第三王妃
果樹園での戦闘を終えた後、ティファ達はラ・ターシュ邸で手当てを受けていた。日はとうに落ち、広間の窓の外では、篝火の赤い光が揺れている。
シャルも相当に疲弊しているだろうに、未だ忙しなく走り回っては兵達に指示を出している。慌ただしい広間の片隅でリコの治療を受けながら、ティファは兵達の足音を聞いていた。
リコの小さな手から、薬草の青い匂いと、じんわりとした温もりが傷口に染み込んでくる。
そんな中で、かつんと一際高いヒールの音が響く。視線を向けると、深い紅のドレスを纏った貴婦人がこちらに向かっていた。くるりと巻いた角に垂れ気味の白い耳は、羊のように見える。ふわりと、花のような香水の匂いが漂った。
彼女はティファ達の前で立ち止まると、静かにドレスの裾を広げて頭を下げた。背筋の伸びた、流れるような所作だった。
「この度はご挨拶が遅れまして……わたくし、名をリゼットと申します。我がロマーニ領の問題に手を貸してくださったこと、深く感謝致します。ラ・ターシュの妻として、またシャルの母として……お礼申し上げますわ」
女性が発した言葉にぎょっと目を見開いた。にこやかで華やかな妙齢の彼女は、確かに『シャルの母』と名乗った。
「えっ、シャルの母ちゃん?」
「兎じゃないんだ……」
同じように驚いたらしいトリューが、リゼットを見て指差そうとするところをリコにぺしりと叩かれて制止される。彼女は金糸の髪をふわりと揺らして、にこりと笑顔を向けている。
「ウーレ族は祖先の遺伝子を継いで生まれてきますの。親子で外見が似ないことは不思議ではありませんのよ」
「そうなんだ……」
じゃあ、とティファは広間にいるもう一人の男性に目を向ける。豹のような斑模様の耳と尻尾を持ち、シャルと難しそうな話を続ける背広に袖を通した彼は──……
「シャルの父、ルロワですわ。いけませんわね、恩人にご挨拶もしないなんて」
「いや、いいよ」
忙しそうだし、と付け加えて、ティファは両手を振った。咄嗟だったとはいえ、果樹園に火を点けてしまった。マルクトの魔方陣を破壊する為に、地を割ったりなどもした。自分達が与えた被害は、想像に難くない。
加えて、灯火の連中が残した爪痕は戦闘だけに留まらない。それはシャルの顔を見ていればよくわかる。
目の下には濃い隈が浮かび、書類を握る手は何度も止まっては、また動いていた。子供達の保護や、ローブの信徒達、モーリスの処遇について──……。敵を退けても、領主の仕事は山積みだ。
中でも優先すべき事項は、領民達への説明らしかった。灯火からの支援は当然無くなり、果樹園も大打撃を受けた。皆不安がっている。
屋敷の庭に避難させられた領民は、皆領主の言葉を待ち切れずルロワとシャルに詰め寄り、口々に不安や不満をぶつけている。夜の庭に灯された無数の松明が、怒気を帯びた顔を赤く照らしていた。
「これからどう暮らしていけば良いのですか! 領主様!」
「農耕用の魔道具まで取り上げるとは! 聖女教が何をしたというんだ!」
「慎重に精査して問題がなければ返還する。だからそれまで──」
「それまでこの荒れた農園で暮らせと!? またいつ不作が訪れるかもわからない!」
「被害に遭った農園の支援はこちらで行います。前回の不作については博士を追求中で──」
「信用できるもんか!」
どれだけ誠心誠意説明しても、領民の不平不満は収まらない。拳を振り上げる者、地団駄を踏む者。ともすれば暴力沙汰にさえなりかねない状況だった。その様子を見ていたティファ達にも焦りが見え始める。
「まずいな……」
「出るか?」
「一般人だぞ。俺らが出る幕じゃねえ」
ガジが腕を組み、低く言った。戦闘でない以上、その先は領主の仕事。割り切ってはいるが、領民達の聖女教に傾いた信仰心にもどかしさを感じた。ティファは唇を噛み、膝の上の拳を強く握り締めた。
その時、夜空から大きな影が降りてきて、屋敷の庭を覆った。篝火の光が遮られ、ざわめきを機械の駆動音がかき消していく。──飛空艇だった。今まで見たどれよりも先進的で、気球には大きく紋様が描かれている。ランタンの光に照らされて、金糸の刺繍が闇の中に浮かび上がった。
「あれは……クラマール王室の家紋だわ」
「えっ。王様?」
先までシャルとルロワに言い寄っていた領民にもどよめきが上がる。上空では着陸の法螺が鳴っている。強風が吹き下ろし、松明の炎が一斉に横倒しになった。
「王妃! 今着陸しますから!」
「お待ちを! 王妃ー!」
兵の叫びが聞こえたと思ったら、甲板から紅いドレスの女性が降ってくる。その女性はいとも簡単に着地すると、地面を砕く勢いで剣を担ぎ、民の前に歩みを進めた。
「なんだ。もう敵はおらんのか」
太陽のように輝く長い髪をまとめ上げ、その女性は面白くなさそうに領民達を一瞥した。シャルとルロワは揃って額を抑えている。
続いて降りてきた甲冑の兵達が、慌てて女性の後ろに並び領民に声を掛ける。
「者共! 平伏せよ! このお方はクラマール王国第三王妃、シャローラ様であらせられる!」
それを聞いた領民達はどよめき、一斉に下がって跪いた。深紅のドレスが夜風になびく。猫のような尖り耳までもが金糸に覆われ、篝火を透かして輝いていた。
「して? 敵もいないのに何か揉めていたようじゃないか。何があったんだ?」
王妃はシャルと領民を見比べるように見渡した後、双方の事情を聞いた。腕を組み、足先でとん、とん、と地面を叩きながら。
そしてその後、「なるほど」とひとつ大きく息を吐き、くるりと領民に向き直った。
「甘ったれるな愚民共!!」
王妃はざん、と剣を地に突き刺した。体の芯から震え上がるような、思わず姿勢を正したくなるような声だった。夜気がびりびりと震え、松明の火が揺らぐ。
「施しを受け、便利を与えられ、その後貴様らは何をした! 己で考えることを放棄し、神に縋りついた結果がこのザマではないのか!」
王妃の言葉は迷いなく、権力以前の力強さがあった。誰も反論などできず、黙って王妃の言葉に耳を傾けている。
「豊穣神セレスは我らの営みを見守るのみ! 自ら行わぬ者に褒賞などない!」
短く端的でありながら、聖女教に言われるまま豊作や幸福を神に頼った心を叩きつけた。それでいて、信仰そのものは否定してしない。
「誇り高きロマーニの民であるならば、己の足で立ち上がってみせよ! 貴様らが自らの足で立つと言うなら! わたくしは全ての命を背負って立つとここに誓おう! 誰も見捨てやせぬ!」
具体案など何も提示されていない。だが王妃の立場にある国家権力の持ち主が、領民を見捨てないと宣言した。それは何にも代え難い安心感となって、民の心を包んだ。跪いていた人々の肩から力が抜け、誰かが洟を啜る音が聞こえる。
どよめきが歓声に変わる。夜空に響く割れんばかりの拍手の中、王妃は再び踵を返し、今度はシャルとルロワの元へ向き直ると、さらなる怒号を発した。
「父上もですよ! 余所者の施しなど受ける前に、なぜわたくしに一言くださらなかったのだ!」
「いやだが……お前はもう王妃だろう……」
「王妃である前にクラマールの民です! 自国の問題を己で片づけられずして妃など務まろうものか!」
「ですが姉上……それは王妃の仕事では……」
「黙れ半人前が!」
シャルもルロワも圧倒されている。特にルロワは領主として延々と説教されていた。二人共耳がしゅんと垂れ下がり、背中が少しずつ小さくなっていく。
ティファは唖然としながら、隣のリゼットに顔を向ける。
「あの……もしかしてあの人……」
「ええ、左様です。シャルの姉、シャローラですわ。昔からお転婆でねえ……以前は王国騎士団長まで務め上げたのですよ」
凄まじい経歴だ。しかしリゼットはそれをあまり好ましく思っていないのか、頬に手を当てて溜め息を吐いている。「女の子なのだからもっと慎ましく生きてほしかった」などとぼやきながら、三人のやり取りを眺めていた。
「まあまあ、その辺にして差し上げなさいなシャロ」
「母上! 相変わらずお美しい!」
先までの剣幕はどこへやら、シャローラはリゼットの手を取って嬉しそうに耳を跳ねさせた。ドレスから覗く尻尾もふわふわと揺れている。
「お前の姉ちゃんすげえな」
「昔はよく稽古でもボコボコにされたよ……」
げんなりとしたシャルにトリューが話しかけると、乾いた笑いが返ってきた。肩を竦めるその姿に、シャルも苦労したのだろうと察せられた。
ルロワはひとつ咳払いをして、シャローラに被害に遭った農園や保護した子供達の相談を持ちかけた。
「それで……親という立場を利用するようだが、王宮から支援はしてもらえるのだろうか?」
「支援? 冗談でしょう?」
シャローラはきょとんとした顔でルロワに返した。騎士団長から成り上がった貴族の娘とは言え、本当に気合いだけで民をどうにかする御仁なのかと、ティファも少し疑う。
しかし、シャローラからの返答は至極真っ当なものだった。
「それでは聖女教と何ら変わりありませぬ。わたくしが行うのは〝投資〟です。王宮の資産を元に農園へ投資、その売り上げのいくらかを回収することで孤児院の運営費に当てます。子供達にはしっかりと教育を受けさせ、未来の人材を育成せねば!」
シャローラは腰に手を当て、高らかに笑う。
「才ある子はわたくしが直々に鍛えて差し上げましょう! 次の騎士団長も夢ではありませぬ!」
豪腕のみならず、経営の手腕も振るって見せたシャローラは屈託のない笑顔を浮かべている。篝火に照らされたその美貌は、同性でさえ見惚れる程だった。
「天は二物も三物も与えるのねえ」
「エレノアの方が美人だ」
リコとガジの会話が夜風に溶けた。庭の松明が、いつまでも静かに揺れていた。




