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104. 幽霊屋敷Ⅲ

「「「…………え?」」」


 突然の出来事に、居合わせた者は皆言葉を失った。

 そしてチェレンがジェイラから口を離すと、彼女の顔は唾液で汚されていた。


「いんやぁぁぁぁぁ!! キモチワルイィィィィィィィ!!!」


 ジェイラの声での絶叫とともに、その鼻から黒いガスが抜け出してきた。

 体を支配していた悪霊が抜け出したことで、ジェイラの体は床に倒れこむ。そこへチェレンが静かに滑り込み、ジェイラの体を支えてくれた。


「「ジェイラ!」」

『な、なんだよ! せっかく久しぶりに美少女のわがままボディをゲットできたってのに。これだけの代物、滅多にないんだぞ! だいたい、なんでモンスターが屋敷に入り込んでるんだよ!? 全然気付かなかったっ』


 チェレンが機転をきかせてきれたおかげでジェイラを悪霊の魔手から救い出すことができた。

 だが、今度はエリンたちが狙われる番。まだ危険が過ぎ去ったわけではない。


「チェレン、ジェイラを頼んだよ」

「ガウッ」


 離れたところからエリンがチェレンに声をかけると、ジェイラを背に乗せて影の中に潜り込んだ。

 ジェイラも影に入れることを今になって知ったが、これなら彼女の無事は保障されたようなものだろう。


(ん? てか、私たちも連れてってもらえば逃げられたんじゃね?)


 試してみる価値はあっただろうが、すでに遅かった。


『チッ、逃がしたか。まーいいや。あと2人いるわけだから、まだ楽しめるぞ。フン、胸はぺったんこだけど、顔は悪くないからよしとするか』

「だ、誰がぺったんこよ!? アンタみたいな気色悪い変態に品定めされる筋合いはないわ!」


 強気に言い返すダーシャ。だが、脚を震えさせたままじゃ、それが虚勢であるとすぐに分かる。


『あーもう怒った。次はお前にしてやる。気の強い女を屈服させるのってなかなか面白いんだよね。さんざんボクを見下してたくせに、乗っ取られたら抵抗すらできずにボクの思いのまま。そして解放した後に聞くんだよ。「ねぇ、さんざんバカにしてたボクに好き放題されてどんな気持ち? 悔しい? 悲しい?」ってね。いやぁ、みんな実に良い顔してくれるんだよ、これが』


 目がないはずなのに下品な視線を感じ、ダーシャは声なき悲鳴をあげる。


『オラオラ、逃げないと捕まえちゃうぞ~』

「く、来るなぁぁぁぁ……うぎゃ!」


 ダーシャは悪霊に背を向け、部屋から飛び出そうとする。だが、悪霊によって部屋のドアが閉められる方が早く、ダーシャは思い切りドアに衝突した。

 そこへ傍に遭った戸棚から燭台が落下してきて、ダーシャの頭に直撃。


「ふにゃふにゃふにゃ……」

『あーあ、気絶しちゃったよ』


 悪霊が仄暗い光源となってダーシャの体を照らしているが、うっすらと床が濡れているのがエリンにも見えた。先ほど放った水流とは反対の位置にいるため、その湿りはエリンによるものではない。


(ダーシャ、ご愁傷様です)


 だが、ダーシャを哀れんでいる暇もなかった。

 ジェイラは離脱し、ダーシャは失きn、ゲフンゲフン……失神。館に残るはエリンのみ。しかも魔法は通じない。悪霊にとっては格好の獲物だった。


『うひょー! カワイ子ちゃんいただきま~す!!』

「やば! 〈南極大陸〉!」

『すり抜けちゃうんだな、これが!』

「そんなのアリ!?」


 氷壁に隠れて逃げようとしたが、それすらも通用しない。

 ただ逃げるタイミングを逃しただけという結果に終わり、悪霊はエリンの眼前に迫っていた。


「うわあああ! キモチワルイー!」


 叫び声をあげたせいで大きく開いた口から侵入され、そのまま脳に痛みが生じる。


「うぐぐぐぐ…………」

『イーヒッヒッヒッヒッヒ。これでお前さんもボクの思いのままさ』


 体内への異物混入を許してしまい、苦悶の表情を浮かべるエリン。なんとか悪霊の浸食を阻もうと抵抗してみるが、そいつの欲望がエリンの意志を上回っていた。


『悪足搔きしたって無駄さ~。君って結構可愛い顔してるし、存分に楽しませてもら…………うん?』


 エリンの精神支配を進めていった悪霊。

 だが、その途中でなにやら異変を感じ取ったようだ。


『あれ? おかしいな……。いやいや、まさか、そんなことあるわけ…………』


 悪霊は疑問のせいでエリンの支配を完了させるのを途中でストップし、なにやら思案する。

 そして本人に聞くのが手っ取り早いと、残されたエリンの意志に尋ねた。


『ねえ、君ってもしかして…………本当は男じゃないの?』

「だ、だったらどうした……」


 実体がないため表情はうかがえないが、もし悪霊に顔があれば、それはもう埴輪みたいに面白い顔になっていたことだろう。


「って、違う違う。どっからどう見ても女の子でしょ。どうしてそう思った?」

『魂が変なんだよ! 記憶のぞいたけど、ボクと大差ない非モテ人生送ってんじゃねーか! さ、最悪だぁぁぁぁぁ……』


 ジェイラが聞いているかもしれないと慌てて取り繕うエリンだが、すでに悪霊には知られてしまった。

 それでも悪霊にショックを与えるのには十分だった。


『うわあああ……。男とヤっちゃった……。ぎゃぁぁぁぁぁ…………!!』


 黒い煙がエリンの鼻から放出され、それはそのまま雲散霧消していった。


「……あれ、助かった?」


 よく分からないまま、悪霊は成仏してしまったらしい。

 勝手に憑りつこうとして、勝手に人の記憶を見て、勝手にショックを受けて、勝手に消えてなくなる。エリンからしたら、はたまた迷惑な話である。

 欲望のままに行動することが身を亡ぼすと、その身をもって痛感したところだろう。もっとも、いまさら悪霊に説教したところで手遅れなのだが。


ゴゴゴゴゴゴゴ

「……うん? 何の音?」


 ひとまず窮地から脱したと安心するのも束の間、洋館が振動音を立てて揺れ始めた。

 悪霊は、この屋敷は自分の意のままだと言っていた。その屋敷は老朽化が進行して、いつ倒壊してもおかしくない状態だった。そんな古い建物は、これまで悪霊によって支えられていたとしたら……。


「え、もしかして崩れる!? ダーシャ、起きて!」

「あーん、それはピラフじゃなくてほうれん草よ~」

「どんな夢やねんっ! ……って、ツッコんでる場合じゃなかった」


 仕方がないとダーシャを担ぎ上げ、魔法で氷製のスケボーを作り出してそれに乗った。


「急げー!」


 落下してくる瓦礫を避けつつ、玄関めがけて長い廊下を突き進む。

 廊下を抜けてエントランスに出ると、待ち構えていたのは大きなドア。悪霊から逃げようとした時に開かなかった記憶がよみがえり、エリンは思わず舌打ちする。


「チッ、〈ナイアガラ〉!!」


 エリンが水流を放つと、ドアは簡単に弾き飛ばされた。

 そして現れた空間をくぐり抜けて、無事に脱出成功。それとほぼ同時に、洋館は崩れ落ちて瓦礫の山と化した。


「ひゅ~、間一髪」


 危うく下敷きになるところだったと、ほっと一息。

 肌に受ける陽光が、随分と懐かしいものに感じられた。


「そうだ! ジェイラは!?」

「ガウッ」

「ん?」


 仲間を探して辺りをキョロキョロしていると、背後から聞き覚えのある獣の鳴き声が。振り返ってみれば、チェレンにもたれかかって寝息を立てるジェイラがそこにいた。

 穏やかな寝顔を見て、エリンもその場でゴロンと寝転がる。


「あー、良かったー。…………なんか、今日はものすごく疲れたな」




   ♦




「洋館を破壊されたとのことで、修繕費として5,000万フォートいただきます」


 悪霊退治して一件落着? そう簡単にはいきません。だって相手はあのドケチなギルドだから。


「いやいや。だからあれは老朽化してたせいで、私たちが壊したわけじゃ…………」

「では、老朽化によって倒壊したことを証明してください」

「んな無茶な。普通に考えれば分かるでしょーに。だいたい、依頼を押し付けてきたのはそっち(ギルド)でしょ」


 夕暮れのギルドの一画では、帳場(ちょうば)越しに受付嬢と言い争うエリンの姿があった。対するユリヤは、淡々と事務連絡を宣告するのみ。


「依頼内容は不法占拠者の追い出しです。洋館の破壊ではありません」


 もちろん、ユリアだって好きでエリンたちをいじめているわけではない。一介の受付嬢なんかに、ハンターの権利義務を形成する裁量などありはしないのだ。

 仕事をする職員は、ただ決められたことを忠実にこなすだけの生きたロボットであることが求められる。末端と言い争ったところで徒労だった。

 使用者責任なんてない。雇い主が労働者に直接賠償を請求することだって起こり得る。


「エリン、少しは落ち着きなさいよ。ここで怒ったって仕方がないわよ」

「うぎぎぎぎ」


 普段なら真っ先に喚き出しているダーシャになだめられ、歯がゆい思いがこみ上げてきた。

 ちなみにダーシャの醜態は、本人の中ではエリンの水魔法によるものだと片付けられていた。そこは深く追求してはいけない女の子の領域だ。

 なお、ジェイラには悪霊に取りつかれている間の記憶が残っていなかった模様。覚えていたら、しばらくは引き籠ることになっていたかもしれない。


「そういえば、まだオーガキング討伐の報酬を受け取っていませんでした。それと相殺することはできませんか?」

「おお! それだよジェイラ!」


 よく言ったと、エリンはビシッとジェイラを指した。

 ユリアは「そうでしたね」と、書類を確認する。


「オーガキング討伐での『トリコロール』さんの報酬は4,000万フォート。皆さんはスーパーランクですので、そこから5割差し引いて2,000万フォートですね。したがって、残額の3,000万フォートをお支払いください」

「「「さんぜんまん!?」」」


 たしかに5,000万よりはマシだ。

 だが、それでも高すぎる。それに、この依頼を受けなければ2,000万フォートが手に入っていたかと思うと、いたたまれない気持ちになる。


「エリン、今貯金いくらあったっけ?」

「…………100万ちょっと」

「その30倍ですか。さすがに厳しいですね」


 10年かけて返済するとしても、年間300万フォートを捻出しなければならない。

 つい先日まで、なんとか生活していける程度の収入しかなかったのだ。とてもじゃないが返しきれるとは思えなかった。


「今回の件は依頼を回したギルドにも少なからず原因があるということで、返済期限はかなり長めにしてもらいました。ですので、皆さんがすぐに借金奴隷になることはありません。大丈夫ですよ、皆さんならすぐに返済できますから! ……あら?」

「「「うぅ~ん」」」


 双の拳を握って励まそうとするユリア。だが、エリンたち3人は悲嘆のあまり、その場で座り込んでしまった。





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