ティファレトと聖女
果樹が燃えている。
薪のようにパチパチと音を立て倒れていく樹木の横で、ティファとトリューはネツァクと睨み合っている。熱風が頬を炙り、焦げた桃の甘い匂いが、煙に混じって肺に入り込んでくる。
マルクトはそんな中でも陣を描き続けている。円形の紋様はもうほとんど完成に近いように見えた。ティファはトリューにそっと呟く。
「あれ、邪魔できるか」
「あのちっさい奴?」
「そう。たぶん神降ろしの召喚術式だ。潰さないとまずい」
その間にも果樹は燃え広がる。咄嗟だったとはいえ悪手だったかと、ティファは汗を流す。顎を伝う雫が、熱で一瞬にして乾いていった。しかし今は悔やむ暇もない。
ティファは低く構え、地を蹴った。連結刀とネツァクの手甲が撃ち合う金属音が辺りに響く。同時にトリューが飛び出し、ネツァクを抜けてマルクトの方向へ走り出す。
トリューは槍に冷気を纏わせ、飛び上がる。マルクトを巻き込む勢いで氷槍が撃ち込まれた。マルクトはそれでも動じる様子がない。
「邪魔しないでくれる?」
落下するトリューの目の前に、突然巨大な熊のぬいぐるみが現れる。それは氷槍を受け止め、トリューごと柔らかく抱き止めた。
「はァ!?」
攻撃が防がれたどころか、突然現れたぬいぐるみに思考が追いつかないトリューは困惑の声を上げる。そのままぬいぐるみの腹に弾かれ、吹き飛ばされるが何とか空中で体勢を立て直した。
「なんだありゃ!?」
着地と同時にぬいぐるみを見る。濃いピンクに所々縫われたような不気味な姿をしたそれは、マルクトを守るように立ちはだかっている。綿の詰まった丸い腕が、ぶらりと揺れた。
「よろしくねムーちゃん」
マルクトは手を止めない。完成が間近に迫っている。トリューは槍を構え直し、辺りを見渡した。
「消火もしなきゃなんねえのによ……!」
すぐ側ではティファとネツァクが撃ち合う音が響いている。トリューは体から溢れ出る程に、マナを立ち上らせた。限界まで溜めたマナを槍に集め、地面に勢いよく突き立てる。
「どぉーーりゃ!!」
極光が穂先から溢れ、瞬く間に辺りを凍らせていく。トリューのマナで凍てついた冷気は燃え広がる炎までもを包み、ぬいぐるみの足元へも届いていく。白い霜が燃える枝に走り、ぱきぱきと音を立てた。
しかし、ぬいぐるみは足に届く前に凍りゆく地面を割り、マルクトや魔方陣にも届かせない。トリューは槍を突き立てたままマナの放出を続け、ぬいぐるみに向かって氷を生み出していく。
「んぎぃぃぃッッ!」
炎で上がった周囲の熱を冷やすには、通常よりも遥かにマナを削った。額に汗が噴き出し、握る手が震える。しかし槍を包む程柔らかい体に、物理攻撃は通らない。氷で固めるしかないとトリューは判断していた。
波のように迫りゆく氷を、ぬいぐるみは避けることもなく正面で待ち構える。先に地面を砕いてマルクトを守ったように、押し寄せる氷を綿の腕で割り続けた。恐ろしいまでの怪力とスピードだった。
(氷も効かねえんかい……ッ)
消耗が激しい。トリューは奥歯を噛み、もう力尽くでどけるしかないかと再度槍を構え直した。その時、後方で激しい衝撃音が轟く。
振り向くとティファはネツァクの拳を叩き込まれ、地を割っていた。吐いた血がダメージを物語っている。
「ティファ!!」
咄嗟に叫んで援護に入る。一瞬ネツァクの攻撃が止んだ。動きが鈍ったかに思われたが、ネツァクは突き出されたトリューの槍を掴むと、そのままトリューごと地面に叩きつけた。
「ゲッホ……ハァ……ッ」
抉れた地面から這い出る。口の中に土と鉄の味が広がった。ティファも何とか立て直しているが、左腕が垂れ下がったままだった。
トリューは口元を拭いネツァクに視線を戻す。──ぞくりと悪寒がした。ネツァクの目つきが変わっている。
「……ティファ?」
冷たい声が鼓膜を突いた。今まで全く動きを見せなかったマルクトが、立ち上がってこちらを見ている。色のない瞳はどこまでも暗く、殺意に満ちている。
「……娘。名を、〝ティファ〟と?」
ネツァクも同じように問う。先まで見せていたような、どこか人懐こい表情はどこにもない。
「……だったら何だ」
名前を聞かれたティファは正直に答えた。その瞬間、二人のマナが溢れ出す。──尋常じゃない量だった。立ち上るマナだけで、風が吹き荒れる。炎が大きくうねり、倒れた木々の灰が舞い上がった。
「──お前は……ダメだ」
マルクトのぬいぐるみがティファに襲い掛かる。ネツァクも同時にティファに向かって行く。
「〝ティファレト〟は聖女様の席だ!!」
「わしらの聖域を穢すな!!」
同時に狙われ、ティファは後方に飛び退く。それでも二人の攻撃を避けきれない。トリューも飛び出すが、間に合わない。
──その瞬間。
パキィィィン──……
ティファと攻撃の間に結界が張られた。
「!?」
ほんの一瞬。刹那の間に黒い風が吹く。その黒風は果樹園を駆け抜け、ネツァクとぬいぐるみを斬り裂いた。
マントが翻る。形を現した黒風は黒い刃を掲げていた。
「少々待たせた」
レイヴンはそのまま、黒い大剣を振り下ろし叩き込んだ。爆風で地面がめくれ上がる。トリューの氷も砕け、きらきらと飛び散った。
「シルフ・ブラスト!」
後方からさらに無数の鎌風が撃ち込まれる。──シャルの魔法だった。大勢の兵を引き連れている。鎧の擦れる音と靴音が、一斉に丘を駆け上がってくる。
「おらよっ」
ガジのハンマーが地を割る。その地割れはぬいぐるみやネツァク、魔方陣までもを飲み込み、大地を揺らした。
「頑張ったじゃないの。応急処置だけしてあげるわ」
リコがティファの手を引く。優しい光がティファの左腕を包み、傷を癒す。折れかけた腕の腫れが引いていく。
「子供がいるんだ」
「見えたよ。至急保護する」
シャルは衛兵団に指示を出し、子供達の保護と消火を命じた。ティファはリコに腕を預けながら、申し訳なさそうに口を開いた。
「ごめん。畑燃やしちゃった」
「大丈夫、意図は伝わってる。それより……よく持ち堪えてくれた」
土煙が晴れていく。地割れに飲み込まれたはずの二人だが、少しもマナが減っている気配が感じ取れない。トリューは槍を担ぎ、抉れた地面を見る。
「あいつらたぶんガジより強いかもしんねえ」
感じたままを口にした。ニンチェンと正面から撃ち合えるだけのガジと、同等かそれ以上の体感だった。ぬいぐるみの正体もわからない。
「それは恐らく具現魔法だろうな」
レイヴンが黒い大剣を握り直し、斬り裂いた時の手応えを確かめるように目を細める。
「マナで形成した物体を操作する魔法だが……いやはや恐ろしい」
「かなりの高等魔法よ。当然結界も使えるでしょうね」
地割れから轟音と共に岩が吹き飛ぶ。吹き荒れる突風が髪をなびかせる。トリューはバンダナを結び直し、槍を構えた。
「なんかあいつら急に怒ってなかった?」
「怒ってたな」
「あんた達何かしたの?」
「私の名前が気に入らないらしい。〝ティファレト〟がどうのって」
「ほう……?」
レイヴンは興味深そうにティファを見た。しかし、ネツァクとマルクトは既に殺意に満ちた表情で立ち上がっている。
「実に面白い話だが、それは後のお楽しみのようだ」
レイヴンは大剣を構え、ガジもハンマーを担いだ。
「変なのに目ェつけられたなお前」
「冗談じゃない」
応急処置を終えたティファも連結刀を構え、前方を見据える。マナに込められた潰されそうな程の殺気が、風に乗って押し寄せてくる。
「その女を寄越せ……!」
「八つ裂きにしちゃるがや!!」
「嫌だよ」
仲間を狙われた。それだけではない言い知れぬ不快感が、トリューの胸に怒りとなって滲んだ。




