神話の残響
一行はカドラス遺跡への入域許可をもらう為、ナシュルの街を仕切る領主の元へと向かった。
チャクドという領主の邸宅は、今まで訪れたどの土地よりも豪華だった。石工で栄えた街らしく、そこかしこに細かい細工の石像が飾ってある。庭は高原のように青々と広がり、よく手入れをされた花壇が色とりどりの花を咲かせている。日差しを受けて、噴水の飛沫が小さな虹を結んでいた。
「貴族ん家って感じ……」
「住む世界が違うな……」
「これくらい普通よ」
平然と整った石畳を歩くリコとシャルだけが、慣れたように門へと向かって行く。ガジはぽつりと「エレノアの実家みてえだ」とぼやいていた。
広過ぎる庭を抜け屋敷の門に辿り着くと、シャルは門番に記章のような物を見せ「チャクド卿への面会を頼む」と申し出た。
振る舞いには一切の迷いも感じられない。貴族然とした姿だった。
屋敷の大扉が開くと、身なりが整った使用人に案内され応接間のような部屋で待つこととなった。
屋敷のどこに目を向けても、高そうな絵画や工芸品で溢れている。磨き上げられた床には、窓からの光が長方形に落ちていた。
しばらくすると使用人が紅茶と茶菓子を運んで来た。湯気と共に柑橘系の香りがふわりと立ち上る。
リコは遠慮もなく焼き菓子に手を伸ばし、シャルも紅茶を楽しんでいる。ティファを含む他三人は落ち着かない様子で、無駄に柔らかいソファで領主の来訪を待った。
アポもなく来た割には、使用人にも丁重にもてなされている。シャルの身分が高い証拠と言えるだろう。そんな貴族が、どうして危険な一人旅などしているのか気になったが、尋ねる前に扉がノックされた。
シャルが立ち上がって出迎えたので、それに倣って腰を上げる。開かれた扉の前には、老齢の紳士が立っていた。
「──お久し振りです、チャクド卿。この度は急な来訪にも関わらず、面会の機会を与えてくださり──……」
「ああ、よいよい。久しいな、ラ・ターシュのせがれ。全く、少し見ん内に大きくなりよって」
チャクドは厳めしい顔つきに反し、豪快に笑ってみせた。白くなった眉や髭が、先とは打って変わって丸みを帯びている。
一頻り再会を喜んだ後、チャクドは杖をつきティファ達にも腰を下ろすよう促した。杖の先が床を叩く音が、静かな部屋によく響いた。
「いやぁ、あの跳ねっ返りとまさかこんな形で再会するとはな。長生きはするもんだ」
「何を仰います。まだまだ現役でございましょうに」
その後もチャクドとシャルの世間話や思い出話は続いた。
シャルの故郷ではワインの生産が盛んなこと、チャクドとはその品評会で知り合ったこと。シャルは家業を継ぐ前に、見聞を広げる為に武者修行の旅をしていること。
どれも興味はあったが、ここへ来た目的はカドラス遺跡への入域許可。本題はまだだろうかとトリューと顔を見合わせるが、交渉役はシャルなのでじっと待つ。手持ち無沙汰に、ティファは冷めていく紅茶を一口含んだ。
すると、話の気が済んだのか、チャクドは機嫌良くひとつ息を吐いて紅茶のカップを手に取った。
「さて、年寄りの長話に付き合わせてすまんな。遺跡への入域許可だが──あれは鎖魄衆からの依頼でな。儂個人が出した命令ではないんだ」
──鎖魄衆。その名にぴくりと眉が動く。クバトが所属している組織の名前だ。ガジにもヴァルモンスで経緯を話した。シャルやリコにも聞き覚えがあるのか、時折空を見上げている。
「鎖魄衆って……あまり表には出てこない組織よね。色んな噂があるけど……遺跡を封鎖してまで何の用なのかしら」
「僕も噂は耳にしたことがある。あくまで噂だが──組織の中枢は国の暗部にまで及ぶという」
「そうだ。その鎖魄衆から、しばらく遺跡を封鎖してほしいと連絡が入った。遺物である古代の剣も盗まれたばかりだったしな」
「「あ」」
トリューと同時に一人の人物に思い当たった。ヴァルモンスで捕えた賞金首──ノイル。あいつ、ここから盗んで行ったのか。
事情を話すと、チャクドは大層喜んで「よく取り返してくれた」と二人に握手を求めた。たまたまヴァルモンスにいた手頃な賞金首がノイルだっただけなので、あまり感謝されても気まずい。
「お前らそん時、鎖魄衆にも会ったって言ってなかったか」
「うん。クバトって奴。盗品もそいつが回収してった」
「おお、なんとなんと……奇運は重なるものだな。儂に封鎖を依頼してきたのが、そのクバトという男だよ」
「まじか」
チャクドは気分を落ち着けるようにゆっくりと紅茶を口に含み、息を吐いた。カップを置くと杖に手を乗せ、ひとつ頷く。
「いやはや。入域許可について聞かれた時はシャルティエの頼みでも──と悩んでいたのだがな。君らは何か〝持って〟いるのかもしれんな。よろしい。行ってみなさい」
チャクドはそう言って膝を叩いた。トリューの顔は綻び、礼儀も弁えず「ありがとうおっさん!」などと叫んだ。リコだけが青い顔で「トリュー!」と焦っている。
「よかったな」
「うん! シャルもありがとうな!」
「僕は何もしていないよ」
「なに。おっさんに会えたのはシャルのおかげだろ」
「ガジまで……ッ!」
チャクドも気にしていないのか、大口を開けて笑っている。窓からの陽光が、その朗らかな笑い声をいっそう明るく照らしていた。
礼儀を重んじる令嬢は大変だな、とティファは頭の片隅で思った。
******
屋敷を後にした一行は、その足で遺跡へと向かうことにした。
「シャルはこの後どうするんだ?」
「邪魔でなければ僕も同行させてほしい。君達に興味がある」
「もちろんよ。イケメンがいると華があっていいわ」
礼儀も弁えてるしね、とリコはひとつトリューを睨んだ。先程のチャクドへの態度のことなのか以前の「おばちゃん」発言を根に持っているのか、トリューはなぜリコに睨まれたのかわからない様子で首を傾げている。
「なんで怒ってんの」
「なんで怒られてるのかわかってないからよ」
「えー……」
トリューは困ったように肩を落とした。一応学ぼうと姿勢はあるようなので、ティファは「後で甘い物でも与えとけ」と教えておいた。
目的のカドラス遺跡は、ナシュルの街の目と鼻の先にあった。国の文化財に指定されているからなのか、周りの岩場が丁寧に切り開かれていて、歩きやすい。岩壁を掘り当てた洞窟のように、入り口は存在していた。日が高く、入口の暗がりとの境目がくっきりと分かれている。
「ここ……でいいんだよな」
「そうらしい」
「中にクバトもいんのかな」
「とりあえず入ってみましょ」
「明かり点けんぞ」
ガジがランプを灯し、内部を照らす。奥は深く、先は見えない。足を踏み入れると、ひんやりとした空気と共に、かび臭さに似た古い石の匂いが鼻をついた。
ティファはふと、レフテオの遺跡を思い出した。──盗掘者と間違われて急に襲われるのは御免だ。
「クバトー! いるのかー!」
ティファの声は洞窟に反響し、こだまとなって響いた。上から落ちる雫の音だけが、寂しく残っている。
「……いない?」
「いや、足音する」
トリューが耳を澄ませる。シャルも大きく長い耳をぴくりと動かし、何かの音を捉えたようだ。
「すごいなトリュー。ウーレでもないのに、この音が拾えるのか」
「まぁ……この距離なら」
「鼻もいいから時々犬なんじゃないかと思う」
「大体犬扱いしてんじゃねえか」
「湯たんぽでもあるわよね」
「もー! うるせえな! 聞こえねえだろ!」
軽口を言い合っている間に、ティファでも聞こえるほど足音が近づいて来た。ランプの明かりに照らされて現れたのは、やはりクバトだった。
「お前達……なぜいる」
「ちゃんと許可はもらったぞ」
誤解がないように、先に事情を説明する。ティファの話を受けて、クバトは顔をしかめたままひとつ頷いた。
「なるほど……まぁ良かろう。お前達には借りもあることだしな」
「クバトはこの遺跡調査してんの?」
「そんなところだ」
クバトは踵を返し、ティファ達は後ろをぞろぞろとついて行く。しばらく進むと、所々に松明が灯されていた。炎の揺らめきに合わせ、浮かび上がる岩壁には、いつの時代かもわからない絵が刻まれている。
「なぁ、この絵みたいなのが古代竜ってやつ?」
「なんだ、何も知らないで来たのか?」
トリューの質問に、クバトは呆れたように答える。竜の眼の手掛かりになりそうなもの。古代竜に関する遺跡、としてこの場所に来た。それ以外の知識はティファ達も皆無だ。
「この遺跡は、遥か昔──それこそ何千万と昔、神話時代のものだ。神樹が世界の中心であり……世界はマナに溢れ、全ての生命が強く逞しく、概念さえも形を持って世界を闊歩していたという」
クバトの口から語られた神話は、途方もない世界だった。今でいう幻獣や神、竜でさえその時代には当たり前に存在していたらしい。ティファは昔自分が言語を学ぶ為に読んだ童話やおとぎ話でしか、それを知らない。
「で、その神話の竜がこの遺跡に?」
「正確には違う。この遺跡は古代……最初に竜を殺し、その血を、眼を奪った人間──カドラスの遺跡だ」
******
──クバトの話を聞いて、背筋が凍った。
クバトは松明を掲げ、さらに奥の壁画を照らした。そこには巨大な竜と、剣を掲げる人間が描かれていた。炎に照らされた竜の輪郭が、生きているかのように壁の上で揺れている。
──動悸がする。こめかみを汗が伝う。
「カドラスは大いなる竜の力を手に入れ、人々に繁栄をもたらし英雄となった。しかしその後──……」
クバトが次の壁画に向かう。足音がやけに響いて聞こえる。照らされた壁画は、さっきとは違う竜が街を、人々を焼いていた。
「カドラスは竜の力に飲まれ──自らも竜と化し、己のもたらした繁栄を焼き尽くしたそうだ」
息が詰まる。上手く呼吸ができない。心音が鼓膜を破りそうだ。
「トリュー?」
ティファの声で、はっと我に返る。拳を握っていないと、今にも震え出しそうだ。
「大丈夫か? 顔青いぞ」
「あ……ああ……だいじょぶ……」
ようやっと出せた声は、僅かに掠れていた。洞窟の冷えた空気が汗を撫でて、寒い。
「大丈夫って顔してないわよ。一旦外出る?」
「うん……」
「……」
リコに導かれ、遺跡を後にする。後ろからティファの視線を感じたが、トリューは俯いたまま顔を上げられなかった。
暗い洞窟から一転。明るい外に出ると、日差しが眩しかった。昼を過ぎた太陽が、岩肌に濃い影を落としている。澄んだ空気が肺を洗い、少し落ち着いた。
しかし事は矢継ぎ早に、クバトから通信音が鳴る。クバトは耳に着けたカフスに指を当てると、何かを話し始めた。
「ああ……ああ……いや一緒だが……まさかお前見てるんじゃないだろうな……」
通信が終わると、クバトは腰に手を当てて大きく溜め息を吐いた。乾いた風が、洞窟の入口から吹き抜けていく。
「……うちのボスからお呼び出しだ。お前達全員連れて来い、とな」
クバトが『ボス』と呼ぶ人物。トリューは心の整理がつかないまま、その人物の呼び出しを受けることとなった。




