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秘めたきずあと背中に沈む  作者: 熊谷茂太


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第四章 ただならぬ思いにふれたとき②

 エクトルの亡骸(なきがら)は棺で帰還した。


 ──中尉として勇猛果敢に──悪辣(あくらつ)なデュミナスのしかけた地雷を巧みに打破し──前線に立っていた大尉に代わり指揮を──王家に代わり中尉の貢献を称え──


 軍人が読み上げる戦績に構わず、フレデリクは棺の蓋に手をかけた。

 すると別の軍人が手を伸ばす。


「あまり見ない方が」


 制止する声は軍人らしからぬ柔らかいものだった。


「中尉殿──顔を撃たれてしまったんです」


 エクトルの直属の部下だったのだろうか。微かに震える声から悼みと哀しみを感じ取り、フレデリクはただしみじみと「弟は本当に部下に慕われていたんだな」と思った。


 静かに棺を開き、弟の亡骸と対面する。

 顔の半分が銃弾で吹き飛ばされていた。

 衝撃は弟の面影を完全に奪い去り、元の姿を思い出すことが難しいほどだった。


 記憶すら侵食しようとする光景を前に、フレデリクは静かにその顔に触れた。

 破壊されてしまった顔に、砕けて飛び散った眼鏡の破片が喰い込んでいる。それを指先で丁寧に取り除く。

 それはエクトルが自慢していた目印だった。この亡骸は間違いなく弟なのだと思い知りながら、フレデリクは細かい欠片を(つま)み取っていく。


「────痛いだろ?」


 答えは返ってこない。






 弟を(とむら)った直後、フレデリクは宮廷医師の職を辞した。

 宮廷に居る者を医師の立場で見て判ったのは、ここに居る者に戦争を止める力はないということだった。誰が王位に就こうと、戦争を止めようとする者などいない。彼らはいがみ合っていながら「デュミナス王国を滅ぼす」という意志だけは統一しているからだ。


 そんな存在を相手に、医術を尽くす気にはなれなかった。


 誰も戦争を終わらせられないのなら、せめて弟のような犠牲者を一人でも減らそう──

 弟を喪った直後のフレデリクは率直で、むしろ短絡的とすら言える思考で軍医になった。ただ、切実だった。何か自分に出来ることをと。


 軍医に志願したフレデリクはさっそく徴用され、野戦病院で負傷した兵士を治療し続けた。

 治して、助けて、命を救って、時に間に合わず、時に自らも死にかけた。

 いくつもの戦場で、医師としての力を尽くした。

 いつか戦争は終わる。その時一人でも生き残っている人が増えれば──


 そう願って、十五年も経っていた。


 その間に、数えきれないほどの死を看取った。その中にはかつて死地を救った者も混じっていた。生き残るために治療した者が、また戦争に駆り出され、前よりも酷い負傷をして苦しみながら死ぬ──長年の戦地で、それは繰り返された。


 何かの罰が自分に下されているような気がして、フレデリクは考える。

 ──弟が戦場で死ぬことになったのは、医師として戦場に出なかった自分が原因なのでは──

 ずっと昔に過っていた思いが、罪としてフレデリクの意識に植え付けられていく。


 ──そうなのかもしれない。


 そんな過去の選択など、戦争には何の関係もないと理知的に考えられる。それでもフレデリクは自分の過去を罪と認め、終わらない戦争の真っ只中に身を置くことで罰を受けることにした。

 医師としての治療を止めなかった。

 それが永遠に続くとしても、止めることはできなかった。

 目の前で人が死に、命が助かり、時に危うく、時に空しく終わるとしても。治療し続けた。


 もはや罪罰の意識すら遠くなる。


 戦場で人の命を助ける行為にしか、自分の存在意義はないのだとすら思いながら。

 ──気付くと自分の死すら(いと)わず、治療に専念する時間もあった。

 その日も無我夢中で目の前の負傷兵の止血をしていた。


 なので気づかなかった。


 敵国──デュミナス騎士軍がミズガラ州を制圧し、野戦病院にまで侵攻していたことを。

 デュミナス兵たちは野戦病院に残る負傷兵たちを残らず処分していた。命乞いと悲鳴、銃声ではなくナイフが命を奪う音が響き渡る。

 フレデリクがようやくデュミナス兵の存在に気付いたのは、突然目の前の負傷兵を銃剣で刺殺されその返り血を浴びた瞬間だった。


「──!」


 我に返って上げた顔を、兵士の一人が殴りつける。


「……なんだ医者か? 逃げずに治してたのかよ」


 そう言いながら、兵士の一人が手にした長剣をフレデリクに向ける。

 顔と胸元、白衣に飛び散っている負傷兵の血。自分に迫る剣の刃を。

 フレデリクは何の感情もない目で見つめていた。

 ここで死ぬのだと、冷静に思考しているだけだった。


「──待て」

「! 騎士副団長殿」


 兵士の後ろから、大柄な鎧姿の者が現れた。

 デュミナス王国では、平民出身の兵士を束ねる指揮官を騎士と呼ぶらしい。貴族出身の騎士であることを示す、全身を守る形状の鎧が特徴的だった。


「まだ殺すな。軍医なら生かせとのお達しだ」


 騎士の言葉に兵士たちが顔を見合わせる。


「お言葉ですが、捕虜はあまり置かないって方針では──」


 敵国の者は残らず殺して処分する、というのは今や両国の慣習と化している。捕虜を使って交渉する余地などない。この戦争の泥沼化はとうに戻れぬ状況にあるのだ。

 兵士の意見に、騎士も面倒そうに肩をすくめてみせた。


「そいつは生かせ。本陣の収監所はまだ使えるはずだ。まったく面倒な話だが仕方がない。騎士団長の判断だ」


 フレデリクはその場で拘束され、デュミナス騎士軍の牢へと連れられた。

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