空の旅
祭りの夜が明けた朝、ティファ達は出立の支度を整えていた。ついに竜の眼の封印場所、エンカラの里へと向かう。
庭先でシャルの家族や多くの使用人に見送られながら、晴れた朝を迎えた。初夏の日差しが眩しく降り注いでいる。祭りの余韻か、庭の隅にはしぼんだ花飾りが残り、朝露がその花弁に小さな光を宿していた。
「すまない……僕も同行したいが、ミルロから呼び出しがあってね」
「大丈夫だよ。ロマーニだってまだ大変だろ」
申し訳なさそうに耳を下げるシャルに、ティファは手を上げて返した。竜の眼を探している当の本人は、ガジと釣りの話などをしている。
ふとレイヴンに目を向けると、懲りもせずにリコや使用人に言い寄っていた。
「レイヴンはどうするんだ?」
「竜の眼とは非常にそそられる! 私も是非同行したい!」
気がついたレイヴンはにこやかに同行を申し出るが、それはシャルによって制止された。襟首をがっしりと掴まれ、爪先立ちになったレイヴンの足が宙で揺れている。
「ダメだよ。ミルロから『絶対にレイヴンも連れてこい』と言われてる」
シャルに手綱を握られ、レイヴンはがっくりと肩を落とした。好きにさせておいたらまたどこへなりと放蕩してしまうのだから、今の内に捕まえておくのが上策なのだろう。
「だが可能な限り力にはならせてくれ。エンカラの里はドルサより険しい山脈らしいから、船で直接降りるのは難しいかも知れないが……近くまでは運べるはずだ」
「いいの!? ありがとう!」
トリューははしゃぎながら礼を述べる。シャルに案内された先は、飛空艇の発着場だった。よく手入れをされた小型の飛空艇がひとつ、停泊している。朝日を浴びた船体が、磨かれた金属の光沢を放っていた。
「オーヴィル製だ。燃料も十分積んである」
「燃燐水だって高価でしょうに……悪いわね」
リコは飛空艇の外壁を撫でながら、甲板に上がっていく。ティファもそれに倣うと、舵輪の側には操縦士らしい男性が立っていた。ぴっと姿勢を正し、敬礼したままティファ達を迎え入れる。
甲板に上がると、シャローラ達も並び口々に見送りの言葉をくれた。
「良き旅であらんことを。また会おうぞ、旅人達よ」
「旅の無事を祈っているぞ」
「またいつでもいらしてくださいましね」
シャルの温かい家族とレイヴンに見守られながら、飛空艇は起動する。風が舞い、女性達の華やかなドレスが強くなびいた。リゼットが扇で髪を押さえながら、にこやかに手を振っている。
「ティファよ!」
レイヴンの声が風の中、一際大きく響いた。手摺から見下ろすと、レイヴンは黒い羽帽子を抑えティファを見上げている。
「この広い世界で、同じ境遇の君に出会えたことを幸運に思う! 願わくば前世の悔いまでも、今世で意味のあるものになると良いな!」
きん、と前世の記憶が浮かんだ。今までずっと必死に生きてきて、思い出すこともあまりなく、忘れかけていた前世。──生を手放し、諦めた日。死んで終われるのならと、飛び降りた夜。
自死を選ぶ程に追い詰められた直接の理由は、どうしても思い出せないままでいた。苦しい記憶なら、忘れたままでいいと思っていた。手摺を握る指に、知らず力がこもる。
『あなたはね、ちょっと人生を達観し過ぎていないかしら』
シスターの言葉が頭を過る。ティファの諦め癖を、彼女は見抜いていたのかもしれない。
「──うん。そうだな」
世界を見ておいで。その願いを頼りに、旅に出た。少なくない人と出会い、多くを貰った。それでもまだ、シスターのように世界は美しいと言えるような答えを見つけられていない。
『いつかあなたの答えを聞かせてちょうだい』
それは前世を含めた過去まで向き合って、初めて渡せる宿題なのかもしれないと思った。
駆動音と共に船体は宙へ浮かび上がり、シャルの屋敷や農園はみるみる小さくなっていく。眼下の緑の中に、焼け焦げた黒い帯が細く残っていた。その傍らには、もう新しい支柱が何本も立ち始めている。ティファは目を細め、その景色が雲の下に消えるまで見詰めていた。
空の彼方へ走りゆく船を、シャル達はいつまでも見守っていた。
******
優雅な空の旅は続く。天候にも恵まれた空路を、船は雲を掻き分け疾って行く。眼下には白い雲海が広がり、陽を浴びて淡く金色に輝いていた。
なぜこんな便利な物が普及しないのかと尋ねると、燃料が高価で製造費も嵩むのだとガジが教えてくれた。
「結晶核もそうだが、便利な物ほどお国の中枢が持ってって辺境にゃあ普及しねえよ」
「ティダリクの魔核もいい資源になったでしょうね。もっとも、スコーグスローの国主はまだ幼いと聞いてるけど」
「そうなの?」
外壁につけられた長椅子に腰掛け、手摺に肘を突いていたティファが返す。中央都市にまで行ったが、あの国で国主の話は聞かなかった。
「あなた一応スコーグスローの出身でしょうに……」
「あんまり関係ないとこに住んでたしなぁ」
「辺境なんてそんなもんだ」
聞けば、スコーグスローでは国主の任期の終わりが近づくと大樹が国主を選ぶらしい。ティファが魔法的な何かかと尋ねると、詳しい方法は議会によって秘匿されているという。
「怪しすぎる……」
「まぁね。そのせいで黒い噂も絶えない国よ」
リコは読んでいた本をパタン、と閉じ、髪飾りから魔道書を取り出した。鞄からペンと不思議な色をしたインクも取り出して、何か書き込み始める。藍色の中に細かな光の粒が揺れる、見たこともないインクだった。
それを見ていたトリューが興味を持ったのか、隣に座って覗き込んだ。
「なぁ、リコの魔法ってこれに書いてあんの?」
「これに書いてあるのは術式よ。結界みたいな複雑な防護魔法を瞬時に展開する為に予め用意してあるの」
「じゅつしき……てんかい……」
トリューは既に理解を諦めたかのように首を傾げた。ガジに顔を向けるが、「魔法を俺に聞くな」と振られている。
「何か新しい魔法作るの?」
同じように興味を持ったティファも、リコを間に挟むようにして隣に座る。魔道書を覗くと、丁寧な字が並んでいる。魔法式のソースコードのようだ。ペン先が紙を走る小さな音が、風の音の合間に聞こえた。
「複雑……」
「いい機会よ。あなた達も学びなさい」
「う……俺はいい……」
「俺も魔法は使えねえ」
「簡単な式だけでもいいわよ」
そして始まるリコ先生の魔法講座。魔法に疎い男二人は早々に根を上げたが、ティファは舞の精度を上げる為にも学ぶ必要があった。
「今書いてたのはね、マルクトが使ってた術式を防護魔法に組み込めないかと思って」
「あれ具現魔法だろ? 種類が違うんじゃないのか?」
「大元の基盤は同じ構造よ。マナを使って物質を作り出す、という点ではね。あのぬいぐるみには柔軟性と攻撃を〝包む〟という式が編まれていたわ」
「へえ……」
「だから私の結界にも硬さや弾くといった強固性だけじゃなく、柔軟性を持たせられるかもしれないと思ったの。敵の術式から改良するのは癪だけれどね」
「ふ……む……」
ティファは自身が使う魔法の術式を思い返した。回復魔法は怪我の程度に合わせて、常時術式を組み替えなければならない。その為、医療の知識が乏しいティファは止血をする、外傷を塞ぐ以上のことができない。
一方で、炎魔法は複雑な術式を必要としない。自身のマナに応じた火力が出せる反面、出力操作が難しい。その辺はシウルに習ったが、ふとシャルが使っていた魔法を思い出した。
「シャルのは? 属性魔法も刃だったり、玉だったりしたよな?」
「ああ、あれもちゃんと術式効果よ」
リコはペンを走らせる手を止めて、質問に答えてくれる。シャルが使う属性魔法も、大元はやはり具現魔法と同じ術式によって形を変えているのだと言う。
「どうやるの?」
「大きく分けて二パターンあるわ。ひとつは術式を丸暗記すること。学校で習うのはこっちよ。再現性が高いからね」
「も……もうひとつは……」
「使う魔法を具体的にイメージなさい。イメージにマナが呼応させることで魔法を構築するの。術式で固定されていない分、こっちは再現性がないわ。二度と同じ形の魔法は使えないと思いなさい」
例えば火の玉のような簡単にイメージできるものなら何度でも放てるが、それは厳密に同じサイズや形ではないらしい。トリューが槍に纏わせる刃も、こちらに分類される。
余程鍛練を積まない限り、武器やマルクトのようなぬいぐるみを術式なしで再現するのは不可能だと言う。
「舞……も同じようなことかなぁ……」
「あれは特殊ね。舞型に術式が編み込まれているもの。型を崩した時点で効果は消えてしまうわ」
「だよなぁ……」
両手で口を覆い、肩を落とす。戦闘に使えればいいと思ったが、ニンチェン戦では皆の力があったから舞う時間を確保できた。自身が戦いながらとなると、そんな余裕はないことはマルクトやネツァク戦で身に染みた。
「うーん……でも、そうね。ティファが何をしたいかによるけれど、手がないこともないんじゃないかしら」
「どんな?」
「例えば……」
リコに提案された方法は突拍子もなく、ティファは首を傾げた。
「本当にできる?」
「理論上はね」
術式を書き終えたリコはパタン、と魔道書を閉じた。髪飾りに触れると、淡い光となってシュンと吸い込まれるように消えていく。
「時間はあるのだし、試してみたら?」
「うん、まぁ……やってみる」
エンカラの里まで、空の旅は続く。青い空は遠く、風は髪を撫でている。
リコの魔法講座を早々に離脱した二人は、狭い甲板で釣り竿を作っていた。ガジが顔に当たる風に邪魔そうに目を細め、トリューは絡まった糸を解こうと格闘している。竿の先に結ばれた糸が、風にあおられて長く揺れていた。
そんな様子を見て、平和だなとティファは再び青い空に目を向けた。
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