第7話 負けず嫌い
翌日、クレハは養成所での訓練帰りにシンシオの家を訪れた。
「シンシオさん、クレハです」
「やあクレハ。ちゃんと来るとはね」
扉を開けたシンシオの様子に異常はない。
もしもガルが暴れていたら、という心配は杞憂だったようだ。
家の中へ入ると、昨日同様の位置で寝息をたてるガルを見つけた。
「具合はどうなんですか」
「ぼちぼち、といったところだね。一度は目を覚ましたがまた寝入っちまったよ。休息が必要だってあいつもわかってるのさ。賢い生き物だからね」
クレハはガルを起こさないよう、ゆっくりと近づいた。
昨日より安らかな顔をしているように見え、少女は安堵した。
あまりに穏やかな眠りに背を撫でたくなったが、休息の邪魔をしてはいけないだろう。
伸ばしかけた手を引っこめると、ガルの鼻がぴくりと動いた。
「……グルゥゥ」
「やばっ起こした! ごめん、すぐ退くから!」
クレハは小声で後ずさろうとする。しかし、それは他ならぬガルによって阻まれた。ガルが首を伸ばし、引きかけたクレハの手のひらに向かって頭突きをしたのだ。
——これは攻撃……ではなさそう。
クレハもグランスに対しよくやることだ。懐いているからこそできる接触だ。改めて言葉にすると、なんだか恥ずかしい。
クレハの動揺をよそに、ガルは小さく喉を鳴らした。
彼は数度足踏みをして体勢を整えなおすと、また寝てしまった。
「……腰布効果ってことですかね」
「言ったろう? こいつは賢いんだ。アンタが自分を助けたってことをわかってるのさ」
「そんなことって……」
クレハはガルの賢さに驚いた。
「さて、昨日話せなかったこいつの正体と処遇だが、聞く気はあるかい?」
「もちろんです!」
シンシオはお茶を片手に席につくと、クレハには向かいへ座るよう促した。ありがたいことにクレハの分もお茶を淹れてくれている。
クレハは湯気がたちのぼるお茶に息を吹きかけ、早く冷めてくれと熱を飛ばした。
「まず、こいつの正体だが。こいつは竜種の一種、ドラゴンの幼体だ」
「ドラゴン!? それってあの、空を飛んだり火を吹いたりするドラゴンですか!?」
「声が大きいよ、ガルが起きちまう」
クレハは手で口を塞いだ。
しかし、ドラゴンと聞いて驚かずにはいられない。
ドラゴンは魔物の一種だ。恐ろしく強い生物として有名な反面、神聖な生き物として崇める者もいる。
クレハはというと、絵本の中のドラゴンに憧れる幼少期を過ごした。
「ドラゴンと言っても、飛ばないのも火を吐かないのもいるけどね。ガルだってまだ翼がないだろう」
「たしかに」
「そんなわけで、ガルはドラゴンだ。そしてアンタはドラゴンをオレクス近郊の森で拾った。この意味がわかるかい?」
シンシオがクレハを試すように、にやりと笑みを深めた。
クレハは考える。
まず、ドラゴンのような世にも珍しい生き物があの森に棲んでいるはずがない。定期的に木こりの手入れが入っているため、ドラゴンを見つけたら木こりが報告しているだろう。
「木こりのおじさんが隠してた? ううん、そんなわけない。だってガルは捕まってなかった。逃げられたら困るなら捕まえとくはず」
ならば、ガルはどこから来て、いつあの森に現れたのか。
ガルは、クレハが見つけるまで誰にも見つからなかった。つまり、見つかるほど長く森にいなかった。
「ガルは最近森に来たんだ……」
では、どこから?
その答えはいくら頭をひねろうと出てこない。そもそも、ドラゴンの棲家など絵本の中以外知らなかった。
「……降参です。ガルはどこから、どうしてあの森へ来たんですか?」
「アンタにはちょいと難しすぎたかね」
シンシオは意地悪く笑うと指を立てた。
「一つ、ガルはドラゴンといえど幼体だ。まだ親の庇護が必要なのさ。でも、親は周りにいないみたいだね」
「そっか、親……」
「二つ、この付近にガルのようなドラゴンが棲息できるような場所はない。人里が多いからね。竜種にも色々いるが、賢く温和なやつほど人を避ける」
「でも、人の多い場所にやってきた? 何のために?」
「違うよクレハ。やってきたんじゃない。連れてこられたんだ」
クレハは息を呑んだ。
——ドラゴンを誘拐!?
前代未聞の大事件ではないか。
予想もしていなかった事態に理解が追いつかない。
「おおかた、たまたまドラゴンの子どもを見つけたんで、捕まえて売っ払おうとしたんだろうさ。獲物に逃げられてちゃお笑い草だけどね」
「そんな単純な事件なんですか!?」
「綿密な計画、慎重な犯人ならドラゴンの子どもを逃がすだけでなく、ずぐに追いかけもしないなんて大失態、しでかさないだろうさ」
シンシオはやれやれと肩をすくめる。
大組織の計画的犯行に巻きこまれ絶体絶命の危機、にはならないようだ。
「ああそれとね、その誘拐犯なんだが、もう引っ捕らえたよ」
「ええ!?」
またも予想外の展開だ。
「昨日のうちにギルドへ報告しといたのさ。ドラゴンが逃げたんなら、獲物を捜すか、発覚を恐れてずらかるかのどっちかだろう? 追えるうちにケリをつけとかないとね」
「でも、昨日オレクスに巡行士なんて来てないですよ」
「そりゃあドラゴンが関わってるからね。民間人どころか任務に関係ない巡行士にさえ秘密だよ」
「……今あたし知っちゃいましたけど」
「もう終わったことだからいいのさ」
シンシオは不敵に笑う。
一昨日、ジュードに教わった巡行士の規則によると、秘密を漏らすのは良くないことに思えるが、あえて考えないようにした。
「あとね、アンタは逃げたドラゴンを拾ってきた張本人だ。もしも連中に姿を見られてたら命が危なかった。だから、極秘裏にアンタと母さんに護衛がついてたんだよ」
「護衛!? 全然気づかなかった……」
クレハは一旦驚きを飲みこんだ。
ハンナにもクレハ自身にも危害を加えられなくてよかった。
しかし、クレハが知らないうちに何もかも終わり、何もできなかったのは悔しい。
感情があちこちに行くのを抑えるため、クレハはお茶を飲んだ。
「守っていただき、ありがとうございました」
「礼なら巡行士のやつらに言いな。それで、ガルの処遇なんだがね。親元に帰すことになったよ」
「元の棲家がわかったんですか?」
「ああ。犯人に吐かせたらしい。だから、移送の見通しがたてば、ガルはギルドが保護する。それまでは、このままここで療養だね」
「そうですか……よかったぁ」
安堵にため息をついた。
ひとりぼっちで戦っていたガルが親の元に帰れるのは、これ以上ない朗報だ。
「それで、だ。ここからはちょいとしたらおまけなんだがね。突然、魔素量の多い個体が現れちまったもんだから、あの森の魔物が騒ぎ出した。アンタが見たリス型の魔物もね」
そこにも関わってくるのか。
話を聞くクレハの身が今一度固くなる。
「大人しくしているなら害はないんだが、ひどく興奮していてね。このままだと森の生態系が崩れかねない。そこで、巡行士の出番ってわけさ」
「討伐、ですか?」
「場合によってはね。基本的にはちょいと懲らしめてやるって方針だろうよ。なにせ今回は、養成所の修了試験も兼ねるらしいからね」
「そうなんですか!?」
巡行士ギルドの養成所では、修了試験を受け合格すると巡行士になることができる。ゆくゆくは、クレハも修了試験合格を目指すことになる。大抵は三年から四年程度で試験を受けることができるらしい。
「試験で何やらせるかは毎回違うからね。実戦経験を踏ませるのが必須、って決まりはある。だから、今回は魔物を懲らしめるときの補助役さ」
「でも、ガルのことは秘密なんじゃ……」
「もちろん、ドラゴンのことは伏せてあるさ。森の魔素が乱れて魔物が凶暴化してるから、ってな理由でやるんだろう。嘘は言ってないねぇ」
シンシオは意地悪そうに笑った。
「で、アンタはどうする? このまま連中に任せるかい?」
言葉どおり、巡行士たちに任せるのが妥当だ。クレハの出る幕ではない。
ただし、ひとつ確認したいことがあった。
「森の魔物はどうして興奮してるんですか」
「ガルに逃げられたから、だろうね。せっかくの獲物を横取りされてご立腹のやつが暴れだし、それに周りが触発されたんだろうさ」
「そうですか……」
獲物に逃げられて暴れている魔物。十中八九、あのリス型の魔物だろう。ガルの足にあった噛み跡はリスの歯形にそっくりだった。
そうとくれば話は別だ。
正しいかは置いておいて、クレハは思うがままを口にする。
「あたし、ガルをいじめたやつに一発かまさなきゃ気がすまない!」
「いいねぇ。その負けん気、嫌いじゃないよ」
シンシオは上機嫌な様子で続けた。
「修了試験は四日後。もちろん、今のアンタじゃ試験を受けようだなんて無理な話さ」
「わかってます」
「たまたま家の近くの森を散歩してたら、たまたま魔物に襲われて、護身用に持ってた武器で応戦したら正当防衛ってことにならないかい?」
「それは……そんなこと、していいんですか」
「良くないね。でも、アンタも腹の虫が収まらないだろ。他の魔物も暴れてるんだ、リスの一匹くらいアタシらがもらってもいいだろうさ」
どうやらシンシオもついてきてくれるらしい。
ひとりで乗りこむのは、実力的にも、後の事を考えても心細かったので嬉しいかぎりだ。
「アタシも関わっちまったし、なによりアンタを気に入った。巡行士のやつらに何か言われたら、たまたま弟子の訓練に来ていた、で押し通すさ」
「すごい強引! でもありがとうございます!」
シンシオは目を細め口角をつりあげる。まるで大胆な悪役のような顔だった。
バレたらジュードにこっぴどく叱られそうだが、バレなければいいと思うことにした。
「そうと決まれば、クレハ、特訓だよ」
「特訓?」
「今のアンタじゃリスにすらボコボコにされるだろうさ。四日後までビシバシいくよ!」
「は、はい! 頑張ります!」
「ちなみに、使いものにならないようなら置いて行くからね」
クレハは背筋に冷や汗が流れるのを感じながら、気合を入れて返事をした。
*
シンシオの特訓は、クレハが経験してきた何よりも苛烈できつかった。
まずは素振り。正しい型を叩きこまれ、何度も何度も繰り返した。
そして、型を崩さないことを前提とした剣の打ち合い。時間が経つと体力がなくなり、適当になるクレハの動きを咎めるよう、容赦なく木剣が振り下ろされた。
「し、師匠っ、きついです」
「なんだいだらしないねぇ。若いんだからもっと気張りな!」
生傷はシンシオがメティルで治してくれるが、体力は戻らない。さらに、メティルでの回復は自然治癒力の促進らしく、傷が治る度にクレハの体力がごっそり持っていかれた。
さすがに立てない、とへたりこめば小休憩をもらえたのはついさっきのことだ。
「今の若いのは体力がないねぇ。アンタがひ弱なだけかい?」
「短期、集中、型なんですっ」
「ものは言いようだねぇ」
からからと哄笑され、クレハの体がさらに重くなった。
あと三日、これが続くのかと思うと気が気でない。
——明日もここに来れるかな……。
特訓から逃げてしまわないか、自分でも不安になった。
「さて、次にいくよ!」
「えっ、まだやるんですか!?」
「やるに決まってるだろ。あと四日しかないんだ。どれだけやっても足りないくらいだよ」
「ひぃぃっ……!」
クレハは震えた。
「なぁに、次は剣を使わないから安心しな」
「よかった……。もう指に力が入りませんよ」
小刻みに震える指を見せると、シンシオはまた笑った。
クレハは息を整え、ゆっくりと立ちあがる。
「アンタ、魔法はどのくらい使えるんだい」
「えっと、体内と体外の魔素感知はできます。杖をつかった魔素集中と魔法もできました。魔則は炎です」
魔素集中ができ、魔則が炎だとわかったのはつい昨日のことだが。
クレハの答えにシンシオは顎を引く。なにか考えこんでいるようだ。
「魔法を完全に使えるようにするには時間が足りないね……魔則が炎ならやれることはある、か」
「あの、師匠?」
「クレハ、四日後までに杖なしで魔法を使えるようになるよ!」
「魔法を!? そんなのできるんですかね」
「できるかどうかじゃなく、やらなきゃ置いてけぼりさ」
クレハが聞き返すと、師匠はひとり言より難易度の高いことを要求してきた。
できるかどうかわからないが、置いていかれるのは避けたい。
クレハは最終目標であるリス型魔物——森林リスの姿を思い出し、気合を入れなおした。
シンシオから初心者用の魔杖を受けとり、少女は集中する。
「まずはあの的に向けて火球を打ってみな」
「——シガレイマライ、フィル!」
大気中の魔素を集め、炎へと変換する。杖の先端に小さな火が灯り、クレハは杖を的へ向けて火球を飛ばした。
火球はまっすぐな軌道で飛んでいき、標的へ命中した。
「軌道は良い。問題は火球の大きさと速度だね。特に、速度は上げたいところだ。今のままだと簡単に避けられる。あえて囮として使う手もあるが、はじめから上達を諦めるのはもったいないさね」
「速度かぁ。まっすぐ飛ばすことしか考えてなかったな」
「狙いが正確なのはいいことさ。軌道を自在に操れるようになるとさらに幅が広がるんだが、今は考えなくていい」
それから、クレハは何度も火球を打った。
魔素の制御は難しく、失敗の連続だった。
着弾を早めようとすれば狙いがずれ、狙いを定めると速度が落ちる。
大きさについても、魔素弾と同じくらいの火球を作るのは至難の技だった。なんとか杖の先端に浮かべることができたときもあったが、的に当たる前にことごとく消えてしまう。
「あー! あっちもこっちも気にして訳わかんなくなりそう!」
「森での戦闘だからね、木に燃え移って大火事、なんてことになると危ないだろう? 相手に避けられない速度と狙いの正確さは必要不可欠さ」
「大きさは?」
「拳よりひと回りもふた回りも小さい炎だと、魔物が相手じゃ焦げ目を作れたらいい方さね。だけど、狙いが正確であれば、注意をそらす囮にもできる。速度が上がれば、避けられる可能性が低くなるのさ」
クレハは納得し、杖を構えなおす。
速さと正確さの両立を最優先する。けれど、炎が小指の爪くらいの大きさになるのは意味がない。最低限の大きさを維持しつつ、その後の発射に繋げる。
「まずは速度と正確さを安定させな! 小さい火すら操れなきゃ大きな炎なんて以ての外さ!」
「——わかりました!」
ずばりと指摘されればクレハは反論すらできない。しかし、金色の瞳は闘志を失っていない。
クレハは馬車の時間ぎりぎりまで、杖で火球を作り、的へと飛ばす練習をし続けた。




