黒騎士
ロマーニへの出立の日。
ドルサの港町へは、飛空艇で送ってもらった。険しい山並みを越えると、青い水平線が遠く広がっていた。その光景に、トリューは目を輝かせている。手摺に両手を掛け、身を乗り出さんばかりに風を浴びていた。
「すげー。俺海初めてだ」
「エルデールも一応海沿いなんじゃないのか?」
「海側は火山に囲まれてるし、行けてもほぼ凍ってるから誰も近寄らねえ」
さすが極寒の雪国。ティファは想像してぶるりと体を震わせた。
「深海に巨大な魔物が住んでるって噂よね。竜でさえ天敵だとかいう」
「聞いたことあるな。クラーケン、だったか」
「あー、俺もなんか聞いたことあんなー」
そうこう話している内に、着陸の準備が整った。港には帆柱が林のように立ち並び、白い鴎が群れを成して空を舞っている。ロプサンとシャルは最後まで何か話していたようだった。固く握手を交わしているのが見える。
「お待たせ。手形を頂いて来たよ。あの商船に乗せてもらえるらしい」
「皆さん、どうかご無事で」
「色々ありがとうロプサン」
口々に礼を言い、シャルの案内で大型の帆船に乗り込む。甲板に上がると、潮風が一層心地好く髪を撫でた。鴎の鳴き声と、帆布のはためく音が頭上から降ってくる。逞しい船員達は忙しなく動き回り、他の乗客は少ない。
やがて錨が上がり、船が岸を離れた。港の喧騒がゆっくりと遠ざかり、足元から伝わる波の揺れが体に馴染み始める。
トリューは初めて乗る船が珍しいらしく、あちこち走り回っている。縄を跨ぎ、樽の中を覗き込み、船首まで駆けて行っては戻ってきた。
「なぁ! 海って魚いる!?」
「いるよ。到着まで時間あるし釣りでもしようか」
「やる!」
「いいな。今度釣り竿も作るか」
「作って! でっけえの釣れるやつ!」
ティファとリコは手摺側に腰を下ろし、楽しそうにはしゃぐ男達を微笑ましく見守っていた。
「男の子って釣り好きよねえ」
「食べれるやつ釣ってくれればいいけどな」
森で夜営をする時も、川や水場を見つけるとトリューはやたらと釣りをしたがっていた。狩りをした方が早いし、先に進めなくなるので却下することが多かったが、ふと遺跡での様子が気になった。
何か思い悩んでいるのは、目に見えてわかった。言えない事情を抱えながらも明るくはしゃいでいる姿は、ティファにとって強く眩しい。竿を握って楽しそうに話しているトリューの横顔を、ティファは手摺に頬杖をついてしばらく眺めた。
「これからも釣りくらい好きにやらせてやるかぁ……」
「あら。優しいのね」
「たまには魚食べたいし」
「まぁね」
雲が流れていく。見上げた空は、どこまでも青かった。
******
海を渡り切り、ゴア大陸クラマール国の玄関口まで辿り着く。到着して間もなく、乗り合い馬車で真っ直ぐロマーニを目指す。
「急がせてすまないね。本来なら観光案内もしたかったんだが」
「用が終わったらゆっくり回るよ」
「ワイン楽しみよ」
「ふふ。期待してくれ」
港を過ぎると、長閑な田園風景が広がっていた。なだらかな丘、緑。治安も行き届いているようで、街道もきちんと整備されている。車輪が石畳を軽やかに叩き、道の両脇では麦穂が風に揺れていた。
「次の町で一泊しよう。そのまま北上すれば、僕の故郷があるロマーニだ」
「そういや、誰か拾えってミルロが言ってなかったか」
「ああ……〝黒騎士〟か。特徴は聞いているが……どうにも要領を得なくてね」
黒騎士。その言葉にぴくりと眉が動いた。ふと記憶が甦る。ずきん、と頭が痛んだ。
──前世で死に、もう一度目覚めたあの日。死体に囲まれ、炎に包まれ、訳もわからず逃げ続けた夜。助けてくれた黒い甲冑の男。
「あの人──だったらいいな」
「なんか言った?」
「なんでも」
もう一度会えたら、お礼が言いたい。淡い期待を抱いて、ティファは外を眺めた。窓の向こうでは、丘の稜線が夕陽に溶け始めていた。
******
町に着く頃には、すっかり夜は更けていた。人々もまばらで、民家から柔らかい明かりが漏れている。昼間の熱が残る石畳に、馬車を降りた一行の足音が小さく響いた。
宿に向かって歩いていると、店先で男が何やら言い争っているのが見えた。荒事かと思いきや、黒マントの方の男は踵を返して帰って行くようだ。
すれ違い様、舌打ちと共に聞こえた言葉に、目を見開いた。
「……Goddamn!」
「……ッ!」
今。今確かに。
心臓が、どくんと大きく跳ねた。足が、勝手に止まっていた。
(ガッデムって言った? こっちにそんな言語は──……)
ティファは振り返り、男を追った。気づけば石畳を蹴っていた。今のが聞き間違いじゃないなら、この男は確かに。
「え……えくすきゅーずみー!」
思わず手を掴んだ。咄嗟だった。皆も驚いている。男も羽帽子から覗く目を見開き、ティファを見ている。
「…...Could you be a reincarnated soul!?」
「あ……」
男はティファの手を取り、目を輝かせた。目元の皺から中年だろうと予想できるが、瞳がまるで少年のようだ。
「えっ、何語?」
「知らない言語だわ」
「ティファの知り合いか?」
皆不思議そうにしている。男も言葉を待っている。
しかし、咄嗟に話しかけたが、ティファは既に前世の記憶が曖昧で、英語もほとんど話せない。喉がひりつく。舌がもつれる。困りながら必死に記憶を探し、どうにか言葉を紡ぐ。
「えっと……あいむ……じゃぱにーず……のっといんぐりっしゅ……」
皆目を丸くしている。男もしばらく呆けた後、大きく笑い出した。
「はっはっは! いやそうか失礼! ならこちらの言語で話そう!」
男はティファの頭をぽんぽんと撫で、さらに大きく笑った。ほっと胸を撫で下ろしたティファだったが、皆呆気に取られたままだ。どう説明しようか悩んでいると、男は羽帽子を取ってマントを開き、胸に手を当てて優雅にお辞儀をした。
「まずは名乗ろう。私はレイヴン。君と同じ転生者だ」
「レイヴン!?」
その名前に真っ先に反応したのはシャルだった。口を開けていつもの端正な顔立ちが崩れている。
「貴方が……あの……〝黒騎士〟ですか?」
「おや。そう名乗った覚えはないが確かにそう呼ばれることは多いな」
「もしかしてミルロが拾えって言ってたの……」
「……そうだな。彼だ」
「なんと! これは奇遇!」
レイヴンはまた大きく笑う。所作も口調も丁寧なのに、どこか豪快さを感じる。街灯の明かりに照らされた笑顔は、11年前の冷たい甲冑の記憶とは少しも重ならなかった。
一行は顔を見合わせ、一先ず腰を落ち着けようと宿屋兼酒場へと向かった。
ランプの橙色が揺れる酒場の隅。木のテーブルを囲み、それぞれに注文を済ませた後、沈黙を破ったのはシャルだった。
「……それで……一体何から話せばいいやら……」
皆難しい顔をしている中、レイヴンは涼しい顔で紅茶を啜っている。立ち上る湯気の向こうで、口元がずっと緩んでいた。
「まずは……そうだな。ティファとレイヴンの関係も気になるところだが、レイヴン。僕達は今ロマーニへ向かっている。同行してくれるかい?」
「ああ、いいとも。ミルロにも行けと言われているしな」
レイヴンは驚く程あっさりと了承した。ミルロから事情を聞いているらしいシャルは、テーブルに肘を突いて頭を抑えている。これから苦労するのだろうな、とふと思った。
「ティファはレイヴンと知り合いなの?」
トリューに尋ねられ、ティファはレイヴンを見た。レイヴンはにこにこと笑顔を返している。
「その前にひとつ、聞きたいことがある」
ティファは膝の上で拳を握り、記憶を掘り返した。当時とは着ているものが違うが、その顔にやはり見覚えがある。
「11年前──カジャール地方の神災で子供を助けなかったか?」
レイヴンがぴたりと固まる。カップを置き、じっとティファの顔を見詰めると、思い出したように目を見開いた。
「君はもしや……あの時の……?」
「その後、マルコ夫妻のところに連れて行かなかったか?」
「これはまさか! ああなんという!」
レイヴンは立ち上がり、祈るような仕草をしてティファの手を取った。皆驚いて目を丸くしている。
「そうか……! そうか! 君だったか! いやあ今日はなんとめでたい日だ!」
「あの時はありがとう」
「なにいいとも! 今日ばかりは飲みたい気分だ! 店主よ! 酒を持って来てくれ!」
レイヴンはエールを注文し、一気に飲み干した。泡のついた口元を手の甲で拭い、満足そうに息を吐く。その後マルコ夫妻の元で5年過ごし、売られたことも話した。レイヴンも含め、皆悲しそうにしていた。
「そうか……あの夫婦は娘を幼くして亡くしていてな……信頼できると思ったんだが……すまない」
レイヴンは項垂れ、大きな手で顔を覆った。先までの豪快さが嘘のように、肩が小さく見えた。
「いいよ。世話になったし、恨んでもいない。おかげで会えた人もいる」
「……君は強いな」
「……どうだろ」
ティファは黒麦茶に口をつけて、小さく呟いた。自分が強いとは、まだ思えない。
重い沈黙の中、再び口を開いたのはシャルだった。
「さっき、〝転生者〟と言っていたのは?」
「ああ……あれ、なんて言ったらいいんだろ」
「君は前世では日本人だったらしいな。私は前世ではイギリスの大学で教鞭を取っていた。私達はつまり、前世では別の世界で生き、前世の記憶を持ったままこの世界に生誕したという訳だ」
端的に説明された皆は、一様に口を開けたまま呆けている。
「……あり得るの? そんなこと……」
「あり得るも何も! 現に私達は存在している!」
「まぁ…私はもうあんまり覚えてないけど……」
「別の世界って……あんの?」
「あるとも! 君達は既にその存在を身近に認知している筈だぞ!」
レイヴンは追加のエールをだん、とテーブルに置き、皆を見渡した。
「なるほど、妖魔か……」
シャルは顎に指を当てて頷いた。リコも心当たりがあるようだ。確か、ニンチェンがそんな言葉を口にしていた気がする。
「インプとか、ガーゴイルとかだな。クラックから稀に現れる魔物だ」
ガジの補足を受けて、倒した魔物を思い返すがあまり記憶にない。そもそも、魔物と妖魔の区別がつかない。トリューも同じように首を傾げている。
「昔は魔物も妖魔も一括りにされていたのだけどね。クラックの研究が進んで、区別されるようになったのよ」
「そうだとも!」
レイヴンは再度立ち上がり、マントを翻した。酒場の客から注目を集めてしまっている。
そんなことは気にする様子もなく、レイヴンは興奮気味に話し続ける。
「知識は日々進化している! 世界はひとつではない! 妖魔はどこから来るのか!? 死者の魂はどこへ向かうのか!? 星の営みは! 生命とは! 神樹とは! 世界は未知で溢れている!」
レイヴンは止まらない。両の拳を握り、瞳は輝きに満ちている。
「私はそれが知りたい! 転生とは何か……魂とは何か! 考えただけでわくわくする! そうは思わないか!」
手を広げ同意を求められても、ティファには少しも理解できなかった。
「わ……わからない……」
「はっはっは! わからないか! 素晴らしい! それこそがロマンだ!」
レイヴンは椅子に片足を乗せ、さらに勢いよくエールを飲み干した。勢いに圧倒された面々から、徐々に笑みが零れる。
「変なおっさんだな」
ふ、とティファも表情が緩んだ。酒場の笑い声が、夜の町に溶けていく。窓の外では、石畳を照らす街灯の明かりが、いつまでも小さく揺れていた。




