魄に殉ずる者達
──神。その言葉に最も強く反応を示したのは、ガジだった。
先のティファに近い。制御しきれないマナが体から立ち上っている。空気がびりびりと震え、テーブルの上の紅茶が微かに波立った。
しかし未熟なティファと違って、ガジはすぐに気分を落ち着けマナを治めた。大きくひとつ呼吸をして、ミルロに続きを促す。ミルロはガジを見て、やや目を伏せた。
「……エレノア嬢のことは知っている。あの時多くの犠牲を払い、相討ちという形で討滅に成功した。感謝してもしきれない」
「……よせ。もう過ぎたことだ」
──エレノアを失った経緯を、詳しく聞いたことはなかった。一級魔道師。Sランク冒険者。それに準ずる者達が、束になってやっと相討ち。災害級のティダリクが可愛く思える。
そんな化物と、戦っていたのか。
ガジの目は遠い。額の大きな傷を抑えるように、指で触れる。
乗り越えたって傷は痛い。それはティファもよく知っている。
「……そんな化物が、僕の故郷にも現れると?」
シャルのこめかみに、一筋汗が流れる。もう他人事じゃない。
「近い将来、ね。住民の信仰心は集まっているようだし、後は術式と贄が用意されれば、程なく」
「……ッ」
シャルはぎ、と奥歯を噛んだ。落ち着かない様子だが、それでも視線は鋭くミルロを捉えている。
「……貴方の仰ることは、なるほどもっともだ。ミルロ総帥。だが、今聞いた話を『はいそうですか』と信じる訳にはいかない。その情報の出所、信用に値する行動を示していただきたい」
シャルは腕を組み、敬意を払いながらもあくまで対等に、言い放った。
そういえば、とティファもふと思い至った。
聞かされた情報を何となくそのまま信じてしまったが、ミルロが嘘をついている可能性を考慮していなかった。今まで聞いた話はどれも、全員に深く関係している話ではあったが、誰も知り得なかったもの。
ミルロの態度や話し方、それらがあまりに寛容で、誰も疑っていなかった。唯一、シャルを除いて。
ミルロはにこりと笑みを零し、続きを話した。
「さすがはラ・ターシュの御曹司。父上も鼻が高いだろうね」
「世辞はいい。信用に値する証拠を示してくれ」
「結論から言えば、そんなものはない。まさか諜報員の身分を晒す訳にもいかないだろう? だが……そうだね。君達のことは〝彼女〟を通じて見ていた」
ミルロは隣に座るチャミに視線を移した。テーブルに所狭しと並んでいた茶菓子は、半分程食べ尽くされている。口元にクリームをつけたチャミが、ようやく気づいたようにパチンと指を鳴らした。
するとどこからともなく、小さな青い鳥が現れる。羽ばたく度に、きらきらとした光の粉が舞った。チャミが指を鳴らす度に、その鳥は増えていく。
「これこれ! あーしの〝眼〟なんよ~! めっちゃかわちぃっしょ? ガチキュートだよね~」
先までの空気がチャミの軽さに割られる。鳥達はランプに照らされた部屋中を舞い、チャミの肩や指に止まった。
「君達はクバトと共にカドラス遺跡に赴いたね。回収してもらった剣は、その遺跡に刻まれたとある魔法を解読する鍵にもなっていたんだ。──そして驚くべきことに、チャミ嬢は独学でその魔法を解析、習得してしまった」
「いやあ~照れる~」
チャミの軽いノリに戸惑いつつ、一同はぎょっと目を見開いた。チャミは照れ臭そうに頭を掻きながら、忙しなく足を揺らしている。
「その魔法とは〝千里眼〟でね。古代、竜の力を得たカドラスが独自に開発したものだ。現代では失われた貴重な魔法だよ。そこまでは見なかったかな?」
「……休憩中に呼び出されたからな」
「それはすまない」
じっと黙っていたクバトが呆れたように息を吐く。ミルロは大して気にしていなさそうに、さらに続けた。
「彼女の〝眼〟を通じて、ティダリクの一件も見させてもらった。ジャターユ討伐のこともね。それらの行動、実力。君らの過去を鑑みて、伝えるべきだと判断した」
「……なるほど。僕達はずっと監視されていた訳だ」
納得していないらしいシャルの言葉に棘が滲む。見られていた、という事実にどことなく不快感を覚えたのは、ティファも同じだった。
二人の視線に、チャミが「う」と縮こまる。後ろで控えていたロプサンが割って入るように、頭を下げた。
「不快に思われたこと、代わってお詫び申し上げます。しかしながら、議長の能力は国営に必要なことにございます。叶うならば、弁明をお聞き届けください」
ロプサンの口から語られたのは、まだ少女であるチャミがそれでもトップに君臨する理由そのものだった。
チャミの千里眼は、ドルサ全域にわたる。険しい山脈に阻まれ、交通や連絡手段が限られる国内において、風のように山を越えるチャミの使い魔は奇跡だった。
事故、病魔、犯罪。それらをいち早く発見し、救助支援を行う。どこにいても『議長が見ている』という事実は民衆に安心感を与え、咎人に恐怖を与えた。
国境付近にも〝眼〟を配置し、周辺諸国の情勢は逐一議員の耳に入るようになっているのだと言う。
「ミルロ様及び鎖魄衆の皆々様には、度々お世話になっております。故に必要とあらば、惜しみなくご協力差し上げる次第にございます」
「私も年中ここにいる訳じゃない。必要な時に時々力を貸してもらいに来るだけだ」
「ティファたんの躍り見てたよ~! チョーイケてたね~! マジカンドーしたもんまた踊ってよ~」
チャミが政治的に無能……でもトップに据える必要があることは理解できた。ミルロも重役から信頼を得ている。それでも、シャルは今一つ決め手に欠けたような顔でミルロを見ている。
「……事情は把握した。しかしまだ、僕は〝貴方〟について何も知らない。鎖魄衆の活動……その目的もだ。なぜ僕達に情報を渡した? 何を企んでいる?」
真に迫るような言い方だった。もう誰も口を挟めない。
ミルロはシャルの言葉にひとつひとつ頷いて、終始穏やかに言葉を紡いでいく。
「私について──か。残念ながら、100年という時間をこの場で語り切る自信はないな。セシリアやバルト達との旅も……語り尽くせやしない。代わりに、鎖魄衆についてなら偽りなく答えると約束しよう」
ミルロはクバトに目を向け、クバトもひとつ頷いた。
「どうせ隠してはいないしな」
「そうだね。諜報活動が多いせいか『秘密結社』の認識が強いようだが……我々は特に存在を秘匿してはいない。誰かが困っていれば手を貸すし、必要な情報も与える。慈善的な活動もするよ」
「……灯火と似ているな」
シャルと同じ印象を持った。聞いた限りでは、違いがわからない。
だが、シャルの言葉にクバトはあからさまに嫌悪を見せた。厳めしい顔つきに、さらに深い皺が刻まれている。ミルロはそれを受けても平然と、話を続ける。
「構造上はそうなるな。だが奴らとは明確に違うと言っておこう。奴らは自分達で火を点け、自分達で消火し信徒を増やしている。聖女復活の為に手段を選ばず、組織は今も拡大を続けている。君の故郷ロマーニにも、よくよく調べれば不作前に奴らの活動の痕跡があったよ」
シャルの耳がぴくりと跳ねる。眉間の皺が一層深くなった。言葉にしなくても、「なぜ自分の領地のことを知っている」と顔に書いてある。
続くミルロの言葉は、それを察したかのようだった。
「我々の活動は国境に縛られない。だからこそ力を持つ我々は、一人一人が強固なる〝鎖〟で己を律しなければならない。そして我々の戦いは、決して英雄的であってはならない。光の当たらない影であり、だがしかし皆信念という〝魄〟に殉ずる。それらが輪となり、連なり、人々が我々を必要としなくなる世界──鎖魄衆の解散が最終目的だ」
ミルロはそう言って言葉を結んだ。ランプに照らされた部屋がしんと静まり返る。ミルロの眼は強く、燃えるような光を宿している。
それまで頑として疑っていたシャルも呆気に取られ、言葉に詰まっている様子だった。
──嘘かどうかは、眼を見ればわかるという。少なくともミルロの眼差しには、強い意思が感じられた。
だがそれは僅かな暇。瞬きの間にいつもの調子に戻り、ミルロは再度口を開いた。
「まぁ、自分で話しておいてなんだが、口ではどうとでも言えるからね。ここから先は、私も我々の目的の為に全力で君達の信頼を得ることとしよう」
ミルロはチャミとロプサンに目配せをした。チャミは使い魔の鳥を呼び出し、ロプサンは大きな水晶玉を持って来てテーブルに置いた。重そうな水晶が、鈍い音を立てて卓上に置かれる。
「何だこれ」
「君達への依頼だよ。チャミ嬢の〝眼〟を通じて、まずは惨状を見ていただこう」
水晶に鳥が乗り、チャミが目を閉じると、ぼんやりと玉が光を帯びる。やがて中心に、映像が映し出された。──ドルサの山並みのようだった。
だがその山々は抉れ、あちこち噴火の跡がある。周辺の木々は、化石のようだ。一同の間に、重い沈黙が落ちた。
「──つい一週間前です。この国でも〝神降ろし〟が行われました。警戒はしていたのですが……面目次第もありません」
神降ろし。その言葉に再度肩を震わせたのは、ガジだった。映る惨状を見詰め、何かを思い出すように目を細めている。
「……同じ奴か」
「いいや、残念ながら。この神はニンチェン。今は活動していないようだな。だが神は顕現し存在するだけで周囲のマナを吸い尽くし環境を破壊する。じきこの霊峰も枯れ果てる」
シャルの耳の毛がぞわりと逆立ったのが見えた。今見ている惨状が、シャルの故郷で起きるかもしれない未来なのだと痛感した。
ミルロは席を降り、皆の前に立って後ろ手に腕を組んだ。窓の外、夜闇を背にしたその姿は、ランプの灯りに輪郭だけを淡く浮かび上がらせていた。
「さて、本題だ。君達にこの神を討滅してもらいたい。報酬は竜の眼の封印場所……ロマーニへの恒久的な支援。リコリス嬢のご両親、エレノア嬢の仇、アビスの居所……君達に関係する情報は逐一報告すると約束しよう」
ミルロから提示された報酬は、どれも各々が喉から手が出るほど欲するものばかりだった。
だがそれでも、ティダリクが可愛く見えるほどの災害。誰も今一歩、頷けずにいた。
ミルロはそれを後押しするかのように、にっと口角を上げた。
「もちろん、君達だけでとは言わない。私も出よう。クバトも同行させる」
名前が挙がったクバトは、腕を組んだまま嘆息している。「そんなことだろうと思った」という低い声が小さく聞こえた。
「ミルロ……戦えるのか?」
「一応ね。短い間だが、セシリア達とも旅をしたんだ。いつか昔話をしよう。それに──……」
ミルロはシャルにそっと視線を移す。口元は不敵につり上がったままだ。
「信頼を得ようと言うのだ。私も命を懸けよう」
その眼と言葉に、ぶるりと震えが走った。
──目的の為に平然と命を差し出す、狂気にも似た覚悟。
これだけ話をしても、まだミルロの底は知れない。蝋燭の灯りが、ふっと一度揺らいだ。




