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秘めたきずあと背中に沈む  作者: 熊谷茂太


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第三章 あやめも知らず、思いになずむ①

 濁った空を、高く乾いた音が舞う。


 ヒュルルルル────と、甲高く鳴きながら近付くのは、ドルムトレク軍の大砲弾だ。天空から獲物を狙って迫りくる、猛禽よりも野蛮な音が風を切る。


 轟音。着弾が足元を震わせ、足元を砕き散らす。

 火薬と黒煙と土の臭いで辺りが一気に咽返る。

 土煙に構わず、ウルスラは吼えた。


(ひる)むな! 先陣から前へ!」


 身を隠していた土嚢から飛び出し、剣先で敵陣を差す。

 ここまで果敢に前進したことで、敵が陣地前方に備えた主力の砲門まであとわずかに迫っている。ウルスラが率いている少数部隊なら大砲で一網打尽にできると敵側がたかをくくっていたのは明白だった。

 ウルスラの隊は、単純に撃ち込まれる砲弾を予め仕込んでいた土嚢の防壁と塹壕とで(しの)いでいく。


 ──今回強襲任務を担っているコクトード州南東丘陵地帯は、一時的に占領していた土地でもある。おかげで敵側がどこに砲門を設置しいかなる戦術を組むか想定することができた。

 ウルスラは作戦前夜までに少数部隊で展開できる動きを算定、敵に知られるぎりぎりのエリアまで土嚢と塹壕を仕込み、大胆にも敵主力である砲門を占拠すべく正面突破に臨んでいた。

 敵側の砲撃に(おく)することなく前進する騎士団長に続けと、平民兵による少数部隊もいきり立つ。


 作戦は功を奏した。

 敵側の砲撃が狙い通りの地点に撃ち込まれ、予め配備していた防御と退避場所が機能したことも大きい。

 それに先の十七地区奪還で、高地目がけての襲撃には経験値がある。奇跡の勝利を成した騎士団長が再び先頭に立つことで、兵の士気は底上げされていた。

 少ない兵力、丘陵の低地からの侵攻という不利な要素をものともせず。


『────おおお────!』


 ウルスラの指揮する剣が導く先へ、兵士たちが勇猛に敵陣へと突進する。自分を追い越し突っ込む兵士の背中に次いで、ウルスラは振り返り背後の狙撃部隊に指示を下す。


「右30、左45、()ぇっ!」


 一桁ずつを明言した数字は、狙うべき敵陣をピンポイントで示していた。

 正面の敵陣砲門へと前進するデュミナス兵を撃破すべく、ドルムトレク軍の左右の陣営が塹壕から飛び出そうとしていた。本来なら真正面の大砲でデュミナスの少数部隊を足止めし、左右から別部隊による挟撃を仕掛けるつもりだったのだろう。

 その動きには、背後に据え置きで配備した狙撃部隊に対応させた。予測通りの事態に狙撃部隊は的確かつ速やかに敵を排除。挟撃を阻止していく。


 こうしてウルスラは少数であることのスピードを活かし「防御を維持したままにじり寄る」正面突破を巧みに成し遂げようとしていた。形勢はむしろ少数であるはずのデュミナス側に傾こうとしている。

 戦況の変化を受けてぞろぞろと頭を出した敵兵を、身構えていた狙撃部隊が次々と仕留めていく。

 着実に敵戦力を削り、敵の大砲が次を発射しようとする頃には、迷いなく突進した魁の兵士たちが砲門を構える陣地に乗り込んでいた。


 ひときわ猛々しい蛮声(ばんせい)が辺りに轟く。銃声と剣戟、直後、手榴弾による破裂音がひとつ──

 周囲の敵兵の動きに目をやりながら、ウルスラはその火薬を抑えた仕様の爆音を耳にしていた。

 味方による手榴弾だ。

 (さきがけ)を担うと名乗り出た兵士に手渡していた破壊力の低い手榴弾は、敵陣の大砲を確保するために準備していたものだった。

 それが使われたということは──


「ドルムトレク軍大砲を占拠! 敵陣をとったぞお!」


 敵陣砲門の台場に立って荒々しい声をがなり上げたのは、味方の兵だった。貴族出身の騎士とは異なり、平民兵は戦地における勝利宣言の様式など気にも留めない。

 血塗れの剣や拳を突き上げて、獣のように野太い声を響き渡らせるばかりだった。

 ぎょっと固まるのは、左右に展開していたドルムトレクの編隊だ。

 本隊を倒され、主力を奪われたとあっては降伏するしかない。

 そこへ、台場に立って勝利宣言をしていたデュミナス兵が、喜々と叫んだ。


「──元はお前らのもんだ、てめえで喰らってみろ赤馬ども!」


 直後、大砲が吼えた。

 幾度も土嚢越しに浴びせられていた轟音。だが、身構えていなかったせいで衝撃が肚底まで及ぶ。

 動きを止めたウルスラの目の前で。

 まずは左にいたドルムトレクの編隊が木っ端微塵になった。

 土と煙に混じって、人体と思しき断片が大量に辺りに飛び散る。

 ウルスラの立っていた場所まで届いたのは、土くれと黒煙、それから血と肉の臭いだった。

 五感がそれを捉えた矢先。

 再び、砲撃。

 右の方に視線を巡らせると、地中から噴き上がるようにして、大量の土と人の血肉とが頭上まで弾け飛ぶ。

 息を止めたウルスラの眼の前で、さまざまな断片が散る。


「…………──!」


 皮膚が、血腥(ちなまぐさ)い欠片を感じ取る。

 無惨に吹き飛ぶ人だったもの。そうなる必要がなかった者の──


「やめろっ!」


 ウルスラは鋭く叫ぶ。大きく吸った空気に血煙を感じながら。


「誰が砲撃を許可した! 敵陣を取ったならば攻撃は無用だ! 今すぐ砲門から離れろ!」


 騎士団長の声により、辺りが唐突にしんと沈む。

 敵の残兵が大砲によってほぼ殲滅したから、だけではない。

 味方を叱責する騎士団長の声──そこに滲む怒りに兵たちは一斉に鼻白んでいた。


 ──せっかく戦局を切り開いて、陣地を勝ち取って見せたのに──


 兵士の白けた空気に構わず、ウルスラは占拠した砲門陣地へと向かった。

 険しい表情と荒々しい足取り。


 一方、兵士たちはまったく別の温度で彼女を眺めている。何をそんなに怒っているのかと。


「──すでに敵の本陣は占拠した。残兵には降伏を促すだけで事足りたはず──なぜ砲撃した」


 ウルスラが鋭い眼を向けたのは、台場で砲撃の合図をした兵だった。

 自分を見上げる騎士団長に、兵は幅の広い肩をそびやかした。


「兵士としての仕事をしたまでですがね」


 取ってつけたような丁寧語には、自分より若い小娘への侮りが見え隠れする。

 周囲にいる魁を担った兵士にも同じような空気があった。


「どうせ捕虜にするつもりもないでしょう。この場でちゃっちゃと片付けた方が話は早い。騎士団長殿のお手を煩わせることもないじゃないですか」

「……」


 ウルスラは硬く唇を引き結ぶ。

 たしかに先日の領地奪還でも、敗走した兵を除いて敵のほとんどを排除したのは事実だ。その場で降伏した者も含めて。

 長期化したこの戦争で捕虜をむやみに増やしても意味はない──


 それでもウルスラには、制圧した後で敵兵を殺すことには抵抗があった。

 降伏したのなら、敵意が失せたのなら、もう殺す必要なんてないんじゃないか。

 戦場で人の無惨な死を見てきたからこそなおさら。そう考えるようになっていた。


「砲弾の無駄遣いをするな」


 ──だが、彼女の立場で軍の共通認識を覆すようなことは言えない。

 彼女が騎士団長として咎められるのは、そこまでだった。

 そこに甘さを感じた対面する兵が、フッと聞えよがしに嗤った。


「まさか騎士団長殿、怖気づいているわけじゃないですよねえ? 味方の命を死地にさらす危険な作戦で俺たちを動かしておきながら、てめえで殺すのにビビって──」


 フィ──と、甲高い音を立てて空気が切り裂かれる。


 ウルスラが携えていた長剣を片手で翻していた。腕だけの力で疾った刃が一閃、目の前に立つ兵が手にしていた血塗れの剣を叩き落としていた。

 足元に剣が落ち、痺れた手だけが残る。

 茫然とする兵の前に、ウルスラは静かに剣の切っ先を添えた。


「口を慎め」


 厳しい声に冷たいものが混じる。

 一喝よりも鋭い迫力に、目の前の兵士だけでなく周りまでもが緊張する。


「占拠した大砲の使用許可を出した覚えはない。今わたしが咎めているのは貴君の命令無視だ。今一度命じる。砲弾の無駄遣いをするな」

「…………わかりました」


 兵はごく、と喉を鳴らした。低い声で呻くように応える。

 強く(にら)んだまま、ウルスラは自身の剣を鞘に納めた。


「魁での働き、ご苦労だった」


 素っ気なく告げると、ウルスラは踵を返した。

 デュミナス騎士軍として奪還した陣地の扱いなど、後処理を指示するべく周りを見回す。

 あとは状況と結果を報告するだけだ。手柄はこの場にいる兵士たちが各々本部に申請する。

 ──平民兵だらけの少数部隊による強襲作戦。例によって、戦場中心部で武勲を上げたい騎士軍幹部らのしわ寄せのような任務だったが、経験を活かしてやり果せた。


 だが、空気は最悪だ。

 叱咤(しった)のためとはいえ、味方に刃を振るってしまった。勝利に沸いていた味方に水を差した矢先に。

 兵をまとめる騎士団長として、最悪の振る舞いだ──

 でも反射的な怒りを抑えることができなかった。


 あまりにも簡単に、無惨に、一度で大量に人を殺し歓喜する兵士の反応が。

 異常なものだと感じてしまったからだ。

 いいや。これが戦場の正常なのかもしれない。

 おかしいのは、弱いのは、わたしで、だからこうして侮られている──

 ひとり気が滅入り、自己嫌悪まで覚えたウルスラに構わず、兵士たちは各自動きだす。


 彼女の背後で。

 対面していた兵は、叩き落とされた自分の剣を拾い上げた。

 平民階級に支給されている安物の剣。気を取り直すように、兵はそれをブンと軽く振った。


「──っ!」


 瞬間。ウルスラはびくりと反応した。

 背後で空気を切った刃の音に。閃光のようによみがえった記憶が脳裏を襲う。


 ──剣が振り下ろされる。それは唐突だった。耳元を襲ったのは自分の背中が大きく切り裂かれる音。皮膚が破れ、血が噴き散って、強烈な痛みが全身を支配する──

 自分を殺そうとした、ゴドウィン総統による刃。


 死と衝撃に呑み込まれかけたあのときを思い出し、頭が真っ白になる。

 強張ったまま振り返るが、足元は氷に包まれたように冷たく動かない。


「──あ……っ!」


 小さな悲鳴じみた声とともに、ウルスラはその場に転んでいた。

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