グリウスの里
長いようで、あっという間だった空の旅が終わろうとしている。
眼前には雲を貫く山々がそびえ、稲光が瞬いていた。雷鳴が唸り声のようで、山そのものに威嚇されている気分だった。山を覆う木々は深く、かつて訪れた屍山を思わせる。黒い雲の腹で、白い閃光が脈打つように走っていた。
「この先は気流の乱れが激しく……頂上にはとても……」
弱々しく操縦士が口を開いた。舵輪を握る手が小刻みに震えている。生温い風が誘うように頬を撫で去っていく。危険な土地であることは、一目瞭然だった。
「おう、無理すんな。大型の飛行獣に気づかれる前にあっちに降ろしてくれ」
ガジは山嶺の先を指差し、声を掛けた。随分と慣れている様子だ。エンカラの里、と聞いた時もガジだけ違う反応をしていた。
「知ってるとこ?」
ティファがそう聞くと、ガジは「まぁな」と答えた。目を細めて、遠い山の稜線を見詰めている。
「こんな形でまた来ることになるとは思わなかったが……この先に俺の故郷がある。そこで色々調達してから登るとしようや」
「ガジの!」
「故郷!」
ほとんど同時にトリューと食いついた。つまり、巨人族の里。ガジの家族が、住んでいる場所。
「へえ、興味あるわ」
「会ってみてえー! ガジの父ちゃん!」
「母親がミッドウィルダーなんだっけか」
「そうだ。覚悟しとけよ」
何を? と尋ねると、曰くガジの母は世界一怖いらしい。
言われてみれば、巨人族に嫁入りし、そんな中でガジを育て上げた女性だ。ガジの「怖い」という評価になんとなく納得した。ティファは少し背筋を正さなくてはならない気持ちに駆られた。
飛空艇は街から少し離れた場所に着陸した。舞った砂埃は、湿った空気にすぐ落ちていった。足元の草は雨を含んで重く、靴底がぐにゃりと沈む。
「では皆さん、お気をつけて」
「少しは休んでいかねえのか」
「皆さんを無事に送り届けたことをすぐ報告したいですから」
「律儀ねえ」
「ここまでありがとう」
「シャルによろしくな」
皆が降りたのを確認すると、操縦士は休む間もなく飛空艇を浮き上がらせた。その姿はみるみる内に、空の彼方へ消えていく。重たい雲の下に、エンジンの低い唸りだけが長く尾を引いた。
「じゃ、行くか」
ガジの案内で、一行はグリウスの里へと足を進めた。
巨人族の里と言っても、街の中には様々な種族が入り交じって暮らしていた。明らかにサイズの大きい建物の集落があると思ったら、向かいにミッドウィルダーサイズの建物が並んでいる。遠近感がおかしくなりそうだった。見上げる程の石壁の陰で、小さな子供達が犬と戯れている。
「巨人だけが住んでるわけじゃないんだな」
「巨人の側は比較的安全だからな。巨人族が土木やら魔物退治やらやる代わりに、農業とか織物なんかをもらって発展した土地だ」
トリューはガジの倍はあるだろう純血の巨人族の大きさにはしゃぎ、リコも街の様子に目を輝かせていた。大きな荷車を軽々と引く巨人の背中を、トリューは口を開けたまま見送っている。
「あら、ゾアも住んでるの? 珍しいわね」
「ヴァルモンスにはいっぱいいたぞ」
「ドライアド族に……オレイア族かしら。交易でも栄えてるのね」
「元は職人の街だからな」
街を見渡しながら、通りを抜けて行く。あちこちから金属を叩く音が響き、積み上がった鉱石や荷車が目に入った。炉を焚いているせいなのか、吹き抜ける風にも熱気がこもっている。煙突から立ち昇る灰色の煙が、重たい雲に溶けていった。
やがて大きな、それは大きな建物に辿り着いた。工房のようだが、自分が小さくなったような錯覚を起こすような重厚な扉だ。壁も屋根も全てが今までの倍以上ある。
「リコってこんな気持ちだったんだな……」
「わかったらちょっとは歩幅考えて歩きなさいよ」
「はい」
ガジが扉を開けると、とんでもない熱風に息が詰まった。
「うわ、あっつ……!」
「ウオオオイ! 扉閉めろォ! 熱が下がんだろォがァ!」
鋼を打つ音に負けない声量が届く。最後に中に入ったトリューが口元を抑えながら扉を閉める。薄暗い工房の奥で、炉の炎が赤々と燃え盛り、火花が滝のように降り注いでいた。すると、気づいた職人達がさらに声を荒げた。
「ウオオオ!? 誰かと思ったらガジ坊じゃねェかァ!」
「んだと!? オイ久しぶりだなチビスケ!」
「うるせえ。ジジイはどこだ」
不満そうに腕を組むガジに、足音を響かせて駆け寄る職人達。床がずしんずしんと揺れる。その光景がまだ信じられなくて、ティファ達はしばらく呆けた。
「ガジが……」
「小さい……」
「世界は広いのねえ……」
誰より大きく、いつも頼れるガジが『坊』と呼ばれている現実。長命の同族からすればガジもリコも十分に若いのだろう。あまり自分基準でものを考えてはいけないな、とティファは思い直した。
ガジは目的の人物がいるのか、居場所を聞いてすぐ工房を後にした。
「もういいの?」
「ちょっと見たかった。巨人族の武器」
「用事済ませたらまた戻ってくるつもりだ。そん時な」
ガジの背中について歩くと、初めてヴァルモンスを訪れた時のようだった。カルガモの子は三人に増え、親鳥の後ろを忙しなく歩く。
そして着いた先は、一軒の家屋だった。料理中だろうか。煙突から煙が上り、窓から香ばしい匂いが漂ってくる。
ガジはノックもせずに大きな扉を開け、「帰ったぞ」と一言だけ言った。中はやはり巨人族の家のようで、全ての家具がティファ達の倍程もある。すると台所からパリンと皿が割れる音がした。同時に、ばたばたと走る足音が聞こえる。
ばっと顔を出したのは、年配の女性だった。薄く色が抜けた髪を束ねて、余程急いだのかやや乱れている。その女性は、なんとなくガジに目元が似ていた。優しい目だった。
女性は俯き、ぐっと拳を握り締める。肩が小さく震えている。きっと彼女が母親なのだろう。感動の再会になる──と誰もが思った瞬間、飛んできたのは怒号と拳骨だった。
「いてえ!」
「こーのバカ息子がぁ! 何年も連絡ひとつ寄越さんでからに! どれだけ心配したと思ってんだい!」
「だから今来たじゃねえか」
「遅いって言ってんだよこのバカタレ!」
──世界一怖いと言っていた意味がよくわかった。ガジが拳骨を痛がっている姿など初めて見た。さらには口で言いくるめられている姿も。ティファ達は思わず身を寄せ合い、息を殺した。
彼女は一通りガジをしばいた後、ガジの両頬を包んだ。先までの剣幕と怒号は、もう消えていた。
「……それで。エレノアのことはもういいのかい」
「……忘れちゃいねえよ」
「そうかい。いい顔になったね」
その手は、声は、慈愛と喜びに溢れていた。ガジの肩が、ほんの僅かに震えたのが見えた。ティファは胸の奥がじんと温かくなるのを感じて、そっと視線を逸らした。叱られ、案じられ、抱き締められる。ティファの中に、遠い教会の記憶がふと蘇った。
女性はガジの横からひょいと顔を出すと、にっと人懐こい笑顔を見せた。
「それにしても随分若い子連れて来たね! ひょろっこいこと! あんたら成長期だろう!? もっと食わなきゃダメじゃないか!」
「あ……いや……」
ころころと変わる表情と勢いに圧倒されたままでいると、ガジは額を抑えて長い溜め息を吐いた。
「俺ァちと用があっからよ。悪りいがおふくろに付き合ってやってくれ」
「はっは! 腕が鳴るねぇ!」
ガジの母はどうやら手料理でもてなしてくれるようだ。ガジにも頼まれ、空腹でもあったので遠慮なくごちそうになることにした。
巨大な椅子とテーブルに座って待っているよう言われたが、リコは自力で上れる高さではなかった為抱き上げて上らせた。ティファとトリューも席に着くが、テーブルが遠い。足が床に届かず、ぶらぶらと宙で揺れた。
「リコって大変だったんだな……」
「今度からちゃんと皿取ってやるからな……」
「なんか癪に障るわね」
台所では、豪快に鍋を振るう音が聞こえる。じゅう、と肉の焼ける音に、玉ねぎを炒める甘い匂いが重なった。漂ってくる香りに腹の虫が応え、期待は膨らんでいく。
******
一方で、ガジは居間の方へ来ていた。老齢の白い髭を蓄えた巨人が一人、座布団に座って斧を磨いている。暖炉の火が爆ぜる音と、砥石を滑らせる規則正しい音だけが、薄暗い部屋に響いていた。
「オーウ鼻ったれ。おめおめと帰って来たか」
「うるせえ。寄っただけだ」
「フン……いまさら何の用でえ」
ガジは鞄から大きな紙を三枚取り出した。ずっと描き溜めてきた、武器の図面だった。折り目がすり切れ、端が少し黒ずんでいる。旅の間も、肌身離さず持ち歩いていた。
「これを作りてえが素材が足りねえ。どうにかならねえか」
「フ……ム」
老夫は紙を受け取り、モノクルを掛けてじっくりと図面を見渡した。細かく、隅々まで見定めるように。皺だらけの太い指が、線をひとつずつなぞっていく。
「アイディアは悪くねえなァ」
「ハイマンガンを作る為のマンガン鉱が足りねえ。手配してくれねえか」
「オメエありゃ南の鉱石だぞ。そうそう手に入らねェよ」
「仲間の命を預かってんだ」
ガジは真っ直ぐ、老夫を見ていた。いつものように腕を組み、どっしりとした足構えで立っている。老夫はガジの眼差しを見て、口の端をつり上げた。
「面白ェ。やってみろ鼻ったれ」
「たりめぇだ」
ガジは図面を受け取り、鞄にしまった。老夫は満足そうに笑い、再び斧を磨き始めた。その背中を、ガジは一度だけ振り返り、黙って部屋を後にした。
******
ガジがダイニングに戻る頃、テーブルには巨大な皿に山と積まれた料理が所狭しと並べられていた。湯気と共に立ち上る芳しい香りとは裏腹に、あまりの量にティファ達はげんなりと肩を竦めている。
「オイ。巨人じゃねえんだぞこいつら」
「いいじゃないか! 若いんだからこれくらい食って体作んな!」
ガジは再び溜め息を吐いて席に着く。それぞれが諦めたように「いただきます」と食べ始める中、トリューの皿だけがみるみる平らになっていく。
「ガジのかーちゃんこれめっちゃうまい!」
「そうだろう!? いい食べっぷりだよ坊主! こっちも食いな!」
「ありがとう!」
ティファも恐る恐る口に運び、思わず目を見開いた。肉は柔らかく、濃い味付けの奥に、懐かしいような温かさがある。ひと口ごとに、冷えていた体の芯がほぐれていくようだった。
最初こそ景気のいい食べっぷりだったが、結局トリューでも食べきれない量の料理は帰宅したガジの父、叔父と居間にいた祖父までの大人数によって見事平らげられた。
ガジの母は背も高く体格も良いタイプの女性だったが、毎日この量の家事をこなしていると思うと自然と頭が下がる。
結局その日は物資の調達にも行けず、ガジの一時の帰郷を楽しむこととなった。昔話に花が咲いたガジの家族は大層喜び、ガジは終始むず痒そうにエールを煽っていた。ジョッキを傾ける度に、その口元が少しずつ緩んでいくのを、ティファは横目で見ていた。
巨人族が好む酒は度数が高く、ティファとリコは早々に酔い潰れた。頬が熱く、視界がぐるぐると回る。リコは笑い袋のように笑い転げた後、突然眠り始めてしまった。隣で小さな寝息を立てている。
なぜか酔わないというトリューと飲み比べを始めた家族達が全員トリューに潰されるまで、帰郷の宴は続いたらしい。
窓の外は、とうに夜の闇に沈んでいた。笑い声と、床に転がる巨人達のいびきが、暖かな灯りの中でいつまでも賑やかに響いていた。
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