第23話 尻尾
商人を見張り始めたが、特段変な動きは見せない。呼び込みをし、近づいてきた客に営業をかけ、去る者は追わずを続けている。
商人が売っている魔石製の顔料は、飛ぶように売れているわけではない。しかし、単価が高いため商売として成立しているようで、客の懐から金貨が出てきたときには目が飛び出るかと思った。
「あの量で金貨一枚だなんて、パンの切れ端すら食べれなくなるわよ」
「芸術ってのは金がかかるもんなんだな」
「そういう問題? ぼったくってるんじゃないの」
「画家たちは納得して払ってるんだろ。物によってはそのくらいかかるんだろうな」
「嘘ぉ……」
金貨一枚で千ティラル。クレハの服が上下合わせて——割引なしで——二百ティラル。つまり、小さな小さな小瓶に入った顔料は、仕立ての良い服五着分の価値があるということになる。
「ただ綺麗なだけじゃないのね……」
「次から絵を見て、『金貨一枚……』とかぼやくなよ? 浪漫がない」
「現実は時に残酷なのよ」
クレハとカナトは小声で囁きあう。少し離れた路地にいるとはいえ、こちらの声が、商人やすれ違う人に聞かれてはならない。
「それにしても、暇ね」
「……暇だな」
「隠密ってこれだから嫌なのよ」
「隠れる、も、密やか、もおまえには似合わないもんな」
失礼な物言いだが否定できず、クレハは彼を肘で小突いた。
そうこうしているうちに日が落ちていき、帰路を急ぐ声が聞こえ始める。露店の店主も例に漏れず、店じまいを始めた。今日の売上を確認し、商品を鞄に詰めていく。
「後を追いましょ」
「待て、おまえの髪色は目立つ。オレが行くから、おまえはシャーレイさんへ報告を頼む」
「でも、何かあったときひとりじゃ危ないわ」
「何もなければ問題ないだろ。見つかりそうになったらすぐ退くさ」
「う……わかったわ。気をつけるのよ!」
「もちろん」
カナトは口の端をあげて笑うと、商人からつかず離れずの位置を保ち、尾行を開始した。
彼であれば、何かあったら深追いせずに戻ってくるはず。
喧噪に紛れるカナトを尻目に、クレハは巡行士ギルドへと戻った。
「おかえりなさい、クレハさん。調査は順調ですか?」
「ただいま。それがね、いかにも怪しい商人を見かけたんだけど、それ以上の手がかりは得られてなくって。今、カナトが尾行しているわ」
「そうですか。とすると、クレハさんは私に今日の経過報告をしに来たのですね?」
「そうだけど……やっぱり、受付の人ってすごいのね……」
クレハは事件現場の調査結果を伝えた。
どの現場も鍵に異常はなく、人為的な侵入の可能性が高いこと。魔石製の顔料を狙った犯行であること。それらを踏まえても、金銭目的の窃盗にしては違和感が残る。
シャーレイは最後まで話を聞くと、なるほど、と頷いた。
「それはそれは、不可解な事件ですね」
「そうなんですよ。わざわざ顔料を狙う理由がわからなくって……」
「……クレハさん。喉が渇いていませんか?」
「え、はい。ちょうど飲み物が欲しいなーと思ってました」
「では、紅茶を淹れてきましょう」
「ありがとうございます」
シャーレイに甘え、クレハは机に突っ伏した。冷たい木目が頬に当たって気持ちいい。
あともう少しで犯人の目的がわかりそうなのに、思考の出口に異物が詰まり、なかなか出てこないような感覚がある。
一度落ち着いて考えなおした方がいいのかもしれない。
クレハが体を起こすと、心和らぐ香りが漂ってきた。
「お待たせしました。ちょうど芳醇な香りの茶葉が手に入りましてね。どうぞ、ご賞味あれ」
馥郁たる紅茶が運ばれてきて、クレハはほっと息をついた。カップもとてつもなくお洒落で、見たこともない形のカップに細やかな細工が施されている。
クレハはどこかの令嬢にでもなった気分で、厳かに指を伸ばした。しかし、クレハの指は陶器に触れることがなかった。
「申し訳ない。私としたことが、茶葉を間違えてしまったようです。せっかくの機会ですので淹れなおしましょう」
「え……」
美味しそうな紅茶を下げられてしまい、クレハの胸に落胆が広がる。さぞかし残念そうな顔をしていることだろうクレハを見ても、シャーレイはただ微笑むだけだった。
飴色の水面が恋しい。
待ちわびるクレハの前に、再度カップが差し出された。
「先ほどは大変失礼いたしました。こちらをどうぞ」
彼が持ってきた二番目の紅茶は、先ほどよりも香りが弱かった。さらに色も鮮やかではなく、やわらかな濁りが感じられる。
これが本当にシャーレイが推すほどの香り高い茶葉なのだろうか。思わず怪訝な顔を浮かべかけたが、美味しそうな紅茶であることには変わりない。
クレハは欲に負け、紅茶を口に含んだ。
「……美味しい、けど、まろやか?」
「よくお気づきになりました。それは、茶葉を湯で開き、牛乳で煮出したものです。半分ほどは牛乳なのですよ」
「半分もですか!?」
クレハは驚きに目を丸くした。
もう一度飲むと、牛乳の独特の臭さはなく、ほのかな甘みが舌を包む。そこに茶葉の渋みが重なり、濃厚な味わいに磨きをかけている。
もう一口欲しくなり、紅茶に息を吹きかけ冷ましながら、ゆっくりとカップを口に寄せた。
「半分も違うものが入っているのに、深い香りと味わいは消えない。素敵な楽しみ方だとは思いませんか?」
「はい! とっても美味しいです!」
「ところでクレハさん、何かお気づきになりませんか?」
「え?」
シャーレイは変わらず微笑をたたえている。
「半分以上違うものでも、本物が混ざってさえいれば早々気づかない。それを真に欲し、焦りを覚えているなら尚の事」
クレハは彼の言葉を頭の中で転がした。その例えは、単に、今しがた飲んだ紅茶を指すだけではないのだろう。
考えに考えて、クレハの胸にすとんと落ちた。頭に詰まっていた異物が溶けて、流れ出ていく。
「……商人は、魔石製の顔料に普通の顔料を混ぜて売ってるんだわ! もしかしたら、盗んだ顔料を混ぜて売ってるのかも!」
「ええ。私も同感です。よくできました」
シャーレイの唇が弧を描く。蠱惑的な笑みに圧倒され、クレハはゆっくり目を逸らした。
「あ、でも、わざわざ顔料を零した理由がわかりません。小瓶ごと持ち去れば跡も残らないのに」
「それは……彼が答えてくれるでしょう」
彼の視線の先を辿ると、入口にカナトの姿があった。頭から足までざっと見る。怪我をしている様子もなく、クレハは胸をなでおろした。
「カナト、首尾はどう?」
「ああ。あの商人が犯人で間違いないと思うぜ」
カナトはクレハたちに近寄りながら、何かを取り出して見せつけた。
「それ何?」
「蜥蜴の尻尾」
「尻尾!?」
「カナトさん、お手柄ですね」
クレハが動揺で頭をいっぱいにしているうちに、男性陣は頷き合っている。
ひょろ長い尻尾がゆらゆらと揺れると、クレハの思考も揺れた。
「こいつは、あの商人が飼ってる蜥蜴のだ。一匹でうろちょろしているところを捕まえようとしたら、尻尾を切って逃げられた」
「逃げられたって、尾行がバレたの?」
「いや。商人の元へ向かおうとしていたのを逃がしただけだ。商人にはバレちゃいない」
クレハは浮かしかけた尻を落ち着けた。
「あいつ、人気の少ない場所で何やらごそごそしてたんだが、蜥蜴を匿おうとしてたらしい。どっかから逃げ出してきたのかもな。なにせ、普通の蜥蜴じゃない」
「もしかして……」
「そう。これは魔物だ。食べたものの色に変わる、彩蜥蜴ってやつだな」
カナトが持ってきた彩蜥蜴の尻尾は、様々な色が混ざった斑模様だ。
赤、黄、青、緑。鮮やかな色が入り混じり、統一感がないが、クレハはその色ひとつひとつに見覚えがあった。
「あー! 盗まれた顔料の色!」
「それだ。オレの推測だと、あの商人は犯行がバレたときに、魔物のせいにしようとしたんだと思う。もちろん、自分が飼ってることは伏せてな。魔物被害だってことにして、文字どおり蜥蜴の尻尾切り、だな」
「だからわざと痕跡を残したのね! 最低!」
クレハは怒りに燃えた。
自分の利益のために盗みを働くだけでなく、魔物に罪を被せようとするとは。
「さっさと捕まえましょうよ!」
「証拠がないからまだ無理だ」
「でも、あんたが彩蜥蜴を飼ってるのを見てるじゃない」
「それこそ蜥蜴のせいにされるだけだ」
正論で返されると押し黙るしかなかった。拳を握りしめるクレハに、カナトは笑う。
「大丈夫だ。そのためのシャーレイさんだろ」
「どういうこと?」
「ええ。クレハさん、ここからが本番ですよ。自己保身のため他者を傷つける卑劣な輩へ、緻密に縄をかけましょう」
カナトとシャーレイは意味ありげに笑った。
「囮作戦だ。協力してくれそうな画家を探して、商人の店に向かわせる。そして、商人に顔料に興味をもっているような素振りを見せて、一旦引くんだ。まだ在庫があるから、ってな」
「画家の手配はこちらでいたしましょう。カナトさんは聞き込みで顔が割れています。万が一、協力関係であることがバレれば水の泡ですから」
「ありがとうございます」
理解するのに手一杯になっているうちにも、どんどん話は進んでいく。クレハは置いていかれないように、慌てて口を挟んだ。
「待って待って。囮の人がお客さんのフリをして買うのを匂わせるのよね? それで……」
クレハははっと息を呑んだ。
「あ、そういうこと! 買わずに帰ったお客さんを商人が狙うから、そこに潜んで現行犯で捕まえる、ってわけね」
商人は、本物の魔石顔料を盗みたいだろう。それが、自分の客になりそうな画家なら尚更だ。
画家から盗んだ顔料に普通の顔料を混ぜて、魔石顔料を求める画家にそれを売る。
そうすれば、簡単に儲けが出るというわけだ。
「そのとおりです」
「ってわけで、シャーレイさん、よろしくお願いします」
「心得ました」
カナトの言葉にシャーレイは一礼し、この場を去った。
「張り込みの次は待ち伏せね! やったろうじゃない!」
「はりきりすぎてバレるなよ」
カナトの苦笑にクレハは笑みを返すと、ぬるくなった紅茶を一気に飲み干した。




