第四章 ただならぬ思いにふれたとき③
──立っているのもやっとなのでは。
牢に収監されたフレデリクが、鉄格子の向こうに立つ騎士団長を見たときにまず感じたのは、その危うさだった。
通路側の窓から零れる光に輝く金髪と、青白い肌の淡さに目が引き込まれる。
整った容貌を「人形のようだ」と言い表すのもはばかられた。
血の気のない顔色は、むしろ死者のものに近い。
ただ表情は意識的に引き締められ、正面で向かい合うフレデリクを油断なく見据えていた。
「──お前がフレデリク・ベイリーか」
少女と言ってもいいあどけなさ。しかし騎士団長としての威厳を自力で維持している。
こうした手合いは常に部下を引き連れて追従させるものだが、彼女はひとりだった。
自分を捕虜として生かす判断をしたのはこの騎士団長の女性だという。
敵国の負傷兵たちを治療する軍医として尽くすなら生かすつもりだと。
フレデリクにとって生き延びたことに対する喜びは希薄だったが、自分を軍医として使うと決めた騎士団長には一抹の感謝を覚えた。迷いなく、デュミナス軍に降ると答えていた。
「傷ついた者を治療する機会を頂戴できるのであれば、迷う必要はありません」
本心だった。
自分にはもはやそれしかない。戦場の負傷者を救う以外に生きる価値もない存在だから。
救うべき者が自分の国の者でも、敵国の者でもかまわなかった。
軍医になるまでの経歴を訊ねられ、淡々と答えていると騎士団長はぽつりと言った。
「そうか──とてもすばらしい考えだと思う」
その一言に、フレデリクは全身に滲むような温もりを覚えた。
軍医として戦場で治療し続けることは彼にとって罪罰と化していた。十五年も経ちその感覚すら失われて久しい。
相手への礼節の姿勢を維持していたが、気付くとフレデリクは微笑んでいた。
自分は嬉しいのだと、そこで己の感情を自覚する。
「恐縮です。私の命を救ってくださった騎士団長殿のため、尽くしてまいります」
「わたしへの忠誠は必要ない」
感謝と敬意をそのまま示すと、騎士団長は戸惑った。他者からのお世辞やへつらいとは無縁なのか逃げるように目を逸らしてしまう。
「……っ、騎士団長として、判断したまでだ。命はむやみに失われるべきではない」
フレデリクを生かしたのは、負傷兵の命を一人でも多く救うためだと言う。
「──よかった」
騎士団長の言葉に、フレデリクは思わず零していた。
「私を捕虜として生かしたあなたが、思っていた通りの人で」
命あるものを殺すな、などという安っぽい人道主義はこの戦場には存在しえない。
それでも、命が奪われて止まない戦場で、命が失われないようにと尽くすことを諦めない──そのために、軍医として自分は生かされたのだ。
まだ若い騎士団長が、ひとりでその決断を下したということにフレデリクは尊敬すら覚えた。
捕虜という立場に見合うものかわからないが、彼女への忠義を示すべく手を差し出した。
「医師として、フレデリク・ベイリーは貴国への貢献を誓います」
本心ではデュミナス王国ではなく、ひとりの人への誓いをこめて。
すると騎士団長は丁寧に手袋を取って、フレデリクの素手に応じた。
「騎士団長ウルスラ・リュミエールだ。貴君の誓いに感謝する」
触れて握った手の感触に。
ざわりとしたものが血管を巡った。
彼女──ウルスラは尋常ではない高熱だった。最初に見た異常な青白さ。立っているのもやっとという見立ては気のせいではなかったのだ。
「騎士団長殿」
瞬時に考えを巡らせ、フレデリクは問うていた。
「あなたはどこかに傷を負っているのではありませんか? 放置すれば命に係わる、深刻な傷なのでは」
驚いたようにウルスラは手を引っ込めた。何も言わず、足早に収監所の通路をあとにする。
閉ざされた扉越しにも、遠ざかる気配を追うようにフレデリクは彼女の足音に耳を澄ましていた。
「わたしの傷を、診てくれないか」
──翌日の夜、人目を避けるように捕虜の収監所に現れたウルスラはそう言った。
フレデリクはほっとした心地でその申し出に応じた。
やはりこの人には深刻な傷があったのだ。手遅れになる前に、診ることができる──
「……これは…………」
牢を開錠して、捕虜のベッドでの診療を頼んだウルスラが自ら晒した背中の傷を目にして、フレデリクは絶句してしまった。
白い背中に一筋の斬裂が走っている。
止血して化膿を防ぐ膏薬を塗った痕から、彼女一人の手でどうにか施したのだと察せられる。
「ひと月前の、戦場で。不覚をとった」
歯切れの悪い答えに、フレデリクはその嘘を瞬時に見抜く。
この傷では相当な出血があったはず。戦場で、それが見落とされるわけがない。
なによりデュミナス騎士軍の纏う鎧で、背中にこんな傷がつくはずがなかった。
──だが、フレデリクはその場で追及することを止めた。彼女が本当のことを言わないのは、きっとなにか理由があるのだろうと察して。
大切なのは、目の前にあるウルスラの傷を治療することだ。
その日のうちに野戦病院で密かにくすねて袖の内側に隠していた縫合用の医療道具を使った。役立つはずと予感していたが、早々に実用できてよかった。
フレデリクは縫合を進める。その迅速な判断と行動力にウルスラは驚いていたものの、素直に施術に身をゆだねてくれた。麻酔なしの縫合にもじっと耐え、一週間後には抜糸ができると告げると、ほっとしたように息を吐いた。
「ありがとう、フレデリク。誰にも言えない傷だったから──助かった」
自然と人にお礼を伝えるウルスラに、心根の優しさをフレデリクは感じる。
それと同時に。
──誰にも言えない傷だったから──
騎士団長である彼女の根底に、孤独を感じ取っていた。
彼女は今日まで、あの深刻な傷をひとりで抱えていたのかと。
会話のなかでふと、ウルスラは自嘲気味に明かした。
「わたしは──ただの孤児なんだよ。騎士として使える腕を買われて、数合わせのためリュミエール家にいる形だけの貴族だ。わたし自身には、なにもない」
──貴族が身内の徴兵を逃れるために使う、制度の穴を突いた姑息なやり口だった。
ドルムトレクもデュミナスも同じだ。身分や家の名前だけを与え、いつどう死んでもいい他人を戦場へと放り込む。貴族たちは何も失うことなく、戦争を続けていくのだ。
そんな環境を、騎士団長になるまで生き抜いてきたとは。
「では、騎士団長殿の騎士としての実力は本物であるということですね」
フレデリクが率直に敬いの気持ちを伝えると、ウルスラは顔を赤くした。
「そんな風に言われたことはない」
困ったように掠れた声がいじらしくなり、フレデリクは追い打ちのように続けた。
「ですが疑いようのない事実ですよ、騎士団長殿」
たちまちウルスラが耳まで真っ赤になる。
本心から告げた言葉が彼女にこんな反応をもたらすことに、フレデリクは微笑ましさを覚えた。
「あ……えと…………、あっ、あまりわたしを騎士団長と呼ぶなっ」
動揺して張り上げた声は、かすかに上擦っている。
「ではなんと」
「う、ウルスラでいい。あなたはただの捕虜で、騎士ではないのだから」
「わかりました。ウルスラ」
「……うん。それでいい」
えへん、とウルスラは胸を張って咳払いをした。威厳を発揮できたことに満足したような仕草があまりにも彼女には似合わなくて、フレデリクは堪え切れずに噴き出してしまった。
「ふふ……失礼、くく、ははは……」
「な、なんだ」
「失礼をお許しください。あなたが、かわいくて」
「…………!」
思わず本音を口にすると、ウルスラは赤い顔で叱ってきた。
その叱り方すらぎこちなくて、自ら「叱るとか、あんまりしない」と明かしてしまう。
──フレデリクは声をたてて笑っていた。
捕虜として、軍医として、他人に対して常に等しく保っていた体裁は形無しだ。
自分自身でも驚いていた。こんな風に笑ったことなんて、記憶を手繰ろうにも遠すぎる。
目に涙まで滲んできて、久しぶりに揺れ動いた自分の感情に心地よさすら覚えた。
ウルスラはそんなフレデリクを赤い顔のままじっと見つめている。




