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やどりび  作者: ファット爺
第六章
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揺らぎ

 薬瓶が並ぶ診療所の片隅。部屋は静まり返り、窓の外からは虫の音だけが微かに届いている。

 ランプの灯りに照らされた試験管を掲げ、リコは思い悩んでいた。

「……何かしら、これ」

 念の為、と預かった3人分の血液。感染を調べる過程で、トリューの検体に目が留まった。

 何かがおかしい。だが、何がおかしいのかはわからない。ふと、ティファの検体にも視線を落とす。──こちらは見間違いかと思うほどの、ごくわずかな揺らぎ。気のせいかもしれない。

「もうちょっと調べてみたいわね」

 カタン、と手早く器材を片づけ、宿屋に戻ることにした。


 部屋に戻ると、熱は引いたはずのティファはベッドに沈み込んでうなされている。他の2人は路銀を稼ぐべく、クエストに出掛けたままだった。

 リコは机に鞄を置き、ひょいとティファのベッドに腰掛けた。

「あなた毎回そんなに重いの?」

「……」

 丸まったティファがこくり、と小さく頷く。今月もまた、女性特有の悩みに直面しているらしかった。

「動けない期間でちょうどよかったよ…」

「それはそうかもだけど。うーん…詳しく検査してあげたいけど、この辺じゃ器材が足りないのよねえ…」

 腕を組んでこんこん、と顎を叩く。重い原因は複数考えられるが、検査してみない限り断定はできない。

 リコは「仕方ないわ」とひとつ息を吐いて、ベッドを降りる。鞄から数種類の薬瓶を取り出し、それを皿の上で混ぜ始めた。小さな筆も持って再びベッドに登ると、ティファの布団をばさりと巻き上げる。

「なにするんだ…」

「ちょっと仰向けになって。寝巻きを捲りなさい」

 青い顔に眉を寄せながらも、ティファは素直に指示に従った。リコに腹を見せる形で、仰向けになる。

「そのままじっとしててね」

 リコは用意した薬液で、ティファの下腹部に紋様を描き始めた。迷いのない筆運びは、何百、何千と繰り返してきた者の手つきだった。

 筆先が肌をなぞる。ティファはくすぐったそうに眉をしかめ、不思議そうな顔で様子を見ている。

「なにそれ…」

「刻印魔法の一種よ。これで2~3年、生理を止められるわ。薄くなったらまた描いてあげる」

「えっ」

 ティファは目を丸くして驚いていた。余程長く悩まされていたのだろう。リコはそんなティファの反応に、小さく苦笑した。

「便利…っ」

「避妊効果もあるからね。こんなご時世だし、結構需要あるのよ」

 世界各地で神災が多発し、民間業者のギルドが力を持ちすぎるほど国が国として機能していない。女性の働き手や冒険者が増える一方の世の中で、避妊呪印の需要はかつてないほど上昇していた。リコもそれを痛感していた。

「はいできた。上から隠蔽魔法も描くわよ」

「隠すの?」

「当たり前でしょ」

 首を傾げるティファに、呆れたように続ける。危機感が薄いのか何なのか、ティファは理解していないようだった。

「若い娘さんが『私は妊娠しません』ってお腹に描いて歩くようなものなのよ。危ないでしょうが」

「ぶっ飛ばせるけど…」

「そういう問題じゃない!」

 腕が立つというのも、困りものだ。リコはもうひとつ息を吐いて、作業を続けた。



******



 夕暮れの茜色はとうに消え、窓の外は闇に沈んでいた。

「ただいまー」

 夜になり、トリューとガジがクエストを終えて戻って来る。すっかり具合が良くなったティファは、ベッドに座って賞金首のリストを眺めていた。

「お前そんなもん持って来てたのか」

「魔法収納具に近づく為だ」

「執念深いなぁ…」

 槍を立て掛けたトリューが手元の紙束を覗き込む。ヴァルモンスのギルドで見た賞金がついている魔物や犯罪者を、片っ端から印刷したものだ。道中出会ったら逃すまいと、特徴や目撃情報などを頭に叩き込んでいる。

「金はあって困らないだろ」

「そらそうだが」

「目が金貨なんよ」

「医師免許取ればいいじゃない」

「何年かかるんだそれ」

 1人だけ感覚の違いを叩きつけるリコは放っておき、周辺に賞金首がいないかを探す。魔物が何体か、近くにいそうだった。

「こいつ行こう。近い」

「どれ」

「あー。トリューだけじゃ厳しいな。俺も行こう」

「ティファはまだ安静よ」

「ちっ…」

「文句言わない」

「言ってない」

 主治医から安静を言い渡され、渋々了承する。翌朝に備えて寝ようとそれぞれが寝床に向かおうとした時、リコがトリューを引き留めた。

「あ、そうだ。トリュー、もう1回採血させてちょうだい」

「また!?」

「気になることがあるのよ」

 気になること、と言われて少し身構えた。感染していたのだろうか。そう尋ねると、リコは「違う」と答えた。

「まぁ、個人的にね」

「感染してないならいいじゃん!」

「それはそれとして必要なのよ。今回は3本だけだから」

「嫌だ!」

 子供のように駄々を捏ね、カーテンに包まって隠れる始末だ。注射を嫌がる犬のようで、ちょっと面白い。

「前は平気だったじゃねえか」

「あれは! 感染調べるって言うから!」

 我慢してたんだな、とぼんやり思った。当時の様子は眠っていたので知らないが、魔物に噛まれるのは平気な癖に注射が嫌いな理由がいまいちわからない。

「リコが必要だって言うんだ。諦めろ」

「嘘だ! おばちゃんって言ったの根に持ってんだ!」

 瞬間、リコの耳がぴくりと動いた。普段簡単に人に騙される癖に、なぜ今日だけ疑り深い上にわざわざ自分から地雷を踏みに行くんだ。

「……そう。薬も追加して良さそうね」

「あーあ…」

「…諦めろ」

「やだぁぁ!」

 ガジは呆れたように嘆息すると、カーテンごとトリューの体を軽々と担ぎ上げた。じたばたと暴れる足が、宙でむなしく空を蹴る。

 結局トリューはガジに捕えられ、血を抜かれ苦そうな薬液まで飲まされていた。情けない悲鳴が、しばらく宿の廊下に響いていた。

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