台風一過
向かい合う灯火の二人とティファ達。間に風が流れる。焦げた枝が、どこかでぱきりと折れた。
先に仕掛けたのはネツァクだった。拳を繰り出し、それをレイヴンが受け止めた。火花と突風が弾ける。大剣の腹が軋み、レイヴンの足元の土が円形に沈んだ。
「黒騎士かや! 今は邪魔じゃ!」
「紳士たる者、レディは守らねばならん」
レイヴンは大剣にマナを集める。それはバチバチと光り出し、黒い稲妻となってネツァクを襲う。
「黒雷!」
大剣に纏わせた黒い雷撃が、ネツァクを斬り裂く。ネツァクは白目を剥き、肩から斜めに開かれた傷から血が吹き出した。雷光の残滓が、空気をびりびりと震わせている。
「彼は私が引き受けよう」
同時にマルクトのぬいぐるみがティファに襲い掛かる。ガジが間に入り、ハンマーで殴り返そうとするが、体が柔らかすぎる。ハンマーは腹に沈み込み、逆に打ち返されガジは吹き飛んだ。土煙を上げて転がった巨体が、地を削りながら止まる。
「面倒な相手だな……」
「凍らせようとしたけど無理だった」
シャルが零した言葉に、トリューが先の出来事を伝える。マルクトは後方でじっとティファに冷たい目を向けている。立ち上る殺気に、肌がちりちりと粟立った。
「……邪魔をするなよ」
巨大な熊のぬいぐるみに加え、マルクトはさらに中型の兎の白いぬいぐるみと、小型の犬のぬいぐるみを複数具現化した。よく見れば愛らしくも見えるのがまた不気味だった。ボタンの瞳が、一斉にこちらを向く。
「冗談だろ……」
熊一体だけでも厄介だったのに、とティファは舌を打つ。悩んでもマルクトは待ってはくれない。ぬいぐるみは一斉に襲い掛かる。熊のぬいぐるみは一直線にティファへ、犬のぬいぐるみ達はリコとシャルに群がり、兎のぬいぐるみはトリューとガジに向かっていく。
それぞれが対応を迫られる。兎のぬいぐるみは熊ほど大きくないとは言え、特性は熊と変わらず、それでいて素早かった。
犬のぬいぐるみはとにかく数が多い。シャルは魔法と細剣で叩き落とし、リコも結界で防ぎながら魔法を放つが消滅はしない。
一方で、ティファは熊の攻撃を避けるだけで精一杯だった。左腕は応急処置をしただけ。完治はしていない。痛みも残っているだろう。他の傷も酷い。
肩で息をする度に、血の滲んだ服が体に張り付き、足元の地面は拳の跡で穴だらけになっていく。
(このぬいぐるみを何とかしなきゃ……!)
リコは結界で仲間を守りながら思考を巡らせた。額を伝う汗が、顎の先から落ちる。マルクト本人は動く様子はない。操作しているようにも見えない。
(オートタイプかしら……だったら術者本人を叩き切るまで消えないわね……)
ぬいぐるみの動きに目を凝らす。しかし、動きがパターン化されているとは言い難い。余程高度な術式がプログラムされている。
ティファは魔法も届かず、みるみる削られていく。
「シャル。ちょっと踏ん張れるかしら」
「何か思いついたか」
「ちょっとしたギャンブルよ」
リコは魔道書のページを捲り、指先にマナを集めた。ページの端を押さえる小さな指が、微かに震えている。
ティファは追い詰められる。連続で振り下ろされる拳を何とかかわし、斬りつけてもすぐに塞がる。マナで形成されている以上、ニンチェンと同じ体構造らしい。
また舞で散らせれば勝機はあるかもしれないが、徹底的に狙われている中でのそれは不可能だ。
疲労で足が縺れる。その一瞬で、ぬいぐるみの拳が頭上から殴り落とされた。咄嗟に連結刀でガードするが、支えきれず地面に叩き込まれる。
「あ……ぐッ……!」
拳の硬度が増していく。ティファは潰され、どんどん地面にめり込んでいく。肺の空気が押し出され、視界が白く霞んだ。
「ふんッッ!」
ガジの声がした。ガジはぬいぐるみの腕を横から殴り、へこんで弾き返されそうになる足を地を割って耐えた。
押し合いが続く。ぎちぎちと低い音が響く。
「おうらッ!」
ガジはさらに力を込め、ついにはぬいぐるみを力尽くで吹き飛ばした。ハンマーを担ぎ直し、マルクトを見ると睨むような目をしていた。
「悪い……助かった」
「気にすんな」
ティファが立ち上がる。膝が笑い、柄を握る指先が痺れていた。マルクトはティファとガジを見比べるように視線だけ動かした。
「お前……陣を壊してくれた奴だね」
先までティファに向けていた殺意とはまた別の、あからさまな嫌悪。ティファのこめかみに一筋汗が流れた。
「二日もかけたのに……よくもやってくれたよね」
「そら良かった。敵の嫌がることするのが得意なもんでよ」
ガジは余裕そうに口の端をつり上げた。堂々たるその姿はいつもの鍛冶師ではなく、歴戦の戦士たる頼もしさだった。
「俺も聞きてえことがあってよ。オメェら何で神を降ろそうとしてる」
ガジは僅かに顎を引き、眉を寄せた。その問いには、エレノアの死にも繋がっている。ハンマーの柄を握る手に、ぎしりと力がこもった。
「……ボク達が降ろしたいのは聖女様だ。だけど腹立たしいことに、信徒達は聖女様より現地の神への信仰を優先する。結果、神が降りる。それだけだ」
マルクトは特に隠そうともせずに言葉を紡いだ。本当かどうかは確かめようがないが、今のところ矛盾は感じられない。
「随分正直に話すんだな」
「……聖女様に関する偽りは教義に反する。聖女様は世界の導き手なんだ。それを……!」
マルクトはぎりりと歯を噛む。怒りと殺意が再びティファに向けられる。
「ティファレトは聖女様が座るべき神聖な席だ……ッ! その名の一部を小娘が名乗るなど……許されることじゃない……ッ! お前は絶対に殺す!」
「いい迷惑だ」
他でも未だ戦闘は続いている。あちこちで轟く衝撃音の中、ティファとガジは再び構えた。
「トリュー! 攻撃よく見ろ!」
兎の相手をしているトリューにガジが声を掛ける。
「なんて!?」
「オメェのスピードなら突けるはずだ!」
トリューは空中で身を捻りながら、兎を見た。熊もティファとガジに突進していく。
氷魔法でかなりのマナを消費したトリューは、息を乱しながら追って来る兎をじっと見る。
(よく見る、よく見る……!)
迫る拳に集中し、避けながら観察するものの、兎の拳は熊よりも速い。縦横無尽に飛び回り、蹴りまで繰り出されるので攻撃パターンが全く読めない。
その分力と体格は熊に劣るものの、回避した先の地面は抉れ、樹木がへし折れるだけの力は持ち合わせている。
(おまけに体は柔らけえし……っ)
斬ろうが刺そうが、穂先は体に沈んで通らない。その間に兎は跳弾のように樹木を飛び移り、トリューを蹴り飛ばした。
「んいって……ッ!」
喰らった脇腹を抑え、立て直す。ふと、疑問が浮かぶ。
(あれ? あいつ柔らけえのに何で痛えんだ?)
全身柔らかいなら、そもそも地面を抉ったり木を折ったりできないはず。トリューは考える前に、槍を構えた。
「とりあえずやってみっか」
兎が向かってくる。出される拳に合わせて、トリューは槍を突き出した。高い衝撃音が響く。穂先は沈まず、兎の拳で止まっている。
「おっし止まった!」
止まらない兎の連続攻撃を、トリューは全て受け切る。猛スピードの撃ち合いで、辺りには風が吹き荒れた。
一方で、大量の犬を一人で相手にしていたシャルは酷く消耗していた。
「ハァ……ハァ……ッ、フリーズ・ショット!」
無数の氷の刃を放ち、犬のぬいぐるみを撃ち落としながら細剣で斬り裂く。
多対一の制圧戦はシャルの得意とするところではあったが、どれだけ落としても数が減らない。シャルにも焦りが見え始める。細剣を握る手が汗で滑り、肩で荒い息を繰り返した。
「あまり長く持たないぞ……急いでくれリコ……!」
襲い来る犬達を相手に、シャルは再び剣を構えた。
そのすぐ横では、ガジとティファが熊を相手に轟音を響かせている。ガジが熊の拳を受け止め、ティファが上から炎剣で斬り裂く。先よりは善戦しているように思えた。
しかし熊の動きは一向に衰えず、攻撃は激しさを増すばかり。ティファ達の敗色が濃厚になりかけた時、ぬいぐるみ達の動きが一斉に止まった。
ぴたり、と。まるで時が止まったかのような静寂が、戦場に落ちた。
「ちょっと術式借りるわね」
リコはいつの間にか、マルクトの後ろに立っていた。魔道書を開き、そこからぬいぐるみに向かってマナが繋がっている。もう一方の片手はマルクトの後頭部に向けられている。小さな手の平が、ぴたりと狙いを定めていた。
「……隠遁魔法か。やるね」
「マナごと隠すのは骨が折れたわ」
途端静かになった戦場で、ひとつ爆音が轟いた。その土煙の向こうでは、レイヴンがネツァクに大剣を突きつけている。
「やれやれ、少々手こずった。年は取りたくないものだな」
「う……ぐ……ッ」
うつ伏せに倒れているネツァクは、力なく呻いている。一方でレイヴンは、ほとんど無傷だった。乱れたマントの裾を、軽く払う余裕さえある。
「あなたの術式、解析させてもらったわ。もう動かせないわよ」
「……」
後ろのリコを恨めしそうに睨む。深く被ったフードから覗く前髪が影を落とした。
「驚いた……この短時間で……」
細剣をしまい、シャルは感嘆を上げる。具現魔法はかなりの高等魔法。複雑な術式は理解することさえ難しいというのに。
場所が場所でなければ、拍手を贈りたい気分だった。
リコの機転とレイヴンの実力で勝敗は決した。子供達も保護し、消火も済んでいる。シャルは兵を集め、マルクトとネツァクを拘束するよう指示を出すと、マルクトは溜め息を吐いた。
「……仕方ない。帰るよネツァク」
「……逃げるつもりでいるのか?」
「君達こそ捕まえられるつもりでいるの?」
マルクトは首を傾げると、背後に蛇のぬいぐるみを出現させた。
「きゃ……!」
「リコ!」
その蛇はリコに巻きつき、縛り上げて拘束した。リコの小さな体が宙に持ち上げられ、手から魔道書がばさりと落ちる。
「術式は〝今〟組み替えた。乗っ取ろうとしても無駄だよ」
マルクトは熊達のぬいぐるみを自身のマナに戻し、ネツァクの元に歩いていく。
「一応そいつ返してくれる?」
「……断ったら?」
「あの女絞め殺す」
リコは蛇のぬいぐるみに拘束され、ぎりぎりと締め付けられる。顔が苦しげに歪み、細い足が宙で力なく揺れた。レイヴンは大剣をしまい、マルクトに道を譲った。
「わかった。彼女を今すぐ解放してくれ」
「ボク達が帰ったらね」
マルクトはネツァクに手を当て、何かを小さく呟いた。すると周りに視覚化された術式が現れ、それは細く長い帯状になって二人を包んでいく。
「追って来てもいいよ……命の保証はしないけどね」
「待てやマルクト……ッ、わしはまだ──……」
それだけを残して、二人の姿は跡形もなく消え去った。
「消えた……?」
「転移魔法だな。行き先がわからなければ追うのはほぼ不可能だ」
「転移先は奴らの拠点だろう。追跡が成功したとしても袋の鼠だ」
シャルの分析にレイヴンが補足する。マルクトが消えたと同時に、蛇のぬいぐるみも消滅しリコは解放されていた。ティファとトリューが駆け寄り、抱き抱える。
リコは小さく咳き込み、「大丈夫よ」と掠れた声で笑って見せた。首筋には、赤い痣がくっきりと残っている。
ティファは顔を上げ、二人が消えた場所を見詰めた。抉れた地面に、魔法陣の残骸だけが、白い線となって微かに光っている。耳の奥ではまだ、マルクトの「絶対に殺す」という声が残っていた。
風が止んだ。
荒れ果てた果樹園に静寂が戻る。つい先程までの轟音が嘘のようだった。折り重なって倒れた木々の間から、細い煙が幾筋も立ち昇っている。消火に撒かれた水が黒い土に染み、焦げた桃の甘い匂いと混じって、重たく淀んでいた。ぱち、と小さな火の粉が弾ける音が、やけに大きく響く。
傾いた西日が、灰を浴びた大地を朱く染め上げていた。




