15. オルティス男爵Ⅰ
〇前回のまとめ
・ゴールドランクの『アドベンチャーズ』がバトラーを連れて行く際、お尋ね者の惨めな末路を目の当たりにした。
・シャートフの依頼達成!
・オルティス男爵家のメイド・カーラに出会った。
貴族の邸宅ということで、エリンは大きな豪邸を想像していた。しかし実際には、現代日本でも町中で時々見かけるやや大きめの家に相当する程度だ。
下級貴族だからそれほど贅を凝らすというわけにもいかないのだろう。
それでもモヴィーの家とかと比べると、やっぱりお金のある豊かな層なんだなぁと実感する。
あ、モヴィー。忘れてた。ま、いっか。
ちなみにカーラによると、昨日いつもより遅く帰ったシデラがその日の出来事を家の人たちに言いふらし、執事たちに問い詰められたラトナはあっさりと白状してしまったんだとか。
(ボンボン丸、よくやった)
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オルティス邸に到着したら、すぐにお風呂に案内された。
(分かってたよ。自分でも薄汚いことくらい…………。自分の中で理解していても、他人に暗に指摘されると傷つくんだよ。私、ガラスのハートなんだから……。そうなることを望んでいたから良しとするが)
「お風呂、お風呂、おっ風呂~♪
…………って、いかんいかん。年甲斐もなくつい興奮してしまった。まぁ、見た目的には問題ないけど、中身が良い歳したお兄さんだと思うとやっぱね。
でも仕方がない。それほど入浴とは素晴らしいものなのだ! いざ行かん、この世の楽園へ!!」
そして扉をオープン。
「おぉ…………!」
貴族の家の風呂とは言ったものの、現代日本の戸建ての一般家庭にある足を伸ばせる程度の大きさだった。泳げるくらい大きな風呂は、男爵家レベルだと厳しいのかな?
それでもエリンにとっては感慨深いものがある。だがしかし。
「いやいやいや。これはダメでしょ」
浴室の中には、目隠しなしの窓が普通にある。しかもそこそこ大きい。窓の向こう側の庭はこの時間には誰も立ち入らないとは思われるが、さすがに抵抗があった。
それでも背に腹は代えられない。汗や土埃を落としたかったし、何より自分の姿を確認してみたい。
自分の女性としての体を見ることについてはあまり気にならなかった。いくら現世でそういう経験がほとんど無かったとはいえ、胸は幸か不幸か無いに等しいし、下の方は、もう見ちゃったし……。うん、何も言わないでくれ。
浴室に足を踏み入れると、エリンは窓に写る自分の顔が目に入った。
少し冷たい印象はあるものの、ぱっちりとした大きな目、整った鼻筋、全体的に左右対称の各パーツ、完璧な黄金比……。
「か、可愛い!」
エリンは思わず口に出していた。
ナルシストの語源になったナルキッソスとかいう神話に出てくる青年が、泉に写る自分の顔を見て動けなくなり、そのまま死んでしまったという話があるが、エリンは今まさにそれと同じ体験をしていた。
「エリン様、お湯加減の方はいかがでしょうか?」
「わっ! だ、大丈夫です……」
浴室の外からカーラが声をかけてきてくれなければ、エリンは倒れるまで窓に写る自分を見続けていたかもしれない。
「あ゛~。極楽極楽~」
これまでの疲れが湯気と共に抜けていくように感じられる。
こんな風にお風呂にゆっくりと入ったのはいつ以来だろうか。
前世で死ぬ直前までは、1日のほとんどを労働に費やしていた。そのせいもあって、睡眠を少しでも多く確保しようと、入浴はシャワーでパパっと済ませていたものだ。
ちょっと無理してでもしっかりとお風呂に入るようにしていれば、精神的な苦痛も緩和されたのではなかろうか。
今更嘆いたところでどうしようもないことではあるが、それだけに第二の人生を有意義なものにしたい。
浴室の天井を見上げながら、エリンはぼんやりとそんなことを考えるのであった。
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入浴を終えて浴室を出ると、タオルと着替えが用意されていた。
おそらくカーラか誰か女中の服だろうか。中身が男なだけに少しばかり躊躇われる。娘がいないこの家の女性は女中くらいしかいないから、他に女物とかないのであろう。
(……着心地は、悪くないな)
いや、むしろなかなかに快適だった。これがスカートでさえなければ。
前世で一度もなかったことを、まさか異世界2日目に体験するとは…………。
少しげんなりしつつ脱衣所を出ると、カーラが廊下で待ち受けていた。
「エリン様、旦那様が是非お食事をご一緒にとのことです」
「あ、はい。ご飯ですね。分かりました。すぐ行きます」
男爵は貴族の中では身分が低いとはいえ、貴族であることに変わりはない。
そのような偉い方が、エリンのような素性の知れないものと食事を一緒にするということは稀有なことだ。
どこかのアホと違って、きっと主人の方は優れた人格者なのだろう。
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「エリン殿、この度は我が息子を救っていただきありがとうございます」
「いえいえ、ボ、私はそんなに大したことはしてませんよ」
エリンが食事部屋に案内されてしばらくすると、シデラの父・オルティス男爵と兄・ボニファーがやってきた。
ラトナがまだ一度もエリンに言わなかった言葉を、オルティス男爵は第一声で言った。やっぱり人格者みたい。
「そんなことはありません。ご自身の危険を顧みず、弟を救っていただいた。あなたのような勇敢な方がいなければ、弟は今頃命を落としていたかもしれません」
「たかだか迷子くらいで大袈裟ですよ」
オルティス家の跡継ぎでもあるボニファーの言葉にエリンは謙遜して返した。弟そっくりの金髪がトレードマークだ。
年齢は16歳だという。だが、エリンには自分より一回りほど長身の彼は18歳前後に見える。この世界の人の成長が早いのだろう。
“たかだか迷子”。受け取り用によってはシデラの立場を悪くするかもしれないが、現世ではありつけない体験に舞い上がっていたエリンは気が付かなかった。
そのシデラはここでは空気となっている。居心地が悪いというのは本当のようだ。ボ兄ちゃん、もっと弟君を可愛がってやれよ……。
あと、シデラの後ろに控えているオバサンが禍々しいオーラを醸し出しているんですけど。
やだなぁ。もとはと言えばアンタが全部悪いんじゃないの。責任転嫁もいいところよ、ホントに。
「いいえ、あの山は夜になると動物に襲われたり、猟師どもに動物と間違われて撃たれてしまうかもしれないのです」
(あのアホ、一度もそんなこと言ってなかったぞ。ラトナ、許すまじ。本当モヴィーいなかったら結構危なかっただろうな。てか、私の被害者たちたちももしかすると山賊なんかじゃなくて猟師だったのか。ちょっと申し訳なかったかな)
エリンは例のロープを用いてシデラと穴から脱出した後、道の傍らに適当に捨てておいた。後で見つかっても元の持ち主が盗まれたのではなく、自分が落としたのだと思わせるために。
いくら山賊でないとはいえ、彼らが悪人でない保証はない。恐らくああしておくのが最善策だったんじゃないか。ま、もう関係ないけどね。それよりもご飯ご飯……。
「そういえば、エリン殿は記憶を失ったと伺ったのですが」
エリンが食べようとするところに男爵が質問してきたので、エリンは少しイラっとしそうになった。はよ食わせろや! こっちゃまだこの世界に来てからというものまともなものを口にしてないんやぞ!
だが、こんなことで怒るほど小さい人間ではない。や、胸は小さいけど。いやいやいや、残念だとか思ってないから!むしろあったらあったで対処に困るから無い方がありがたいんだけど……。それに中身と同性である男からいやらしい目で見られるのは御免被る。
「ああ、そうなんですよ。エリンという自分の名前くらいしか覚えていなくて」
大嘘である。4歳の時に家の階段から転げ落ちたのに怪我が全くなかったことや、小1の時に給食のコロッケに虫が入っていたことまで覚えている。いや、あれは確か小2の時か。
まあ、「異世界から来ました」なんて言えるはずがない。もし言ってしまえば、頭のおかしい奴とか、天使か悪魔扱いだろう。どちらに転んでも面倒くさいということに変わらないと思う。
噓も方便である。
「そうですか、それは大変ですね。これから行くアテも無いのでしょう」
「ええ、まぁ……」
「当たり前だろ」という言葉を飲み込んで、エリンは適当な返事をした。いつまでもあのボロイ小屋に居座るわけにもいくまい。
すると、一瞬2人の目が光ったような気がした。気のせいか?
「それでしたら記憶を取り戻すまでの間、我がオルティス家で暮らしてみるというのはどうですかな?」
(ああ、そういうことね)
エリンは自分なりに彼らの意図を察した。そりゃ、貴族様がどこぞの馬の骨とも分からん奴と一緒にご飯食べましょうなんて、普通なら起こり得ない。
おおよそ家に入るときにエリンと会った使用人のおっさんから、身なりは悪いけどハイレベルの少女が向こうから来たとでも聞かされたのだろう。
(私ってかわいいもんね、うん。こんな美少女を助けるとか言ってとりあえずメイドにしておいて、あわよくば妾とか愛人にしてやろうという魂胆なのかな。まぁ、ラトナに奴隷と言われるような立場から考えたら玉の輿みたいで悪くない、……って悪いわぁぁぁ!見た目は美少女でも中身は男なんだよォ、俺はァァァァァ)
体は女、心は男。エリンはいわゆるトランスジェンダーにあたる。
様々な差別とかが当たり前であろうこの前近代の世界で、セクシャルマイノリティーに対する理解なんて期待するだけ無駄だろう。
(前言撤回。優れた人格者とか称えて損した。やっぱりおっさんとその予備軍怖い)
新たな窮地に追いやられたエリンは、もとの自分もおっさん予備軍であったことなどすっかり忘れていた。
この魔の手から逃れるにはどうすればよいのか。何か良い案は……。
「父上のご提案、悪くないですよエリンさん。あなたがいてくれたら僕も嬉しいですし」
(本音が駄々洩れなんだよこのマセガキがァ! あれか、こいつら貧乳フェチってやつなのか? うわぁ、なんか目が怖い。
そうか、世のモテない男性の大半は大方こういうのが原因なのだろう。そりゃ嫌だよ、気持ち悪いし気味悪いしイケメンじゃないしキモいし。や~これ以上近づかないでむしろ離れて!)
「あの~、折角のお誘いありがたいのですが、今日は疲れているので後日ゆっくり検討させていただこうと思います」
「それもそうですね、良い返事を楽しみにしてます!」
(う~ん、遠回しに断ったつもりだけど通じなかったようだ。私カンのいいガキは嫌いよ、でもカンの悪すぎるガキはもっと嫌いなの、ウフフ。
いかんいかん、男っぽい口調を避けようとするあまりオネエになってる。あれ、もう遅い?)
その後もこの男どもにあれやこれや言われたけど、何とかごまかして切り抜けた……ハズだ。
とりあえず、今晩はオルティス家に泊めてもらえることになった。最初は客室へと言われたが、辞退しぬいてカーラたちと同じ住み込み女中の部屋で寝ることになった。
エリンとしては、その方がありがたかった。
他に利用者のいない客室だと逆に危険っぽいし、女中部屋でもラトナとは別室だし。確かに女性と同じ部屋で寝ることはアレだけど、別に同じ布団で寝るわけじゃないからセーフでしょ、多分。線引きの基準?そんなん知らん知らん知ら~ん。
とは言っても彼女たちの旦那様が夜中に女中を部屋から出すということも無いとは断言できない。そのためエリンは今夜は眠らないと決意した。
もちろん邪念何て俺にはありませんよ、やだな~何言ってるんだか。
1人で徹夜宣言したエリンだったが、異世界に来てから冒険の連続で疲れが溜まっており、横になるなりすぐに眠りに落ちてしまった。ムニャムニャ。




