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やどりび  作者: ファット爺
第九章
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黒騎士

 ロマーニへの出立の日。

 ドルサの港町へは、飛空艇で送ってもらった。険しい山並みを越えると、青い水平線が遠く広がっていた。その光景に、トリューは目を輝かせている。手摺に両手を掛け、身を乗り出さんばかりに風を浴びていた。

「すげー。俺海初めてだ」

「エルデールも一応海沿いなんじゃないのか?」

「海側は火山に囲まれてるし、行けてもほぼ凍ってるから誰も近寄らねえ」

 さすが極寒の雪国。ティファは想像してぶるりと体を震わせた。

「深海に巨大な魔物が住んでるって噂よね。竜でさえ天敵だとかいう」

「聞いたことあるな。クラーケン、だったか」

「あー、俺もなんか聞いたことあんなー」

 そうこう話している内に、着陸の準備が整った。港には帆柱が林のように立ち並び、白い鴎が群れを成して空を舞っている。ロプサンとシャルは最後まで何か話していたようだった。固く握手を交わしているのが見える。

「お待たせ。手形を頂いて来たよ。あの商船に乗せてもらえるらしい」

「皆さん、どうかご無事で」

「色々ありがとうロプサン」

 口々に礼を言い、シャルの案内で大型の帆船に乗り込む。甲板に上がると、潮風が一層心地好く髪を撫でた。鴎の鳴き声と、帆布のはためく音が頭上から降ってくる。逞しい船員達は忙しなく動き回り、他の乗客は少ない。

 やがて錨が上がり、船が岸を離れた。港の喧騒がゆっくりと遠ざかり、足元から伝わる波の揺れが体に馴染み始める。

 トリューは初めて乗る船が珍しいらしく、あちこち走り回っている。縄を跨ぎ、樽の中を覗き込み、船首まで駆けて行っては戻ってきた。

「なぁ! 海って魚いる!?」

「いるよ。到着まで時間あるし釣りでもしようか」

「やる!」

「いいな。今度釣り竿も作るか」

「作って! でっけえの釣れるやつ!」

 ティファとリコは手摺側に腰を下ろし、楽しそうにはしゃぐ男達を微笑ましく見守っていた。

「男の子って釣り好きよねえ」

「食べれるやつ釣ってくれればいいけどな」

 森で夜営をする時も、川や水場を見つけるとトリューはやたらと釣りをしたがっていた。狩りをした方が早いし、先に進めなくなるので却下することが多かったが、ふと遺跡での様子が気になった。

 何か思い悩んでいるのは、目に見えてわかった。言えない事情を抱えながらも明るくはしゃいでいる姿は、ティファにとって強く眩しい。竿を握って楽しそうに話しているトリューの横顔を、ティファは手摺に頬杖をついてしばらく眺めた。

「これからも釣りくらい好きにやらせてやるかぁ……」

「あら。優しいのね」

「たまには魚食べたいし」

「まぁね」

 雲が流れていく。見上げた空は、どこまでも青かった。



******



 海を渡り切り、ゴア大陸クラマール国の玄関口まで辿り着く。到着して間もなく、乗り合い馬車で真っ直ぐロマーニを目指す。

「急がせてすまないね。本来なら観光案内もしたかったんだが」

「用が終わったらゆっくり回るよ」

「ワイン楽しみよ」

「ふふ。期待してくれ」

 港を過ぎると、長閑な田園風景が広がっていた。なだらかな丘、緑。治安も行き届いているようで、街道もきちんと整備されている。車輪が石畳を軽やかに叩き、道の両脇では麦穂が風に揺れていた。

「次の町で一泊しよう。そのまま北上すれば、僕の故郷があるロマーニだ」

「そういや、誰か拾えってミルロが言ってなかったか」

「ああ……〝黒騎士〟か。特徴は聞いているが……どうにも要領を得なくてね」

 黒騎士。その言葉にぴくりと眉が動いた。ふと記憶が甦る。ずきん、と頭が痛んだ。

 ──前世で死に、もう一度目覚めたあの日。死体に囲まれ、炎に包まれ、訳もわからず逃げ続けた夜。助けてくれた黒い甲冑の男。

「あの人──だったらいいな」

「なんか言った?」

「なんでも」

 もう一度会えたら、お礼が言いたい。淡い期待を抱いて、ティファは外を眺めた。窓の向こうでは、丘の稜線が夕陽に溶け始めていた。



******



 町に着く頃には、すっかり夜は更けていた。人々もまばらで、民家から柔らかい明かりが漏れている。昼間の熱が残る石畳に、馬車を降りた一行の足音が小さく響いた。

 宿に向かって歩いていると、店先で男が何やら言い争っているのが見えた。荒事かと思いきや、黒マントの方の男は踵を返して帰って行くようだ。

 すれ違い様、舌打ちと共に聞こえた言葉に、目を見開いた。

「……Goddamn!」

「……ッ!」

 今。今確かに。

 心臓が、どくんと大きく跳ねた。足が、勝手に止まっていた。

(ガッデムって言った? こっちにそんな言語は──……)

 ティファは振り返り、男を追った。気づけば石畳を蹴っていた。今のが聞き間違いじゃないなら、この男は確かに。

「え……えくすきゅーずみー!」

 思わず手を掴んだ。咄嗟だった。皆も驚いている。男も羽帽子から覗く目を見開き、ティファを見ている。

「…...Could you be a reincarnated soul!?」

「あ……」

 男はティファの手を取り、目を輝かせた。目元の皺から中年だろうと予想できるが、瞳がまるで少年のようだ。

「えっ、何語?」

「知らない言語だわ」

「ティファの知り合いか?」

 皆不思議そうにしている。男も言葉を待っている。

 しかし、咄嗟に話しかけたが、ティファは既に前世の記憶が曖昧で、英語もほとんど話せない。喉がひりつく。舌がもつれる。困りながら必死に記憶を探し、どうにか言葉を紡ぐ。

「えっと……あいむ……じゃぱにーず……のっといんぐりっしゅ……」

 皆目を丸くしている。男もしばらく呆けた後、大きく笑い出した。

「はっはっは! いやそうか失礼! ならこちらの言語で話そう!」

 男はティファの頭をぽんぽんと撫で、さらに大きく笑った。ほっと胸を撫で下ろしたティファだったが、皆呆気に取られたままだ。どう説明しようか悩んでいると、男は羽帽子を取ってマントを開き、胸に手を当てて優雅にお辞儀をした。

「まずは名乗ろう。私はレイヴン。君と同じ転生者だ」

「レイヴン!?」

 その名前に真っ先に反応したのはシャルだった。口を開けていつもの端正な顔立ちが崩れている。

「貴方が……あの……〝黒騎士〟ですか?」

「おや。そう名乗った覚えはないが確かにそう呼ばれることは多いな」

「もしかしてミルロが拾えって言ってたの……」

「……そうだな。彼だ」

「なんと! これは奇遇!」

 レイヴンはまた大きく笑う。所作も口調も丁寧なのに、どこか豪快さを感じる。街灯の明かりに照らされた笑顔は、11年前の冷たい甲冑の記憶とは少しも重ならなかった。

 一行は顔を見合わせ、一先ず腰を落ち着けようと宿屋兼酒場へと向かった。

 ランプの橙色が揺れる酒場の隅。木のテーブルを囲み、それぞれに注文を済ませた後、沈黙を破ったのはシャルだった。

「……それで……一体何から話せばいいやら……」

 皆難しい顔をしている中、レイヴンは涼しい顔で紅茶を啜っている。立ち上る湯気の向こうで、口元がずっと緩んでいた。

「まずは……そうだな。ティファとレイヴンの関係も気になるところだが、レイヴン。僕達は今ロマーニへ向かっている。同行してくれるかい?」

「ああ、いいとも。ミルロにも行けと言われているしな」

 レイヴンは驚く程あっさりと了承した。ミルロから事情を聞いているらしいシャルは、テーブルに肘を突いて頭を抑えている。これから苦労するのだろうな、とふと思った。

「ティファはレイヴンと知り合いなの?」

 トリューに尋ねられ、ティファはレイヴンを見た。レイヴンはにこにこと笑顔を返している。

「その前にひとつ、聞きたいことがある」

 ティファは膝の上で拳を握り、記憶を掘り返した。当時とは着ているものが違うが、その顔にやはり見覚えがある。

「11年前──カジャール地方の神災で子供を助けなかったか?」

 レイヴンがぴたりと固まる。カップを置き、じっとティファの顔を見詰めると、思い出したように目を見開いた。

「君はもしや……あの時の……?」

「その後、マルコ夫妻のところに連れて行かなかったか?」

「これはまさか! ああなんという!」

 レイヴンは立ち上がり、祈るような仕草をしてティファの手を取った。皆驚いて目を丸くしている。

「そうか……! そうか! 君だったか! いやあ今日はなんとめでたい日だ!」

「あの時はありがとう」

「なにいいとも! 今日ばかりは飲みたい気分だ! 店主よ! 酒を持って来てくれ!」

 レイヴンはエールを注文し、一気に飲み干した。泡のついた口元を手の甲で拭い、満足そうに息を吐く。その後マルコ夫妻の元で5年過ごし、売られたことも話した。レイヴンも含め、皆悲しそうにしていた。

「そうか……あの夫婦は娘を幼くして亡くしていてな……信頼できると思ったんだが……すまない」

 レイヴンは項垂れ、大きな手で顔を覆った。先までの豪快さが嘘のように、肩が小さく見えた。

「いいよ。世話になったし、恨んでもいない。おかげで会えた人もいる」

「……君は強いな」

「……どうだろ」

 ティファは黒麦茶に口をつけて、小さく呟いた。自分が強いとは、まだ思えない。

 重い沈黙の中、再び口を開いたのはシャルだった。

「さっき、〝転生者〟と言っていたのは?」

「ああ……あれ、なんて言ったらいいんだろ」

「君は前世では日本人だったらしいな。私は前世ではイギリスの大学で教鞭を取っていた。私達はつまり、前世では別の世界で生き、前世の記憶を持ったままこの世界に生誕したという訳だ」

 端的に説明された皆は、一様に口を開けたまま呆けている。

「……あり得るの? そんなこと……」

「あり得るも何も! 現に私達は存在している!」

「まぁ…私はもうあんまり覚えてないけど……」

「別の世界って……あんの?」

「あるとも! 君達は既にその存在を身近に認知している筈だぞ!」

 レイヴンは追加のエールをだん、とテーブルに置き、皆を見渡した。

「なるほど、妖魔か……」

 シャルは顎に指を当てて頷いた。リコも心当たりがあるようだ。確か、ニンチェンがそんな言葉を口にしていた気がする。

「インプとか、ガーゴイルとかだな。クラックから稀に現れる魔物だ」

 ガジの補足を受けて、倒した魔物を思い返すがあまり記憶にない。そもそも、魔物と妖魔の区別がつかない。トリューも同じように首を傾げている。

「昔は魔物も妖魔も一括りにされていたのだけどね。クラックの研究が進んで、区別されるようになったのよ」

「そうだとも!」

 レイヴンは再度立ち上がり、マントを翻した。酒場の客から注目を集めてしまっている。

 そんなことは気にする様子もなく、レイヴンは興奮気味に話し続ける。

「知識は日々進化している! 世界はひとつではない! 妖魔はどこから来るのか!? 死者の魂はどこへ向かうのか!? 星の営みは! 生命とは! 神樹とは! 世界は未知で溢れている!」

 レイヴンは止まらない。両の拳を握り、瞳は輝きに満ちている。

「私はそれが知りたい! 転生とは何か……魂とは何か! 考えただけでわくわくする! そうは思わないか!」

 手を広げ同意を求められても、ティファには少しも理解できなかった。

「わ……わからない……」

「はっはっは! わからないか! 素晴らしい! それこそがロマンだ!」

 レイヴンは椅子に片足を乗せ、さらに勢いよくエールを飲み干した。勢いに圧倒された面々から、徐々に笑みが零れる。

「変なおっさんだな」

 ふ、とティファも表情が緩んだ。酒場の笑い声が、夜の町に溶けていく。窓の外では、石畳を照らす街灯の明かりが、いつまでも小さく揺れていた。

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