第6話 メティル
クレハは息を切らしながら、オレクスのはずれへと帰ってきていた。
——怪我をしているとはいえ、魔物をこのまま村に連れて行くのはよくないかも。
子どもたちの好奇の視線に晒されたり、大人たちから捨ててこいと言われたり、クレハの脳裏に懸念がよぎる。
「狭いけど勘弁してよね」
クレハは思いきって服の中に獣を隠した。
比較的人気のない道を選び、誰かに会わないようこそこそと移動する。
誰かの視線に肌を刺されるような錯覚を覚えながら、クレハはやっとのことで自宅にたどり着いた。
「お母さん、大変なの! 動物……が怪我してて!」
「おかえりなさいクレハ。その大きなお腹に動物がいるの?」
ハンナには、動物がおそらく魔物であることは伏せた。
たとえ母といえども切り出す勇気がなかった。
「あの、手当してもいい?」
「もちろんよ。さあ、そこに座って」
ハンナはてきぱきと清潔な布や水の入った桶、包帯などを持ち出してくる。
母の用意の良さに感心していると、早く見せてと言わんばかりに視線を寄越された。
「……ちょっと変わった子、なんだけど。驚かないでね」
「変わった子? 真っ白な野うさぎでも連れてきたの?」
真っ白でも野うさぎでもない。
クレハは意を決して、布の上に隠していた獣を横たえた。
「まあ! 見たことない動物ね。動物……動物……もしかして魔物!?」
「しーっ! お母さん声が大きい!」
他の村人に知れたら大事だ。
クレハは唇の前に指を立てた。
「魔物だと思うんだけど、でも! この子ぐったりしてて、でも目は助けを求めてて。たぶん、さっき見たリス型の魔物に襲われたんじゃないかって!」
「クレハ、落ち着いて。大丈夫よ。他の人には言わないし、捨ててきなさいなんて言わないから」
「あ、ありがとう」
クレハは大きく息を吐いた。
そしてハンナに事の経緯を話すと、彼女は怪我をしたクレハの手をとり手当てを始めた。
「もう、無茶するんだから。少し染みるけど我慢してね」
「うん——いっ! あたしもバカなことしたなって思ってるよ」
今さらながら、魔物を助けるなんて大それたことをよくやったものだ。
ハンナが受け止めてくれたことで、少し気分が落ち着いてきたらしい。
クレハは、改めて母に向き直る。
「お母さん……あたし、この子を助けたい。たぶん魔物だってわかってるけど、でも放っておけないの」
「…………わかったわ。とりあえず応急処置をしましょう」
「——ありがとう!」
クレハとハンナは、血で汚れた獣を濡らした清潔な布で拭っていく。
森で巻いた腰布も解き、固まった血を取り除いてから新しく包帯を巻き直した。
体中の至るところに包帯を巻かれた姿はなんとも痛々しい。
「今できることはしたけれど、これから先どうすればいいかは私にもわからないわ」
「えっ、ああそうよね。魔物、だもんね。何を食べるんだろう」
クレハは首を傾げた。
猫なら魚やミルク、肉も食べるはずだ。
しかし、魔物——しかも動物には似つかない謎の生物となると、何を食べるのかわからない。
怪我の手当ても十分とは言えないかもしれない。
クレハはひとつ方法を思いつき、逡巡した。
「……ギルドに連れて行ったらどうかな」
「ギルドって巡行士ギルドのこと?」
「そう! 養成所でもいいんだけど。ギルドなら魔物に詳しい人もいるかもしれないし!」
「たしかにそうだけど、いいの?」
ハンナのこちらを慮るような表情に、クレハはそっと頷いた。
巡行士は魔物の討伐依頼を請け負うことも多い。
しかし、ジュードなら理由も聞かず即座に処断するようなことはないはず。
なにより、クレハには他に頼ることができる場所が思いつかなかった。
「あたし、今から行ってくるよ」
「馬車はまだあるけれど、すぐに暗くなるわ。明日早くでもいいんじゃない?」
「こんなに怪我してたら今日の夜どうにかなっちゃうかもしれないし、目が覚めて暴れられたら困るから」
「それもそうだけど……」
クレハは強い意思を伝えられるよう、ハンナを見つめた。
ハンナは目を閉じしばらく考えこんだのち、渋々と了承した。
「送り届けたらすぐ帰ってくるのよ」
「わかった。なるべく早めに帰るわ!」
こんな時間から親子そろってオルディアに向かうのは不自然だ。
クレハは一人で巡行士ギルドを目指すことになった。
手には大きな籠を持っている。中には、未だ気を失っている獣が入っていた。
「くれぐれも気をつけて。自分の身を一番に考えるのよ」
「うん。行ってきます!」
クレハは縮こまりそうになる背をしゃんと伸ばし、堂々と道を進んだ。
馬車乗り場に着くと、いつもどおり代金を払い馬車へと乗りこむ。
「クレハ、今日は遅くにオルディアへ行くんだね。それに、やけに大荷物だ」
「う、うん! お母さんに急ぎのおつかいを頼まれちゃってね!」
事前に用意していた言い訳を述べると、御者は納得したように離れていった。
クレハはほっと息をつく。
森で魔物と遭遇したときと同じくらい、鼓動がうるさい音を立てていた。
揺れる馬車の中でもクレハは気が気じゃない。
獣がいつ起きてもおかしくないうえ、起きたらまず間違いなく暴れるだろう。
——どうかまだ寝てくれますように。氷神セレシス様、どうかかの者に休息を。
クレハの祈りが通じたのか、オルディアに着いてもまだ獣は目を覚まさないようだった。
「さて、ここからどうするか、だけど」
巡行士ギルドに直接助けを求めるべきか、養成所で話をすべきか。
クレハはそれほど迷うことなく、後者を選択した。
ジュードに話し、必要であればギルドに取り次いでもらうのがいい、と。
少女は巡行士ギルドの養成所へ向けて早足で進む。
そこへ、見知らぬ女性が立ち塞がった。
「おや、そんなに急いでどうしたのかね」
「え、っと、母におつかいを頼まれていまして」
「ふぅん、そんなに大きな籠を持って大変だねぇ」
「あはは……」
女性は妙に貫禄があった。
短いくすんだ灰茶色の髪と、頬の古傷。親しげに細められていながら、どこか鋭さを残す葡萄のような色の瞳。
——お母さんよりもひと回り歳上だ。
目や口元に刻まれた皺さえも、威厳へと昇華している美貌だ。クレハは思わず背筋を正した。
「はは、そんなに緊張しなさんな。アンタ、今年の養成所のもんだろう? 昼間の勝負、なかなか良かったよ」
クレハの体が固まった。
昼間の勝負を見ているだけなら、通りすがりということで納得もできる。たまにアーチュ以外の観客もいることからなおのこと。
ただし、今年の養成所の訓練生と言われたことは引っかかる。
「あの、失礼かもしれませんが、あなたは一体どなたですか」
「アタシかい? まあ、これ以上隠しても意味はないね。時間もないようだし」
女性は歯を見せて笑った。
「アタシはシンシオ。元、巡行士さ」
「元巡行士!?」
「何をそんなに驚いてるのさ。こんなナリだ、ただの婆さんじゃないことくらいわかってたろうに」
クレハの驚きをよそに、隙のない足どりでシンシオが近づいてくる。
少女の持つ籠にそっと触れると、蓋を開けて中を見ることもせずにやりと笑う。
「大分弱ってるみたいだね。訳ありだろう? さっさとアタシについてきな」
有無を言わさず踵を返すシンシオ。
クレハは呆然と立ち尽くしたが、慌てて後を追いかけた。
——この人なら助けられるかもしれない。何かあれば……なんとかして逃げよう!
シンシオは、養成所でもギルドでもなく、東街区にある住宅街を迷いなく歩いていく。
初めて来た場所をクレハがきょろきょろと見回しているうちに、どうやら目的へ着いたようだ。
扉を開けたシンシオに中へ入るよう促される。
ここで入るのはさすがに不用心かとためらった。
「なに、とって食いやしないよ。ここはアタシの家だ。道具を持って外でやってもいいんだけどね。きっと目立つだろうから中へ入ることを勧めるよ」
何もかも見透かされているようだった。
クレハは意を決し、シンシオの家へ足を踏み入れた。
室内は、物が多いようにも少ないようにも感じる。
けれど、整理はしっかりされているようで、雑多な印象はあまり受けない。
——本当に大丈夫なのかな。今さら不安になってきた。
クレハはシンシオが準備をしている間、落ち着かない様子で何度もその場に座りなおした。
「さて、さっそくだがその魔物を見せてみな」
「……はい」
やはり、クレハが説明せずとも事情はおおかたわかっているようだ。
クレハは汗ばんだ手でゆっくりと獣を持ちあげ、布が敷かれた台にそっと下ろした。
「こいつは……アンタ、こいつをどこから拾ってきたんだい」
「……オレクス村の近くの森です。散歩をしてたら急に現れて、他の魔物に襲われて逃げてたみたいだから」
「——オレクス村の近くの森、か。ああ、アンタの想像どおり、こいつは魔物に襲われたんだろうね」
一度包帯を外し、傷を確認しながら、シンシオは獣の全身を観察する。
「これは酷いね。本来、こいつも弱い魔物じゃないはずなんだが。まだ小さいし、知らない土地で気張ってたのかね」
「知らない土地って、やっぱりあの森の魔物じゃないんですか!?」
「ああそうさ。そんなところにいるはずがないだろうよ」
シンシオはなぜか不敵な笑みを浮かべると、あらわになった獣の傷跡へ手をかざした。
「シガレ——メティル」
突如として、シンシオが手をかざした箇所の傷跡が淡く光り始める。
すると、急速に傷が塞がっていき、数秒後にはきれいさっぱりなくなっていた。
「魔法!?」
大きな声をあげるクレハをよそに、シンシオは次々と傷を癒やしていく。
最後に、一番深く傷ついた右の後ろ足に手をかざした。
しかし、そこは完治せず痛々しい傷跡が残った。
「なんで治さないんですか!?」
「こいつの体力がもたなくてね。なあに、安静にしていれば治るさ。傷跡も残らないよ」
シンシオの言葉にクレハは胸をなでおろした。
——それにしても、今のは何だったの。魔法、よね。
クレハは先ほどの詠唱を思い返した。
シガレ。たしか上級の魔繋語だ。
使いこなしているということは、相当な魔素制御力があるということ。
そして、メティル。
これはクレハも聞いたことがない。
否、どこかで耳にしたことがある気がした。
たしかそれは——
「——ソルディアだ」
二年前のあの日、ソルディアがトリルに対し使っていた魔法。
たしかそれは、メティルという響きだったはず。
「あの! まずは助けていただき、ありがとうございます。それで、メティルという魔法は何の魔法ですか」
「せっかちな子だねぇ。礼には及ばないさ。で、メティルってのは、生命へ干渉する魔法さ」
「生命への、干渉?」
クレハは首を傾げた。
シンシオもソルディアも、メティルという魔法によって傷を治しているようだった。
——なら、メティルは傷を治す魔法? でもわざわざ生命への干渉って言ったよね……。
答えを求めちらりとシンシオの顔を伺ったが、彼女は試すようにこちらを見ている。
——きっと、自分で考えろ、ってことだよね。
クレハは思考を巡らせた。
「ジュード先生が言ってました。生物の体内にある魔素は大気中にある魔素と違い、特殊な魔則をもっているって。生体魔則は、個人がもつ魔則じゃなくて、人間も動物も植物ももっているものだと」
「ふぅん、続けな」
「はい……生体魔則をもった魔素は特別で、操るのは難しい。だから、体内にある魔素に属性を与えて、内側から燃やしたり、凍らせたりすることはできない」
大気中の魔素を使って炎を放ち皮膚に火傷を負わせることができても、生体魔則があるかぎり体内から燃やすことはできない。
ジュードの解説では、そういうことだったはずだ。
「じゃあ、シンシオさんやソルディアが傷を治せたのはどうしてなのか——メティルは、生体魔則に働きかけて傷を治す魔法だから、じゃないですか?」
クレハは顎に指を当てながらシンシオへと尋ねる。
おそらく、メティルは難易度の高い魔法だ。
——この人は、相当な実力者。だから、実際に見なくても、魔素を感知して魔物がいることに気がついたのね。
「——はははっ、アンタ見かけ以上に賢いじゃないか。でもね、半分正解で半分は不正解だ。無理もないがね」
「えっ、どこが違うんですか?」
「生体魔則に働きかける。それは正解。いい洞察だ。でも、傷を治す魔法というのは不正解。言ったろう? 『メティルは生命へ干渉する魔法』だ。傷を治すだけじゃないんだ、よっ!」
説明の途中でシンシオがおもむろに腕を曲げる。
先ほどと同じ詠唱をしたかと思えば、シンシオの二の腕に大きな力こぶができていた。
「はっ!? どういうこと!?」
「メティルでできるのは傷の回復を促進することだけじゃない。筋力の増強やら視覚の撹乱やらもできるのさ。便利だろう?」
「すごい……」
クレハはあまりの効力に圧倒された。
他の具体的な用途はパッと思いつかなかったが、汎用性が高く、様々な使いみちがあることは容易に想像できた。
「どうだい? やってみるかい?」
「やりたいです!」
「そうかいそうかい。じゃあ、集中しな」
低く圧のある声に、クレハの全身に緊張が走った。
「体内魔素を感じとって、魔素を一点に集中させな。今回はそうだね、右の二の腕だ」
「……はい」
クレハは体内の魔素に意識を集中させる。
自分の体を巡る無数の光の粒を、網で集めるように。
しかし、一向にうまくいかない。
「自分の魔則に従った魔法とは違うよ。大気中の魔素は一定だが、体内魔素は常に変化している。暴れ馬のように扱いが難しいのさ」
「…………」
「流れを読むのさ。掴みどころがなくとも一定の流れはある。その流れに偏りを与えてやる。そんなところかね」
流れを読んで、偏りを与える。
シンシオは簡単に言うが、全く思うようにならない。
彼女の言葉どおり、体内魔素は網で捕まえようとしても逃げていくように感じる。
糸を伸ばしても捕まらない。
見えたり消えたり離れたりするため、流れも読みづらい。
「うぅ……」
「最初からできるわけないさ。せいぜい練習を続けることさね。ゆくゆくは、ジュードからも説明があるだろうよ」
「——っはぁ。わかり、ました」
疲れが怒涛のように押しよせ、クレハは一気に脱力した。
拳を握ったり開いたりを繰り返し、自分がたしかに存在することと力の入り具合を確かめる。
かすかに指が震えている気がした。
「さてと、こいつは当分うちで預からせてもらうよ。まともに動けやしないだろうしね。魔素を多く含む薬草と家畜の乳を混ぜたのを食わせて、体力を戻してやるさ」
「何から何まで、ありがとうございます」
「気にするな、とは言わないけどね。アタシもやりたくてやってるようなもんだよ。それに、こいつはちと特別な魔物でね」
「特別?」
クレハが聞き返すとシンシオは神妙に頷いた。
「ああ。詳細は伏せるが、とにかく特別な奴さ。そこいらの魔物とはわけが違う。オレクス近くの森でなんて見かけるはずがないんだよ」
魔物すらめったに見かけないというのに、魔物の中でもいるはずのないもの。それがこの獣だという。
たしかに見たことのない姿をしているが、クレハにはどんな魔物かなど見当もつかなかった。
ふと、クレハの頭に名案が浮かんだ。
「その子に名前をつけてもいいですか」
「名前かい?」
「はい。その子とかそいつとかアンタとか、決まった呼び方が欲しいなと思って」
「…………まあ、いいか。いいよ、好きにしな」
「ありがとうございます!」
クレハは獣を食い入るように見つめた。
複雑な色味をしているため色からとって名付けるのは難しい。
特徴といっても、体中どこもかしこも不思議な形をしていて、何を名前の由来にすればいいかわからない。
——目の色はたしか、金色に近い色だったっけ。まん丸の夕日みたいな色だった気がする。
夕日と同時にハンナが思い浮かんだ。
『昼は一人で皆を照らしてくれた太陽が、夜は月や星に役目を交代するのよ。その直前にね、自分を忘れないでって空を真っ赤にしてしまうの。ほんの少しの間だけね』
さらに、森で見つけたとき、低い唸り声をあげながら必死にクレハを睨んでいた獣の姿が浮かぶ。
喉に絡んだような鳴き声は、最大限の怒りであると同時に心細さの表れだったのかもしれない。
——だって、ひとりぼっちだったんだもんね。
「決めた。ガル、にします」
「ガル、か。それはこいつの鳴き声かい?」
「はい。ひとりで寂しくて不安だっただろうけど、この子は最後まで戦っていました。だから、その勇気を忘れないように、あの時の声にしようかなって」
「……ほう。いいじゃないか。ガル、だね。アタシもそう呼ばせてもらうよ」
シンシオはどことなく満足そうに頷いた。
「ああ、そうだ。アンタ、これからこいつの様子を見にここへ来るんだろう?」
「はい。そうさせてもらいたいです」
「アタシは構いやしないよ。それに、アンタが拾ってきたんだからアンタにも面倒をみてもらわなくちゃね」
そこでだ、とシンシオは指を立て、クレハの赤い腰布を指差した。
「知らない奴が来ても大騒ぎしないよう、アンタの匂いを覚えさせる。ちょうどこいつの怪我に布を巻いてたろう。もう一度綺麗なものを寄越しな」
「わかりました」
動き回って綺麗かどうかは怪しいところだが、血塗れの物よりも清潔だろう。
クレハは腰布をまた一筋割いてシンシオに渡した。
「よし。じゃあアンタはすぐにでも帰りな。オレクスに住んでるんだろう? 馬車を逃すと帰れなくなるよ」
「そうだった! シンシオさん、本当にありがとうございました。明日もまた来ます!」
「騒がしい奴だね。ま、訓練の帰りにでも寄りな」
笑うシンシオに見送られ、クレハは馬車乗り場へ駆けて行く。
途中、立て続けに色々なことが起きたせいで籠を忘れたことに気づいた。来た道を引き返したが、なんとか馬車の時間には間に合った。
そうして、オレクスに着いたのは夜にさしかかるような頃だった。
——ガル、元気になるといいけど。
クレハはハンナに経緯を話すと、夕食をとり寝支度をすませる。
日課の魔素感知の練習中もガルの姿がちらつき、自分も重症だと苦笑した。




