過去、現在、そして未来
興奮しきったレイヴンは、話すだけ話して酔い潰れてしまった。エールのジョッキを片手に持ったまま、テーブルに突っ伏して眠っている。高いびきが、酒場の喧騒の合間にのんびりと響いていた。
残された面々は、皆ティファの前世について興味が尽きない様子だった。ランプの灯りが、身を乗り出した四人の顔を橙色に照らしている。
「なぁなぁ、別の世界ってどんな感じだったの?」
「んー……便利だった。魔法はないけど文明は進んでたし……平和だったし、魔物もいなかった」
「医学は!? 医学はどうだったの!?」
リコが椅子の上で身を乗り出す。足が床に届かず、ぱたぱたと宙で揺れていた。
「進んでたよ。詳しいことは知らないけど……」
「く……ッ、医者の転生者はいないかしら……!」
「平和だったら鍛冶師はいねえか」
「腕がいい職人は重宝されてたよ」
「平和か……いいね。国家間の友好がきちんと結ばれているのだろうな」
「戦争してる国もあったけどな」
朧気ながら、少しずつ風景が甦る。今よりもずっと多い人口、密集した建物。コンクリートに飛行機、スマホや娯楽。ゲームやカラオケが好きだったな、とふと懐かしくなった。
「たまにティファが歌ってるやつ、あれも前世の曲だったの?」
「……歌ってたっけ」
「洗濯中とかたまに歌ってるわよ」
「……気づかなかった」
「機嫌いいなと思ってた」
聞かれていたのが恥ずかしくなって、つい目を逸らす。耳が熱い。トリューは無邪気に「また歌って」と言うので、「気が向いたら」と返した。
「便利な世界ってどんな暮らしすんの? 狩りとかする?」
「別に普通だよ。狩りは免許がないとやっちゃダメ」
「学校はあるのかい? ティファのご両親はどんなお方だったんだ?」
「父は……殴る人だったなぁ。母は金遣い荒くて、学校は途中で行けなくなったから……働いてた」
黒麦茶に口をつけながら、記憶を探すように天井を見る。木の梁に、ランプの影がゆらゆらと揺れている。
高校を中退した時には、借金の取り立てが毎日家に来ていた。その頃には両親は離婚していたが、親が作った借金を返す為にキャバクラで働いた記憶がある。
そこまで話した後、しんと静まり返っていることに気づいた。皆複雑そうな顔をしている。
「それが……普通……?」
トリューは悲しそうに口を開いた。ティファにとってはごく当たり前の日常だった為、首を傾げた。
「よくある話だろ?」
「……そっちではそうだったの?」
リコも不思議そうに尋ねる。一般的ではないかもしれないが、自分の周りにそういう家庭は多かった。こちらの世界でも、馴染みのある話だ。少なくともティファはそう認識している。
「もっと酷いのいっぱいいたぞ。こっちでもあるだろ?」
「あるけど〝普通〟ではねえよ」
ガジがぴしゃりと言い放つ。ごとん、と大きなジョッキが音を立てて置かれた。テーブルの上で、残った酒が小さく波打っている。
「すまない……不躾な質問だったな……」
「えっ。なんで?」
申し訳なさそうに俯くシャルに首を傾げていると、ひょいとリコが膝に乗った。ガジの大きな手がわしゃわしゃと髪を撫でる。次いで、トリューとシャルにもなぜか撫でられている。
「……なんで?」
「今日はみんなで一緒に寝ようか」
「そうしましょ」
「いやベッドで寝ようよ……」
なぜ甘やかされているのかわからない。わからないのに、胸のあたりがむず痒く、皆の手は不思議と心地好い。振り払う気にはなれなかった。
風呂に入った後、先に潰れたレイヴンまで引き摺って、なぜか皆同じ部屋で眠った。ガジが毛布を人数分広げ、トリューとシャルは床にごろりと転がる。リコに至っては、勝手にティファのベッドに潜り込んでいた。
「珍しいな」
「たまにはいいでしょ」
「蹴るなよ」
「それは保証しかねるわ」
窓の外では、虫の音が静かに続いている。リコの体温と皆の寝息に包まれて、ティファは温かい気持ちで眠りに就いた。
寝返りを打ったリコの拳が顎に命中して跳ね起きたのは、また別のお話。
******
「やあ諸君! おはよう! 良い朝だな!」
昨晩酔い潰れたレイヴンは、朝から元気だった。カーテンを勢いよく開け放つと、朝日が部屋いっぱいに差し込む。すっかり仕度を終え、皆の準備を待っている。
目覚めたばかりの面々は、のろのろと着替えたり歯磨きを始めたりなどしている。ティファも髪をとこうと椅子に腰掛けた。
「は!!!!」
そこでレイヴンは何かに気づいたかのように大声を出した。雷に撃たれたかのように、全身がびくんと跳ねる。
「私としたことが……ッ!!」
がっくりと顔を覆い、項垂れている。いちいち動作が大袈裟だな、とティファは横目で見た。
レイヴンはきりりと顔を上げると、ティファの前に片膝を突き、帽子を胸に当てて手を差し伸べた。
「麗しいお嬢さん。私と朝の紅茶でもいかがかな?」
「……何言ってるんだ?」
起き抜けの頭で思考が働かない。半開きの目でレイヴンを見ても、レイヴンはきらきらと瞳を輝かせている。心なしか背後に花まで見える。
「いやなに! 美しい女性はお茶に誘うのが私の作法なのだが! 昨夜はすっかり忘れてしまっていた! あるまじき失態!」
シャルは額に手を当て、トリューは歯磨きの泡をボタボタと垂らしている。ガジは呆れたように溜め息を吐き、リコは気にもせず今日の服を選んでいる。
「リコだっているだろ……」
「もちろんどちらも誘うとも! そちらの麗しきレディー! どうか私と朝の一時を!」
「はいはい。後で朝食に行くからその時ね」
「光栄ッッ!」
終始騒がしいレイヴンは大喜びで部屋を出て行った。廊下を遠ざかる足音まで弾んでいる。嵐のようだった。シャルは大きく嘆息し、着替えのボタンに手を掛けている。
「話には聞いていたが……あれほど軽薄だとは……」
「ミルロが手を焼く訳だな」
なんというか、欲求に忠実で自由過ぎる。周囲の人間は大変だろうな、と髪をときながら考えた。
******
朝食を済ませ、改めてロマーニへ出立する。移動は再び馬車を使った。路銀はミルロから預かっているらしく、ティファ達も遠慮なく使わせてもらった。
窓の外には果樹園が広がっている。実り始めた果実の甘い香りが、風に乗って車内まで流れ込んできた。枝には色づき始めた実が鈴なりに揺れ、朝露が日差しにきらきらと光っている。
「シャルん家まではどのくらいあんの?」
「もう領地には入ったよ。自宅までは半日ほど走れば到着する」
「ちなみに聞きたいのだがねシャルティエ君」
「シャルでいいよ」
「そうか、ではシャル。このロマーニは何の神を信仰しているんだ?」
今朝の軽薄なナンパ男から一転。急に真面目な話を振られて一瞬動揺した。シャルの耳がぴくりと震える。
「信仰や宗教については特に取り締まってはいないが……土地柄豊穣を崇める傾向がある。有名なのは女神セレスだな」
それを聞いた途端、レイヴンは頭を抱えて項垂れた。神というからには強敵なのだろうが、その様子は随分と深刻そうに見える。膝の上で拳を握り、肩まで小刻みに震えていた。
「ダメだ……何としても降ろされる前に食い止めねば……ッ! いやしかし……!」
神降ろしを阻止しようという目的は一致しているが、レイヴンが悩む理由がわからない。シャルは何となく察しているようで、ややレイヴンを冷めた目で睨んでいる。
「止めるに越したことないだろ?」
「なに悩んでんの」
耐え兼ねて尋ねてみると、レイヴンはゆっくり顔を上げた。
「そう……そうだな……もし降ろされたら……私は女性と戦えない……ッ! だが豊穣の女神セレス……一目見てみたい……ッッ!」
レイヴンは強く、強く拳を握り締めた。聞いた途端に肩の力が抜ける。
「お前……アホなのか……?」
「私は至って真剣だッッ!」
「そう……」
馬車は走る。車輪の音ががらがらと青空に響いている。窓の外を、果樹園の緑が流れていった。




