転変のロマーニ
ようやく到着したシャルの故郷ロマーニは、静かな田園地帯だった。
ワインの生産地らしく一部には酒造が並び、葡萄畑が広がっている。緩やかな丘陵を覆う緑が、午後の日差しを受けて波のように光っていた。
不作は皮肉なことに、灯火からの支援で持ち直したらしい。立てられた垣根に葡萄の蔓が伸び、青々と茂っている。風が抜ける度に葉擦れの音がさざめき、遠くの酒造から、発酵した果実の甘い匂いがかすかに漂ってきた。
馬車を降りたシャルは、しばらく黙ってその景色を見渡していた。故郷の変わらない風景を前に、金色の瞳がほんの一瞬だけ揺れたのを、ティファは見ないふりをした。
「僕は一度父に会い、事の次第を話してくる。君達も是非紹介したいが……」
「興味はあるがね。私は現地調査と行こう。リコ嬢、ご同行願えるかな?」
「いいわよ。話ならシャルだけでも十分でしょ。いつ降ろされるかもわからないのだし、ティファ達は聞き込みをしてちょうだい」
「何を聞けばいいんだ?」
「灯火──民衆には聖女教と呼んだ方が伝わるかもな。彼らに関することを少しでも入手できたら共有願いたい。足取りが掴めるかも知れんからな」
「わかった」
「俺もそっちに回ろう」
「ありがとう──ではまた後で」
それぞれに手分けをして散る。シャルは真っ直ぐ実家──領主の邸宅へ。ティファとトリューとガジは各町や農民達の元へ。リコとレイヴンは畑の調査に向かった。
******
「……さすがに何も出ないわね」
「そうだな」
畑の土を調べていたリコとレイヴンの手が止まる。リコは小さな指先で土をつまみ、鼻先に近づけては首を傾げていた。レイヴンも片膝をついて、根元の土を掌に乗せて崩している。
今はどの果樹園も実を結び、天候や気温も安定しているとシャルも言っていた。
灯火が何か手を加えたのなら異常が検知できるかと期待したが、現状何も不審な点は見当たらない。
「記録も洗ってみたいわね」
「そのくらいはシャルがやっているだろう。彼が見つけられないなら、他に原因があるはずだ」
「それもそうよね……」
二人で頭を捻る。木や根を触ってみても、痕跡はどこにもない。微かなマナの残滓さえ、数年前なら消えてしまっているだろう。
ふと、リコの目に実り始めた葡萄の実が映った。まだ青い粒が蔦に垂れ下がっている。リコは背伸びをして一粒摘み取り、指の腹で潰した。じわりと滲んだ果汁を見つめる。
「土じゃないなら……水じゃないかしら」
「ほう?」
「ロマーニのワインって、すごく甘いことで有名よね。少量の水でストレスを与えて、糖分を凝縮する製法だって聞いたわ」
レイヴンは腕を組み、普段の軽薄さが嘘のように静かにリコの話を聞いている。
「天候も安定してたってシャルは言ってたわね。人工的に水を与えるなら……ほんの少しの毒でも実は全て取り込んでしまう。水源はどこかしら」
「あっちだ、行こう」
二人は貯水池に向かって駆け出した。レイヴンのマントが翻り、小さなリコが懸命に追い掛けて、畑の畝を飛び越えていく。
貯水池の管理人に話を聞くと、この時期までは降雨で水を与え、雨季が過ぎると作物の状態を見ながら人の手で水を撒くという。
「手法は?」
「場所によりますが……基本的には馬や牛で樽を引き、杓子で撒きます。このような広大な畑だと降雨だけでは足りず……魔法に頼ることもありますね」
「その魔法はどのように?」
「領主様にお仕えしている学者様がお手伝いくださいますよ。私は魔法に詳しくありませんが……水魔法の研究をなさっているとか」
リコとレイヴンは顔を見合わせた。ひとつ頷くと、管理人に礼を言い、屋敷へと走った。
******
同刻、ラ・ターシュ邸宅では。
「ルロワ様……! シャルティエ坊っちゃまが……!」
執事が足早に扉を開ける。重厚な木の扉の向こう、窓から差す光が長い影を床に落としていた。奥の机には、豹の耳をした中年男性が座って待っていた。
「お久しぶりです、父上」
「戻ったかシャルティエ……! 本来なら帰還を喜びたいところだが……」
「ええ、まずはご報告を」
厳格なスーツから飛び出た斑模様の長い尻尾が忙しなく揺れている。低いテーブルを挟む形でソファに座り、シャルは膝の上で両手を組み、事の経緯を説明した。
話を聞いた父親は、項垂れて額を抑えた。ぎりと歯を噛み、眉間には深く皺が刻まれている。
「灯火か……何とも間抜けな話だ」
「悔やんでいる暇はありません。頼もしい仲間が一緒に来てくれています。取れる対策はすぐにでも」
「ああ、そうだな。しかし実害がない状態で民をどう説得したものか……」
シャルも悩んでいた。灯火が裏でどう動いていようと、表向きは慈善事業として認知されている。事実、救われたロマーニの領民の聖女教への加入者は少なくない。机の上の古い時計が、重苦しい沈黙の中で秒を刻んでいた。
シャルは一度、きゅっと唇を結んだ。そして意を決したように顔を上げる。
「……姉上に連絡してみてはいかがでしょう」
「シャローラに? だがあいつは今や……」
「使えるものは使うべきです」
シャルの切迫したような表情に、ルロワは一瞬思い悩んだもののすぐに了承した。
「……わかった。連絡しよう。すぐに灯火捜索隊を組織する。お前が隊長を務めろ」
「承知しました」
シャルは席を立ち、執務室を後にする。長い廊下を歩いたところで、広間から騒がしい声が聞こえた。
「だから! シャルの仲間だって言ってるじゃない!」
「伺っております! ですが坊っちゃまは現在領主様とお話中でして……」
「それより麗しいお嬢さん、私とお茶でもいかがかな?」
「あんたちょっと黙ってなさい!」
「何があったんだ?」
腕を組んで使用人に詰め寄るリコを見つけて、声を掛ける。使用人は安心したように頭を下げ、胸を撫で下ろした。リコとレイヴンもシャルを見て手を上げた。
「何かわかったんだな?」
二人は事情を説明し、シャルの案内で倉庫へ向かった。足早に進むシャルの背を、二人が小走りで追い掛けていく。
******
一方で、ティファ達は三手に分かれて聞き込みをしていた。灯火──聖女教に関する情報を少しでも集める為に、町中を走り回った。
石畳の広場には、ワイン樽を積んだ荷車が並び、露店の店先には葡萄や果実が山と盛られている。声を掛ける度に、住民達は日焼けした顔をほころばせて答えてくれた。
住民達は口々に、聖女教への感謝を述べていた。「不作が解消された」「便利な魔道具も寄贈してくれた」「豊穣神セレスへの信仰も否定しない」。
──それが全て思惑の内だとも知らずに。
屈託のない笑顔を前に、背筋を冷たいものが這い上がった。ティファは唇を引き結び、身の毛がよだつような寒気を感じながら聞き込みを続けた。そんな中で、灯火には関係なさそうだが気になる話を聞いた。
「昨日か、一昨日だったかねえ。大型の飛空艇が丘の方に降りて行ったんだよ」
「飛空艇……?」
「ここらじゃ珍しいと思ってねえ。領主様のお客さんかと思ったら明後日の方向だし……何だったんだろうねえ」
ティファは顎に手を当てた。誰かが乗って来ているなら、領民の話から自分達以外の知らない顔が上がっていてもおかしくない。だが、まだそんな話は聞いていない。
「ありがとう。行ってみる」
「はいよ。気をつけてね」
ティファはその丘へ向かって走った。町並みが背後に遠ざかり、土の道の両脇に桃の木が並び始める。
******
鼻歌が舞う。マルクトは石を握り、土に大きな陣を描いている。邪魔な果樹は根本から引っこ抜かれ、辺りには倒れた木と潰れた桃が散らばっていた。熟れた果実の甘い匂いが、土の匂いに混ざって鼻につく。マルクトは舌の先を少し覗かせて、線の一本一本を真剣な顔で刻んでいた。
「まだできんのかや」
ネツァクは倒木に腰を下ろし、ひとつ欠伸をした。膝に頬杖をつき、退屈そうに足を揺らしている。
「少しでも間違えたらただの落書きなんだよ。大人しく待ってて」
「贄らが先に死んでしまうぞ」
「そこの桃でもあげたら? ボクにも取って」
側では多くの子供達が身を寄せ合って震えていた。ローブを着た信徒達に拘束され、すぐ隣には木箱が積まれている。小さな肩が互いに寄り添い、誰も声を出せずにいた。
言われた通り、ネツァクは果樹から桃をいくつかもぎ取り、子供達に投げ渡した。
「そのままじゃ食えんじゃろ。縄解いてやりい」
そう命じると、信徒は頷いて拘束を解いた。子供達は恐る恐る桃を拾うと、余程空腹だったのか貪るようにかぶりついた。果汁が顎を伝って落ちる。
「おーおー、よう食うのう。ほれ、もっと食うがいい」
ネツァクは楽しそうに笑い、さらに桃をもいで子供達に渡した。
「ねえ、ボクには?」
「しゃーないのう。ほれ」
持っていた桃をひとつ、マルクトに投げる。マルクトは手元を見たまま、桃を受け取った。
──その瞬間。
「なんじゃ!?」
一本の魔矢がネツァクの頬を掠めた。土を蹴る音がする。その音は瞬く間に、ネツァクの目の前に現れた。振り上げられた剣を、鉄の手甲で受け止める。火花が散り、甲高い金属音が丘に響いた。
「大当たりだ」
白銀の髪が揺れる。鋭い蒼灰の瞳が、敵を捉えた。




