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52. スラムの孤児

〇前回のまとめ

・野盗を憲兵に引渡し、依頼完了手続きを終えて金銭を得たが、1日でほとんど使い込んだ。

・エリンが財布をすられたが、すかさずダーシャが取り返した。

・スリの少女たちを捕まえたと思ったら、エリンは孤児の住処に舞い込んでいた。

「ど、どうぞ…………」

 

 崩れかけた木の椅子に腰かけるエリンに、孤児のファーミンが恐る恐る木製のコップを差し出した。

 ゴーグル越しに中をちらりと覗き込んでみると、泥やゴミが混じった水が入っている。


「お、お構いなく~」


 水道水を飲める国にいながら、さらに蛇口に浄水器まで設置してから飲み水としていたエリンにとって、それは自分に近づけることすら憚られるものだった。

 ヒンヤリとしたコップを受け取ったものの、エリンはどうしたものかと戸惑う素振りを示す。すると、緑髪の少年・マークがファーミンを咎めた。


「おいファーミン。外のヤツにとっては逆に失礼だ。下げろ」

「う、うん。分かった…………」


 ファーミンがコップを取り返してからその場を離れるのを見届けると、マークはエリンに向き直る。


「悪いな、変なモン見せちまって」

「いや、気にしてないよ」

「でもな、ここに住んでるヤツらにとっちゃ、あれでも貴重な水なんだぜ」

「………………」


 マークの言葉に、エリンは絶句する。

 現代の地球でも、アフリカの貧しい地域では泥水をすすりながら生き永らえている人々がいることは、簡単な知識としてはあった。しかし、いざ現実として目の当たりにしてみると、胸の痛みを感じずにはいられなかった。


「…………オレがもっと稼げたら、アイツらにもイイモン食わせてやれるのにな」


 フェヘールシティのスラム街で、孤児たちの兄貴分として面倒を見ているマークは、ポツリとこぼした。


「だからって、スリは良くないと思う」

「フン。そんなこと言うんだったら、せめてチビどもにまともな働き口でも寄越すこったな」


 エリンの正論を鼻で笑い、マークは続ける。


「ただでさえガキ、しかもスラムの住人ときたもんだから、外で働かせてもらえるとこなんざありゃしねー。自分たちで野菜とか作って売りに行っても、連中ときたら足元ばっか見やがって、はした金しか寄越さねー。…………盗みでもしなきゃ、くたばるしかねーんだよ」


 光あるところに陰がある。『人々が行き交う喜びの街』と呼ばれ、常に賑わっているフェヘールシティの中心部を光とするならば、このスラムはまさしく陰だった。

 繁栄とは、貧困に苦しむ人々を放置して自分たちだけが富むことなのだろうか。


 エリンが案内された小屋には隙間風が吹き込み、至る所に修繕の形跡が見られる。倒れないのが不思議なくらい。

 この場所が、あの輝かしいフェヘールシティの一部であるなんて、エリンには信じられなかった。


「そういえば、誰があの子にスリの技を仕込んだの?」

「ああ。もう1人、トゥニスっつーヤツがいたんだ。ちょっと前にヘマやらかして鉱山送りにされたよ」


 エリンの問いに、マークは投げやりに答える。

 鉱山奴隷は、死罪の次に重い刑罰だ。よほどの重罪人でない限り、まず科せられることはない。強盗でもやらかしたのかとエリンは思った。


「違うもん! あれはネイトのせいだもん! トゥニスは頑張った!!」

「黙れジリー! アイツの名前を出すんじゃねー!!」

「っ!」


 孤児の1人が声を上げると、反射的にマークが怒鳴り散らした。

 突然の罵声にキョトンとするエリンに気付き、マークは自分を取り戻す。


「…………すまん」


 マークは一言謝り、かつての仲間について語ってくれた。


「アイツらはな、チビどもに菓子を食わせてやりたいと言って、お貴族サマの家に忍び込もうとしたんだ。でも、金に目がくらんだネイトの奴が裏切りやがったんだ…………」


 マークは立ち上がり、外で遊ぶ子供たちを見つめる。


「チビどもは菓子と一緒にアイツらの笑顔が見られると思ってた。だがな、結局目にしたのは、鞭打ちと称して(なぶ)られ、息も絶え絶えになって鉱山に送られるトゥニスの姿だった。……今でもアイツが生きてるなんて、誰も信じちゃいねーさ」

「…………」


 エリンの耳には、近くではしゃぎまわる子供たちの声が、どこか遠くに感じられた。

 ふと、マークはジリー(マークに怒鳴られてから部屋の隅で丸くなっていた)のところへ歩み寄った。マークに頭をなでられると、アミーは心地よさそうに頬を緩めた。


「子供は大切な労働力になるが、育つまで食わせなきゃならねぇ。それだけの余裕がない家で赤ん坊が生まれると、産婆が産湯につけてやると言ってそのまま溺れさせたり、夜中に山の麓に置いて、獣のエサにしたりするところもある。

 お前から財布をとったチビも元は商家の生まれだったんだが、家が破産して夜逃げする際に捨てられた。あやうく、腹をすかせたオークに食われるところだったんだぜ」


 やがて、他の孤児たちも彼の下へやってきた。ドワーフや獣人など、様々な種族が混在している。

 それを見れば、いかにマークが子供たちから慕われているかが分かる。エリンを殴ったことだって、追い詰められた仲間を助けるためだった。


「マーク、お腹空いたよ~」

「オイラも~」


 もう夕食時だ。食事を求める子供たちがマークのそばへ集まってきた。


「おう、もうこんな時間か。分かった、すぐ準備すっから」

「うん!」


 貧しくても、ここには金銭では測れない価値がある。

 そう思いながらエリンは立ち上がった。


「じゃあ、私はそろそろ帰るね」

「そうか。悪かったな、迷惑かけて」

「ううん」


 小柄なエリンは軽く首を振る。

 すると、マークが何やら思い出したように言った。


「……そうだ。お前からとっちまったカネを返さねーとな」


 ところが、孤児の1人に指示しようとするマークをエリンが制した。


「あー。いいよ、それは。ボーっとしてた私が落として失くしたものだから。拾った君が好きにすればいいんだよ」

「いや、でも――」

「あ! それと…………」


 喜びを露わにしたアミーとは対照的に、マークは戸惑った様子。まさか、自分から財産を提供してくれる人がいるなんて、マークの経験からはあり得ないことだった。

 そんなマークをよそに、エリンはハンターバッグを漁る。そして、中から大きな物体を取り出した。


「こ、これは…………!?」

「シュトゥルーツだよ。いっぱいあるから、ちょっとお裾分け」


 普段なかなかありつけない肉の塊に、子供たちは目を輝かせる。中には、よだれをこぼす少年までいた。

 シュトゥルーツの肉は市場でもなかなか出回らない。その価値を唯一理解できたマークは狼狽した。


「可愛い子供たちの未来に投資するんだよ。私は凄腕ハンターなんだから、そんな小銭くらいすぐに稼げるもん!」


 薄い胸を張るエリンにマークは言い放つ。その声音に、最初の暗さは微塵も含まれていなかった。


「無理すんなよ、ノーマルなんだから」

「黙らっしゃい!」




   ♦




 スラムを抜けて適当に街を歩いていると、すっかり暗くなった頃にダーシャたちと合流することができた。


「あ、エリン! アンタ、一体どこほっつき回ってたのよ!?」

「ごめんごめん。ちょっと色々あって…………」


 ようやく再会できたと思えば、ダーシャは激おこぷんぷん丸。

 往来の真ん中だというのに、エリンはみっちり絞られた。


「エリン、聞いてるの!?」

「あ、はい。ワカリマシター」

「ダーシャ、心配してずっと探してたんですよ。エリンさんに何かあったらどうしよう、って」

「ジェイラ!?」


 思わぬ伏兵にダーシャは狼狽える。

 そんなダーシャを見て、エリンは思わずニヤけてしまった。


「へ~。心配してくれてたんだ~」

「う、うるさいわよっ! ゴホン。…………それで、お金はちゃんと取り戻せたんでしょうね?」

「あー。それなんだけどね、寄付しちゃったんだ。勝手なことしてゴメン」

「「…………は?」」


 きょとんとする2人に、エリンは今日の出来事を説明した。


「馬鹿じゃ――」

「素晴らしいです、エリンさん! 自分だって裕福じゃないのに、もっと困っている人のためにお金を捧げることができるなんて。これぞ正義のハンターって感じでカッコイイです!! ね、ダーシャ?」

「…………そ、そうですね……」


 ジェイラがエリンを賞賛したことで、ダーシャも渋々納得してくれたようだ。


「そういうことなら、取られた分をきっちり稼がないといけないわね」


 “取られた”と言っているあたり、完全に腑に落ちたわけではないみたいだけど。


「ギルドに戻ったら、休む前に依頼を確認するわよ」

「朝に行った方がいいんじゃない?」


 もう一日の活動を終えるという時刻に意気込んでいるダーシャを見て、エリンは落ち着いた口調で言った。

 だが、ダーシャは冷ややかに尋ね返してきた。


「じゃあエリン。アンタ、明日の朝一番で掲示板チェックしに行けるのかしら?」

「…………メンドクサイ」


 正直、行けないことはない。前世でブラック労働をやっていた頃は、ロクに睡眠をとることなく、馬車馬のごとく働いていた。

 だが、転生してのんびりと時間を過ごすうちに、すっかり心が緩んでいた。前世の苦痛を思い返しながら“朝一番”という言葉に向けられたエリンの一言には、とても気持ちが込められていた。


「ほらごらんなさい。じゃ、さっさと帰るわよ」

「あと少しですよ。頑張りましょう、エリンさん!」

「は~い」


 日中は多くの人でごった返している道も、夜になれば空いて歩きやすくなっている。

 たまに見知らぬ通行人とすれ違いながら、『トリコロール』の3人は騒ぐことなくギルドへ向かって行った。


 そして、それはギルドまであと少しという地点での出来事だった。


「おいキミ。ちょっといいかね」

「ん?」


 声をかけられたエリンが振り返ると、そこには数人の屈強な男たちがいた。





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