宴の夜
卓越した演説と政治的手腕で民衆をまとめ上げたシャローラは、ティファ達と共にラ・ターシュ邸で一晩過ごすことになった。夜も更けた屋敷には、まだあちこちで兵達の足音が響いている。
広々とした応接間に案内されると、シャルとルロワは崩れるようにソファに座り込んだ。ランプの灯りが、二人の疲れ切った顔を橙色に照らしている。
ティファ達もそれに倣うが、シャル達はまだどこか落ち着かない。戦闘で痛めた体が、柔らかなソファに沈むと同時に、じんじんと疼いた。
視線の先では、シャローラが優雅にお茶を飲んでいた。湯気の向こうで、金色の髪が灯りに透けて輝いている。
ルロワはひとつ咳払いをして、ティファ達に向き直る。
「改めて……挨拶が遅れて申し訳ない。領主のルロワだ。息子が世話になったそうだな」
「ああいや……こちらこそ……」
ドルサに続いて、こんな形で国のお偉い方と関わるとは思ってもいなかった。ティファはむず痒い気持ちを隠せず、居心地悪そうに膝の上で指を組み替えた。シャルは察したかのように笑う。
「堅苦しくしなくて大丈夫だよ。君達は恩人なんだ。姉も王妃という立場ではあるが……まぁ見ての通りだし」
シャローラは先までの剣を担いだ豪胆さが嘘のように、気品溢れる淑女然とした振る舞いだった。カップを持つ指先まで、美しく揃えられている。
「ところで……レイヴンの姿がずっと見えないけど?」
シャルが部屋を見渡して首を傾げる。
「彼なら使用人の女の子をナンパしてたわよ」
「あの人は……ッ! ちょっと目を離すと……!」
シャルが頭を抱えてレイヴンを探しに行ったところで、シャローラは紅茶のカップを置いた。かちゃり、と静かな音が響く。
「さて……愚弟が世話になったと聞いている。そして此度の聖女教──通称灯火。王都でもよく名が上がる組織だ。貴殿らの話にも大変興味がある。聞かせてもらえるか」
シャローラの眼差しは、獲物を捉えた捕食者のそれだった。ティファ達も灯火について知っていることは多くないが、知り得た全てを話した。
マルクトとネツァク、ティファレトを神聖視しているような発言。なぜかティファだけが異様に敵意を抱かれたこと。ローブを着た信徒が着けていたブローチの紋様。
程なくしてシャルに引き摺られ、レイヴンも部屋に訪れた。「王族へのナンパは重罪だからな」などと釘を刺されている。
シャローラは話を聞いた後、腕を組んで顎に手を当てた。何かを思い返すように、とんとん、と指を動かしている。
「──気に入らんな」
小さく呟いた後、シャローラはティファに視線を移した。
「貴殿、名を〝ティファ〟と言うのだな?」
「そうだ」
「もしや親は聖女教ではなかったか?」
「いや……知らない。たぶん……亡くなった娘の名前だと思う。そう呼ばれてたから、そのまま使ってる」
「そうか……」
シャローラは背凭れに寄り掛かり、もう一度腕を組み直した。シャルが「何か気になることでも?」と尋ねると、シャローラは小さく口を開く。
「……王都にも聖女教の信徒は多くいてな。信仰自体は今回の件がなければ問題にする程でもなかったが……流通、軍事、教育……あらゆる現場に根差しているのが気になってな。独自に調べたことがある」
王妃らしからぬ行動力は、さすが元王国騎士団長。シャローラは調査を続ける内、ある噂を耳にしたと言う。
「聖女教はその名の通り、聖女を崇め奉っている。そしてその聖女の名が、『ティファレト』だという噂が一部の信徒の間で広まっていてな」
マルクトもネツァクも、ティファレトは聖女の席だと言って激昂していた。あながち間違いではないのかも知れない。
「聖女教の信徒達は、聖女にあやかって娘が生まれると『ティファ』という名を与えた。そしてその娘達は──悉く惨殺されている」
ぞわり、と寒気がした。自分に向けられた、謂れのない殺意。言い知れない恐怖と嫌悪が、ティファの体を包んだ。指先が冷え、膝の上で握った拳が小刻みに震える。
「全くもって気に入らん。己で情報を漏らしておいて、今度はその名を罰するだと? 身勝手にも程がある」
「……全くだ」
ティファは俯き、自分と同じ名前の少女達を思った。名前だけを理由に命を奪われた、顔も知らない子供達。
あんなものに狙われたら、どうすることもできなかっただろうな、と胸が痛む。ティファ自身、仲間がいなければあの場で殺されていただろう。喉の奥が、じくりと熱くなった。
「ともあれ!」
シャローラは空気を変えるように、ぱんと両手を叩いた。重たい沈黙が、その音で弾けるように割れる。
「これ以上は我ら為政者の仕事だ! 貴殿らは気ままに、勇猛に! 旅を楽しむが良い!」
にこりとした笑顔が眩しい。人懐こさを感じる笑みに、ティファの心も次第に解れていった。
「そうだ父上! ロマーニ収穫祭を催しましょう! シャルの仲間達を盛大にもてなすのです!」
「え……いや収穫祭にはまだ少し早……」
「領民達もまだ不安がっているでしょう! 収穫などなくてもよろしい! 祭りで活気を呼び、出店で収益も上がる! 一石二鳥ではありませんか!」
領主達の意向など意に介す様子もなく、シャローラの勢いのまま話は進んでいく。ルロワが口を開く度に、すぐさま言葉が被せられた。シャルは諦めたようにティファ達に顔を向けた。
「というわけで……もう少し付き合ってもらえるかな……」
「お前ほんと大変だな……」
「もう慣れたよ……」
シャローラのはしゃぎ声に、シャルの溜め息が混じって聞こえた。
******
翌朝から、祭りの準備は滞りなく進められた。屋敷の周りには朝日が降り注ぎ、金槌の音と木を削る匂いが町中に満ちていく。祭りの開催は、その日の夜。準備に使える時間は、たった一日しかない。
シャローラが連れてきた王国騎士達も労力として手伝わされ、甲冑を脱いで忙しく駆け回っている。シャローラ本人は広場の中央で腕を組み、「そこ! 手が止まっているぞ!」と高らかな号令を飛ばしていた。
昨夜の演説で心を動かされたのか、領民達も朝から続々と手伝いに集まり、あちこちで威勢のいい掛け声が上がっている。
ティファ達も荷運びや建設を手伝う中、レイヴンは相変わらず女性に声を掛けては振られている。
「お前も手伝えよ」
「手伝うとも! ところでこの後お茶でもいかがかな? ティファ嬢、リコ嬢!」
「奢り?」
「もちろん!」
「どうせシャルのご実家にたかる気でしょ。それは奢りとは言わないのよ」
「手厳しいなリコ嬢!」
「ケーキ食べたい」
「好きなだけ食べるといい!」
その様子を、トリューは遠くから眺めていた。木材を担いだまま立ち尽くしていると、ガジに声を掛けられる。
「トリュー、その木材こっち寄越せ」
「ああ……はいよ」
「何見てたんだ」
「いや……別に」
ガジの側にがらがらと木材を置く。ガジは釘とハンマーを手に、屋台を組み立てていた。歯切れの悪いトリューの返答に不思議そうな顔をしたが、それ以上は何も追求はしなかった。
かん、かん、と小気味いい槌音が、また規則正しく響き始める。
(……何でだろ)
レイヴンが誰に声を掛けていても、特に気にならない。ただ、ティファとリコに声を掛ける時だけ、少しだけ何かが引っ掛かる。胸のあたりがもぞもぞと落ち着かない。その引っ掛かりを、トリューは上手く言い表す術を持たなかった。
日が傾き始めた頃、そこへシャルが走って来た。
「ああ、ここにいたか」
屋敷に来てほしいと頼まれる。屋敷には全員呼ばれていた。
シャルに案内された先は、大きな部屋をひとつ埋め尽くすほどの衣装部屋だった。壁一面に、色とりどりの衣装が掛けられている。リコは大喜びで掛けられた衣装を捲って見ている。
「すごーい!」
「ロマーニの伝統衣装なんだ。主賓の君達には是非着てもらいたくてね」
「これ全部!? いいの!?」
「全部ではないけど好きに選んでいいよ」
「ティファ! これ着てみてこれ! あとこっちも!」
「えー」
ティファは嫌そうな顔をしながらも、次々と腕に押しつけられる衣装を、仕方なく受け取っている。
「ガジは……採寸からかな」
「悪りいな」
ただ一人、身長が二メートル半もあるガジは、使用人に寸法を測られている。三人がかりで巻き尺を伸ばし、背伸びをして肩幅を確かめていた。リコはばさばさと衣装を持ち出して、楽しそうに並べ始めた。
「トリューはこっちの青でしょ……あ、これもいいわね」
「えー。俺も?」
「ふふ。見映えすると思うよ」
「おや、こちらにも麗しきお嬢さん! どうか私とお茶でも!」
「うちの使用人を誘惑しないでくれるかな」
レイヴンは少しも反省する様子はなく、使用人の女性をナンパしていた。使用人は頬を赤らめて俯いている。シャルの笑顔がだんだん暗く見えてくる。
他のナンパを見てる分には何とも思わないのにな、とトリューは先の胸のつかえを思い出した。
それぞれリコに渡された衣装に着替え、部屋を出る。トリューには深い青のシャツに、刺繍が施されたベスト。ガジはダークレッドのシャツに同じ刺繍のベストを着用していた。シャルも白いシャツに、似たような格好だ。レイヴンも黒いマントを脱ぎ、黒いシャツにベストをきっちり着こなしている。
「これが伝統衣装?」
「正確にはこの刺繍かな。豊穣を願った柄なんだよ」
「へえー」
トリューが慣れないベストの裾を引っ張っていると、着替えを終えた女性陣も現れた。夕暮れの廊下に灯されたランプの光が、二人の姿を柔らかく縁取っている。
ティファは髪を低い位置で二つに束ね、頭に花飾りを着けている。鮮やかな白と緑のボディスに、金の刺繍が光る。ふわりとしたロングスカートが、歩く度に揺れた。
「これ要るか?」
「要るわよ!」
ティファが頭の花飾りを鬱陶しそうに撫でる。リコはティファと揃いの衣装に、白と薄いピンクの色違いを纏っている。いつものお団子頭も二つに下ろして、ティファと同じように束ねている。
「ほー。化けるもんだ」
「似合ってるよ、二人共」
「いやぁー可憐だ!」
口々に称賛を浴びせる中、トリューはじっと二人を見ていた。以前ティファが舞台に立った時とは違い、見ればこの二人だとわかる。それでも何かが胸につかえる。
「ほら! トリューも何か言って!」
「え、ああ、うんかわいい」
トリューの前でくるりと回って見せるリコに、素直な感想を口にした。実際、年齢は置いておいてリコは可愛いと思う。ふわりと広がったスカートの裾が、軽やかに揺れた。
もう一度ティファに視線を向けると、ティファはじっとトリューを見ていた。その目になぜかぐっと息が詰まる。
「やっぱ変かな」
ティファは自分の姿を見て、長い裾を動きにくそうに摘まんだ。普段は見せない白い足首が、スカートの陰から覗く。
「いや……かわ……いいと思う」
「ほらね!」
「そう」
変でないならいいと納得したのか、ティファはすたすたと廊下を歩いて行った。花飾りが、その歩みに合わせてぴょこぴょこと揺れている。
なぜ一瞬言い淀んだのか、自分でもわからないまま祭りは始まる。窓の外では花火が上がり、音楽が鳴り響いていた。色とりどりの光が、衣装の刺繍を一瞬ずつ照らし出していく。
広場に出ると、夜空の下に無数の提灯と篝火が灯されていた。ずらりと並んだ屋台からは、焼いた肉の香ばしい匂いや、熟した果実の甘い匂いが流れてくる。
篝火に照らされ、伝統衣装に身を包んだシャローラが華麗に舞う。あちこちで呼び込みの声が響き、屋台の香りが漂い、たった一日の準備期間とは思えない程、祭りは大きな盛り上がりを見せた。手を取り合って踊る人々の輪が、いくつも広場に広がっていく。
その中で一人だけ、トリューはティファの後ろ姿から目を離せずにいた。灯りに照らされて揺れる白銀の髪と、人混みの中でも不思議とすぐに見つけられる、花飾りの白。その理由が、自分でもまだわからなかった。




