった。兵士や騎士の命とは己の勝利のために使い捨てるものだ。必要とあれば(なげう)ち、あるいは切り捨てる。

 ただこれまでと違うのは、擲って切り捨てようとしているものに自分が含まれようとしていることだ。そのことを、ゴドウィンは薬物による思考破壊によって自覚できていない。

 血走った目が零れそうなほどに見開かれ、口の端が千切れそうなほどに広げられた。


「キョーシューだァアアアアアアアア!」


 聴く者を底冷えさせるおぞましい声で、ゴドウィンは進撃の号令を発した。

 震えながらも、総統に続く者はいた。だが、大半は戸惑ったままで動きは鈍い。

 突撃の命令を待っていたウルスラたち先陣すらも差し置いて、ゴドウィンは槍の穂先と化してドルムトレク軍へと突進した。


 ──いかめしい鎧の、素顔を晒しながら接近するデュミナス騎士軍総統の姿に、ドルムトレク軍も大いに動揺する。しかし無謀な強襲は当然のように阻止された。

 銃弾が、剣の刃が、矢じりが、的であるゴドウィンを狙い撃ちにする。

 だが思考を破壊され、あらゆる感覚を混濁させたゴドウィンは止まらなかった。鉛玉に、刃物に、撃たれ斬られ貫かれた身体のまま、喉の限り「強襲」を連呼しては敵へと襲い掛かる。

 その壮絶な姿に、ドルムトレク軍のみならず味方のデュミナス騎士軍すら震えあがっていた。


 ──ついにゴドウィンが動かなくなったのは、敵軍がようやく回転させた機銃掃射を浴びたからだった。肉体は文字通りの細切れとなる。包帯が施されていた手の傷も、異常を来していた頭部も含めて跡形もない。

 フレデリクの算定は完璧に機能して、総統は死んだ。







 戦場の状況を野戦病院で漏れ聞いた話から把握しながら、祈ることしかできなかった。

 作戦開始から四日後──生きて帰還したウルスラが、フレデリクの牢の前に現れると。


「────ウルスラ……!」


 夢のような心地で、フレデリクはその名前を呼ぶ。

 鉄格子の向こうに彼女が立っている。ウルスラが生きている。これ以上の喜びがこの世にあるだろうか──心の底から湧き上がる深い幸せに溺れそうだった。

 戦場から(かえ)ってきたばかりなのか、ウルスラの反応はどこか乏しかった。疲弊はもちろんだが頬に飛び散っている血は──彼女のものだろうか。


「ウルスラ。その血はあなたのものですか? 怪我をされたのなら私が診ます──」


 心配で堪らず手を刺し伸ばすと。


「フレデリク。あなたがゴドウィン総統に何かしたのか? 戦場のあの状況は、あなたが」


 問う声は、微かに震えていた。


「────はい」


 フレデリクは伸ばしていた腕を胸元に添えると、すべてを答え、語った。






 人を殺した。

 フレデリクは己の殺意をもとに、ゴドウィン総統が戦場で死ぬように精緻(せいち)な計算を施していた。

 誰が見ても異様な錯乱。異常死を目の当たりにした味方が内部から崩れ、本来の作戦の続行が難しくなることも想定していた。戦況の維持すらできないだろうと。


 ──状況が大きく変われば、先陣の全滅ありきの作戦も中止される。ウルスラが死なずに済む。

 その可能性を掴むためだけに、フレデリクは総統を死に至らしめた。


 すべてを偽りなくフレデリクは明らかにした。

 ウルスラに嘘をつきたくなかった。たとえ人を殺した汚らわしい医師だと軽蔑されようとも。

 ゴドウィンは殺すに値すると自分で判断したことも含めて。

 すべてはウルスラを失いたくないというフレデリク自身の思いから発していた。医師という立場を利用しての殺人。誇れるような所業ではないことも解っている。

 ゆえに彼は、この罪を自分のためのものだという意味をこめてこう言った。


「──すべて私が選んだことです。後悔はありません」


 この殺人は、私が、私のために、この手で成し遂げただけ。間違ってもあなたが(こうむ)る者ではないと。

 ウルスラは、フレデリクを見つめたまま目を()らさなかった。


「フレデリク……」


 彼女は自分を恐れて立ち去るだろうか──

 だが。

 ウルスラは、静かな声でこう言った。


「──これからも軍医として、あなたの力を尽くしてくれないか」

「仰せのままに」


 フレデリクは答え、鉄格子を掴んだ彼女の手をそっと包み込む。

 ウルスラは指を絡めてフレデリクの手に応じてくれた。

 真っ直ぐに自分を見つめるその目に、フレデリクは誓っていた。


 ──あなたのためなら何でもする。

 たとえそれが彼女を恐れさせ、(さげす)まれるような行いであろうと。

 戦場でウルスラが生きていければ、それでいい。

 この手でどんなことでもする。

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