月下の贈り物
狩りを終えてもティファの一日は続く。皆が就寝した後は、月明かりで本を読むのが日課だ。
シスターがくれた書物を、一文字逃さず丁寧になぞる。
子供達の寝息は静かだ。窓辺に座って本を読んでいると安心する。時折カーテンを揺らす風が心地いい。
「まだ本を読んでいるの?」
声の主は寝巻き姿のシスターだった。シスターは足音静かに、ティファの隣に座る。
「うん…いま生命学のマナ構造について」
「ティファは勉強熱心ね」
シスターは優しくティファの頭を撫でる。ティファはこのシスターの手が好きだった。
「でもね、ティファ。あまり根を詰めるのも良くないと思うわ」
「……」
シスターが言いたいことはわかる。でも、それでも。
「ミィデの事が忘れられないんだ」
もっとちゃんと、自分が勉強していたら。炎魔法だけじゃなく、治癒魔法まで覚えていたなら。
あれから一日だって、そう思わなかった日はない。
シスターは困ったように笑いながら、ティファの頭を撫で続けている。
「この髪は、アンナがやってくれたのね」
「え…うん」
「とっても可愛いわ。ティファの白銀色によく似合う」
はくぎん。かわいい。意味を飲み込むまで目を丸くしてしまった。
「白髪では?」
「ふふふっ。それはおばあちゃんの私の色ねえ。ティファの髪は、あの満月みたいに綺麗な色をしてるわよ」
──月。確かに月も白い。今まで灯りとしてしか見ていなかったが、自分の白灰のような髪が人にはそう見えるのだろうか。窓の外、雲間から覗く月を、ティファはそっと見上げた。
「ねえティファ。ちょっと手伝ってくれない?」
「今から?」
「そ。今から」
シスターに連れられて来たのは、教会の裏手にある丘の墓所だった。誰の墓かは知らない。夜露に濡れた草が、足元でひやりと光っていた。
「さ! 開けちゃいましょう!」
「は!?」
墓を、暴こうと言っているのか。仮にも修道女が。いやシスターも普通に肉を食べるし、この世界での倫理観はいまいちよくわからない。
だがさすがに墓を荒らすのは…とティファは躊躇う。
「いーのいーの。私の夫のお墓だもの。遺体なんてないし、ほら早く!」
シスターは既婚者だったのか。いやそれよりも。
(旦那さん…すみません…)
良いと言われても気が引ける。ティファは小さく黙祷してから墓石に手を掛ける。土を掘り返し払うと、棺の代わりに、頑丈な箱が出てきた。土の冷たさが指先に染みる。
シスターはそれを受け取ると、何か小さく呟いた。同時に箱が僅かに光り、解錠されていく。魔法仕掛けの箱だったのだろうか。
中には古びた双剣と、不思議な色をした石が入っていた。
「あらら。これはちょっと手入れしないとダメかしらね」
シスターは双剣を撫で、楽しそうに笑った。続いて箱を置き、ティファに石を手渡す。
「握って。少し目を瞑っていて」
言われた通りにすると、ティファの小さな手をシスターの温かい両手が包む。
じんわりと、徐々に熱が増していく。目を閉じていてもわかる程、石が輝いている。──熱い。
同時に、ティファの脳に映像が流れる。映像、というにはあまりに曖昧で、情報というにはあまりに鮮明で。
双剣の重さ、体の動かし方、刃の角度。持ち主の研鑽が、完成させた技の型が、一気に脳に叩き込まれた感覚だった。
「……ッ!」
鋭い痛みで膝が折れる。シスターに支えられ、その場に腰を下ろした。
「い…まのは…?」
「夫の記憶よ。磨いた技を、このパールに保管しておいたの。一度に全部は、ちょっと負荷が高かったわね」
ちょっと申し訳なさそうに、またティファの頭を撫でる。呼吸が整うまで、シスターは寄り添ってくれた。
落ち着きを取り戻すと、ティファは尋ねる。
「シスター…なんでこれを?」
「ん? あなたにあげようと思って」
「え」
言葉と共に思考も固まった。この人は何を言っているのだろう。
「も、もらえないよ」
「いーのいーの。どうせ持ち主もいないのだし。それよりね、ティファ」
知ってはいたが、なんて軽い人なのだろう。旦那さんはきっと、さぞ苦労しただろうな。
呆れるティファに構わず、シスターは話を続ける。
「旅をしてみない?」
再び思考が止まる。シスターはにっこりと微笑んでいる。
「たび…?」
「そう。旅」
聞き返しても、答えは同じだった。意図を図りかねる。
困惑するティファを尻目に、シスターは月を見上げた。月光が銀白の髪を透かして瞬いている。
「あなたはね、ちょっと人生を達観し過ぎていないかしら」
諭すようで、柔らかい音色だった。
「世界はもっと美しい。自分の未来を決めるのは、それを見てからだって遅くないわ」
シスターの目は遥か遠く。百歳を越えた老女とは思えない程、きらきらと輝いている。
「たくさんのものを見て、聞いて。出会って、感じて。導く答えが私と同じとも限らない。──ねえティファ」
若々しい。刻まれた皺もしゃがれた声も、今は何一つ感じない。
「そしていつか、あなたの答えを聞かせてちょうだい」
真っ直ぐな瞳から逃げられない。呼吸さえ忘れる程の、優しい威圧感。
この人は、本当に、強い人なんだ。
「シスターも…旅、したの?」
「若い時にね! 色々無茶もしたわ。その度に夫に叱られてね」
「…そんな感じするね」
ふふふ。楽しそうな笑い声が風に舞う。シスターの髪が月光に遊ぶ。
──綺麗だ。この人と同じ色の髪なら、確かに嬉しいかもしれない。
「この双剣はお守りよ。この先きっと、何があってもティファを守ってくれるわ」
そう言って双剣を手渡される。ひやりとした刃の重みが、両腕にずしりと伝わった。
──ティファの体には随分と大きく感じた。
「でも一度手入れしなきゃね。さすがにこれじゃあ、すぐ折れちゃうわ」
困ったように笑うシスターが、また一層幼く見えた。
ティファは双剣を抱えた。
丘の上から見える世界は、月明かりに照らされて静かに広がっている。
森がある。村がある。
その向こうには、まだ見たこともない土地が続いているのだろう。
旅に出る。考えもしなかった未来に、少しだけ胸が躍った。




