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やどりび  作者: ファット爺
第九章
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背中みっつ

 グリウスの里に着いた翌朝。ティファは、頭を内側から殴られるような痛みで目を覚ました。

 割れるような音と痛み。こめかみが脈打つたびに視界が白む。目頭を押さえてむくりと体を起こすと、胃の奥から酸っぱいものがせり上がってきて、慌てて唾を飲み込んだ。

 居間は惨状だった。ガジの家族達が、皆いびきをかいて床に転がっている。その周りに散らばっているのは、昨晩飲み干された酒樽だろう。どれも巨人の背丈に合わせた大きさで、空になってなお、甘ったるい酒精の匂いを漂わせていた。

 ズキズキと痛む頭で辺りを見渡すと、寝転がる巨人の影からひょいとトリューが顔を出した。両腕に空の樽を抱えている。身支度どころか、後片付けまで始めているらしい。

「おー、おはよー」

「おあよ……」

 声が掠れた。喉が張り付いている。

「つらそうだなー。大丈夫か?」

「あんまり……」

 酒に弱い自覚はあった。ただでさえ今世では飲み慣れていない。前世だったらもう少し……と思ったところで、ティファは頭を振った。その拍子に痛みが弾け、「う」と呻いて固まる。考えても仕方がないことだ。

 痛みが引くのを待ってから、隣で丸くなっているリコの肩を揺すって起こす。むにゃむにゃと唸るばかりの頬を指で突きながら、早く起きて痛み止めを作ってほしい、と念じた。トリューには、叔父の足に潰されているガジを起こすよう頼んだ。

 トリューは「あいよー」と樽を置き、足の下から覗くガジの腕をぺちぺちと叩く。反応がないとわかると、今度は両手で引っ張り出しにかかった。

 やがて起き始めるガジの家族達も、皆二日酔いで気怠げだった。額を押さえる者、水瓶に顔を突っ込む者。

 そして同じ量を飲んでいたはずのトリューがけろりとしていることに、驚いたような、呆れたような顔を向けている。

「なんで平気なんだお前……」

 ガジまでもが頭を抱えてつらそうにしているのに、トリューはせっせと昨晩の片付けを続けていた。

「ガキん頃に飲まされた時はちゃんと酔ったんだけどなー。なんか酔わなくなった」

「子供に飲ませたらダメじゃない……」

「酒くれたおっちゃんもすげえ怒られてた」

 起き上がったリコはぶつぶつと文句を言いながら怠そうに台所へ向かう。ふらつくたびに、ほどけかけたお団子が揺れた。

 台所からは既に水音やまな板を叩く音がしている。ガジの母も朝の支度をしているようだった。

 ティファ達はリコの薬茶を飲み、ガジ母の粥を食べて、ようやく回復の兆しを見せた。薬茶の青い苦みが舌に広がり、熱い粥が胃の底にじんわりと染みていく。こめかみの脈も、少しずつ静かになってきた。

 トリューだけはおかわりまでしっかり食べて、ガジ母に大層気に入られていた。背中をばしばしと叩かれても、楽しそうに笑い返している。年の差は親子ほどあるものの、まるでガジが長男でトリューが次男のようだな、と頬が緩んだ。


 その後、一行は街に出て必要物資の調達に赴く。

 朝の里には、湿った空気に炉の煙が混じっていた。早朝だというのに、あちこちの工房からは既に鎚の音が響いている。土地に詳しいガジが「準備は念入りに」と言うものだから、厳しい登山になるだろうことが予測できた。

 所持金のほとんどを使って、食料や発光石、蓄魔石といった燃料になる魔石を買い込む。財布が軽くなるたびに荷は重くなり、ティファは黙々と収納鞄に詰めていった。双剣の刃を研ぎ、弓にマナを通して弦の張りも確かめた。

 ガジの実家では、祖父が相変わらず居間で武器を磨いていた。暖炉の前に胡座をかいた大きな背中。砥石の音が心地好く響いている。

「ジジイ。石の調達頼んだからな」

「ハッ。まず生きて帰れェ」

 それは背を向けたままの祖父なりの、激励にも聞こえた。ガジは「おう」と短く返し、片手を上げただけで部屋を後にした。



******



 ──エンカラ山に入って、数時間が経った。

 ティファ達は、ひっきりなしに襲い来る魔物達を、片っ端から相手にしていた。双剣の柄を握る掌が、汗と返り血でぬるつく。払っても払っても、茂みの奥から新しい唸り声が湧いた。

「屍山が可愛く見えるな」

「ティファ、上」

「ん」

 トリューの声に、ティファは剣を納めて弓を構えた。矢を番え、上空へ弦を引き絞る。鳥型の魔物が、翼を畳んで真上に迫っていた。息を止めて放つと、矢は風を裂いて喉元を射抜き、ばさりと羽が舞い散る。

 後ろでは、リコに襲い掛かろうとする狼型の群れを、ガジが吹き飛ばしていた。

「どうして私ばっかり狙われるのよ!」

「いい食料に見えるんじゃねえか」

「やめてちょうだい!」

 ガジの背に隠れて叫ぶリコの声が、木々に反響する。魔物から見ればヒトの種族など知ったことではないのだろう。幼児にも見える体型のリコを狙うのは当然とも言える。

 しかし、こうも数が多くては少しも登った気にならない。山の傾斜は急で、一本一本が巨大な木々は途切れているものの、足場は相当に悪い。太く伸びた根に足を取られ、湿気を帯びた土がぬかるみ、踏み込もうとするたびに靴底が滑った。

「まとめて払えないか? これ」

「やめとけ。崖崩れでも起きたら面倒だ」

「ティファは火事起こすしなー」

「んぬ……」

 咄嗟だったとはいえ、前科があるので何も言い返せなかった。実際、山火事など起こせば取り返しがつかない。被害総額を考えただけで寒気がして、ティファは指先に集めかけたマナをそっと散らした。

「ちまちまやるしかないのか……」

「魔除けの香でも作っておくんだったわ」

「ここらじゃあんま意味ねえ。気休め程度だ」

 降りてきた二羽目の鳥型を、ガジがフレイルで叩き落とす。

 魔除けの香は、屍山ではレンが使っていた。ティファとトリューも、初日の帰り道は使わせてもらった。なぜここでは効果がないのかと疑問に思い、ティファは尋ねる。

「昔使い過ぎて魔除けの匂いに慣れてんだよ、この辺の奴らは」

「あー……エンカラの里って古いんだっけ」

「何千年と戦士の一族だからな」

 グリウスの民とエンカラの民は、何千年と続く巨人族の里だったと昨晩ガジの家族が酔っ払いながら話してくれた。

 戦士の一族であるエンカラの民の武器を、グリウスの民が作る。そういう縁のある民だったという。

「そんな奴らが竜の眼を守ってんなら、納得!」

 よっと掛け声を続けて、トリューが魔物を薙ぐ。魔物の群れはその一体で途切れたようだった。

 今の内に、とティファ達は傾斜を進む。気づけば、木々の隙間から差す光が橙に傾いていた。

 その日は日が落ちるまで進めるだけ進み、ある程度なだらか──に見える場所を選んでテントを張った。

 焚き火の上でトリューがいつものように煮込みを作り、ティファは食器や水を用意する。ガジは周辺の警戒に当たっていた。

 リコはランプで手元を照らしながら、杭型に加工された蓄魔石に何かを書き込んでいる。恐ろしく細かい字だ。

「何やってるの?」

「設置型結界よ。寝る時襲われたらたまらないでしょ?」

「へえ……」

 リコはすごいな、と皿を抱えて隣に座る。しかし、そんな便利なものがあるならなぜいつもの夜営で使わないのだろうか。

 普段の夜営でも、夜中に魔物が近づいてくることはあった。その度に外に設置した共鳴石の音で起こされ、追い払ってはまた眠る、を繰り返していた。

 ティファの疑問はそのまま口に出ていたらしい。

「そこまで万能でもないからね。この蓄魔石なら……耐えられるのは精々四発ってところじゃないかしら」

「結局起きなきゃダメなんじゃん……」

「そうよ。でも寝首をかかれるよりマシでしょ?」

 あの数だったもの、とリコは続ける。現に今も、闇の向こうでガジのハンマーが魔物と木を砕く音がしている。

「死体も処理しきれなかったしな……」

「まぁ……魔物は体構造のマナ成分が多い分、獣に比べたら分解も早いし……多少は諦めるしかないわね」

「できたぞー。ガジ代わるー?」

 ちょうどシチューもできあがったらしい。見張りをしていたガジにトリューが声を掛ける。甘く濃厚なミルクの香りに香辛料が絡まり、思わず表情筋が緩んだ。

 ガジはハンマーを担いで戻ると、仕舞う手間さえ惜しむように木に立て掛けた。

 トリューが見張り役を申し出てくれたので、ありがたく先にシチューをいただく。手間を掛けるだけあって、相変わらずおいしい。トリューの作る煮込み料理は、三人のソウルフードと化していた。

 けれどその夜は、まとわりつく湿気と、まめに働く共鳴石の甲高い音のせいで、ほとんど眠れなかった。毛布は重く湿り、寝返りを打つたび、結界の杭が目の端で淡く光った。



******



 登山二日目。

 寝不足と昨日の二日酔いも相俟ってか、体調は最悪だった。襲い来る魔物の一体一体が、なぜだか無性に腹立たしい。

「死ねぇ!」

 樹木なのか魔物なのか、もはや生物なのかよくわからない形の魔物を、双剣で力一杯斬り裂いた。飛び散る樹液のような体液が、頬を濡らす。

「八つ当たりすんな」

 後ろから、呆れたようなガジの声に諭された。

「機嫌悪いなー」

「朝結界にぶつかったのそんなに気に入らなかったのかしら」

「それは直して!」

 苛立ちの要因をもうひとつ思い出してしまった。今朝、起きてテントを出た時、リコが設置した結界の存在を忘れて顔面を強打した。額の痛みと鼻の奥の痺れが、まだ残っている。

 いつもはガジが一番に対応してくれていたし、昨晩も設置した結界の杭を抜き、他の皆が出られるようにしてくれていた。

 夜中に魔物を叩き伏せた後もさっさと眠り直したガジは、きちんと回復している。全く頼りになる大人だ。一方でトリューは二日酔いの後遺症もなく、覚醒まで時間は掛かるものの、起きた後はきっちりと戦っていた。リコは昨晩一度たりとも起きなかった。

 おまけに標高が上がるにつれ、どんどん肌寒くなってきている。景色は険しく巨大な木々に囲まれたままなのに、やや息苦しさも感じた。

 ティファの不機嫌は増していき、八つ当たりに巻き込まれた哀れな魔物達の死体が、後ろに列を作った。

 そのせいもあってか、二日目は初日よりもかなり進んだように思えたが、苛立つまま魔物を斬り続けたティファは、日が暮れる前に疲弊しきっていた。

 夜の就寝時、疲れて冷えた体を温めようと、リコを抱えて眠った。けれどリコは寝返りの度にティファを蹴り飛ばし、毛布ごと転がっていく。

 共鳴石の音も重なり、ティファの安眠はさらにお預け状態となった。



******



 そして三日目。

「……ティファ大丈夫?」

「……」

 続く寝不足。標高が上がるごとに下がる気温。疲弊する体。ティファの目の下には、くっきりと青い隈ができていた。足を前に進める度に、上体がゆらゆらと揺れる。

「少しゆっくり進みましょ」

「この辺から魔物の数は少なくなるはずだ。代わりに強いがな」

「……がんばる」

 険しい、とは聞いていた。だから必要な準備をして、きちんと身支度を整えて出立した。

 なのにこの四人の中で、自分が最も疲弊している。──とても恨めしい気持ちだった。前日からの苛立ちが、まともな思考を行わせない。

(──酒なんか飲むんじゃなかった)

 いいや、二日酔いだったのはリコもガジも同じだったはず。トリューは規格外だったとしても、条件は皆同じだった。

(──ちゃんと眠れていれば)

 ガジはすぐ起きてすぐ眠っていた。リコは人に任せて、最後まで寝ていた。トリューも一度起きても、戦った後はきちんと眠っていた。

(──私はどうだった)

 自分はずっと眠いままだった。半覚醒のまま中途半端に戦い、不機嫌なままようやくうとうとし始めた頃に、また共鳴石で起こされる。その繰り返しだった。

 風が吹く。麓の湿気はとうになく、乾いた空気が頬に刺さった。指先の感覚が薄い。

(──寒い)

 ティファはマントで身を包み、風から隠れるように背を丸めた。耳鳴りの向こうで、なぜかサイレンの音が聞こえた。冷たいアスファルトに、血が流れていく。

 そこではっと現実に引き戻される。襟ぐりを掴まれ、ぐいと持ち上げられたのだ。

「ガジ、こいつ担いで」

「あいよ」

「え、いいよ。歩ける」

「リコもちょっとは攻撃してよ」

「仕方ないわね。攻撃魔法の術式は美しくないから、あまり好きじゃないのだけど」

「文句言うな」

 ティファは拒否しているのに、他の三人で話が進んでいる。トリューに持ち上げられ、ガジの広い背中に乗せられると、「わ」と声が出た。

「なんで?」

 不思議そうにティファが聞くと、隣を歩くトリューが首を傾けて眉をしかめた。いつも見上げるトリューの顔が目線の下にあるのは、なんだか新鮮だった。

「お前さ。もうちょっと頼るとかできねえの?」

「ほんとよね。仲間甲斐のないこと」

 ティファは目を丸くする。前を向くと、ガジの頭が目の前にある。リコ製シャンプーのいい香りがした。

「……頼って、なかったっけ」

「ねえよ。辛い時ほど、一度もな」

 そんなはずはない、とティファは返した。仲間がいなければ死んでいた場面はたくさんあった。知識も、能力も、皆自分より秀でている。いつも頼りにしている。

 そんなようなことを、回らない頭で説明した。すると、一斉に溜め息が聞こえた。

「お前……死ぬような場面じゃなきゃ頼ろうとしねえの?」

「知識と能力ですって。私達便利な駒じゃないのにね」

「全くだ」

「そんなつもりじゃ……!」

 誤解を招いたのなら訂正する。そう言ってティファは慌てた。ガジの背中から降りようともがくが、脚に回された腕がびくともしない。ガジの腕力に敵うわけもなかった。

 迷惑を掛けたい訳ではなかった。足手纏いになりたくなくて、必死だった。一緒に旅をしているのだから、苦労をさせたくなかった。ただ、その一心だった。

 ティファには珍しく、酷く焦燥していた。それを引き戻すように、トリューの槍の柄が頭にこつんと降ってくる。

「いて」

「迷惑掛けろって言ってんだバカヤロウ」

「苦労ぐらいさせろ」

「だから仲間っていうんでしょうよ」

 返ってきた答えは、どれもティファには新しかった。ティファが紡いできた何もかもを否定されているのに、何一つ痛くない。

 胸の中から何かが溢れて、それは全身に広がった。津波が島を飲み込むように激しく、花が咲きゆくように柔らかく。

 初めて受ける感触に、ティファは痺れた。ぽすん、と力なくガジの肩に頭を預ける。大きな背中は、驚くほど温かかった。

(──頼る、か)

 そういえば、と冷たい記憶が甦る。前世でも、手を差し伸べてくれる人は確かにいたはずだった。しかしその手を取らずにいたのも、自分の方だった。

 自分で、どうにか。自分だけで、何とか。どこを思い返しても、そんな記憶ばかりだった。

 ティファの手に、ぎゅっと力がこもる。ガジの外套を握り締めた指が、小さく震えていた。

「悪い……ちょっと……頼む……」

「おう」

「ゆっくりしてなさい」

「やばいの来たら起こすからなー」

 その声を最後に、ティファは意識を手放した。

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