第二章 ほのがたり、やがて遠ざかる音⑥
ウルスラは相手の反応を待たずに一気にまくしたてた。
「今回の作戦は、あなたが与えてくれた情報と考察で戦果を上げることができた。そのお礼と──
あなたには、今後野戦病院で軍医として務めを尽くしてもらうだけになる。それで……
あなたの知識や助けを借りる必要はないから、もう会うことはない」
伝えるべきことを、不細工な継ぎ接ぎのように言い切ると。
「…………」
フレデリクは穏やかな表情のままじっとウルスラを見つめていた。
一度だけ、彼女の言葉の意味を確かめ直すようにまばたきをして。
「……私の証言した情報が、あなたを窮地に追いやってしまったのでしょうか?」
「いや、違うんだ。おかげでわたしは生き延びることができたから」
「ではどうして──」
「充分に役立てたから」
感謝することも遠ざけると決意したことも、すべては同じ理由だった。
「わたしは、あなたのおかげでこんな戦場でもこうして生きていられている。今回の作戦だけじゃない、先の──大規模作戦でも、本当は死んでいるはずだった」
フレデリクは総統を毒殺した。
それはウルスラへの思いゆえの選択だった。
その愛をウルスラは受け止めようと決意した。
そして捕虜という危うい立場にある彼を、今度は自分が守ろうと。
そのために騎士団長としての権限を使っていくつもりだったのに。
──わたしはまた、彼に助けられてしまった。
軍幹部すら遠く及ばぬフレデリクの知識と推定によって。
奇跡のような生還と勝利を実現したのだ。
「この作戦でも、また、徒にあなたを役立たせてしまった」
誰よりも彼に感謝しなければいけないと思う一方、ウルスラは無意識に首を横に振っていた。
これ以上奇跡に甘んじることはできないから。
それに。
騎士である自分が彼の力を頼るということは人殺しの加担をさせているも同然だ。よりにもよって、彼の国の人間を殺す手助けを。
フレデリクは、人の命を救う尊い医師なのに。
「もうこれ以上、あなたを利用することはない」
だから、軍医に徹してもらう。
戦場に立つ自分が、これ以上関わってはいけない。
この戦場の片隅で、彼が生き延びる最善の選択だとウルスラは自らに言い聞かせながら。
「今後も軍医として務めるように。
今回は騎士団長として最後の挨拶に来た。話は以上だ」
フレデリクは、一方的に告げるウルスラを静かに見つめていた。
真意を見定めるような真っ直ぐな眼から逃れるように、ウルスラは返事を待たずに歩き出した。
騎士の軍靴は靴底が硬く歩くたびに乾いた音がわずかな尾を引いて響く。
自分の後ろ姿を鉄格子から見ているであろう彼の視線を感じながら。
扉を開け、鍵をかける──いつもよりも大きな音をたてて、それ以外の音を意識から除外する。
デュミナス騎士軍が奇跡の奪還作戦によって十七地区を取り戻した翌日。
野戦病院で目を覚ましたルーカス・ワトソン通信兵は、自分が銃弾を浴びながら守り抜いた敵軍の情報が勝利をもたらしたという朗報をベッドで耳にしていた。
『貴君への褒賞も検討されている。まずは回復に励みたまえ』
上官からの通達を文書の丸読みで兵士に告げられ、ルーカスは「了解しました」とだけ答える。
敬礼もままならないが、ベッドに横たわる姿は全身包帯塗れ。兵士も咎めることなくその場をあとにした。
病室を去る兵士を目だけで見送っていると、顔の右端でじくじくと不快な感覚が発生してきた。
銃で撃ち貫かれ、半分欠けてしまった右耳だ。鎮痛剤が切れると、まずはここが痛みを訴えだす。次いで脇腹、左肩、それから手足に至る。身動きの取れない全身を苛む悪夢のような連鎖だ。
右耳から滲み出してきた痛みに右頬が引き攣らせていると。
乾いた鎖の音が近づいた。
「失礼します」
簡素ながら丁寧な挨拶とともに現れたのは、白衣の医師だった。
ドルムトレクの捕虜──鎖の音はこの軍医が足元の拘束枷をしているからだと最近知った。
ルーカスが病院に搬送された時から救助と治療を担っていた軍医。
負傷のせいで記憶が混濁していた自分から、正確な情報を騎士軍に齎した張本人でもある。
「またあんたか……」
ルーカスは不愛想な声とともに軍医──フレデリクを見た。
命を助けられ、兵としての大手柄まで援けられたが、この男は捕虜だ。素直に礼は言えず、自然と態度はぞんざいなものになった。
複雑な心境のルーカスを意にも介さず、フレデリクはガーゼで塞がっているルーカスの右耳に目をやった。
「そろそろ疼痛が再発しているのではと思い伺いました」
「……」
「軽度の鎮痛剤であれば有効です。使用されますか」
「あ、ああ。頼む」
淀みなく施される治療。必要なタイミングを見計らったかのような適切な処置に、ルーカスは素直に頷くしかない。
フレデリクは包帯に覆われた全身を診つつ、痛みを緩和するオピオイド鎮痛薬──モルヒネを注射する。
右耳で蠢こうとしていた痛みが鳴りを潜め、安堵すら覚える。
ルーカスはほっと息を吐いていた。
「……あんたには、助けられた……いろいろと……」
敵軍の捕虜に対する緊張も緩み、ルーカスは素直に吐露していた。
フレデリクは特に表情を変えず、カルテとは別の診察記録書に署名を手早く済ませるとモルヒネの効能を確かめている。
「軍医としての務めを果たしたまでです」
「だが……あんたが物覚え良くて……おかげで、敵の作戦情報を伝達できた……俺の、手柄になってしまってるが……」
「騎士や兵の方々の功績は、私には必要ないものです」
丁寧ながら淡泊な口調。この男は手柄などに心底興味がないのだと思い知れるほどに。
だったらなおさら、気にかかった。
──どうでもいいのなら、なぜ正確な情報をデュミナス騎士軍に答えた?
領地奪還という奇跡はあの情報に基づいた作戦だった。それほどに重大な内容だったのだ。
デュミナス騎士軍にとっては。
逆に言えば、ドルムトレク軍にとって致命的な情報だった。事実、十七地区をデュミナスが奪い返したことでコクトード州の戦局はドルムトレク優位から再び揺れ動いている。
捕虜の立場だからデュミナス側に阿ったとでもいうのか。ばかな。
命惜しさで差し出すには余りある貢献ではないか。この男がデュミナス側の勝利を求める理由など存在するはずが……
疑念は過るが、それ以上追及する気は起きなかった。
──モルヒネの効果で、徐々に意識も緩みだしている。ルーカスは思考をぼんやりと巡らせた。
瀕死状態で口走っていた自分の言葉を、この捕虜が記憶していたおかげなのは間違いない。
混迷する意識で何を口走っていたかも自覚できず、被弾のショックで記憶を取り戻せないと判明したときは本当に生きた心地がしなかった。
褒賞はおろか、最悪自分は処刑されてしまっていたかもしれない。
その可能性に、今日までひやひやしていたほどで──
「あなたはまだ活動できますよ。〝たとえ手足がなくとも〟」
欠けた右耳のガーゼを取り替えながら、フレデリクは室内に立つ衛兵には聞こえない小声を彼の鼓膜に流し込んだ。
その言葉に。
「………………っ⁉」
まどろみかけていたルーカスの意識が急激に凍り付く。
見開かれた眼で、フレデリクを見る。右耳が枕のシーツに擦れるが痛みどころではない。
視線の先には、そんな反応も含めて平静に自分を観察する軍医の目があった。
「今際にある方の言葉は真実であると私は思います」
「なん……っ」
ルーカスは息を呑んだ。
被弾し、瀕死状態で野戦病院に運び込まれたあのとき。
──まさか俺は、通信兵として得た情報以外を口にしていた……⁉
この軍医が「あのこと」も耳にしていたというのなら────
間違いなく──自分の処刑に値するものだ。
「幹部の方には伝えておりません。──今のところは」
「…………っ!」
全身を凍らせるほどの零下の緊張がルーカスを襲った。
モルヒネの効能すら忘れるほど、身体は不気味に緊張していく。
「なぜだ……あ、あんたは……なにをかんがえて──」
「鎮痛剤が作用してきましたね」
右耳をガーゼで覆いながら、フレデリクは穏やかに告げた。
「今は回復に集中すべきです。数日中に抜糸できれば手足も動かせます。四肢に問題はありません」
「……っ」
どういうつもりだ、なぜ「あのこと」を誰にも言わずにいる、お前は──
何を考えている。
ルーカスの意識は混濁するが、全身に生き渡ったモルヒネがそれ以上の思考活動をせきとめる。
消え入る感覚の端で──
「あなたはまた、戦えますよ」
終始平静な捕虜の軍医からの、恐ろしいほど静かな声を鼓膜が拾った。




