第8話 遭遇
険しい特訓を終え、クレハはくたくたの体を引きずるようにして自宅へ帰った。
ベッドに入りこんだときには疲労が限界値を超えていたようで、数秒とかからず深い眠りに落ちていた。
「んーっ、いたっ……うわぁ体が重い……」
二日後、目を覚ましたクレハは、爽やかな朝には不似合いの低い声をあげた。
体の節々が痛みを訴えている。少し動かすだけでも、あちこちから悲鳴があがった。
「……今日は座学中心だといいなぁ」
壁を支えに階段を下りるクレハを、驚いた顔のハンナが迎えた。
*
「も、もう無理かも……」
「クレちゃん大丈夫? なんかすっごいぎこちなかったね」
「大丈夫じゃないけど大丈夫……!」
クレハの淡い期待は叶わず、今日の訓練は実技だった。基本的な武器の扱いを学ぶということで、クレハの得意分野である剣を使った訓練だ。
しかし、体中に前日の特訓の名残を引きずり、クレハは何度もキレのない動きを披露する羽目になった。
クレハはため息をつく。
フレッダや他の訓練生、さらにジュードにも華麗な剣捌きを見せることができなかった。そのうえ情けない姿まで見られて。
「師匠に見られたら怒られそう」
叱咤するシンシオの声が聞こえてくるようでクレハは身震いする。
様子のおかしいクレハを案じてか、フレッダに顏を覗きこまれた。大きな瞳と目が合い、クレハは笑みを作る。
「昨日、師匠にしごかれてさ、体中痛くって」
「クレちゃん師匠がいるの? かっこいいじゃん! でも体は大丈夫? 見た感じ怪我はないみたいだけど……」
「うん。師匠に治してもらったからね」
クレハの体に傷跡はひとつもない。シンシオのメティルによって、きれいさっぱりなくなっている。
ただし、体力や疲労までは回復できないようで、体の中身はへとへとのままだった。
クレハはフレッダにそう説明すると、彼女は納得したように頷いた。
「でもすごいね。転んだりしても傷がなくせるってことでしょ? 痣ができちゃうと嫌だから、そういうとき便利そう」
「そうかも。あたしもよく痣作っちゃうから、早く生体魔法を使えるようになりたいのよね」
「生体魔法かあ。体内魔素の流れを偏らせるなんて、難しそうだね」
フレッダは立てた指を顎に添え、首をこてんと傾げた。そのままなにかを考えこんでいるようだ。
クレハも自分の体内へと意識を集中させる。相変わらず魔素の存在は知覚できるが、どのような流れがあるかはわからない。明滅する光とおいかけっこをしているような気分だ。
「川みたいなものだね」
「え?」
唐突なフレッダの言葉でクレハの集中が途切れた。思わず彼女の方を見れば、なんでもないような顔をして続ける。
「川って上から下に流れて行くでしょ。それはどうやっても変わらないよね。でも、流れがゆっくりな所だったら、土を固めたり石を積んだりすれば流れなくなるじゃん。ふたつに分かれさせたりもできるし。生体魔則もそれと同じじゃない?」
クレハの息が止まる。フレッダの言葉を耳から全身に巡らせるように繰り返す。
川。川か。これほどわかりやすい例えはないような気がした。
クレハの脳内に、光の粒が川のように流れて行くさまが浮かぶ。心には光明が灯り、思わずフレッダの肩を掴んだ。
「フレッダ天才! 川を想像すればいいのよ! 言われるまで全然思いつかなかったわ」
「あはは、そんなに熱烈に褒められると照れるってば」
はにかんだフレッダは可憐だった。
*
フレッダと分かれ、クレハはシンシオの元へ駆けていった。
先ほど得た手がかりを胸に、早くメティルを試したかった。
「ガル、おはよう! あたし、ついに極意を掴んだの! これであんたが怪我しても治せるわ!」
「ガルル……」
「ごめんごめん」
ガルを抱きあげ回ろうとしたが、手を伸ばした時点で拒否されてしまった。
彼の肩越しに見えるシンシオは肩をすくめながらも、どこか楽しそうに笑っていた。
「クレハ、メティルの極意がわかったって?」
「そうなの! 読みがうまい友だちがいて、その子が手がかりを教えてくれたのよ!」
「へぇ。聞かせてみな」
クレハはフレッダの言葉を思い出しながら、生体魔則を川に例える方法を伝えた。
シンシオは感心したように息をついた。
「いい友だちをもったねぇ。体の感覚は個人のもんだから、皆一緒ってわけではないんだが、わかりやすさってもんはあるからね」
「聞いた途端ピンときちゃって! 早く試したくてしょうがないの」
「やる気があるのはいいことさ。ほら、やってみな」
シンシオに顎をしゃくられ、クレハは意気ごんだ。
体内の魔素を意識する。
無数の光の粒は水滴で、寄り集まって大きな流れをつくる。生体魔則はその流れが集まった川だ。
クレハは神経を研ぎ澄ませた。まるで遠くの川のせせらぎに耳を澄ますように。
「あれ……うーん……」
しかし、クレハに感知できたのは光の粒のままだった。
想像はばっちりのはず。
時間が経つごとにガルの欠伸やシンシオのしたり顔が見えるようになる。集中力が切れていること気づき、クレハの眉間に皺が寄った。
「絶対うまくいくと思ったのに……」
「あっはっは、そりゃ買いかぶりすぎさ。頭でわかっていることと、体ができることは違う。ま、一歩前進ってところだね。繰り返し繰り返し、ひたすら練習あるのみさ」
「ちぇっ、そううまくはいかないか」
クレハは屈み、台の上に寝そべるガルと目を合わせる。
ガルはクレハの瞳と似た金色の瞳で、彼女を見つめ返している。
「あんたもゆっくり元気になってるんだもんね。あたしも地道に頑張るかぁ」
「グルルゥ」
クレハはガルの背に手を伸ばし、指で毛並みを整えるように撫でる。また威嚇されるかと思っていたが、低い唸り声は聞こえなかった。
「さ、そろそろ今日の特訓を始めるよ」
「はーい。ガル、またあとでね」
ガルから手を離すと短い唸り声が耳に届く。その声に押されるように、クレハはシンシオの家をあとにした。
「シガレイマライ、フィル!」
今日の特訓が始まり、クレハは初心者用の魔杖を使い火球を飛ばした。
火球の大きさは、クレハが口を大きく開いたときの口の大きさと同じくらい。
速度は十分。火球は的の中心より下に当たった。
「ふぅ……」
クレハは次々に魔法を唱えた。
速度を維持しつつ、狙いを定めて一発。今度は上に当たる。もう一発放つ。高さは良かったが、右にずれた。
三発目でようやく中央を掠めた。
今の感覚を忘れないように。
クレハはひと呼吸おいてから、また火球を作り始めた。
「よし。クレハ、杖を返しな」
「え、はい。もしかして打ち合いですか……?」
「なんだい、そんなに体を動かしたいのかい? 残念ながらそれは後だよ」
「意地悪師匠……」
クレハは小声でぼやいた。
シンシオに杖を渡すと、彼女はにんまりと口角をつりあげた。
「杖なしで魔法を使ってみな」
クレハの胸がざわめいた。
特訓を始めて今日で三日目。次の炎の日、明後日が本番だと考えれば、そろそろ杖の補助なしで魔法を使えるようになったほうがいい。おそらく、そういうことだろう。
しかし、速度と狙いを安定させたとは言えない状態だ。うまくいくか不安しかない。
「杖の代わりに手を使いな。手の先に魔素を集中して放つんだ」
「わかりました」
的の正面に立ち、クレハは肩幅くらいに足を広げた。右の手のひらと指、どちらも的へ向けるとそこへ魔素を集中させる。
「シガレイマライ——」
大気中の魔素が集い、手の先に光の玉が生まれる。
クレハの手にすっぽり収まるくらいの大きさだ。
「フィル!」
クレハの金色の瞳に赤い光が射しこんだ。
光の玉は赤く熱く燃える炎へと姿を変え、まっすぐに飛んでいく。
火球は、思いきり小石を蹴ったときのような速度で的へ命中した。
「あ……し、師匠できました! 杖がなくても魔法が使えた!」
「よくやったじゃないか。速度も上出来。あとは狙いを定めることだね」
「はい!」
クレハは飛び跳ねた。体の節々が痛んだがそれどころじゃなかった。達成感が全身を満たす。
頬がつりそうになるくらい口角が上がっている。全身から溢れだす力を発散するように、もう一度手を構えた。
しかし、炎はおろか魔素すら集まらない。
「あれ、なんで?」
「雑念が多いんだろうさ。まだ慣れてないんだから、しっかり集中しないと打てないよ」
「うっ……」
火を見るよりも明らかな理由だった。くぎを刺されたようで気恥ずかしい。
高揚を深呼吸で落ち着けて、クレハはもう一度魔法を使った。見事、火球が的へ命中する。
「もう一度打てたら次へ行くよ」
クレハはシンシオに応えるように、杖なしでさらに一発火球を打ってみせる。
シンシオは満足そうに頷くと、クレハに新たな指示を出した。
「ここからが本番さね。剣を振りながら魔法が使えるようにするよ」
「うわ、難しそう……」
「なぁに、ただ右手で剣を振って左手で魔法を放つだけのことさ。アンタは双剣使いだから、手の補助なしで打てるようにならなきゃいけないが、さすがに明後日までには間に合わないだろうね」
とても難しそうなことを、さも簡単だと言わんばかりにさらっと流された。
クレハの口角が引きつる。対照的に、シンシオは楽しげに口元を歪めていた。
*
「あれ、珍しいなシンシオさん。オレクスへ行くのかい?」
「弟子の修行の付き添いさ」
「クレハ、シンシオさんに弟子入りしてたんだな。最近、どうりで爆睡してるわけだ」
「だって師匠の特訓厳しいんだもん」
御者に運賃を払い、クレハとシンシオは馬車へ乗りこんだ。
ついに炎の日——本番の日を迎え、クレハの鼓動は早くなる。
シンシオにはあらかじめ、必ずしも森林リスと出会えるわけじゃないと言い含められていた。なにせ、クレハたちは養成所の訓練を終えてから森へ向かうが、巡行士と修了試験受験者は朝から調査を始めているのだから。
「クレハ、くれぐれも単独行動はしないように。アタシの側を離れんじゃないよ」
「わかってます師匠」
ひそひそと話していると膝の上の籠が揺れた。馬車の揺れということにして、クレハは何食わぬ顔を貫く。
ガルをひとりにしておけない。クレハの要望とシンシオの判断は一致し、ガルをギルドへ預けようとした。しかし、ドラゴン誘拐事件を知る巡行士の多くが、オレクス近郊の森へ向かっていた。クレハたちの作戦は中止かと少女が肩を落としかけたとき、シンシオがガルを連れていくと言い放った。
「しばらく大人しくしててね」
籠に向かって囁く。他の乗客もいるし、御者にバレてもまずい。村についても当分は籠から出してあげることはできないだろう。
狭い所へ詰めこまれたガルに罪悪感を覚えながら、クレハは籠をぎゅっと抱えなおした。
「さてクレハ。これからどうする?」
「え、このまま森へ向かうんじゃないの?」
約二時間後、クレハが大きく伸ばしているとシンシオが問いかけてきた。
「それだとアタシらが森へ入ることがバレバレだ。それに、おそらく村側の入り口には見張りが立ってるだろうね」
「じゃあ別の場所から入らないと」
「そういうことさね。さあ行くよ」
シンシオは勝手知ったるという風に歩いていく。クレハは慌てて後を追った。
オレクスの住人であるクレハもあまり通らない道を選び、シンシオは森へと案内してくれた。
「こんな行き方があったなんて」
「巡行士にとって地理の把握は大事だよ。よく覚えておきな」
「はい」
「さて、改めて聞くが、覚悟はいいかい?」
「もちろんです!」
クレハは間髪入れず返事した。シンシオは険しい表情のまま続ける。
「今回の目的は?」
「森林リスに一発かますこと!」
「見つけたらどうする?」
「師匠に伝えて、様子を窺う。その後ぶっ叩く!」
「誰かに見つかったら?」
「……すぐに隠れて森から出ます」
「言いよどまなかったら満点だったんだがね」
シンシオが鼻で笑うのに、クレハは苦笑した。
手を差し出す師匠へ籠を渡す。森の探索中、ガルの身の安全はシンシオが守ってくれるそうだ。
クレハは手を握ったり開いたりした。
双剣よし。靴紐も緩みなく締めた。念のためと、シンシオに初心者用の魔杖を借り、腰に差している。
「準備はいいね?——行くよ!」
クレハは、シンシオのかけ声とともに森の中へと駆け出した。
大きな音を立てないよう、足元に気をつけながら進む。
徐々に傾いていく太陽にクレハの気が急く。
夜の森は暗くて危ない。
クレハはシンシオと、日が暮れ始めたら撤退するという約束をしていた。
「クレハ、見な」
シンシオが顎をしゃくった先には木の幹があった。そこには歯形がついている。
「これ……!」
「森林リスがかじった跡だろうね」
一本だけでなく二本、三本と近くの木に跡がある。シンシオは幹に近づいて確かめると、歯形はつい今しがたついたものだろうと言う。
「クレハ、気合い入れな。きっとすぐ会えるよ。リスは鼻がいいからね、こいつを探して現れるはずさ」
シンシオは、籠から顔だけ出したガルを指した。
クレハは周囲を警戒する。
瞬間、森の雰囲気が変わったような気がした。
「クレハ! 上だよ!」
シンシオの叫び声につられクレハは飛び退く。
先ほどまで少女がいた場所に、凶暴な顔つきの魔物がいた。
大きな尻尾に、外側に反れた耳。ずんぐりとした体躯の生き物は紛れもなく森林リスだ。
クレハは双剣を構え、ガルを傷つけた相手を見据えた。




