第24話 色溜まり
月明かりが照らす画家の工房にて、クレハは先に到着していたカナトに手を振った。
「来たか。そっちはどうだった?」
「ばっちりよ。少なくとも、怪しまれてはないと思う」
この工房の持ち主である画家は気のいい人だった。シャーレイの紹介で出会った彼女は、以前ギルドに世話になったとのことで、快く協力してくれた。
「オレが探りを入れたから警戒してるはずなんだが」
「それも、シャーレイさん入れて打ち合わせたの。商人に金貨をちらつかせながら、『明後日には旅に出るから』って、心底名残惜しそうに煽ってたわ」
「ははっ、さすがシャーレイさんの案だ」
「あたしも作戦会議したんだからね!」
それに、画家の彼女も名演技をしていた。舞台女優でもやっていけそうなほど、真に迫る物言いだったと言える。クレハも事情を知らなければ、すっかり騙されていただろう。
「そういうわけで、手応えはばっちりよ」
「なるほどな。オレの方も仕事はしておいたぜ」
カナトは部屋を見渡すように視線を動かすと、クレハを手招きした。
「罠の類はなし。あの棚の影なら、入口や窓からも死角になる。ひとりはあそこに隠れて、もうひとりは、入口近くの引き出しの影に屈んで隠れる。逃走防止だな」
「じゃあ、あたしが引き出しの影ね。あたしの方が小柄だし」
「そうだな……逸って飛び出すなよ」
「わかってるって」
クレハは自分の位置につき、片膝を立てて屈むと、カナトに自分の姿が見えないか確認させた。問題ないと返答があると、今度はクレハが隠れたカナトの方を見てみる。
「大丈夫。この暗さじゃ、相当近づかないと見えないわ」
「それでも注意するに越したことはないな。敵だって夜闇に目が慣れた状態で、最大限警戒をしながら来るだろ」
「そうね。ぎりぎりまで引きつけて一気に確保しましょ」
「ああ。それと、犯人は必ず彩蜥蜴を連れてくる。あいつらの歯には毒があって、噛まれると痺れるから気をつけろよ」
「わかったわ!」
作戦会議を終え、クレハたちは所定の位置についた。微かな物音も聞き逃さないよう注意を払い、息を殺して身を潜める。
工房の持ち主である画家の女性はギルド併設の宿に避難しており、ふたりが黙ると静寂が場を支配した。
数分か、数十分か、それとも一時間以上経ったのか。クレハは物音を立てないよう何度も足を入れ替えながら、入口を注視する。
すると、入口の扉から、金属が軽くぶつかるような音が連続して聞こえてきた。カチャカチャと鍵をいじっているような音だ。
——……来たわね。
クレハはますます息を潜めると、闇に慣れた目で扉を見つめ続ける。じんわりと手に汗をかいてきた。いざというときのために汗を拭った瞬間、鍵が開くような音が聞こえる。
暗闇の中、工房へぬるりと人影が入りこんだ。
「……」
見覚えのある顔が横切り、息を呑む。やはりあの商人だ。
商人は辺りを慎重に見回しながら、ゆっくりと歩を進めていく。手にはランプを持っており、クレハはこちらを照らされて影ができないよう、さらに姿勢を低くした。
——本当に顔料以外は狙わないのね。
警戒した足どりながらも、商人は迷いなく棚の方へ向かっていく。これまでの三件とも、顔料を保管していたのは日の当たらない棚だった。それがわかっているのだろう。
「へ、たんまり溜めこんでるじゃねえか」
とうとう商人が棚の前にたどり着く。クレハは双剣に手をかけた。
小瓶を動かす音と、商人の息遣いだけがはっきり聞こえる。その中で、もうひとつの人影がゆらりと彼の背後に忍び寄った。
「動くな」
「ぐっ——なんだぁ!?」
「オレは巡行士だ。近頃、この町で顔料が荒らされる事件が起きている。話を聞かせてもらうぞ。もちろん兵舎の兵士にな」
「おまえ、昨日の……!」
カナトが商人の腕を固め、動きを封じる。商人は腕を振りほどこうともがいているようだが、カナトはびくともしない。
暴れる商人の振動が伝わり、棚の小瓶がかすかに揺れた。
——これで任務完了ね。
クレハは双剣から手を離すと、張り詰めていた気を緩めた。そのままゆっくり立ち上がろうとして、足の痺れに気づいた。
「いった……さすがに痺れたわね」
そのときだった。カナトがいきなり商人を解放した。後方へ飛びずさり、杖を構える。
「くそ、かすったか」
「おい! やっちまえ!」
商人の言葉のあと、空気が抜けるような音が聞こえた。本能が威嚇音だと察し暗闇に目を凝らすと、商人の腕から何かが飛び出すのが見える。
——彩蜥蜴だわ!
まだら模様の蜥蜴が弾のように飛び出し、カナトに襲いかかる。
「シガレイッ、マライ、ビュラ!」
瞬間、風の刃が落ちた。彩蜥蜴は胴体を側面から切られたように真っ二つになり、赤い血が飛び散る。
この魔物たちも、魔石製の顔料で魔素酔いを起こしているのかもしれない。餌をくれる商人に従い、人を襲うよう誘導されているのだろう。
クレハは少し胸が痛んだ。しかし、瞬時に感傷を追いやり、商人のもとへ走る。商人は、窓を割って逃げようとしていた。
「ちっ。もうひとりいやがったか! でも遅え! おまえら、やっちまえ!」
商人の怒号とともに、商人の鞄から大量の彩蜥蜴が出てきた。その数、数十匹はくだらない。どのようにして隠し持っていたかはわからないが、いるものはいる。
クレハが双剣を構え臨戦態勢をとると、カナトが叫んだ。
「クレハ! あいつを追えっ! ここはオレがっ——!」
「さっきかすったって言ってたわよね!」
クレハは即座にメティルを唱えると、カナトの痺れを取り去った。
「助かった!」
「体力持ってかれただろうけど勘弁ね!」
「ああ、問題ない!」
カナトは風の魔法を使い、彩蜥蜴を切り刻む。クレハも双剣で応戦した。
「おまえの炎は室内と相性が悪い! 早く追え!」
「——了解!」
クレハが割れた窓を飛び越すと、彩蜥蜴たちもついてくる。それを風が薙ぎ払うのを横目に、最高速で商人を追った。
*
男は町を飛び出し、街道へと逃げていく。途中、前方から彩蜥蜴の増援を送りこまれたが、広い場所でなら炎が使える。クレハは双剣と魔法を駆使し、魔物を返り討ちにしていった。
「はあぁっ!」
草むらに擬態していた緑の彩蜥蜴を、振るった剣で斬り伏せる。その隙に後ろから飛びかかってきた個体に、返す刃で応戦した。
一匹一匹に苦戦するほどの強さはない。ただ、数が多い。一匹に気をとられていると、別方向から違う一匹が襲いかかってくる。斬っても斬っても数が減らなかった。
「いったい、何匹っ、用意してたってのよっ!」
双剣につく血を払いながら、クレハは斬り続ける。立ち止まった途端、一斉に噛みつかれ毒の餌食となるだろう。
商人の背は、まだ見失っていない。
双剣を握りしめ、クレハは魔素を集めた。
「シガレイマライ、フィル!」
クレハの周囲に炎が走る。
足元に噛みつこうとしていた何匹かは、一瞬にして燃えた。
商人の背に炎を放とうと試みたが、襲い来る彩蜥蜴への対処に追われ、狙いが定まらない。
「シガレイマライ、フィレイグ!」
クレハは一気に炎を広げ、周囲の彩蜥蜴を焼き尽くした。
瞬間、商人までの道が開き、勢いよく地を蹴る。
加速するクレハに気づいたのか、商人はこちらを振り返り、さらに彩蜥蜴をけしかけてきた。
「このっ——!」
これまでの追跡で炎の魔法を連発したからか、体内魔素がうまく扱えない。商人を追跡し、彩蜥蜴を払いのけながら、メティルでさらに加速とはいかないようだ。
——……師匠に知られたら怒られるな。
クレハの剣速が上がる。高速で振られる剣に、次々と彩蜥蜴が巻きこまれていく。
「やあぁっ!」
炎を操り、双剣を滑らせながら彩蜥蜴を排除する。
クレハは止まらない、かと思われた。
「くっ……!」
一匹、草陰に潜んでいた個体がクレハの足首に噛みつこうとする。咄嗟に足を曲げて回避したが、体勢が大きく崩れた。それを好機と見てか、彩蜥蜴が一斉に襲いかかってくる。
クレハは残った足を軸に回転しながら、魔物の群れを叩き斬った。
「——逃げられるっ!」
正面に標的の背を捉えなおした頃には、距離を大きく開けられていた。
このままでは見失ってしまう。
焦るクレハを阻むように、続々と彩蜥蜴が現れ、クレハを囲んでいった。
「ごめんけど、通してもらうわよ!」
クレハが双剣を振るう。斬る。薙ぎ払う。しかし、彩蜥蜴の数は一向に減らない。
だんだんと魔素制御力も落ちてきて、広範囲の魔法は使用できなくなっていた。
「ああもうっ! 邪魔っ!」
息を切らしながら戦うクレハに、商人を追う余力が残っているだろうか。残っていなくても絞り出さなければならない。ここで取り逃せば、彼は別の町でまた似たような商売をするだろう。それは許せなかった。
「はっ! ふっ! たぁっ!」
クレハの体力は尽きかけていた。たたらを踏みそうになるところを踏ん張って堪え、下から剣を振り上げる。
「シガレイ、マライッ——フィルッ!」
周囲に走るはずの炎は、あらぬ方向へと駆けていった。
炎の合間から彩蜥蜴が飛び出してくる。猛攻は止まらない。
ついに、クレハは商人を見失い、彩蜥蜴の群れに完全に包囲されてしまった。




