第10話 金色の夕日
森での戦いから属日が一巡し、さらに三日がたった。
クレハは養成所の訓練をこなし、シンシオに教えを請う日々を過ごしている。
「クレちゃん最近元気ないねぇ。どうかしたの?」
「うん、ちょっとね」
訓練後、フレッダに声をかけられるもクレハはうまく笑えなかった。
心配をかけているのは申し訳ないが、それ以上に胸の痛みが強く主張している。
ガルは、森の一件から数日後、巡行士ギルドオレクス支部で秘密裏に預かられた。シンシオによると、明日が親元への移送開始の日らしい。
「……ま、何か話したくなったら言ってよ。いくらでも聞くからさ! それより、最近中央通りのお菓子にハマっててさ——」
ガルの話は秘密にしなければならない。クレハを気遣ってくれるフレッダにも、打ち明けられない。
けれど、それを察してか明るく笑う彼女に心が軽くなった気がした。
フレッダの隣は、そよ風が吹く丘のように心地いい。それは、彼女の努力によるものかもしれない。
「ありがとう、フレッダ」
「ん? なにが?」
「いつも気遣ってくれること。ね、あたしもそのお菓子食べたい。今度一緒に行こうよ!」
クレハは、心から彼女に笑みを向けた。
「——あはは、うん!」
次の休みの日にフレッダと中央通りを巡る約束ができ、曇っていた心が少しだけ晴れる。
クレハは彼女と分かれると、心なしか軽くなった足どりでシンシオの元へ向かった。
「ガル……もう行っちゃうのか………」
道中、シンシオと初めて出会った場所を通りかかり、クレハはひとりごちた。
秘密裏に進められたガルの移送計画。保護をし、看病までして長時間一緒にいたおかげか、ガルはシンシオによく懐いていた。だからこそ、シンシオもたまにガルの顔を見に行くことを許され、情報を得ることができているらしい。
「でも、あたしはもう会えないのか」
ガルが保護されてから、クレハは徐々に寂しさを募らせていった。シンシオの家でも、ガルが寝ていた場所へ無意識に目が向いてしまうほどに。
今からでも、会いに行っていいのだろうか。極秘だから、と門前払いされないだろうか。なにより、クレハが行くことでガルを守る邪魔にならないだろうか。
「あ! クレハちゃん見ーっけ!」
「……アーチュ」
「お兄ちゃんの言うとおり本当に元気なさそう……大丈夫?」
「おまえ! 余計なことは言うなって!」
クレハの背後からアーチュとトリルが駆けてきた。どうやらこの二人も、クレハを案じてくれているらしい。
「心配してくれてありがとう、アーチュ。トリルも」
「珍しく素直だな。なんか、調子狂う」
「お兄ちゃんこそ余計なこと言わないの!」
アーチュとトリルが軽く言い合いを始める。よく見る光景にクレハの口から笑みが溢れる。
「あ、やっと笑った。クレハちゃん、ずっとこーんな顔してるんだもん」
「おまえの周りだけどんより曇ってるみたいだったぞ」
「あはは、そんな酷い顔してた? だめだね、なかなか気持ちに整理がつかなくて……」
アーチュはクレハの真似をしているらしく、トリルの言葉どおりどんよりした顔をしてみせた。誰かを通して見る自分の顔は、情けないものだった。
「……なんか悩んでるなら話してみろよ。もしかしたら、そんなに悩むことじゃないかもしれないだろ」
「はぁ、お兄ちゃん……せっかくいい事言えそうだったのに……でも、そうだよクレハちゃん。話してみたら少し楽になったりするかも」
知己の二人に穴が開くほど見つめられ、クレハは目を逸らした。
たとえこの二人だろうとガルのことは言えない。でも、このまま逃れられそうもない。
どうしようかと迷った結果、正直に話してしまうことにした。
「実は、大切な子が、明日遠くへ行っちゃうらしくって。最近会えてなかったから、すごく寂しいんだ」
「え!?」
「はぁ!?」
二人から驚きの声があがる。
そこまで変なことは言ってないはずだ。ドラゴンとは言わず、大切な子と言って誤魔化しもした。
クレハは、なにかよくないことを口走ってしまったか、と焦る。
「お、おまえ、それ……」
「く、クレハちゃん。それってその——」
トリルは絶句し、アーチュはおろおろと焦る。まるでクレハの心が伝染したようだ。
なぜそんなに驚いているのか尋ねようと口を開く寸前、アーチュが意を決したように見つめてきた。
「その大切な子って、もしかして、男の子?」
「え?」
一瞬、クレハの思考が止まった。
——あ、そういうこと! 二人とも、あたしが失恋したと思ってるわけね。
クレハが言葉を濁したせいで、二人はガルのことを人間の男の子だと勘違いしたらしい。
どんな勘違いだ、とつっこみたいが、あいにくクレハも逆の立場なら浮足立って思い違えるだろう。
訂正するなら今だが、わざわざ違うと言って探られるのも困る。クレハは話を合わせることにした。
「そうよ。だから、最近落ちこんでたんだ」
「そ、そうなんだ……それは、つらいね」
「…………」
アーチュは気まずくなったのか、トリルと目を合わせたがっているようだった。しかし、トリルは眉をひそめて立ち尽くしている。
トリルは生意気だが、いいやつだ。クレハの悲しみに心を寄せてくれているのかもしれない。
アーチュにもトリルにも結果的に嘘をつくような形になってしまい、クレハは罪悪感を覚えた。
「あの、あたしそろそろいくね。ほんと、心配してくれてありがとう!」
クレハはこれ以上ぼろを出さないよう、そして罪を重ねないよう、逃げるようにその場をあとにした。
*
「師匠ーこんにちはー」
シンシオの家の扉を叩くと中に入るよう言われ、クレハは慣れた手つきで足を踏みいれた。
数日前までガルがいた場所には何もない。ガルのベッド代わりのあれこれも片付けてしまっていた。
「師匠? 何してるんですか?」
中へ入ると、シンシオはクレハに背を向けていた。呼びかけても振り返る様子がない。
回りこんで顔を覗こうとした瞬間、クレハの目と鼻の先に、ふさふさの毛が現れた。
「——あっ」
一瞬、見間違いかと思った。クレハの切なる願いが見せた幻覚だろうと。もしくは、落ちこむクレハを見かねて、シンシオが別の犬や猫を連れてきたのだろうと。
でも、違った。
「驚いただろう? 連れ出せるのは今日で最後だからね、無理言って外出許可をもぎとってきたよ。そもそも、アンタがはじめにこいつを保護したんだしね」
「ガルルゥ」
聞き覚えのある鳴き声だ。聞きたかった声だ。
——ガル。
シンシオの腕にガルが抱かれていた。
驚きを隠せないクレハに、彼女はガルを手渡してくる。
ガルの体を抱いた瞬間、クレハの胸中は、新品の木剣をもらったときのようにお祭り騒ぎになった。
「ガル、ひさしぶり! 元気だった?」
「……グルゥ」
「あんまりひっつきすぎるんじゃないよ。嫌われても知らないからね」
意地悪な顔をするシンシオにクレハは我に返る。見れば、ガルは少し不満そうな顔をしているような気がした。
「ごめんごめん。もう会えないと思ってたからつい……」
「ガァ……」
「改めて、おめでとうガル。やっと故郷に帰れるね」
クレハは台の上にガルを下ろすと、握り拳をつくり、ガルの前足と合わせた。
「さて、再会も済んだことだ。そろそろ出発しないと間に合わないよ」
「え、今からどこか行くんですか?」
「ああ。オレクスの近くの丘へ行くよ」
「丘? なんでですか?」
「ハンナから聞いたんだよ。あの丘は綺麗な夕焼け空が見れるって。アンタも好きなんだろう? だったら、こいつにも見せてやらないとね」
シンシオは肘に籠をかけながら、親指でガルを指した。
「師匠……! ありがとうございます!」
「礼なら、アタシのわがままを許可したギルドのもんに言いな」
「今度伝えに行きます!」
クレハはシンシオから籠をもらい受けると、ガルに中へ入ってもらった。
そうして弾む足どりで馬車乗り場へ向かい、満面の笑みで御者へ運賃を払った。
馬車の中、少女はオレクスへの到着を今か今かと待った。車窓から覗く外の景色を見るたびに、あともう少し、あともうちょっと、と胸が高鳴る。
時折、籠を撫でながらクレハは馬車でのひとときを過ごした。
「師匠、早く! もう日が暮れてきてます!」
オレクスに着くと、クレハは駆け足で丘へと向かった。落ちゆく陽が温かな光で村を照らす。
丘へ着いたとき、太陽はちょうど地平線の向こうへ隠れ始めていた。
「ガル、見て」
クレハは燃えるような夕焼けに目を向けた。
外へ出したガルも、素直に夕日を見ているような気がする。
少しの間、空に目を奪われていると、ガルが切なげな声で鳴いた。
「あんたも寂しいの? って、それはさすがに都合がよすぎるか」
「ガルルゥ」
「ガル、元気でね。あたしも強くなるから、あんたも強くなりなよ」
もうひとりぼっちにさせられないように。そんな思いをこめて、草の上に座りこむガルの方へ体を寄せた。
夕日はどんどん沈んでいく。近いうちに夜がくる。
きっと、夕日が落ちたらガルとはお別れだろう。
ゆっくりゆっくり沈んでほしい、とクレハは太陽に念じた。
「グルルルゥ」
「ん? どうしたの?」
ガルがクレハの膝へ前足をかけた。
じゃれているのだろうか。
クレハがガルを持ち上げると、右後ろ足にクレハの赤い腰布が巻いたままになっているのが見えた。
親元へ帰るときには外されてしまうかもしれない。けれど、クレハ自身の手で外すのはどうにも嫌だった。
「ガルル」
「わ、なに! 危ないわよ!」
ガルの前足がクレハの瞳に押しつけられた。咄嗟に目を瞑り事なきを得たが、ガルの爪は鋭利だ。目に入ろうものなら失明してしまうかもしれない。
クレハがガルの足をどけると、彼の金色の瞳が見えた。その後ろには金色の太陽がある。
「やっぱり、あんたの目は夕日みたいね。あたしの好きな色」
クレハは短くも濃い数日間を思い返した。
森の中で傷つくガルを見つけたときは、こんなことになるなんて想像もしてなかった。
家に連れて帰ってハンナと手当てをして、ガルを助けたい気持ちに拍車がかかった。
「ガル……」
そして、シンシオと出会い、怪我を治してもらった。傷だらけの体が綺麗に治ったときは心からほっとした。
シンシオと話をするうちに、友だちが不当な扱いを受けたみたいで腹が立って。
特訓のために家に通うたびに顔を見せると、だんだんクレハに懐いてくれた。
森ではクレハの危機を助けてくれた。自分で雪辱を果たしたかったのかもしれない。
ガルの目は金色でクレハと似ているが、負けず嫌いなところも似ているのかもしれない。
「…………」
クレハの頬が濡れる。目の奥が熱い。夕日に焼かれてしまったのかもしれない。
クレハがガルを下ろし頬を拭おうとすると、ざりざりとした舌がさらに頬を濡らした。
「あはは、やめてよくすぐったい!」
橙色の光が照らす丘の上、少女はドラゴンとの、つかの間の出会いに感謝した。
数分後、背後からシンシオの声が聞こえてくる。
「クレハ、そろそろ行くよ」
「……うん。ありがとう師匠」
「なんのことだか」
シンシオは夕日が落ちるまでの間、静かに見守り、クレハとガルの時間をつくってくれた。
とぼける師匠は誤魔化すようにこちらを指差した。
「頬がカピカピになってるよ」
「これはガルのよだれだもん」
「はいはい。そういうことにしておこうかね」
クレハは服の袖で頬を拭った。
「さあクレハ、最後の挨拶をしな」
シンシオがクレハを促す。
——そっか。オレクスではガルを外に出せない。話しかけてもだめだから、ここでお別れだ。
日が沈み、辺りが暗く足元もおぼつかない中、クレハは持ってきた灯りをたよりに、ガルの顔を見つめる。
「ガル、あなたに風神フウジュのご加護がありますように」
風の神フウジュは旅も司っている。ガルが故郷へ無事に帰れるよう、クレハは祈った。
「そして、あなたがずっと幸せでありますように!」
クレハは精いっぱいの笑顔をつくった。
ガルは、籠に入るまで静かにクレハを見つめていた。
そうして、クレハとシンシオ、そしてガルはオレクスの馬車乗り場へたどり着く。
「師匠……気をつけてね」
「ああ。アンタもハンナのところへまっすぐ帰るんだよ」
「……うん」
クレハは馬車に乗りこむシンシオを見送った。すると、籠の隙間からちらりとガルの姿が見え、クレハは息を飲んだ。
クレハは何食わぬ顔を必死に取り繕い、一人と一匹へ手を振った。
クレハは、遠ざかる馬車の後ろ姿を、視界から消えるまで眺め続けた。




