乙女心
ティファの療養を終えた四人は、ドルサ連邦国へ向かうべく宿屋を出立した。雲が途切れ、差し込む日差しは徐々に強さを増している。濡れていた土もすっかり乾いて、草花が風に揺れている。
中心都市から随分景色は変わり、高い山々が雲の上までそびえ貫いている。斜面が多くなり、国境が近いことを暗に示していた。空気は薄く乾き、肌に触れる風もどこか冷たい。
「もうじき国境だ」
「どんな国なんだろーな」
「私も入るのは初めてだわ」
「リコはどこから来たんだ?」
「アテレイスよ。二度と戻らないけどね」
リコはそう言ってぷい、とそっぽを向いた。初めて聞く地名だが、ガジは知っているようだった。歩きながら「ほう」と呟いている。
「知ってるのか?」
「世界で最も文明が発達した学術都市だ。そこ出身か」
「リコってすげーんだー」
「生まれがたまたまそこだっただけよ。私には窮屈だわ」
口を尖らせるリコはなんだか不機嫌だった。帰らない、という決意は固く見える。だが、故郷を捨てるという考えがティファにはまだ及ばない。
何か事情があるのだろうかと思案していると、トリューは遠慮もなく尋ねた。
「なんで帰らないんだ?」
「だって帰ったら結婚させられるもの。絶対嫌よ。私は白馬の王子様と結婚するって決めてるの!」
リコは腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。少しでも気遣って身構えたことを後悔した。肩の力が抜け、鞄のベルトがずり落ちる。
「そんな理由…?」
「大事なことよ! あなた耐えられるの!?」
「まぁ…嫌かも」
聞けば、義父から持ちかけられた縁談から逃げるように家を出たのだと言う。確かに強制されたら嫌だろうが、実年齢に似合わない乙女な夢もどうやら本気らしい。
「今日び王政国家は少ねえぞ」
「いいのよ私が王子様だと思えば。そして白馬は譲らないわ」
「わかんねえなぁ…」
「そうだな…」
思い返せば、アンナとノノアもそんな話で盛り上がっていた。どうにも興味を持てないティファだけが、毎日剣を振っては狩りに勤しんでいた。
いつか自分も興味を持つのだろうか、とふと考えるが、そんな自分は少しも想像できなかった。
「なー。あれなんだ?」
晴れた街道を歩いていると、その先をトリューが指差す。人だかりができているようだった。近づいてみると、街道の分かれ道に立て看板が設置されているようだった。それを囲うように人が集まり、ざわざわと声が重なっている。
「ガジ見える?」
「討伐隊募集の張り紙だな。災害級の魔物の出現が近いらしい」
「なんでわかるんだそれ」
「おお、あんたらも旅人かい」
張り紙を見ていた農夫が振り向き、ガジに声を掛ける。肩に鍬を担ぎ、麦藁で編まれた帽子を深く被っている。日に焼けた顔には深い皺が刻まれていた。
「俺が『水喰い』を見たのは子供の時だったがね。ここいらじゃ有名な魔物だよ。現れたら最後、みーんな踏み潰しちまう」
農夫は両手を広げて、魔物の大きさを表現しようとする。だが聞く限りだと、その魔物は川の水を干上がらせ家さえ踏み潰すという。どれほどの巨体なのか、想像もつかない。
「むしろなんで今まで無事だったんだ」
「何十年かに一度、渇いたら起きてくるんだ。水を求めてさまよって、水を飲んだらまた地中に潜って寝ちまう。その間は安全なんだ」
運が良ければ、活動期に自分で地下水を堀り当てて地表に出てこないこともあると言う。現れたら災害でも、近くに住むだけのメリットがこの周辺にはあるということだろう。
ティファは辺りを見渡した。そんな魔物がいるせいなのか、確かにここのところ魔物には出会っていない。緑は豊かで、水路まで引かれている。畑には青々とした作物が整然と並んでいた。
「ギルドが討伐隊を募集しているということは、出現の予兆があったのね?」
「その通りさ。最近地震が多くてよ。水位も下がってる。あいつが水を求めて出てくるに違いねえ」
農夫は怯えたようにぶるりと体を震わせた。
災害は確かに厄介そうではあるが、討伐隊を組むならどうにかできるのだろう。巻き込まれる前にさっさと国境を越えた方が良さそうだ、とティファは踵を返した。
「行かねえの?」
「誰かがやるだろ。リスクの方がでかい」
トリューに聞かれたが、ティファはそのまま先を歩いた。他の三人も同意見のようで、人だかりを離れる。そこでギルド職員らしい女性に、一枚の紙を渡された。
「討伐隊の募集です! どうかご協力を!」
女性は紙束を抱え、周辺の人々に紙を配り回っていた。声は少し掠れ、額には汗が滲んでいる。必死そうな表情に押され、一枚だけ受け取る。表には魔物の絵図や詳細が記されていた。
個体名、ティダリク。体長、推定五十メートル。
大きさの時点で人類が敵う相手ではない。今になって現れたのは不憫に思うが、わかっていて周辺に住んでいるならそれも仕方ない。
ティファがそう結論づけた時、ひとつの項目が目に留まった。
「……賞金、白金貨二百枚」
「二百!?」
トリューでさえ驚いて声を荒げた。金貨に直すと、二千枚相当だ。桁が違い過ぎる。
「まぁ、そのくらいいくだろうなぁ」
「災害級でしょ? 安いくらいだわ」
年長者二人はあまり動揺していなかった。そのまま先を急ごうと歩みを進めている。
しかし、ティファは紙を握り締めたまま動けなくなっていた。指先がその紙をくしゃりと折り込むほど、強く握る。そして再度踵を返し、ギルド職員に向かう。
「参加します」
「おい」
「釣られたな」
「ちょっとは戸惑いなさいよ」
後ろから呆れた声が聞こえる。だがティファの頭は魔法収納具の夢でいっぱいだった。瞳がきらきらと輝いている。
白金貨二百枚。一体いくつ買えるのだろう。
白馬の王子様を待つ乙女心は全くわからないが、ティファの胸はときめきで溢れていた。




