第18話 信頼
「よし、これで十本ね」
「結構時間食ったな」
「ほんとだ」
クレハは、白い花をつけている魔草の茎を、半ばから手折った。
魔草は森の魔物が好んで食べるようで、なかなか見つからなかったが、なんとか十本集めることができた。
「早く行かないと日が落ちるな」
「うん。行きましょ」
木漏れ日がクレハたちを照らす。
薬屋から教えてもらった方角に向かい、地図を確かめながら歩いて行く。
クレハたちが歩くたびに、葉や枝を踏む軽快な音が鳴った。
「うわっ! びっくりしたぁ」
「苔で滑りやすいから気をつけろよ」
背の低い植物や木が増えてきて、湿った匂いを感じ始める。苔むした岩もちらほら見えてきた。
クレハは、自らの転倒の危険をもって湖の近さを知る。
そこから一歩一歩踏みしめるように歩くと、小鳥の鳴き声が聞こえてきた。
「見えたわ!」
「これは……綺麗だな」
豊かに茂った木々に囲まれ、水面がきらりと輝いている。湖は、空の青と葉の緑を混ぜ合わせたような色。透きとおった水は、鏡のように雲を映している。
クレハたちの緊張を、爽やかな緑の香りと心地よい水音が和らげた。
「おいクレハ、集中!」
「そうだった! 魔物がいるわよね」
自然に癒やされた心をぐっと引き締める。
改めて周囲を警戒すると、驚くほど静かだった。今のところ、クレハたち以外に大きな生き物の姿はない。
「今のうちに探しましょ」
「そうだな」
クレハは足元を凝視しながら、湖のほとりを巡りだした。カナトは逆方向を探している。
湖に近づきすぎると柔い地面に足をとられてしまう。びしょ濡れはごめんだと念じながら、そっと歩いた。
「——あったわ!」
クレハは、瑠璃色の花がぽつんと咲いているのを見つけた。鮮やかな青色は目立つかと思っていたが、自然と湖沼の景色に溶けこんでいる。
クレハは茎を掴み、魔草を折ろうと力を込める。しかし、茎は細さに反した頑丈さをしており、なかなか手折ることができない。
「仕方ない……よいしょ、っと」
クレハは片手に剣を構えると、草刈りの要領で魔草を刈った。鋭く砥がれた剣にかかれば、魔草も鮮やかな切り口を晒す。
側に生えていたもう一本も切りとると、クレハはカナトの元へ向かった。
「ねえカナト、青い魔草ってこれで合ってるのよね?」
「ああ。それだと思う。オレも三本見つけた」
右手に槍を構え、カナトが魔草を見せてくる。クレハは自分の成果をもう一度数えると、急ぎ足で持ち場に戻った。
一本、二本、さらにもう一本。あちこちに生える魔草を見つけ次第刈っていき、気づけばクレハの手には七本の魔草が握られていた。
「これだけあれば十分よね」
クレハが達成感に笑みを浮かべていると、背後から高く鋭い音がした。何かの鳴き声のような音に肩が跳ねる。
「クレハ、避けろ!」
即座に振り向いた先には、蒼く輝く角をもった大型の鹿がいた。
クレハはカナトの声に弾かれるよう、左へ転がった。
「ひっ、こわっ!」
先ほどまでクレハがいた場所に、鹿型の魔物、蒼角鹿が立っている。
あの大きな角を盾にしながら勢いよく突進し、敵を屠るのが特徴の魔物だ。鹿にあるまじき好戦的な性格の持ち主としてよく知られている。
「クレハ、無事か」
「大丈夫。カナト、魔草をお願い」
「は? おまえが援護じゃないのかよ」
「ここじゃあたしの魔則は不利! 双剣だから魔草持っちゃうと戦闘力半減! だったらあたしが、やるっきゃない!」
クレハはカナトへ魔草を預けると、蒼角鹿の注意を引くように前へ飛び出した。
前足で確かめるように地面を蹴る魔物は、クレハに狙いを定めると、急加速しながら突っこんでくる。
「ふっ!」
クレハは蒼角鹿をギリギリまで引きつけ、横に跳んで突進を躱した。動きについてくるように、長い赤髪が遅れて揺れる。
「シガレイマライ、フィル!」
一応、炎の魔法も使ってみようとしたが、大気の魔素制御がうまくいかず、小さな火の玉しか出ない。それでも牽制にはなると、蒼角鹿へ向けて玉を飛ばした。
「シガレイマライ——メティル!」
クレハは自身に身体強化を施すと、力強く地面を蹴った。
「シガレテ、ビュラ!」
カナトの声とともに風の刃が生まれ、蒼角鹿へと迫った。魔物の体が切り裂かれ、動揺が生まれるのに合わせ、クレハは思いきり角へと斬撃を放った。
クレハの体重が乗った一撃により、魔物の角が片方折れる。
蒼角鹿は甲高い声で鳴き、小刻みに跳ねながら逃げて行った。
「ふぅ、なんとかなった」
「今はな。ほら、早いとこ帰るぞ」
ひと息つくクレハを置いて、カナトは十数本の魔草を器用にまとめる。彼はまとめた魔草を懐にしまうと、出口の方へ駆け出した。
クレハもあとを追うようについていく。直後、木々の合間に光るものが見え、クレハは前に転がった。
「カナト、さっきの藪蛇、いや藪鹿だったみたい!」
「変なこと言ってる場合じゃない!」
クレハが双剣を構えた先には、先ほど角を折られた蒼角鹿と、それを守るように立つ蒼角鹿たちがいた。
魔物たちの最前線には、ひとまわり体の大きな個体がいる。森狼のときのように、長かもしれない。
「クレハ」
「わかってる」
「さん、に、いちで逃げるぞ」
クレハとカナトは蒼角鹿と対峙しながら、じりじりと後退していく。
「さん、にぃ、いち——行け!」
合図とともに全速力で走り出した。
風を切る音が間近に聞こえる。木々が後ろへ後ろへと流れていく。
「はぁっ、はぁっ」
息を切らしながら走り続けるクレハの耳に、蹄が地を蹴る音が入ってくる。
「シガレイマライ……ビュラ!」
カナトは半身を振り向かせると、魔法を唱え蒼角鹿の進路を妨害した。魔物が呻く声が聞こえるが、次から次へと別の個体が追いついてくる。長にいたっては風の刃をものともせず、ひたすら突き進んできた。
「くっ、数が多いな! シガレテ——ビュラド!」
威力を増した風の刃が、迫りくる蒼角鹿の体を切り裂いていく。しかし、倒れる魔物の数だけ新たな魔物が現れ、クレハたちを追い続けた。
「あいつら、やけにおまえを狙ってるな」
「えっ、あたし!?」
「……赤が珍しくて興奮してるのかも」
言われてみれば、最初の邂逅から蒼角鹿は常にクレハを狙い続けている気がする。
森の緑の中で揺れる赤髪が、魔物の目をひときわ引いているのかもしれない。
「それならあたしもっ!」
「大丈夫だ! いいから全力で走れ!」
クレハが魔法を使うため振り向くと、焦りをあらわにしたカナトが制止する。そのまま自分は詠唱を始め、風の魔法を放った。
——まさか、ひとりでどうにかしようとしてる?
先ほどからクレハはただ走るばかりで何もできていない。カナトばかりが魔法で蒼角鹿を牽制していた。
クレハの方が後輩で、クレハの魔法はここでは不利だ。だからカナトはひとりで何とかしようとしているのか。
カナトは角度を変え、蒼角鹿の足元めがけて魔法を放ったが、長をはじめとした群れは何事もないかのように勢いで突破してきた。
このままではジリ貧だ。追いつかれるのも時間の問題。
クレハは腹に力をこめて叫ぶ。
「ばか! 仲間なんだから、あたしにも頼りなさいよ!」
一言だけ叱咤を飛ばして、クレハは詠唱を始める。
「シガレイマライ……」
自分の魔素だけでなくカナトの魔素にも意識を向ける。別の場所を流れる川をひとまとめにし、そこからまた自分の思うがままの流れをつくる。そんな感覚だ。
「合わせて!」
「——わかった!」
クレハの号令でカナトも詠唱を始めるのを聞き、呼吸を合わせる。
「行くわよ!——メティル!」
「ビュラド!」
瞬間、二種の魔法が発動した。
一方は、クレハのかけた身体強化魔法。クレハとカナトの速度が上がる。自分ひとりにかけたときに比べたら精度が落ちているが、それでも十分な効果があった。
もう一方は、カナトによる渾身の風魔法だ。長の足を狙って放たれた刃は見事に標的を切り裂き、たたらを踏んだ巨体に巻きこまれて群れの統率が崩れた。
「シガレテ——フィル!」
「シガレテ——ビュラ!」
続けてとても小さな火が地面を走り、それを巻きあげるように風が起こった。
薄い炎が壁となって、クレハたちと蒼角鹿を分断する。魔物たちが炎を恐れ足踏みをしているうちに、強化した脚力で森の出口へと駆け抜けた。
*
「なんとか、振りきった、わね」
「ああ、ここまで、くれば、大丈夫だろ」
クレハとカナトは森を抜けたところで、膝に手をつきながら息を整えていた。
あれからすぐは蒼角鹿も追ってこれなかったようだが、いつ追いつかれるかわからない。
流れる景色に目もくれず、ひたすら走った結果、ふたりとも体力の限界を迎えていた。
「ねぇ、魔草は無事?」
「このとおり無事だ」
「さすが!」
調子が戻ってくると、クレハは成果を確認し喜びの声をあげた。
白い魔草十本に、青い魔草十数本。ばっちり全部回収できている。
元気があれば、飛び跳ねて嬉しさを表しているところだ。
「今回はあたしのおかげね」
「はぁ……おまえなぁ」
「うそうそ。あたしたちの連携のおかげよ。ね、頼ってよかったでしょ」
クレハはイタズラが成功したときのように笑ってみせた。
いくらカナトの方が先輩だからといって、守ってもらうばかりにはなりたくない。それは、クレハの目指すかっこよさではない。
そんな本心は言葉にせずクレハが片目を瞑ると、カナトは瞬きのあと、肩をすくめるようにして呆れ顔をつくる。
「——ああ、まあな。正直ハラハラしたけど」
「うるさいわね。あたしもひやひやした!」
わざとらしく叫びながら、改めて、クレハはふたりの無事を確かめた。
「あたしがかけたメティルだけど、体に不調はない? 自分と同時にかけるのは初めてで……」
「問題ないと思う。ありがとな。しっかし、あれを土壇場でやるんだもんな、大したもんだよ」
「褒めてるってことよね。こちらこそありがとう」
クレハの嫌味にカナトは眉を下げて笑った。
——……何事もなくてよかった。
ルマのためとはいえ、元はといえばクレハのわがままで、カナトを青い魔草探しに付き合わせてしまった。そのことに、少し負い目のようなものを感じていた。
だからこそ、今回の依頼では特に、ふたりとも無傷の帰還であることがクレハの中での最低条件だった。
「とにかく、早くこれを持って帰ってやろうぜ」
「そうね。ルマとちゃんとおじいちゃんが首を長くして待ってるわ」
クレハはカナトから白い魔草を受けとると大切に抱える。ルマたちの驚き喜ぶ顔が目に浮かび、おのずと頬が緩む。
「……オレたち、いい仕事したな」
「うん! 満点以上の仕事っぷりよ!」
西日がクレハたちの横顔を照らす。歩くふたりの影は長く長く伸びている。クレハとカナトは夕暮れの道を急ぎ、薬屋へと向かった。
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