第三章 あやめも知らず、思いになずむ③
戦争は続いた。
両王国が領土の「奪還」を謳い、間断なく兵士と戦力を投入する。
窮地から逆転の兆しを見せているコクトード州では、デュミナス軍が妙な熱を帯びている。
──追い風が我が軍に吹いている。領土を奪還し、ドルムトレクを侵攻し、不正なる王国を叩き潰す、今が絶好の好機だと。
幹部らによる強攻作戦が連日展開され、そのほとんどが攻略を果たすに至っていた。
騎士軍だけではない。平民出身の兵士たちもまた出陣に貪欲だ。今前線に出れば勝てる。入れ食い漁のように手柄を獲得できる。この機を逃すバカはいない──
流行り病のように蔓延する戦場への熱狂。出陣の号令がされるたび、騎士軍本陣では我先にと騎士や兵士が戦地出願を申し出る。
その分、野戦病院に運び込まれる負傷者は増えた。
勇ましく戦地を駆けたその日のうちに手足を失い、あるいは血塗れで辛うじて帰還する兵士たち。
騎士軍に蔓延する熱狂に巻き取られ、勇んで戦場に出たばかりに──負傷兵たちは恐怖とも後悔ともつかない悲鳴を上げている。
だが兵士たちのなかには、まだその熱病に浮かされたままの者も多い。
「ああ……くそ、こんなことで終われるかよ!」
「ちくしょう早く治せヤブ医者どもが! 俺の手柄を……奪われてたまるか!」
被弾による出血者のほとんどが、治療にあたる医師たちに怒号を吐きかけてくる。
処置をしなければ死に至る負傷を自覚できず、獲り逃した手柄を求め喚き散らす。
──早く動けるようにしろ。傷を塞げ、治せ、痛みを消せ──
罵声だけでなく時に暴力すら振るう負傷兵に業を煮やした軍医たちは、治療途中の兵士たちに興奮剤を投与するようになっていた。
強制的に意識や感覚を鋭敏にする類のもので、不都合な痛みを意識から除外させる効能もある。脳に強烈な刺激とまやかしをあたえる覚醒剤だ。人であることと引き換えに、昼夜を問わず、連日休みなく稼働できる肉体となる。
それを完治したと思い込んだ兵士たちは、激痛の無自覚をいいことに強引に戦場へと舞い戻った。
敵からの被弾を、斬撃を、ものともせず血塗れで突撃する負傷兵たち。
包帯姿で猛撃する兵士たちの姿は、相手軍はおろか味方すらも戦かせた。
戦うためだけに蘇った死霊のようだと──
そんな薬物汚染された兵士たちすらも、戦場の狂気の一端に過ぎない。
異常はもはやこの戦争の日常だからだ。
負傷兵を「治療した」という体で手っ取り早く戦場に戻す方法として、野戦病院の軍医たちが覚醒剤を使うようになった現場を、フレデリクはただ把握し、観察していた。
外科治療と同じく、高価な医薬品の使用には衛兵の許可が求められる。フレデリクは他の軍医が多用する精神刺激薬に手を触れることはなかったし、申請すらしない。
まっとうな治療を続け、その都度ヤブ医者と罵られては暴力にさらされる。
「てめえの首じゃ手柄にならねえんだよ!」
捕虜である軍医に唾を吐きかけられても、フレデリクは治療に勤しむ。
その日も腕を骨折した兵士に腹を蹴られていたが、抵抗もせず処置を進めていた。
「──とっととクスリ漬けにしちまえばいいのに」
同室の負傷兵による暴力を目の当たりにしたルーカスが、診察に近付いたフレデリクにぼそりと呟いた。
するとフレデリクは素知らぬ様子で、
「医師として推奨できません」
とだけ答える。
「……じゃあ他の軍医のやり方が間違ってるっていうのか」
「彼らに意見するつもりはありませんよ」
フレデリクはルーカスの状態を診つつ、やはり淡々と続けた。
「脳神経系の一時的な活性化は事実ですが、効能が切れれば直後に猛烈な脱力に襲われます。戦場の真っ只中で餌食となることは想像するまでもないでしょう」
「べつにいいだろ。本人の希望だ」
「十年以上前に、薬物依存に陥った将校を診たことがあります。興奮状態でなければ常在戦場を維持できなくなり、ついには錯乱して無謀な特攻によって戦死しました。死ぬと解っている処置に手を付けるわけにはいきません」
「錯乱ね……はは、いつの時代もあるもんなんだな。以前、ゴドウィン総統の大規模作戦もひどい有様だったって話だろ」
何気ないルーカスの言葉に、フレデリクは血圧計の目盛りに向けていた視線を動かした。
その視線に応じるようにルーカスが続ける。
「陣頭指揮とっていたはずの総統が、突然『強襲だ』って連呼し出したらしい。
同じ隊に配属されていた兵士が見たってよ。『キョーシューキョーシュー』って狂ったように叫んでたって──ああいうのを錯乱って言うんだろうな」
「間違いないでしょうね」
「だったら総統も、やばい薬の世話になってた可能性が──」
「妙な噂や根拠のない話を口にするのは控えるべきかと」
手際よく診察を終えたフレデリクは、仕上げの代わりにルーカスの言葉を遮った。
ルーカスは大人しく黙る。しかし口元は斜めにつり上げた笑みを刻んでいる。
自分の重大な失言を耳にした捕虜の軍医。
にも拘らず、自分を生かしている。この捕虜には何らかの思惑があるはずだ──
連帯、いや、共犯に近い感覚をルーカスは目の前の軍医に覚えていた。一方的な思い込みではないはずだと。ゆえに、笑う。
馴れ馴れしい態度にフレデリクは視線を動かすだけだ。いかなる感情も見えない。
「噂といったら、最近の本陣は陰湿だよなあ。あれだけ必死に戦局を切り拓いた騎士団長を苛めて弄んでいるって話だろう」
「……」
その噂はフレデリクの耳にも入っていた。
ある強襲作戦の直後、味方の振るった刃に怖れをなして腰を抜かした騎士団長の醜態。
ある者は嗤い、ある者は侮蔑し──騎士や兵士の間で知らない者はいないと言っていい。
酷いのは出陣の際、騎士団長の隊列に入った者が彼女の後ろでわざと刃を振って見せるようになったことだった。不意を突き、小動物のように怯えた反応を見てやろうとする者がいると。
「手下に恵まれないな……。まあデュミナス軍は騎士も兵士もほとんどが野郎だ。貴族で騎士団長で、その上小娘ともなればただでさえ侮られる。しっかし情けない話──」
「経過は順調なようですね」
噂を半笑いで口にしていると、ふたたびフレデリクはルーカスを遮った。
「手足が動くようであれば、全治したものとカルテに記載しますが」
「…………」
途端、ルーカスは半笑いをしんと沈めて無言になる。
その様子をやはりフレデリクは静かな観察の眼で見ていた。
ただ先程と異なるのは、そこに冷たいものが混じっていることだった。刺せるような鋭さすら帯びて。
「まだ、こちらに留まっている必要があるとお見受けします」
「…………そうだな」
「ではそのように」
フレデリクは頷き、カルテと記録書の署名を済ませるとルーカスの寝台から立ち去った。
乾いた金属音が足元で起こる。
この軍医が捕虜であることを示す足音は、ルーカスの耳元で不気味に響いた。




